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海辺の恋  作者: と〜や
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6.プリンアラモード

 あのあと、どうやって寝たのか覚えてない。

 ……なんて言えれば恋愛小説の主人公っぽいけれど。

 独り暮らしだもの、ほっといても誰かが片づけてくれるわけじゃない。

 ひとしきり泣いたあと、落っこちて割れた皿の片づけをきっちりして、アキラが作ってくれていた残りを何とか平らげて、皿もキッチンもリビングもきれいに片づけてから床についた。

 だから、起きたときにリビングにカットレタスの干からびたのが転がったりはしてなかったけれど。

 テーブルの上に置かれていた合鍵は、翌朝見ても気力をごりごり削られた。

 アキラが合鍵を置いて出て行ったのは夢でも何でもない、事実だ。

 朝ごはんを食べる気力も沸かなくて、シャワーだけ浴びると薄くメイクだけして家を出た。

 いつもより早い時間に編集部に顔を出すと、編集長があたしの顔を見るなり会議室に連れ込んだ。


「お前、何があった」

「いえ、何もありませんけど」

「嘘つくな。そんなに目ぇ真っ赤に泣きはらして。どうした。痴漢にでもあったか?」

「本当に何もないです。目が腫れぼったいのはちょっと夜更かしして……」

「映画でも見て泣いたか?」


 編集長の言葉に苦笑を浮かべる。あたしが大のホラー嫌いだって知ってるからね。


「まあそんなところです」

「お前、仕事の前日に何やってんだよ。今日の外回りの予定は?」

「原稿依頼の打ち合わせが三件入ってます」

「誰かに代わらせる。お前、今日は帰れ」

「せっかくいつもより早起きして来たのに」

「お前、寝てねえだろ。そんな頭で編集作業なんかしてみろ。ミスの連続で目もあてらんなくならぁ。とっとと帰れ。あ、帰る前に打ち合わせの詳細と資料だけこっちに回しとけ」

「……すみません」


 編集部に戻って、パソコンを立ち上げる。

 メッセージソフトが起動しかけるのをキャンセルして、アンインストールする。


 ……アキラとの連絡でしか使ってなかったものだもの、もういらない。


 それから言われた資料を編集長に送り、詳細をメールで知らせておくと、在席ボードの自分の名前を『在宅』エリアに張り付けた。

 ちらっと編集長を見たけど、編集長は誰かと電話中らしい。

 こっちに気がついた編集長に会釈すると、居室を後にした。


 ◇◇◇◇


 いきなり休みになったとはいえ、明らかに泣いたとわかる顔で街中を歩きたくはなかった。

 あっさりとアパートに戻ると、スーツを着替えてベッドの上にうつぶせになった。

 手にしたスマートフォンの電源を入れる。メッセンジャーアプリには一杯着信があった。でも、もう見たくなかった。

 長押ししてアプリそのものを削除すると、スマートフォンを放り出した。

 電話もメールも着拒にしてしまおう。

 音のしない部屋の中で一人じっとしていると、余計なことを考えてしまう。

 テレビをつける。チャンネルを回してみるが、見たくなるような番組がない。

 平日の昼間はろくな番組をやっていないらしい。

 どうせなら映画でも借りてくればよかった。

 机の上には合鍵が置かれたままの位置にある。

 それを見るたびに胸が痛くなる。

 これは戒めだ。

 忘れないために。――忘れるために。

 どの局だかわからない番組を垂れ流したまま、やわらかいベッドに顔をうずめて目を閉じた。


 一時間ほど寝ていたらしい。次に目が覚めたのは昼前で、のろのろと起き上がると冷たい飲み物を求めて冷蔵庫を開けた。

 白い箱があのまま入れてあった。

 昨日アキラのご褒美にと買ったケーキたち。

 引っ張り出して、箱を開ける。

 ノルンのケーキはどれもおいしくて、紅茶でもコーヒーでもよくあう。

 アキラは紅茶と一緒に食べるのが好きだったな。

 白いショートケーキもプリンアラモードも、アキラの大好物だった。

 溜息をついて、箱を閉じると冷蔵庫にしまい込んだ。

 見ているだけで胸がいっぱいになって、視界がにじんでくる。

 捨てようかとも思ったけど……アキラに対する思いを捨てるような気がして捨てられなかった。

 きっともう、二度とノルンのケーキは買わないだろう。

 あの箱を見るだけで思い出してしまうから。

 水だけを飲むと、再びベッドにうつぶせになった。


 二度目はスマートフォンの着信音で目が覚めた。

 手探りでスマートフォンにたどり着くと、編集長からだった。

 体を起こして応答ボタンを押す。


「はい」

『わりぃな、帰らせといて。寝てたのか?』

「すみません」

『いや、こっちこそすまん。ちょっとトラブルでな。そっちにアキラ先生いるか?」


 ずきりと心臓が痛む。


「いえ、いませんけど」

『そうか……となるともう宛てがないな……』

「どうかしたんですか?」

『ああ、昨日もらった原稿な、あれ没にしてくれって連絡が来て、そのまま連絡がつかなくなってな』

「えっ?」


 なんで……?

 どうして?

 なんでアキラが姿を晦ませるの?

 思い出のレストランで会った彼女と結婚するんじゃないの? 


『思い当たるところは一応全部当たったんだが……お前んとこに戻ってないとなると、もう心当たりがないな……』

「あの、他に彼女とかいなかったんですか?」

『はぁ? 彼にお前以外に彼女なんているわけねえだろーが。とにかく、心当たりがあるなら探してみてくれ』

「は、はい」


 通話が切れる。

 なんで? どうして?

 どうしてこうなったの?

 一つだけ思い当たるとしたら……あたしだろう。

 でも、あれで解放されたんじゃ、なかったの……?

 慌ててスマートフォンのメッセンジャーアプリを再インストールする。

 待ってる時間が惜しくてノートパソコンの電源ボタンを押して、スリープを解除する。

 こっちにはまだアプリ入れたままだ。

 スマートフォンのアプリにも会社のパソコンにも一杯着信来てたのに、無視したのはあたしだ。

 スマートフォンの着拒も解除して、アキラの番号にコールしてみた。

 三回コールが鳴って、切られた。

 もう一度かけた。

 今度はすぐ切られた。

 三回目にかけたら電源が切られてた。

 息をのんでスマートフォンの画面を見つめる。

 あたしとはもう話したくないってことだ。


 ……あたしが追いかけたって、嫌がるだけじゃないだろうか。


 パソコンのアプリのメッセージをたどる。

 昨日、あのあと何回も彼からメッセージが入っていた。


『最後に一度だけ、話がしたい』

『あの場所で待ってる』

『君が来なくても待ってる』


 大体同じ内容のことが何度も何度も繰り返し書かれていた。

 あの場所。……あたしたちが初めて会った、あの海辺に、彼はたぶんいる。

 スマートフォンを取り上げて、編集長にかけようとして、キャンセルボタンを押した。

 アキラが待ってるのはあたしだ。


 ……あたしが行かなきゃ。


 カバンに充電パックとケーブル、それからカメラを詰め込むと、クロゼットからあの日着ていた服を引っ張り出す。

 水色のシャツと白いボレロ、普段履かないふんわり広がる白いスカート。

 サンダルを履くと、アパートを後にした。

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