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日本未来誌 FUTURITATES JAPONICAE

噂話とそれから偏見

作者: 鱈井 元衡

「かつての人間は、スマホという生物を操っていたらしい」

 そういう噂話をオダワラは聞いたことがある。

「へえ、どんな形なんだ」

 興味深く覚えて、彼はすぐ質問した。

「平らで、薄い姿をしていたらしい」

「で、何に使う生き物なんだ?」

 相手はさらにこう答える。

「実に多芸な奴らしくてさ。じっさいに人の言葉を解したり、物を話すことさえできたそうだ」

「しゃべるのか? まるでオウムみたいだな」

「ああ、なんでもそれに夢中になって、車に当たってしまうこともあったとか」

「確かそのころは、馬とかは使わずに動かしてたよな」

 得意げにこう返してきた――「ああ、あの頃の人間には不思議な力があって、何かを念じただけで動かすこともできたらしいからな」

 うわさや言い伝えを聞くのが彼の一番好きなことだったが、特に大昔、人間の世界が栄えていたころの話は特に知的好奇心を刺激した。

 オダワラ・マサキは旅人だ。行商をしながら各地を回り、見識を広めていくことに熱中していた。

 彼は今、オーツという街に留まっている。おそらくこのあたりでは有数の都市と言っていいところだ。

 燦々と降り注ぐ太陽のもと、たくさんのテントが集まって、さまざまな種類の品物が店頭に並べられ、人々がそこで取引していた。人の声は何重にもより合わされ、聞き分けられないほどに。

 オダワラが品物を回し見ると、単に食料品や日用品だけでなく、他にもある種の売り物がそこにあった。

 古代遺跡から発掘された硬貨とか、精巧に造られた人形とかだ。古代の遺物は特に高値で売られている。

 その反対側に目を向けると、冠をかぶり、ボタン付きで緑色の服をまとった、少し身分の高そうな男たちがいる。恐らくは北方のフクイからはるばるやってきた客だろう。かつてはオーサカと絶え間なく争っていた間柄だったが、このごろはすっかりおだやかだ。彼らの主君に献上するみやげものでも探しているのか。

 この手の人間がオダワラは好きではない。毛嫌いと言うわけでもないが、純粋な好奇心で物を求めているのではなく、明らかに自分以外の者の欲求を満たすために汲々としているからだ。自分自身は、たいして関心を持っているわけでもないのに。特に動機のない鬱屈を抱きつつ、彼はまた遺物売り場に目を戻した。

 そこで、奇妙な光景を。

 一人の、彫刻のように端正な顔の老人が『スマホ』の骨――と伝えられるもの――や四角形の物体を藁の上につんでいた。また古代の硬貨を糸に通し、いくつか組にして台の上に置いている。

 硬貨はもういくらでも見たことがあるが、四角形のこれはあまり記憶がない。革に包まれていたが、三つの面からは茶色い中身がのぞく。いくつもの層に分かれているようにも見えるし、あるいは薄い物が幾重にもかさなっているようにも見えた。一体何に使うのだろう。いや、なぜこんなところにある。

 ふと、オダワラは自分がじろじろ見ているような感じになり、少し気分を悪くしてそこから目を背けた。だが、まさにその時一つの声に呼び留められたのである。

「お待ちなされ、そこのお方」

「……私ですか?」 まずい、先ほどの視線が気づかれていたか。

「うむ、どうも興味がおありのようでしたから」

 老人は雑踏の中でやや聞き取りにくい声を出した。オダワラは緊張して彼の言葉に聴き入った。

「ところでその身なりからするとさほど卑しからぬ身分のように見えまするな。どこからきなされた」

 古代の品物を売っていることからしても、この男にはどうやらわけがありそうだった。

「隣のシガから……」

「私はフクイのツルガから参った者で、オーサカにゆく途中ここに立ち寄っているものです」

「ツルガから、ですか」 かなり遠くからやって来たものだ。

「実は私もオーサカに行くつもりなのです」

「ほう! これは奇遇ですな」 老人の顔がふと明るくなる。興味を持ったような目で、

「では、我々は同じところに行くというわけだ。そこで何をするおつもりで?」

 少なくとも、こちらの素性を詮索しているというわけではないらしい。

「宮廷に参り、仕官の手がかりを得るためです」

「実は私も、ソーリの重臣に貢物を差し上げる仕事がございましてな」

 オダワラは、彼の物好きそうな眼光にふと好奇心を抱いた。この不思議な形をした物の名を知りたいという気持ちもあったが、そのきりっとした目つきをながめると、実に色々な見識をたくわえていそうな雰囲気があったからだ。

「驚いた、ソーリのお近くに寄ることでは同じですね……」

 老人もオダワラと似たような表情になっていた。

「では旅もしばらくは同じ道をたどることになるわけです。では、こういうのもなんですが」

 男は一つ提案する。

「私の車に乗って一緒にオーサカに連れていってさしあげましょう。おひとりで行くのも労苦ですし、退屈になりましょうから」

 オダワラはそれを受け入れた。老人があやしい人間ではなさそうだと判断したからだが、この不思議なものの物体が何か知りたいというのもあった。


 老人の名前は、セキグチと言った。彼は車にさまざまな積み荷の入った箱を載せて、それを馬でひいていた。オダワラが、綱をとる彼のそばに座った。

 オーツの街を脱けると、しばらく荒野が続いた。馬車はその中にただ一つ敷かれた道路の上に走り、左右には建物の跡地や林が広がっている。

 オダワラは灰色の、固く塗り固められた道路をながめながら物思いにふけっていた。古代人たちの残してくれた遺産の中で、今でも生活に役立っているものといえばこれ程度しかない。他はみな使い道の分からないものばかり。

「オーサカに行くのはこれが初めてかな」

「いいえ、何度か」

「古代の遺物に興味はござったか?」

「」

「オダワタどのは、風景を鑑賞するのがお好きか」

「いえ……」 セキグチの質問にどう答えるべきか、オダワラは一瞬迷った。

「ただ、昔の思い出を振り返っていただけです」

「昔の思い出を振り返る、か……私も、そのようなことがよくありますよ」

 セキグチが話題を持ちかける直前、オダワラはある時点からずっと気にかかっていたある疑問を口に。

「ところで――あれは、ホンという名前ですか」

「……今、何とおっしゃいましたか?」

「先ほど、そちらが前に積んでいた箱のような物です」

 彼はこの時、それについてどこかから話を聴いたのを思い出していた。少しだけ頭がおかしくなったような気がする。

「中身が見えている、四角いもの」

「ああ。あれですか?」 老人は一瞬だけうとましい顔を見せ、

「確かに、ホンという名前ですな」 とまたおだやかな表情に戻って答える。

「モノシリの人々が命よりも大切にしているとされる、あのホンですね?」

 モノシリが何者であるか思いをめぐらした時、実際彼の気分は晴れなかった――それがただの偏見であることは知っていたのに。

 恐らく、モノシリに関する恐怖に満ちた風聞を植え付けられすぎたせいだろう。モノシリと呼ばれるその種族は、常に森の中、山奥にひそみ、滅多に外界に姿を現さない。こちらから近づこうとすると、石や弓矢を持って追い払おうとする。それゆえ世間の人々はほとんど彼らの内実を知ることはない。

「彼らにとっては実際、財産よりも貴重なものですよ。分からない人の方が多いようですが」

 そのためか、次第に人々はモノシリに対して根拠のない偏見を持つようになった。彼らは誰の目にも留まらない部分でいかがわしい儀式を行なっているのだ。あるいは子どもをさらって、煮て食っているのだ……。

 だがそのくせモノシリはソーリやその笠下のチジたちには重用されていて、彼らだけができる仕事を与えられ、普通の庶民よりいい暮らしをしている人間もいる。ここで人々はモノシリに明らかな敵意を向ける。奴らは貴族たちとつるんで我々から搾取しているのだ、と。

 セキグチはそれから、薄暗い気分になった様子で後ろを振り向いた。

「確か、モジという記号が隙間なく記されていたような」 オダワラは当分思い出した知識をセキグチに確かめる。

「言葉を形にしていたんでしたっけ。彼らが記録を口で伝えなくても済むように造りだしたという……」

「ええ、その通りです」 どうもセキグチはうれしくなさそうだった。

「それを普通の人が眺めると気がおかしくなるといううわさもありますが……」

「ただのうわさですよ。私は信じません」

 セキグチの口調はかたくなに聞こえる。

 単に悪口をはかれるだけならまだいい。血気にはやる連中の内には、本当にモノシリに手を出して刃傷沙汰になる場合もある。その出来事を人づてで聞いたことが一体何回あるか。

 だがソーリたちがそれに対して明確な対応を取ったという情報はない。恐らく彼らも好きで関わっているわけではないのだろう。あくまで、仕方ないから彼らにいい顔をしているだけで。

 セキグチがしばらく押し黙ると、オダワラは不思議に感じた。どうやらセキグチにとって、このことは他人事ではないようだ。

「かつては誰もがホンを読む時代があったそうですが、今はもうごくわずかな人間しか読む人がいない。それゆえそのようなたわ言がはやっているのでしょう」

 彼は全くあきれた感じの顔つきでそういう。この時オダワラは彼の態度に、一つの可能性を推し量った。

「しかし、モノシリが持っていたものをどうやって?」

 オダワラはすぐにそれを相手に訊くことはせず、迂回するように質問を投げかける。

「……かつて、フクイのソーリには多くのモノシリが仕えていました」

 セキグチは間を置いて語り始める。

「フクイのソーリが彼らを国から追い出そうとしたために、彼らが肌身離さず持っていたホンは失われる危機にあった。そこでモノシリは、あえてそれらを手放すことで自分たちが狙われるのを防ごうとしたのです」

「モノシリたちが、そんなことを……」

 セキグチは淡々と言葉を続ける。

「何をお考えになったのかは存じませんが、ソーリは宮廷に仕えていた彼らをそこから追放することに決めたのです。かなり厳しい捜索が国中で行われた……見つかった場合は、彼らの財産をみなはぎとることさえした。ホンでさえも例外ではなくね。それを限られた人にゆだね、自分たちはできるだけ身軽になることで追及をのがれようとしたのです。そしてその時フクイにいた私が、ホンを守るよう任されました」

 信じる余地のある話ではある。だが腑に落ちないところがあるのも事実だ。

「……ですがなぜ、私にそれを?」

「何ですと?」

「私になぜ、伝えるのですか? 私はモノシリではありませんし、彼らのことを知っているわけでもない。

 そのようなことを、私のような人間に語って大丈夫なのですか?」

 と言いつつも、むしろこれを話していること自体が、セキグチが事実を告げている証拠ではないかと推測もする。

 だが直後にセキグチはこう語った。しばらく沈んでいた語り口が妙な好転を見せた。

「普通の人なら、ホンなどただの燃料程度にしか思っていないはずです。モノシリが持っている物など気味悪がって触りさえしないでしょう。あの時それを店頭に置いていたのも、堂々とそれを見せびらかすことでむしろこっそり盜まれるのをさけようと思っていたのですよ。だがあなたは違った」

 この時セキグチの目は、オダワラを特別な人間として見つめていた。

「ホンにむしろ興味を示し、それが何か確かめようとして私に質問までした。であるからにはただものではないに違いないと思い、たった今のことをお話したのですよ」

 というより、セキグチはオダワラに対し何か期待さえしているようにも思える。

 そう、自分に共感してくれている人間かもしれない、という確信を。

「ですが、モノシリがモノシリ以外の人間にホンをゆずるなんて考えられませんよ」

 オダワラは慌てて話を戻そうとした。

「普通の人が、モノシリからそれを頼まれるわけがないでしょう」

「私自身が、そのモノシリだからですよ」

 やはりか。オダワラが先ほど思いついた可能性は本当だったのだ。

 モノシリという種族が各地に生息していることは以前から知っていたが、実際に会ったことはかねてなかった。そもそも、もっと常人とは違う、貪欲で太った体つきの金持ちか、あるいは刺青を全身にほどこした蛮人というのを想像していたのだ。

 だが、まさか間近で視ることになろうとは。

「モノシリは、あまり外の人間には姿を現さぬものと聞いておりましたが」

「モノシリといってもたくさんの集団に分かれていますから。世の中からある一派が優遇され、他の人間は追いやられるということはざらにあります。おそらくフクイのソーリも、他のモノシリたちに好意を示したということなのでしょう」

 左手に、『ビル』と呼ばれる建物が見えてきた。石や砂をかためて造られている。かつてはかなりの高さを持っていたらしいが、現在ではごく一部を除いて、基層部分しか現存していない。ビルの存在は、オーサカとの距離がかなり縮まっていることを示唆した。

「セキグチどの自身は、どうなのですか? そのモノシリの中で……」

 彼がモノシリであることを理由に、わざわざ態度を変える必要などない。

 とはいえモノシリであるという事実に対して、軽く口出しをしてはいけないような気がする。

「私ですか? 私は……」

 セキグチは、頭を後ろにあずけながらため息をついた。

「かつて私はクサツのある村に、多くの同胞と住んでいました。彼らは昔からのしきたりを守り、決してほかの人々と接触することをありませんでした。しかし私はそういうみんなのあり方を正しいとは思わなかった。それゆえ私は故郷を出て、放浪の旅を始めたのです」

 モノシリと言っても、実に多様な人間がいるものだ。決して内側に閉じこもり、その中に安住する輩ばかりではない。

「北に向かってフクイへ立ち寄った時、偶然あの出来事がありました。その時私は、オーサカのある場所に埋めてしまうことで隠そうかと考えていたのですが……」

 自分の嗜好のことを考え合わせると、オダワラは、今すぐにでもホンを手に取って、色々と観察したい気分だった。一体、中身はどのようになっている? ホンの中にひそんでいる、モジとやらはどんな姿をしているのだ?

「いや、このことは後ですることにしましょう」

 と言った時、セキグチの眉間がひきしまった。

「とても内密にしておきたいことです。ここで話すべきではない」


 二人はやがてカドマの街についた。もう日は沈みかけ、月が現れようとしている。

「明日にはソーリの宮廷にまでたどりつけるはずです。今日はもう遅いですから、宿屋に泊まりましょう」

 泊まる場所はすぐ見つかった。石のようにかたい壁を持ち二階建てになるその建物は、ビルの遺跡をそのまま使っていた。

 セキグチがオダワラの分を支払ってくれた。そして二人は個室に入った。

 ほとんど陰で覆われはっきりとは見えないが、すべすべとした青白い床や泥に似た色の金属の枠を持つ四角い窓は、古代の建築様式をよく伝えている。

「もうここなら話してもいいことでしょう」

「先ほどのことですか?」「ええ」

 月の光が少し不安な彼の顔を照らす。

「では単刀直入に申しますよ。あの時私は、オダワラどのがあのホンを欲しいと持ちかけてくれるかもしれぬと思っていました」

 オダワラは黙っていた。どのような反応をすればいいか分からなかった。確かにホンというものに対して興味はあったし、老人が自分に何かを見込んでいるらしいというのは感じていた。しかし――

「私はただホンの姿を見たかっただけです。珍しい物について見聞するのは好きですが、別にそれが欲しかったわけじゃない。そもそも、私はモジを理解することなどできません。ホンなどを私が持ったとしても、そこにどれほどの意味があるのですか」

「いや、私はもう老いた。いつ死ぬかもわからない。ホンという宝物を抱えたまま生き抜くことはもう重課だ。そのようなことにこれ以上わずらわされたくはないのです」

 低い声でセキグチは語り続ける。

「しかしあなたはまだ若い。私よりもずっと長く生きられるでしょう。それゆえぜひともお願いしたいのです、どうかあのホンを私の代わりに受け継いでもらいたい」

「で、ですが……」 オダワラにとっては困惑を感じるしかない事態だ。だがセキグチは譲歩しない。

「私はオーサカに親しい知り合いがいる。彼もモノシリの村から逃げ出してきた人間で、ホンに関する知識には詳しい。彼にオダワラどののことを紹介しましょう。きっとホンの読み方を教えてくれるはずだ。どうです、悪い話ではないでしょう」

 しばらくオダワラを黙った。オーサカには仕官のためだけに行くつもりだったのに、これでは余計な仕事ができてしまうではないか。

 ただ、少し考えを改めてみるとむしろこれは自分にとって大きな収穫ではないかと思う。実際にモノシリと会うことができただけではなく、彼らが持っているホンという道具の話も聞けて、それをしかもゆずってあげる、と。

 これはもう二度とやってこない機会なのではないか。

「私は諸国の風俗や遺跡を見聞して回ることが好きです」

 まだ完全な決心がついたわけではないが、おそらく話にのるという気分は半分以上ある。

「しかしセキグチどののようなお話を拝聴するのはこれが初めてです。この話についてもう少し知りたいと思います」

「それはよかった。では、私と約束していただけますか? 我らモノシリの知識を受け継いでくださいますか?」

「――はい」


「起きろ、貴様ら」

 オダワラが顔を上げた時、たいまつの火でその目は焼けそうになった。

「さっさと目を覚ませ」

 しばらくして、物がはっきりと見えるようになり、オダワラはその姿をしかと確かめた――鎖帷子を着こんだ兵士を。

 いきなり部屋に入ってきたので、オダワラは恐怖した。強盗かと思ったからだ。

「この男がモノシリだな?」 兵士はオダワラの隣を指さしてたずねた。

「……一体、何のことですか……?」

 セキグチは静かに身を起こし、そして目を見開いた。

 その顔つきは、明らかに狼狽している。

「最近、街の中でモノシリによる狼藉が多発しているという」

 兵士は腕を組んでこちらをにらみつけた。

「宿屋の主からモノシリがやってきたという通報があったのでな、確かめぬわけにはいかんのだ」

「な……」 セキグチはすでに嫌悪感を示していたが、兵士は意に介さない。

「貴様ら、こっちについてこい」

 外にはすでに多くの人間が集まっていた。いくつかのたいまつが闇に光って、彼らをうっすらと照らす。

「これが貴様らの持ってきた荷物だな。何が入っているんだ?」

 隣の小屋に預けられていた馬車の荷が庭に引きだされ、強引に開けられた。

 すると、中からは大量のホンや日用の小物が次々と。

「手を出してはなりません!」 セキグチは叫ぶ。兵士が引き連れていた二人の使いに両腕を抑えられて。

「これはたまげた。ホンと呼ばれている道具ではないか!」

 兵士は嘲笑気味に、それを自分の頭上にかざした。

「お前はこんなものを持ち歩いてどうするつもりだったのだ? 呪文をとなえて、女をたぶらかそうとでもか」

「違います。それはジンルイのエイチを保存する、素晴らしいものだ」

 オダワラは群衆の視線の中、半ば茫然としてその様子をながめている。

「あなたがたは古代から受け継がれたブンメイを破壊しようとしている。決して恕されるべきことではない」

 オダワラには理解できない言葉がセキグチの口から飛び出す。

「ジンルイ? ブンメイ? 何と言った?」 ホンで風をあおぎながら、しらをきる男。

 もがくセキグチは目をいからして兵士をにらんだ。

「当然でしょうな、無知な今の俗人には分からぬことだ。かつての人間の知恵はもはやどこにもない。我々モノシリしか、それをにぎる者はいない」

 あたりから笑い声がした。数人が顔を合わせ、ひそひそ話しはじめた。

「やはりモノシリではないか」

 興ざめした目。

「モノシリはフクイやアキタにでもひっこんでおればよい。こんな人の多くいる場に迷いこまれても困るわ。……ほう、これがホンの中のページというものか?」

 兵士はホンを二つへ割り、その断面をのぞく。

「ほうほうこれがモジか。ふん、正視にたえんな」

 そのまま、ホンを横からつかむと思いきりひっぱった。何かが裂けて落ちた――薄い、軽そうなものが。

「なりませぬ!」 セキグチの叫びも彼には届かない。

「これはいいおもちゃだな!」 その一つ一つが男によって無残にはぎとられていく。

 どうやらホンの中身はいくつかの薄い層からできているらしい、とオダワラは推測した。それほど脆弱なものだとすると、セキグチがここまでいきり立つのも理解できる。

 この時、セキグチを擁護しなければならないことは分かっていた。だが、そのための気迫が彼にはなかった。

 これほどの群衆に見られているというのに、なぜ忌み嫌われるモノシリを守ることなどできるのか。

「ブンメイの破壊者め!! 呪われるがいい!」

 兵士はホンを地面にほうった。それから周囲に命じた。

「さあ、もっと出せ。こいつが何か企んでないか調べろ」

 他の男たちが乱雑に手をつっこむと、またいくつかのホンが流れだした。他にも品物が出てきたが、オダワラはホンだけに目を注いでいた。

 セキグチは怒りにうなっている。このような状況は、彼には耐え難いものなのだ。

 彼の声を聞いて、いよいよオダワラはある感情の奔流にでくわした。

 こんな風につったっている場合ではない。セキグチどのが不当な扱いを受けるのを傍観してはならない。

 決意して大声を上げる。

「お、お待ちください」

「何だ!?」

「私はこのモノシリと一日行動を共にした者ですが、彼はそれほど悪い人間には見えませんでした。彼はそしられるようなことは何一つしておりません」

 セキグチは何も言わなかったが、いいぞ、とその目は示していた。

「ほう、では貴様もこのモノシリの一味か?」 疑い深い顔はオダワラにのぞんだ。もしそうであれば、この場で始末してやる、と言わんばかりの形相で。

 すると他の面々も同じような顔を彼に見せ始めた。

 多勢に無勢であることをさとった時、そこでふと恐怖心が差してしまう。

 この世の中でモノシリがどう見られているかを考えれば、モノシリと見なされるのはあまりにも害が大きい。

 まして、そういう人間と仲良くしている、と分かっただけでも。

「……いえ、違います……」

「ふむ、では何だ」

「ただ、この人とは部屋を同じくしただけで、他のことは何も……」 ホンを手渡されたなどとは、口が裂けても言えない。

「なら、何も問題はない」

 兵士がそう答えた時、オダワラはセキグチを裏切ったとはっきり知った。

 もう発してしまった言葉を、二度と口の中へ戻すことはできない。

 オダワラはセキグチの方を視やる。セキグチも彼をみかえす。

 裏切りおったな――破れた期待に対する、激しい憎悪をもって。

「モノシリなどという嘘つきどもの宝を、なぜ信用できるというのだ」

 兵士は吐き捨てる。

「よし。焼け!」

 男たちはたいまつを振り下ろすと、ホンをその炎で燃やしてしまった。

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