現実 02
愛子は私立の学校に通っているので、中学校とはいっても学校は近所にない。私鉄の各駅で四つ離れている。会社に向かう人達はだいたい急行に乗っているので、車内は愛子と同じ制服を着た中学生が多い。生徒達がキャッキャッと騒いでいるので、吊革につかまっている大学生くらいの女性はムスッとしている。学校が鉄道会社から注意を受けることもあるらしく、また朝礼の時間が長くなるかもしれない。そう思いながらも愛子は車内をキョロキョロと眺めて、友達がいないか探した。たまに雪乃を見つけることができるのだが、今日はいなかった。
電車を降りると早歩きで学校に向う。二分前に到着した下りの電車には、菜々が乗っていたかもしれない。人ゴミをすばやく抜ける。駅前には長くゆるやかな下り坂があり、愛子は見下ろした。ショートカットの小さい背中が見えた。人の隙間をぬって走る。登校時刻にはまだ余裕があるので走っているのは愛子だけだ。短い距離だが日頃運動をしていないので、少し呼吸が荒くなった。菜々の背後につくと足を遅くして、スゥッと息を吸って呼吸を整えた。愛子は落ち着いた声になるようにと意識して、挨拶した。
「おはよ」
菜々はクルッと細い首を動かして、嬉しそうな顔を愛子に向けた。
「あっ、おはよう、愛子」
自分の妹よりも背の小さい菜々は、その体に似合った高い声で挨拶した。髪は少し耳にかかるくらいの長さで、シルエットは少年のようだ。しかし顔を構成するパーツの一つ一つは女性らしい。睫が長く、瞳が大きく、眉は細く、唇は薄いピンク色をしている。きっと将来は綺麗な女性になるだろうなと思い、愛子は見つめた。
「愛子、卒業文集に書く内容を考えとけって先生が言ってたけど、考えた?」
愛子は菜々の顔を見つめていて話に集中していなかった。「えっ?」と戸惑って、取り繕うように「あぁ、卒業文集ねぇ」と言った。何も考えていなかったが、今考えて答えることにした。
「まぁ、なんかの本の感想文みたいなのでいいんじゃないの? 前年度もそんなの多かったみたいだし。下手に『物申す』みたいなこと書くと、笑われるかもしれないしね。てか、私、そんなにブンサイないし。無難にいこうかなと」
菜々はあきれた。
「愛子はやる気ないなぁ。だって、文集って一生残るんだよ?」
「そんなこと言ったら、なんでも一生残るでしょ。写真だって、日記だって、ツィッターの文字だって」
菜々に肘でお腹を軽く突かれた。
「もうっ 屁理屈言わないの」
すると菜々が少し驚いた顔を見せた。
「ん? なに?」
「あっ、いや、愛子のお腹が思ったよりもプヨプヨしてたから」
「もうっ!」
愛子は肩で軽くタックルした。体重の軽い菜々は予想以上によろめいて、別の生徒にぶつかった。学年によってつけるリボンの色が異なるので、それを見れば何年生なのかわかる。ぶつかったのは下級生だ。それでも菜々は「ごめんなさい」と低姿勢で謝った。ぶつかった下級生は「大丈夫よ」と年上のような口調で言ったが、菜々のリボンの色を見て先輩であることを知った。すぐに「あっ、すいません。大丈夫です」と言い直した。菜々はお辞儀して、愛子のそばに戻った。愛子は思ったよりも菜々の体が吹っ飛んだので、苦笑いを浮かべながら「えへへ、ごめんね」と謝った。
レンガで作られた校門が見えた。商店街や住宅が密集する都会の風景がそこで終わる。校門の先には石畳の通路が真っ直ぐ見えて、細い体の可愛らしい生徒達がそこを歩いて行く。女子校だから水色のプリーツスカートだけがゆれている。健康そうな足で教室へと向かう。あまりうるさく校則を守れと言わないのが校風なのか、それとも時流には逆らえないのか、極端に短くしなければスカートの長さを変えても怒られない。中一の最初の二、三ヶ月は生徒手帳に書いてあるような『膝丈』の長さにするのだが、そうするとせっかくの可愛らしいデザインのスカートが野暮ったく見えてしまう。ほとんどの生徒は膝上10センチくらいにしていて、攻めている人は膝上15センチくらいにしている。裏校則と呼ばれるものがあるらしく、噂では膝上10センチまでは許容されるらしい。確かにそれよりも短くしている人はたまに呼び出しをくらっている。
そんな中、未だに膝丈の長いスカートをゆらしている後ろ姿があった。細い足に白のハイソックスを履いているので、膝の裏のところだけ肌色が見える。まっすぐな黒髪。後姿を見ただけで誰であるのかわかる。同じクラスの柏原だ。柏原は非常にゆっくりと歩いていて、まわりの人に抜かれている。愛子は柏原とあまり話したことがないが、最近席が隣になった。肩を並べると愛子は歩調を合わせて「おはよう」と挨拶した。柏原はクルッと九十度首を傾けた。愛子の顔を見て、コクンと首を縦に曲げた。すると急に歩調を早くして、テクテクと先に行ってしまった。
十メートル程離れると、愛子は菜々に「あれっ? 怒らせちゃったかな?」ときいた。菜々は答えずに苦笑いを見せた。愛子は柏原の後姿を見ながら教室まで歩んだ。