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二日目、夕方の話

しんと静まり返った校舎は、なんとなく俺に恐怖心を与えた。静かと言ってもそれは、比喩でしかない。俺に向けた言葉や笑顔がない校舎は、誰かがいないよりも静かに感じた。

 死神の作った学校は、白い壁が黒く霞み、青銅色の校章が苔でぼやけてしまっている古い学校だった。廊下を通るたびに目につく教室には、帰りのホームルームを行う先生を見つめる生徒たちがきちんと席についている。

 このまま図書室へと向かい、死神と好きな本の話をする予定だったのだが、死神の提案で一つの教室へと足を運んだ。

 そこは、二年三組と書かれた三十名ほどの生徒が在籍する教室だった。

 生徒たちは、先生とお調子者の生徒の間で繰り広げられるミニコンとのようなやり取りに笑っているとても平和な空間だった。

 もちろん、彼らは、俺たちの存在を認識することはない。それに、もっと言ってしまえば、彼らは、死神によって作り出された一時の虚像でしかないのだ。

 しかし、死神は、そんな虚像を見て笑っていたのだ。とても楽しそうに、そのクラスの一員のように――雪の日の曇り空みたいに切なく。

 俺は、何も言わずに、ただ死神を見ていた。切なく笑う彼女を見ているのは辛かった。いっそのこと、抱きしめて泣いて欲しいとも思った。

 だが、俺には、そんなことできなかった。

 それをしてしまっては、案内人と死人の境界線を取り払うことになってしまう。死神が、それを望まない以上、潔癖な一枚の壁を乗り越えることは罪なのだ。

 その後、五分ほどのホームルームは、チャイムと共に終わりを迎え、彼女の笑顔も終わった。

「ごめんなさい、勝手な行動をして」

「いや、大丈夫だよ。 この学校に思い入れでもあるの?」

 この高校は、俺が通っていた県立高校ではない。その証拠に、生徒たちの制服、校門に掲げられていた学校名も私立高校で締めくくられていた。

 それから、ここを作り出したのは死神だ。死神の想像――記憶と言ってもいいだろう。あの切なげな笑顔もきっと関係しているはずだ。

 死神は、眉を顰め、床を見つめながら答えた。

「わかりません。 本当に……なんで、私が、この教室に来たかも」

 そして、顔を上げ、こう続けた。

「でも、どうして、私は、あの先生のことも生徒たちのことも知っているのでしょう。 死神のはずなのに……」

 俺は、何も答えることが出来なかった。答える権利なんてないのだ。

 彼女が、先生や生徒たちを知っているのに、学校に関する記憶がないというのは、別な物語になってしまう。俺は、その物語の登場人物には含まれていない。

 俺は「気にすることはないさ」と言うことしかできなかった。教室にポツンと置いてきぼりにされた子供のような空席に目を背けながら――


 図書室に辿り着くころには、死神の態度も今まで通りの物となった。無理をしているのか、さっきまでの疑問に興味が無くなったのかは分からないが、案内人という業務に戻った。

 俺たちは、図書室の一番奥のテーブル席に向かい合って座り、本を読んだ。半分ほど読み終わった頃、図書室に居た生徒の姿もなく、茜色だった空が、群青に染められる少し前の時間に、読書を止め死神に声をかけた。

「くだらない話をしていいか?」

 死神が読んでいた本は、植物の図鑑だったようでパタンと閉じ「時間はかかりますか?」と尋ねた。

 俺は「二分くらいだ」と答えると、死神は、頬杖を付き視線だけで話を促した。

 今から話すくだらない話というものは、俺が高校二年生の時に、一つ上の先輩に恋をして、それが終わるまでの話だ。

 細部まで語るつもりはない。

 死神である彼女に言いたいのは、俺が先輩を諦めた理由だけなのだ。

「高二の時、俺は、先輩に恋をしたんだ。 確か、モデルをやっていて、学校でも一目置かれている人だった」

「高校生でモデルですか……ライバルは多かったんじゃないですか?」

「もちろん、サッカー部のキャプテンやら軽音部のボーカルやらイケメンの猛者たちがね。多分、先輩の中で俺という存在は知られてなかったと思う。 悲しいけど、それが現実だ」

 死神は「ドンマイです」と小さくガッツポーズをして励ます。

「それで、先輩の卒業式の時に、クラスの仲間内で、モデルの先輩に告白してみようぜって話になったんだ」

「なんですかそれ、馬鹿みたいですね」

 口元を手で押さえ小さく笑う。

「あぁ、馬鹿みたいだよ。 男子高校生なんてそんなもんなんだ」

 その時、先陣を切って先輩に告白をした友人を思い出し、俺も笑ってしまった。

「それで、俺の順番は、最後だったんだ。 でも、それがいけなかったんだよ。 くだらない男子高校生の遊びのはずなのに、俺は、考えてしまったんだ」

 死神は「考えてしまった?」と反復する。

「あぁ、俺は、死を諦められるほど先輩を好きなのか……もちろん、答えは、いいえだ。 モデルをやっている程度しか知らない先輩のために死ぬことを諦められなかったんだよ」

 死神は、話を遮らないよう静かに相槌を打つ。俺は、続けた。

「一度それを考えてしまうと、変なプライドが現れたんだ。 死よりも小さな存在の人に告白なんてしたくないって。 それ以来、俺は、人を好きになることはなかった」

 これが、先輩に恋をしたくだらない話だ。

 かっこつけた言い方をするならば、俺は、先輩――好きになった女の子――のために生きようとは思えなかったのだ。

 だが、今は違う。

 たった一人だけ、その子のために生きたいと思えるほど好きになった女の子がいる。ただ、その子には、説明のつかない壁が立ちはだかっており、こうすることでしか、告白ができないのだ。

 俺は、心が読まれているのを知っている。目の前の少女も、俺が何を言い出すのかわかっているのだろう。

 学校に辿り着いたときからなのか、くだらない話を持ち出したときなのか、それとも、俺と出会ったときからなのか。

「俺は、君が好きだ。 生きる目的を、死神に恋をしてしまったから、じゃ駄目かな?」

 本当は、目を逸らしてしまいたいほど恥ずかしかった。だが、俺は、死神を見続けた。

彼女も、こうなることを分かっていたのか、照れることも戸惑うこともせずに、俺を見ている。

「ありがとうございます。 とても嬉しいです、本当に心から。 でも、私からもあなたに言わなければいけないことがあります。 きっと、それを今、話してしまったらあなたはすぐに行動を移してしまうでしょう。 だから、明日、私と一日デートをしましょう。 案内人とか、死人とか、死神とか、人間とか関係なしに、私の作った世界で生きる二人という関係で」

 やっぱり、彼女は、俺にとって案内人であることには変わりはない。その関係は言葉だけでは変えられないのは確かだ。

 しかし、彼女が好きだという気持ちも変わることはない。

「わかった。 じゃ、明日のデートが終わったら、また、告白をするよ」

 死神は、真剣に頷く。

「分かりました。 私も、言わなければいけないことを話します」

 俺たちは、その後、学校を後にした。校内に生徒は一人もいなかった。もちろん、外に出ても生徒はいなかった。

 空は群青色に染められ、茜色は水彩絵の具のように小さく塗られているだけだ。

 そんな夏の日暮れに死神の手を握った。

 死神は「明日は、夏祭りです。 その時に手を繋ぎましょ?」と言って、俺の手を払った。

 それでも、俺は、彼女が好きだった。

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