金時計
まったく信じられないと思う。
自身の祖父がほんの少しばかり常識外れな事には薄々気づいていたが、まさか真夜中に可愛い孫を叩き起こすとは。こちとら、敬老の日だからと久しぶりを祖父母宅に訪れて、道中疲れ果てて倒れる様に眠ってるんだぞ?敬老の日だからと言って調子に乗らず、もう少し気を使え。
俺は爺さんのもとに案内する婆さんの背中に、渋々連いていった。大きな欠伸を噛み殺す事もない。
もう、くの字に曲がっている婆さんの背中を見ながら、婆さんにも同情した。爺さんの暇潰しに付き合わされて、婆さんも大変だな。
老人二人の住む家がそんなに広いわけでもなく、婆さんと俺は、爺さんが待っているらしい居間の前で立ち止まった。婆さんが俺を振り向いて、手で「どうぞ」と示している。俺がドアを開けて部屋の中に入ると、およそ二人暮らしの老人宅とは思えない洋風の室内にある暖炉の前で、爺さんはいい感じの椅子に座って、俺を待っていた。暗い部屋の中で、パチパチとはぜる暖炉の炎に照らされて、爺さんの顔がこっちを見つめている。何だ、いい歳こいてその大物演出は。俺の眠気は確実に苛つきへと進化している。
「爺ちゃん、何?」
俺が眠気を隠さないヘロヘロ声で訊くと、爺ちゃんは「よっ」と片手を上げて挨拶した。夜、しかもこんな時間の挨拶には、いささか無礼すぎやしないか。
「何なの、眠いから早くして」
「じゃあ、ホレ」
俺に応えて用事を早く済ませてくれる気ならしい爺さんは、言いながら俺に何かを放った。眠気に負けずナイスキャッチ。さすが俺。
俺の手の中で暖炉からの炎の光を怪しく撥ね返しているのは、新品同様の金色の懐中時計だった。首にかけるのだろうか、チェーンはあるがとても短く、その長さは子供用さながらだった。
俺の首からぶらさげると、時計は心臓の辺りで時を刻んだ。
昨今そこら辺の店で売ってる様な蓋が付いたシャレたデザインの物ではなく、蓋が無くシンプルで、使い易い代物だ。
「お前にやる。俺もこんな歳だし、走るのは疲れたんでな」
爺さんが言った。走るのは疲れたって、タイムを計るのに使っていたのか?爺さんは昔プロのマラソン選手だった事は、俺も知っていた。
「サンキュー。練習の時に使うよ」
俺は寝ぼけ眼でそう言って、それを持って部屋に戻った。
爺さんの血をしっかり受け継いで、俺も高校で陸上をしていた。
部屋に戻ろうとする俺の背中に向かって、爺さんの声が聞こえた様な気がした。
「しっかり生きろよ」