159代アリス
――あ、ねぇねぇ。ウサギがいるよ。
――本当だ。よかったね。
――よかったね。死んでるのかな?
「もしもし?」
何だ。人が気持ちよく寝てるのに、つつくなよ。
「…っ。さい…」
「わ。僕の手を払ったよ。まだ生きてるね」
俺の頭上で嬉しそうな二人分の声が笑っている。何だよ、生きてるって何の事?
「ね、ウサギさん。起きてよ、ウサギさん」
今度は耳元で声が聞こえて、肩のあたりを思いきり掴まれて揺さぶられる。何だよ五月蝿いなぁ。
俺はうっすらと目を開いた。眠気覚めやらぬ脳味噌に、青空が眩しくてまた目を閉じた。ごろんと寝返りを打つ。そうか、今日もいい天気だな。
………。
…え、青空!?
バッチリと目を開いた俺は、勢い良く半身を起こした。脳内でゆっくり吟味した結果が衝撃的すぎて、毎日使っていた目覚まし時計よりも効いた。
あれ?っていうか、俺ってば何でこんな所にいるの?
んで、この子達、誰?
俺はどうやら、白い雲が点々と浮かぶ青空の下の草原に寝転がっていた様だ。そしてそんな状況で、小学生くらいの女の子が二人、両脇から俺を挟んでいた。気持ち悪いくらいに全く同じ顔をした、双子だった。俺の右に座っている女の子が、パッと顔を明るくした。
「あ、ウサギさん起きたぁ」
「おはよう、ウサギさん」
続いて反対側から声が聞こえて、その方向を見ると四ん這いの体制からゆっくりと身を起こしている同じ顔がいた。
え?何コレ。
「お、おはようございます」とりあえず挨拶だけは返しておくが。
キョロキョロと辺りを見回す。俺からさほど離れていない場所に、鬱蒼と生い茂った森があった。俺の尻の下にあるのは、一面広がる刈りこまれた芝生。上を見上げると、空に広がるのは白い雲が点々と浮かぶ青空。爺さん家の近くの景色と似てるけど、何か違う。俺は、この景色に子供がクレヨンで描いた様な幼稚さを感じた。
俺が景色を見渡していると、横に正座した女の子が訊いた。
「ねぇねぇ、新しいウサギさんなの?」
「は?」
訳の分からない女の子の問いに、思わず強気の姿勢で訊き返してしまう。泣かれるかと一瞬思ったが、女の子は相合を崩す事なく、座っていた。俺が答えに困っていると、反対側の同じ顔が言った。
「新しいウサギさんだよね。でも金ぴかだね」
またコイツも訳分からん。
「ちょ、ちょっと待て。待ってくれ」
俺が両手を上げてお手上げポーズを取っても、両脇の二人はやはり笑顔を崩さなかった。
「ウサギさんって何だよ。俺は健全な男子高校生だっての」
俺が女の子に言うと、その子は笑って首を傾げた。
「だから、ウサギさんでしょ?時計持ってるもんね」 彼女は俺の胸元を指差した。昨日爺さんから貰った金の懐中時計が、そこにはあった。
「……時計持ってるから、ウサギさん?」
「時計を持ってるのは、ウサギさんだよ」
俺の問いに女の子は満面の笑みで答えた。
勘弁してくれよ……。これはおままごとか?俺はあれから、あまりに寝惚けすぎて爺さん家から出た見知らぬお家の双子と、おままごとでも始めてしまったのだろうか。
抜けている部分の記憶を一生懸命探していると、女の子とは反対側の子がさっきと同じ事を口にした。
「でも、金ぴかだね」
金ぴか?時計の色の事か?俺の身に付けている物で金ぴかと言えば、この懐中時計しかなかった。
「そうだね。ウサギさん、女王様のウサギさん?」
女王様!?いやいや、そんな趣味はありませんけど!?
「ウサギさん、シロウサギさん?」
だから、何だよ。ウサギがシロウサギって。ああ、そうだわかった、おままごとだな。自分で作った世界観と役に入りすぎてる女の子。目の前の二人はいかにもそういう年代に見える。じゃあ、お兄ちゃんとして遊びに付き合ってあげようか。
俺は息を少し整えて、テンション高めの声で返した。
「ああ、そうだよ。俺はシロウサギ!君たちのお名前は?」
お望みのシロウサギの登場だ。ここで俺の予定では、幼い二人は歓喜の声をあげて、ミュージカル調子で自分達の名前を教えてくれる、筈だった…のだが。
「フフフ…シロウサギだって」
「フフフ…どうりで美味しそうだと思った」
二人の奇妙な反応に、俺は不安を覚え始めた。
「…へ?」
双子は俺の胸にそれぞれ片手を置き、力任せに押し倒した。なかなかに二人とも力が強い様で、俺は緑の絨毯で後頭部を強かに打った。
「痛!?何だよ、お前ら急に!!」
言うが、双子は俺を離さない。それどころか俺を押さえ付けたまま話し込んでしまった。
「どこから食べようか?」
「多分、どこからでも美味しいよ」
目の錯覚でなかったら、双子の口の端から滴り落ちるのは、ヨダレではないだろうか。「女王様のウサギだから、きっと骨まで美味しいよ」
食べんの!!?
本日一番のショックに、俺は声を上げた。しかし、そんな事も双子は気にしない。
さっきまでは少し訳が分からない事を言っても、可愛い子達だと思ってたのに、気付けば百獣の王にも劣らぬ肉食っぷり。
一体、今日はどうなってんの!?
「…うん。じゃあ、そうしよ!」
ただただ焦っていた間に、俺の上の双子は話をつけ終わった様だ。もう待ちきれないと言わんばかりのヨダレが、俺のTシャツに滴り落ちる。双子は俺の顔を向いて、口を大きく開いた。頭から食う気かよ!?っていうか口デカイ!!恐っ!!!双子の口内には、肉食獣と同じ鋭い牙が植わっていた。
「いっただっきまーす!」
声を揃えて俺の頭に噛みつこうとする双子。 俺はもはや諦めて、目をギュッと閉じた。
瞬間。
「ぎゃっ!!」
目の前の双子が吹っ飛んだのと、俺の毛先に何か爆風の様な物を感じたのは、ほぼ同時だった。呆気にとられて、吹っ飛んだ双子を見る。二つの小さな体は、1m先で黒焦げになって折り重なって倒れていた。俺は小さく息を飲んだ。
「おいおい。せっかく助けてやったのに礼も無しか?」
背後からの声に、俺は振り返った。俺の直ぐ近くに岩があり、声の主はそこに立っていた。
その人は青いエプロンドレスを着た女性だった。膝上丈の短い衣装で、白いオーバーニーソックスを履いて足を保護している。腰まである、艶やかな黒髪はしかし、女性の口調のせいで清楚な印象は与えてくれなかった。そんな姿に似合わなさすぎる獲物を肩に担いだ彼女に、俺は月並みな質問をした。
「お…お前は…?」
「あー?アタシの事、知らねぇのか?…まぁいいや、そんな日もあるさな」
彼女は野生的に歯を剥き出して笑いながら、こう言った。
「第159代目、アリス!!」