11.とりあえず。
どさっとベッドに投げ出されて。
そのままのしかかってこようとしたアキラを避ける。
「……美紀?」
うわぁ、怖い。やつれて頬がこけたうえ、寝不足で目の下隈太郎のアキラが上目遣いににらみつけてくる。
色気ダダ漏れ状態よりもやばい。捕食者のそれだ。
「その、流される前にちゃんと話したい」
「……俺は後でもいい」
「あたしはやだ」
このままだと雰囲気にのまれて大切なことを言わずにうやむやにしそうなんだもの。
この五か月、悶々と悩んで泣いてきたことが全部流されてしまいそうで。
それに。
ちらっと部屋の惨状に目をやる。まだ外は明るい時間で、明るい光が何もかも赤裸々に見せている。
「……こんな部屋ではやだ」
「っ……じゃあっ」
「ホテルとかはもっとやだ」
少しアキラがひるんだ。その隙にあたしはベッドを下りた。
あたしが記憶してる限りでも、こんなに荒れた部屋は初めてだ。もともときれい好きだったはずなのに、どうしてこうなるの。
足元に転がってるのはビールの缶や酒瓶。
食べ物のカスが床に落ちてたり、空のお菓子袋が放置されてたり。
山に積んだ本が崩れたまま放置されてたり。なんかねちゃっとしたものがこぼれたまま乾いてたり。
脱いだものが脱いだ形で置いてあったり、着替えたのだろうと思われる靴下やシャツが部屋の隅に転がってたり。
灰皿は山盛りの吸い殻の上にさらに積み重ねるように吸い殻が付きたてられてて、灰も吸い殻もこぼれて机の上に散らばってたり。
この調子だとキッチンは使ったカップが積みあがってるんだろう。
「まずは掃除する。……話も何も、全部そのあと。いい?」
「……わかった」
しぶしぶアキラは頷き、あたしはビニール袋と雑巾を手に片づけを始めた。
ごみを取り除き、分別し、掃除機で吸って雑巾で拭いて、キッチン周りも洗い物をして掃除をして。冷蔵庫の中身もついでに仕分けして袋に突っ込んで。
放置された洗濯物は全部脱衣所へもっていって順次洗濯機を回して。外に二回分干して、干場が足りないからあと一回分は部屋中の鴨居にひっかけて。
崩れた本は積みなおして。本棚は本人の好みがあるだろうし、資料とかもありそうだから全部任せた。
後で覗きに行ったらやる気のなさそうな顔で本を片づけていた。
一通り終わって、居間も寝室も居場所ができたあたりでようやく一息つけたのは五時を回ったころだった。
やかんでお湯を沸かしながら、書斎にしてる部屋の扉をノックすると、眠そうなアキラが顔を出した。
「片づけ終わった?」
「……ん、なんとか」
ちらっと覗くと、机の周りは片付いたようだ。まあ、机までの通路は床が見えてるし、いいことにしよう。
「コーヒー入れるから休憩にしない? ……話もしたいし」
「わかった」
眠そうな気配が一気に消える。しゃっきり背を伸ばしたアキラはすぐ居間にやってきた。
インスタントコーヒーを入れて、彼の前に置き、自分の分を持ってソファに座る。
沈黙が下りた。
カップを取り上げる手が少し震えた。一口飲んで、カップをそのまま両手で包み込む。
どこから話せばいいだろう。
でも、すべてはあたしの勘違いから始まったことだ。
あたしが始めて終わらせなきゃ。
カップをテーブルに戻すと、あたしはアキラのほうに体を向けて居ずまいを正すと頭を下げた。
「ごめんなさい」
ソファから降りて土下座しようと床に座り込んだところでアキラに腕を引っ張られた。
「や……」
「やめろ。そんなことしてほしくない」
「だって、どんだけ謝っても謝れないこと、したんだよ? あたしっ」
ああだめだ、泣かずにきちんと話そうとしたのに。一瞬で緩む涙腺。
「いいから。それは後からいくらでも受け取るから。今は話をしよう。ソファに座って」
肩をつかまれて、ソファに座りなおす。
「……あの日、いったいどこで何を聞いてきたの」
「あれはっ……」
五か月前の日のことを思い起こすといまだに胸が刺されたように痛む。
ぽつぽつと斉藤さんとの会話を思い出しながら口にすると、アキラは眉根を寄せてため息をついた。
「あれほど言ったのに……編集長っ」
「あ、でも斉藤さんは知らなかったから……」
「ああ。……でも今度のパーティで会ったらきっちり釘さしとく。美紀が勘違いしたの、斉藤さんのせいなんだし、もとはといえばゲラを俺に無断で斉藤さんに回した出口さんのせいだから」
「で、でも……勘違いしたのは、あたしだから……」
胸が痛い。
本当に勘違いなのかどうかなんてもうどうでもよかったけど、でも、レストランで出会ったっていうアキラの好きな人の話も気になってるのは事実。
聞くべきか迷ったけど、聞かずに悶々とするのはもうやだ。
「アキラ。……あの日、どこで待ってたの? あたし、あの海辺に行ったんだよ。でも、アキラいなくって、もう帰ったんだって思って……」
まだぶつぶつ文句を口にしていたアキラは、首をかしげながらこっちを見た。
「海辺? なんで?」
「え? だって……アキラに初めて会ったの、あの海辺でしょう?」
「海辺……えっ? そっち? ちょ、ちょっと待って」
いきなりアキラは仕事部屋に飛び込むと、スマートフォンを手に戻ってきた。
それから何やら画面を操作しているけれど、こちらからは何をやってるのか見えない。
「斉藤さんから紹介されたのって出版社のパーティだったよね?」
「うん」
「そのあと、何回か食事に行って、俺から告白して……」
「うん」
「両想いだって知って……」
うん、そのままお持ち帰りされたんだよね。よく覚えてますとも。
じっと見てたらちらっとこっちを見たアキラの視線とぶつかって、顔が熱くなる。
「それより前?」
「……覚えてないんなら、いい」
あれが初めて会った日だったはず。でも、覚えてないんなら仕方がない。
「海辺でナンパしたことなんて……一回しか」
というかナンパとか普通にしてたんだ。どこかがっかりしている自分がいて、ちょっとびっくりする。
顔を上げると、アキラは思案顔であたしの顔をじっと見つめてくる。
真っ暗だったから顔も見えなくて。車の中でちゃんと顔を見るまで、あたしもアキラの顔、見えなかった。
だから覚えてなくても仕方ない。
「夜の海の……あれ、本当に美紀だったの?」
うわ、と言いながらアキラは片手で口を覆った。
「仕方ないよ。あの時真っ暗だったし」
「でも、確かお礼に食事に誘ってくれたよね? 全然覚えてねえ……ぐあっ、なんてもったいないことしたんだ俺っ」
頭を抱えて身もだえている。
仕方ない。オフだからと気合入れておしゃれして、化粧もして行ったんだけど、なんだか上の空だったもんね。アキラ。
あたしのほうも緊張してたし、お礼の雰囲気、全然なかったもんね。
「あの時……お礼に食事に行ったけどあんまり会話が弾まなくて、そのまま会うことがなくなって。もう少し話しとけばよかったって思ってた」
「そうだったっけ。……ごめん。俺、本当に忘れてた。まさか、あのかわいい子が美紀だったなんて全然気がついてなかった。……美紀が勘違いするわけだよな……」
がっくりと肩を落としてアキラはソファに体を預けた。
あたしは冷め切ったコーヒーを喉に流し込むと、ほっと息をつく。
ほんと、仕方がない。普段パンツスーツで髪の毛もきっちり束ねて女の子っぽい服装しないから、気がつかなくても仕方ない。
アキラはあたしと両想いになって、心も体も一つになった日を思ってて、あたしは最初に出会った日を思ってた。
お互いに記憶に残っていた日が違うんじゃ、すれ違うわけだよね。
でも、海で会ったあたしをかわいい子だと思ってたんだ。自分自身なのに、その自分に嫉妬する。
なんて心が狭いんだろう。
「あたしこそごめん。……斉藤さんに紹介されたとき、すぐに気がついたの。だから、アキラから告白してもらったとき、本当に夢なんじゃないかって思ってた」
覚えてないなんて、思わなかった。
「俺はパーティで紹介してもらう前から知ってた」
「え?」
「……何のきっかけだったかもう覚えてないけど、他の作家さんたちとの顔合わせだって出口さんに連れて行かれたレストランで、出口さんを連れ戻しにきたのが美紀だった」
いつのことだろう。
飲みに行った編集長を連れ戻しに行ったことは何度もあるし、アキラの言うのもそのうちの一回だろう。
連れ戻しに行くほどひっ迫してる状態だから、だれが同席しているかなんて斟酌してる暇もない。
その中の一人がアキラだったのだろう。
「……たぶん、一目ぼれだった」
ふいと視線をそらしたアキラの言葉に目を見開いた。
落ち着いてきてたのに、またぱーっと血が上ってきた。
「でもそのあとの出口さんの妨害がひどくてさ。挨拶もさせてくれなくって。で、偶然パーティーで見かけてさ。斉藤さんに頼み込んで紹介してもらったんだ」
「そんな……知らなかった」
微笑んだアキラの目は優しくて、あたしは思わず口元を覆って視線を膝に落とした。
「それからずっと見てた。ずっと思ってきた。俺が結婚したいのは、美紀一人だけだから。……誤解、解けた?」
心に刺さってたとげが解けたみたいだ。視界が潤む。小さく頷いて目を閉じると、涙が零れた。




