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水色の空の下で  作者: みやこ
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夢の世界 01

 眠ってしまうと、起きていた時のことを忘れてしまう。それは当たり前のこと。『眠る』ということがなんであるのかわからないのに、人は夜になると眠ってしまう。当たり前のことなのに、その理由を知らない。フッと意識が消えて、もう自分ではどうにもできなくなる。眠りたいという欲求が満たされるまで眠り続けるか、目覚ましのように刺激を与えられるか、どちらかでないと目が覚めない。

 フッと意識が消えても、そこは眠りの表面。足元には地面がないので落ちてしまう。でも怖くない。暗闇のような深さの先に光が見える。ゆったりと落下する。毛綿が弱い風に流れるようにゆっくりと。

 落ちていくと眠りの世界にたどりつく。意識はあるのだが、起きている時とは別のもの。だから心配事だって思い出せないし、自分がどんな人間だったのかさえも思い出せない。思い出せないことも不思議だとは思わない。


 眠りの世界では、目で見ている、かもしれないし、音を聞いている、かもしれない。誰かに触れているかもしれない。昨日とは全く別の世界を見ているかもしれない。別の音を聞いているかもしれない。別の誰かに触れているかもしれない。

 起きている時の世界は時の流れによって連続性が保たれているが、眠りの世界はそうではない。不連続である。望んだことだけが連続し、そうでないことは途切れてしまう。随分と身勝手な世界だ。

 愛子が目を閉じるとその世界に落ちる。ポテトチップスを食べながら机に向かって宿題をしていた。わからない数学の問題が一問だけあった。ベッドにゴロンと横になって少しだけ休もうかなと思っていると、睡魔の苦しみが一気に気持ち良さに変わる。もう少し自分で考えなくはならないと思ったが、睡魔には勝てない。明日、友達の菜々に教えてもらえばいいかなと思ってしまう。フワッとした気持ち良さに包まれて、そのまま眠りの世界に落ちてしまう。


 目で見ているのかな? 耳で聞いているのかな? 何かに触れているのかな? よくわからないが自分を囲む世界を認識できる。全てのものが綿飴のようにやわらかく見えて、やさしい光を反射している。水色の空。その下に木造の家がある。まわりに生い茂る木々は淡い緑色でその家を包む。隣の家までは百メートルはあるだろう。それくらいの田舎なのだが、一キロ先には石畳と赤レンガで作られた賑やかな街がある。森の風景から急に街の景色に変わる。どこかに境界線があるのだろうか? そういうことも気にならない。

 境界線の内側には友達がいる。耳を澄ますとその声が聞こえ、幸せになる。境界線の外側には退けた他者がいる。自分では境界線を引いていないと思っているから、決してその境界線を見ることができない。

 木造の家の一室。出窓からは淡い緑色の木々が見える。差し込む光は空の色と等しく水色だ。天井にはオレンジ色の光を灯す楕円形の輪がある。外からの光と重なり、部屋の中を淡いピンク色に染める。心までもピンク色に染まる。心は元々何色だったのかな? ピンク色に染まるのだから真っ白だったか、それとも限りなく淡い黄色だったか、どちらかだろう。

 小鳥の声で目覚める。

 起きていた時のことを思い出せない。起きていた時? 今、私は起きようとしているよ? 思い出せないのは夢の記憶なんじゃないの? そう思ってしまう。だから、世界が二つあることを誰も知らない。落ちていく体が辿り着く底に、眠りの世界がある。

 甘酸っぱい飴を口に放り込まれたように、フアッとした感じで目覚める。かじかんだ爪先を温かいお湯に浸すような、そういう感覚にも似ている。

 勢いよく木製のドアが開く。

「アイコ、もう朝だよ!」

 ナナが起こしに来た。綺麗な声なのだが、女の子のわりには長身で、姿は少年のようだ。

 アイコは寝起きのフアッとした感じが好きだ。もう少しフカフカのベッドの上でゴロゴロしていたい。

「ほらっ! 起きなっ!」

 掛け布団をバサッと剥ぎ取られる。

「ううっ、寒い」

 アイコは白いシーツの上で体を丸める。

「ほらっ、もう、モタモタしていると遅れちゃうよ!」

 頬をペチペチと叩かれる。

「うぅん、あと五分」

 アイコはゴロンと寝返りをうって、体を壁側に向ける。

「いい加減にしなさい!」

 今度はパジャマを引っ張られる。背中が空気に晒されて、更に寒さが増す。

「ううぅ、寒いぃ」

 乳児が母親の体を求めるように、アイコは掛け布団を求めて這う。

「もうっ! 容赦しないわよ!」

 アイコの細い腰にナナの手が回り、そのまま強い力で引き寄せられた。

「あぁ、あぁぁ」

 ベッドの上をすべるようにアイコの体は引っ張られる。

「起きなさい!」

 ベッドの端まで運ばれると更に強い力で引っ張られ、アイコの体は宙に浮いた。もう何も抵抗できない。子猫のように後から抱きかかえられている。

「起きます……」

 そうは言ったが、まだ寝ぼけている。ナナが手の力を抜くと、力の入っていないアイナの両足がカーペットの床に触れる。立つために最低限の力を両足に込めたが、体はフラフラとゆれている。一本の指で押されれば倒れてしまうだろう。

 両肩をナナに強く掴まれると、クルッと体を180度回転させられた。二人は顔を見合わせる。アイコが長身のナナを上目遣いで見ていると、今度は両頬を引っ張られた。アイコの口がカエルのように広がる。

「起きた?」

 頬をつままれているから「ふぉきまふぃた(起きました)」と妙な発音だ。すると、ナナは両腕を広げる。アイコはまだ寝ぼけている。

「ほらっ、朝の挨拶!」

 ナナがそう促すと、アイコは倒れこむように顔をナナの大きい胸に押し付けた。

「んっ!」

 ナナの高い声を聞いた。肺の振動を耳だけではなく体でも感じた。もっと押し付けるとトクントクンと心臓の音も聞こえた。ナナの手がアイコの背に回されると、背中に温かさを感じた。一度だけその手に力が込められると、アイコは心地良い圧迫感を得た。しかし、すぐにその手は離れてしまう。

 相手を強く抱きしめる。この世界での朝の挨拶だ。

「うぅぅん、ナナァ」

 二人の身長差はかなりある。アイコは長身のナナに甘えるのが好きだ。つま先立ちになり、自分の顎をナナの肩の上に乗せると、ナナの二倍くらいの強さでギュッと抱きしめ返した。

「バ、バカ。強すぎだって」

「ナナァ」

 アイコは自分の頬でナナの首元や鎖骨を撫で回す。今度は顔をナナの胸のところにもっていく。やわらかい大きめの胸にスリスリと顔をなすりつけた。

「ちょっと! やめっ……」

 肩を掴まれ、その力はアイコを離そうとする。しかしそれほど強くない。だからアイコは目を閉じて、自分の頭をグリグリと更にこすりつけた。

「うぅぅん、やわらかくて気持ちいぃ」

「わっ、ちょっと、いい加減にしなさい!」

 さすがに怒ったようで、ポクッと頭を軽く叩かれた。アイコは手の力を抜いて、ナナを見上げた。睫が長くて、髪がサラサラで、肌の色は白く、唇は薄いピンク色だ。そういったパーツの一つ一つは女の子らしい。しかし髪が短く目元がキリッとしているので、全体像は美少年のようにも見える。アイコは目を大きく広げ、その少年のようなナナの顔をしっかりと見た。

「起きました」

 ナナの長い手がアイコの首に巻き、首を抱えられたまま廊下へ引っ張られる。

「ほら、朝食、朝食」

「はーい」

 アイコは歩きながらナナの脇の下に顔を押し付けて、クンクンと鼻で息をする。

「うぅぅん、ナナの体ってなんか良い香りがするよ」

「わわっ! バカ! 変なところを嗅ぐな!」

 巻きついていた長い手は離れて、またアイコの頭をポクッと叩く。アイコは叩かれてもニコニコしているので、ナナとしてはやりづらい。ナナはアイコとのスキンシップで頬を少し赤くしてしまい、プイッと顔をそむけた。

「ナナ、顔が赤くなってるよ。可愛いね」

「うるさいわね!」

 アイコは背中を押された。

「ほらっ、早く下におりなさい」

 押されるままに数歩前進した。アイコはナナとのじゃれ合いが終わってしまったことを残念に思い、立ち止まって振り返る。ナナにはもう一人起こさなくてはならない子がいる。アイコよりももっと寝起きの悪いユキノだ。ナナは部屋のドアをノックした。ノックなんてしても無駄だ。どうせユキノはまだ眠っている。

「全く、ユキノはお寝坊さんなんだから」

 アイコがそう言うと、ナナに横目で睨まれる。

「顔をなすりつけないだけ、あんたよりもマシよ」

 アイコは「フンッ」とわざとらしくスネて、木の階段を下りる。

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