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水色の空の下で  作者: みやこ
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夢の世界 10

 アイコはいつものように歩いて寺院に向かった。水色の空の下で思うことがある。この世界において、自分の理想と現実は常に重なる。アイコはアイコであり続ける。自分の行動は自分だけでなく、目の前にいる者も幸せにする。この世界が自分の手足のように感じて、違和感を得ない。全てが一つに繋がっているのに、尊い個性が存在する。ナナ、ユキノ、カオリ。名前を思い出すだけで胸の中から幸せがあふれてくる。体をジーンと感じさせる。この水色の空に心が溶けてしまうほどの気持ち良さだ。

 思えば、この世界においてアイコに黒い感情を与えるのは僧侶だけだ。僧侶はなぜアイコに黒い感情を与えるのだろうか。昨日も言っていた。それは憎しみ合う世界の話だ。食物を奪い合い、土地を奪い合い、金を奪い合い、好いた者を奪い合う。そういう世界の話だ。奪った者は喜び、繁栄する。奪われた者は奪った者を憎む。アイコには理解できなかった。自分は人から何かを奪ったりしないし、もし奪われても憎んだりしない。アイコは僧侶に強く反発した。この世界の全ての人々は自分と同じように考えていると、そう確信している。自分の目の前にいる人を好きになって、その人の幸せのために考えたり行動したりする。人とはそういうものだ。この世界の水色の空のように、人の心は常に純粋であるはずだ。

 寺院の敷居をまたいで奥へとすすむと、外からの光はだんだんと届かなくなっていく。空の水色も入り口や窓の周りに反射するだけで、中央にある階段のところまでは届かない。薄暗い螺旋階段をアイコはのぼる。切れてしまった水色の糸が集まる七階へと向かう。アイコは人の心を繋ぎ合わせたい。そういった理想をかなえている。行動は自らの意思を示す。ほとんど毎日同じことをしているのに、楽しさは色あせない。むしろ色濃くなる。

 この世界は理想。

 この世界………… そう考えると僧侶の言った『憎しみ合う世界』のことを思い出してしまう。理想とはかけ離れた世界。もしそんな世界に生を受けたら、自分は自分であり続けられるだろうか? 自分の理想をかなえるために行動できるのだろうか? 僧侶にきかれた時は、そんな世界に生まれてしまったら死んでしまうと答えた。アイコは改めて考えた。

 憎しみ合う世界でも、この螺旋階段を一段ずつのぼるように行動だけが理想をかなえるのだろう。憎しみ合う世界において、階段の一段一段は『苦しみ』なのだろう。その階段をのぼらなくては理想に到達できない。無理だ。そんなことできない。きっと心は氷ついてしまい、凍えたまま息絶えてしまうだろう。

そう思った時、僧侶の言葉を思い出した。

『それでもあなたは糸を繋がなくてはなりません』

 階段を一段ずつのぼる時に感じる苦しみとは何なのだろうか。苦しみに耐えられるのだろうか。耐える意味があるのだろうか。苦しくて引き帰してしまったら、何を失うのだろうか。それを失うと自分はどうなってしまうのだろうか。

 苦しみの先にある理想。それはなんなのだろうか…………

 六階の手前でアイコは首を真上に向けた。最上階にある水色の塊にもだいぶ近くなった。淡い光。アイコが求める理想のように淡く光っている。ユキノは淡い色を求めていない。そういう生き方もあるのだろう。うらやましいとも思うが、アイコは違う。

 目の前にある階段を一段ずつのぼらなくてはならない。のぼることの意味がなんであっても、耐えることの意味がなんであっても、その先に何があるのかわからなくても、力強い歩調でのぼらなくてはならない。

 七階にあがると人影を二つ見つけた。僧侶と見知らぬ女の子だ。その子はアイコと同じくらいの年齢に見える。銀色の髪が印象的だ。僧侶と何かを話している。銀色の髪の子は苦しそうな顔をして、首を横に振った。僧侶は銀色の髪の子に対しても黒い感情を与えているのだろう。アイコが来たことに二人は気付いて、階段の方に振り向いた。僧侶の顔はいつものようにやさしかった。銀色の髪の子は少し首を下に向けて、アイコとは目を合わせないようにしている。人見知りをする子なのだろう。

「おはようございます」

 アイコが両腕を広げると、僧侶も「アイコ、おはよう」と挨拶して、軽く両腕を広げた。抱き合うといつものように一瞬だけ腕に力を込めた。

「えっ?」

 僧侶はアイコの後頭部をさすった。いつもはこんなことをしない。だから僧侶が一歩下がると、アイコは僧侶を見つめた。何事もなかったかのように僧侶は「挨拶を続けなさい」と言った。見知らぬ人であっても抱きしめて、一瞬だけ両手に少し力を込める。この世界の決まりだ。寺院に向かって歩く時などは、店の人とすれ違っても抱き合って挨拶をしたりしないが、もし朝に買い物をするのなら店員と抱き合って挨拶をする。だからこの世界において抱き合うのは日常であって、初対面の人であっても抱き合うことに躊躇したりしない。

 しかし今日はじめて会った銀色の髪の子は自分の胸に両手をあてて、拒んでいるように見える。アイコは気になって、クセのように自分の左の手首を見てしまう。銀色の髪の子との糸はなかった。糸の繋がりがないから、銀色の髪の子は躊躇しているのだろうか? そういう人をあまり見ないので、アイコは不思議に思った。

 銀色の髪の子は前髪が少し長いので目にかかる。サイドの髪を後に流し、可愛らしい小さい耳が二つ見える。瞳も銀色をしているが、髪の色よりも薄い。瞳孔の黒い色がはっきりと見える。人形のような瞳だ。

 僧侶が諭すような声で「キョウコ」と言うと、銀色の髪の子はゆっくりと腕を広げた。しかし手が震えている。この子がどんなに恥ずかしがりやであっても、この世界に生きる者なのだから、強く抱きすぎなければ問題ないだろう。僧侶を抱いた時と同じように一瞬だけ力を入れると、キョウコは「んっ」と声を漏らした。アイコはその声を聞いて、すぐにその力をゆるめた。アイコが体を離そうとすると、僧侶はこう言った。

「なぜ、家のみんなと同じように強く抱かないのですか?」

 答えはすぐにアイコの頭の中に浮かんだ。初対面だし、相手が躊躇しているからだ。アイコだって誰に対しても強く抱いているわけではない。家の人に対してだけだ。カオリとは昔から同じ家に住んでいるが、それ以外の人とはだんだんと仲が良くなっていったので、抱きしめる強さもそれに比例して強くなっていった。

 キョウコとは初対面だし、相手が躊躇しているのに強く抱いても良いのだろうかとアイコは迷った。僧侶の言葉は質問というよりは『強く抱きなさい』と言っているのも同じだ。アイコはキョウコの耳元で「いい?」ときいた。キョウコは少し間をおいて、決心するかのように「うん」と答えた。キョウコの返事には嬉しさが含まれているように聞こえた。キョウコが嫌がらないかと少し不安だったが、強くキョウコの体を引き寄せた。キョウコは「あっ」とくすぐったがっているような声を出したが、体には力が入っていなく、アイコの挨拶を受け入れているようだ。アイコは調子にのって、左腕をキョウコの首元に持っていき、右腕をキョウコの細い腰に巻きつけた。

「あっ、ちょっと…………」

 キョウコはアイコの肩にふれて、離すように少し力を入れた。しかしアイコは挨拶をやめなかった。強く抱きしめることでキョウコの体を固定し、自由を奪った。更にアイコは頬をキョウコの頬にグリグリと強く押し付けた。

「んっ、ふふっ、くすぐったい」

 キョウコの声は小さかったが、やはり嬉しそうしている。アイコが家の人と挨拶するのと同じように大きく頬を動かした。何回も唇と唇が触れた。アイコの家の人は抵抗するから、いつもこの辺で終わる。しかしアイコは自分の背中に強い圧力を感じ、同時に抱擁感を得た。キョウコが両腕に力を入れて、アイコを抱きしめたのだ。アイコは少し驚いて頬を動かすのをやめた。キョウコはアイコの肩を掴んで、今度は強く力を入れて遠ざけようとした。アイコは力を抜いた。二人の腕は互いの体から離れた。僧侶がジッと二人を見ていたので、アイコはきいた。

「やっぱり、やりすぎでしたか?」

 僧侶は微笑みを見せると、階段を降りていった。

 キョウコは頬を赤くしてうつむいた。やはりやりすぎだったのだろう。

「ごめんね」

 アイコがそう言うと、キョウコは声には出さなかったが、首を何回も大きく横に振った。その振りの大きさは、眉にかかる長めの前髪がゆれるほどだった。なにか言葉を聞けるのではないかとアイコは待ったが、結局言葉はなかった。キョウコは水色の幹の方にそそくさと足を進めると、すぐ仕事に取り掛かった。アイコもつられるように仕事をはじめた。

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