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海辺の恋  作者: と〜や
5/12

5.すれ違い

「遅かったね」

「そう?」


 玄関の鍵を閉めながら時計を確かめる。十九時の予定だったが二十時を回ってしまっていた。

 アキラはやっぱり不満げに上がり框に立っている。


「斉藤さんのところに寄ったあと直帰だったんだけど、電車が止まっちゃって。仕方ないから振替輸送のバスで帰ってきたの。すっごい混んでて、乗るのに三十分待たされちゃって。あ、これお土産」


 ケーキの箱を押し付ける。

 バスを降りてすぐのところにあるケーキ屋さんがまだやってて助かった。

 昨日は締め切り明けだったわけだし、本当ならゆっくりしたかったに違いないアキラへのご褒美。


「駅前のノルン?」

「そう。あそこのショートケーキとプリンアラモード。好きでしょ?」

「ありがと。でも、ごまかされないからね。連絡入れてって前も言ったよ?」

「ごめん、バッテリー切れしちゃって、バスに乗ってすぐ切れちゃって。料理作って待っててくれたんでしょ? ごめん。温めなおすね」


 まだ不満顔のアキラの横をすり抜けて、ダイニングに上着とカバンを置くとキッチンに立った。


「いいよ。やるから座ってて」


 やんわりとアキラに引っ張られた。そのまま位置をくるりと入れ替えられる。


「これ、食後でいい?」

「あ、うん」


 冷蔵庫にケーキが箱ごと仕舞われていく。


「立ってると邪魔だから。座ってて」

「……怒ってる?」

「怒ってる。でももういい」


 キッチンに立つアキラの後ろ姿はかっこいい。でも、怒りのオーラをばしばし放出している背中を見ているのはつらい。

 手を伸ばして、いつもみたいにその背中にくっつこうとして――斉藤さんの言っていた言葉がよみがえった。


『身を固めるんだって?』


 それは、誰とのこと?

 出会ったのはレストランじゃなかった。

 あれはエッセイじゃない。小説の中の話だ。

 あたしとは関係ない。

 そうだ。

 アキラが誰と結婚しようと、あたしには関係ないことなんだ。


「美紀?」


 アキラの声にゆっくり顔を上げる。

 いつものような自信たっぷりの顔じゃない、不安げなその顔を見るのは初めてだった。

 なんだか見ていられなくて足元に視線を落とす。


「どうしたの? 美紀」

「アキラ、結婚するんだってね」


 何かが割れる音がした。

 はっと顔を上げると、アキラの手の中にあったはずの白い皿が床に落ちていた。

 上に載っていたであろう野菜と、ハンバーグが床に散らばっている。


「もったいない……」


 しゃがみこもうとしたあたしの肩にアキラの手がかかる。肩に食い込んで痛い。


「誰が言ったの、そんなこと」


 押し殺した声。こんな声、聞いたことない。


「やっぱりそうなんだ」

「美紀、聞いて。こっち向いて」

「いいよ。何も言わなくて。あたしそういうの嫌いだし。アキラを束縛したくないから。ごめんね、あたし鈍くって。いままでありがとう」

「聞けって!」


 強く揺さぶられる。頭がぐらぐらする。

 ああ、そういえばいつからか好きだとか愛してるとか、言わなくなってた。

 それが当たり前みたいに……。


「いい。もう何も聞かない」


 アキラの手を振り払ってその場にしゃがみこむと、手近にあったビニール袋に割れた皿を入れていく。

 床に落ちたハンバーグがまだ熱くて、やけどしそうになって指をなめた。

 かかっていたデミグラスソースはとてもおいしかった。


「……なんでいつもそうなんだよ。何にも聞かずに勝手に……」


 勝手なのはどっちよ。あたしの知らないところで結婚話が進んでた。

 それならそうと早く教えておいてほしかった。

 ほかの人からあんな形で知らされる前に、アキラの口から。

 そう詰りたかった。

 でも、何か言おうと口を開いたら、きっと泣き崩れてしまう。

 こんな時に泣くのは嫌だった。

 別れ話をされた女が泣いてすがるのって、かっこ悪い。


「そっか。……もう口もききたくない? 俺の独り相撲だったんだな。美紀といつも一緒にいられたらって……そう思ってただけなのに」


 愛する人と結婚しても、あたしは離してくれないわけ?

 そんなの、奥さんに対して不誠実だ。

 床に落ちたキャベツを丁寧に拾っていく。

 こっちを見てるのはわかってる。だからもう、放っておいて。見ないでよ。


「……わかった」


 アキラが大股でキッチンから出ていく。リビングにから上着とかカバンとか取ってきたのだろう。

 ちゃりと金属のこすれる音がした。

 あたしは頭を上げずにじっと床を見つめる。

 足音はキッチンの入り口で一度止まり、それから玄関まで移動した。

 靴を履く音。

 鍵を開ける音。

 扉が開いて、閉まった音がした。


 あたしは止めていた息を吐きだした。

 息とともに声が漏れる。

 抑え込んでいた涙が流れてきた。

 これでいい。これでいいはず。なのに。


「うっ……ふっ……」


 抑えきれなくなって、喉がひきつった。

 心臓が押しつぶされるように痛む。体の力が抜けて、ぺったりとキッチンに座り込んだ。

 両手で顔を覆って、子供みたいに声を上げて泣いた。

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