過去の話
空は雲一つない快晴だけど、冬の寒さがまだ去り切らないそんな三月一日に、俺は、高校を卒業した。第一志望の県立高校へ通い、不満もなく、先生、友達にも恵まれた卒業式は、俺を意味もなく感傷的な気分にさせた。もしも、校舎にある桜の木に花が咲き、俺たちを祝福してくれていたのなら、感傷的な気分も少しは変わっていたのかもしれない。
だが、桜なんて咲いていなかった。ただ、やりすぎなほど晴れた空と不釣り合いな冬の風があるだけだった。
まぁ、思い描くような卒業式でなかったとしても。この日の別れを惜しんでいたのは確かだった。
俺は、高校に入り人並みには人生を謳歌していたと思う。友達と語り切れないほどの思い出があるし、一つ上の先輩に片思いをして、その先輩の卒業式の時に告白をしようとした、なんて思い出もある。
ただ、それらを自分の財産だと思えたのは、三月一日の午後十一時五十九分までだった。いや、元から本心ではそんなものを財産だとは思っていなかったのかもしれない。
今になっても、財産の在処を説明することはできない。
じゃ、三月一日の午後十一時五十九分の意味するものは何なのかと説明するのならば、俺を支えていた一本の命綱が、プツリと途絶えてしまったということだ。前触れもなく、音もなく、俺の眠っているときにプツリと切れてしまったのだ。
三月二日、目を覚ましたのは正午過ぎだったような気がする。体に括り付けていた命綱が消えてしまっていることに気づいた。
だが、焦りはしなかった。こうなることは知っていた。こうなる道を選んだのは俺なんだ。だから、高校を卒業した後の進路を決めていなかった。大学にも行こうとも思わなかったし、就職もしなかった。親のすねに噛り付いて生きていこうなんて思いもなかった。
俺は、何もいらなかった。
夢が見つからなかったわけではない。小学生の頃は、生き物が好きという理由で獣医になりたいという夢があった。だが、ある日を境にしてその夢を嘲笑かのように一つの理想が<夢>という形容を得て生まれた。
小学生のある日、突然に芽を出した俺の夢は『死んだらどうなるんだろ』という狂気じみたものだった。
頭がおかしくなったと思われても仕方がない。この夢を持ってしまったとき、自分でも病気なんかじゃないかと思った。
でも、言い換えれば、自身を理解できるくらいには理性を持っていた。
俺は、ずっと消えないこの夢を誰かに語ったことはないし、他人に気づかれないよう、人一倍、愛想よく笑顔を向けていた。俺は、狂人ではない、と叫ぶようにして。だが、その必要はなくなった。精神的にも肉体的にも自殺をしても良いころだろう。
だから、夢を叶えるために、廃ビルにいるのだ。