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海辺の恋  作者: と〜や
3/12

3.出会い

 アキラと初めて会ったのは二年前の海辺だった。

 当時彼はまだ小説家ではなかったし、あたしはすでに今の出版社に就職していた。

 海に行ったのは、ただの気まぐれだった。雑誌の編集作業が終わって、久々にカメラを引っ張り出した。

 夜景や雲、海の風景写真を撮るのは趣味の一つで、仕事が忙しくなっても時折時間を作っては写真を撮りに出かけるようにしている。

 その日も夕暮れがきれいで、時間を忘れて雲の写真を撮り続けた。以前のフィルムカメラならフィルムを現像する費用を考えてここぞというときにしかシャッターを切らなかったけど、デジカメになってからは取り逃さないようにと枚数を重ねるようになってしまった。

 そんな時だった。

 岩場に座っていた彼が動いた。

 いや、何かが動いたのはわかったのだけれど、それが彼だとわかったのはずいぶん後だ。

 暗くなった岩場の辺りはあたしにとっては真っ暗で、いきなり腕に手をかけられるまで、人がいることにも気が付かなかったぐらいだ。

 ぐいと引かれた腕を乱暴に振り払ってようやく、そこに人がいたことに気が付いた。

 恥ずかしながら、わたしはお化けが嫌いで、ちゃちなお化け屋敷でさえ悲鳴を上げる。

 こんな暗い海辺で一人、立ってることに気が付かないほど夢中だったのだ。

 腕を引かれた瞬間、ファインダーから視線が外れて真っ暗な海が見えた。

 途端に胸がつぶれるような恐怖が忍び込んできた。

 足ががくがくと震えて手から力が抜けた。

 悲鳴を上げようとしたのに、のどがカラカラで声にならない。

 

「そこ、危ないよ」


 誰かの腕が体を固定するように回された。

 それが人だと気が付いて、少しだけ恐怖が薄らいだ。でも体は動かない。


「大丈夫? 腰抜けた?」


 男の声だとようやく認識した。こんな暗い浜辺に男が一人。何をしていたのだろう。

 それよりも、この後ろに立つものが人間なのかどうかも怪しくなってくる。


「ごめんね?」


 なぜ見知らぬ者に謝られなければならないのだろう。

 そう思っているうちに、視界がぐるりと回った。膝の裏に何かが当たる。

 そのままゆさゆさと動かされて、初めて誰かにだっこされていると気が付いた。

 真っ暗でその誰かの顔すら見えないのに。

 このままどこに連れていかれるのだろう。

 恐怖が先に立った。こんな不安定な体勢で運ばれるなんて。

 でも、浜辺から階段を上がったところで降ろされた。腰の立たないあたしをベンチに下ろすと、男はどこかへ走って行った。ベンチの辺りには街灯がなかったからそれが誰かはやっぱり見えなかった。

 ほっと一息をつく。

 まだふるえている手でカメラをケースに収めて肩から掛けていたカバンに収める。

 アスファルトの上を走る足音が聞こえて顔を上げると、黒い人影が何かを押し付けてきた。冷たい缶のようなもの。


「飲んで。あ、炭酸苦手だったら交換するけど」


 ジュースなのだろう。ふたを開けて口をつけると、しゅわっと強い炭酸がはじけた。オレンジ味だ。

 乾いたのどに流し込むと、冷たい塊がのどを通って胃まで降りていくのがわかる。


「ありがとう……」


 声は出た。そして、目の前の人影に対する警戒も薄れてきた。自動販売機でジュースを買うお化けや幽霊なんていないもの。これは紛れもなく人間。


「声、出たね。落ち着いた?」


 声音から、その人が安堵した様子はうかがえる。


「す、すみません。……その、お化けとか幽霊とか苦手で」

「それなのに一人で夜の海に来たの?」

「来たときはまだ陽があったから」


 夢中で写真を撮ってたから。たなびいていく茜雲、黄金の光の移ろいに目を奪われていた。


「写真、好きなんだ」

「ええ。あの、ごめんなさい」

「え?」

「……てっきりお化けか何かと思っちゃって」


 くすくすと笑う声が聞こえた。


「やっぱり。まあでも僕もごめん。すっかり暗くなる前に声かければよかったんだけど、かわいい子が一生懸命カメラのファインダー覗いてるのに見とれちゃって」

「すみません」


 頭を下げてから気が付いた。

 ――え? 今何か言わなかった?

 びっくりして顔を上げる。でも、相手の顔は闇の中でほとんど見えなくて。


「このあたりって陽が落ちると真っ暗になるんだよね」

「そうなんですね」


 点くはずの街灯はところどころ消えている。

 海沿いにはバスが通っていて、バス停も近くにあるはずだが、やはり明かりは消えている。


「ところで、どうやって帰るの?」

「え? 最寄駅までバスで」


 バスが来るまでまだ時間があるはずだ。そう思ってスマートフォンを取り出す。


「今日は祝日だから終バスは十六時台だよ?」

「えっ、ウソ」


 カレンダーを見る。スマートフォンのデフォルトのカレンダーって祝日がわかりにくい。

 おまけに第一月曜日とか祝日がふらふら動くせいで、すっかり祝日の感覚を忘れてた。

 祝日のわかるカレンダーアプリを立ち上げて、額に手をやった。


「うわ……ほんとだ。教えてくれてありがとう」


 こうなると、タクシーを呼ぶしかない。

 この近くのタクシー会社を検索しようとブラウザを立ち上げたら、手を握られた。


「え?」

「僕、車で来てるから送るよ」

「いえ、大丈夫です。タクシー呼べば来ると思うので」


 さすがに誰ともわからないどころか顔も見えない男の車には乗りませんよ?


「タクシーだとたぶん一時間以上待たされると思う」

「え? 何で?」


 確かにこのあたりは砂浜のきれいな辺鄙な場所だけど、少し車を走らせれば国道もバイパスもあって車の通りは多い。


「前に待たされたことあるんだよね。ちょうど車が出払ってたとかでさ」


 一時間ここで待つ……。

 後ろに広がる黒い海をちらりとみて体がすくむ。

 人もあまり住んでないみたいで車の出入りも人家の明かりもない。


「このあたりってほら、家も少ないし、暴走族のたまり場なんだよね。土日祝日はよく集まるらしいよ?」


 男の声にはからかうような響きが含まれている。

 言葉の通り、遠方からバイクらしきエンジン音が近付いてくる。

 心臓が跳ね上がった。ジュースで潤ったはずののどがからからに乾く。

 暴走族に取り囲まれている自分を想像して身震いがした。

 そんなの、選択肢ないじゃない。


「あ、の……」

「どうする?」

「お、願いします」


 男はくすくす笑うと、あたしの手を引いて歩きだした。

 これが、アキラとの出会いだった。

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