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海辺の恋  作者: と〜や
10/12

10.なんの冗談?

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 相変わらずアキラはぎゅうぎゅうにあたしを抱きしめていて、声があげられない。

 

 なんで?

 なんの冗談?

 眠いから限界だから、って何?

 誰かの足音が聞こえてくる。こんなところ、誰かに見られるとか恥以外の何物でもない。

 なんとか抜け出そうともがくものの、びくともしない。

 ぽこんと何かで頭を叩かれた。痛くはない。


「お前なあ。影で見てりゃ……いい加減離せ。緑川がつぶれる」


 この声。編集長?

 抱き込んでいたアキラの腕から力が抜けた途端、後ろにぐいと引っ張られた。


「きゃっ」


 足元がふらついたのを、後ろから支えられる。首だけ巡らせると、やっぱり編集長だった。今日も無精ひげそのままでよれよれのワイシャツにネクタイ巻いてある。手には新聞か何かを丸めたものが握られている。あれで叩かれたのか。

 ちらっと眼が合ったものの、表情は硬い。


「それにこういう話は中でやれ」

「なんでいるんですか、出口さん」

「そりゃ、お前が天岩戸を開くかどうか心配だったしな。緑川がまた泣くんじゃねえかとか」

「関係ないんだから引っ込んどいてください」

「関係あるだろが。……ないとは言わせねえぞ」


 頭上を二人の会話が行き来する。ちらりと見たアキラはぶすっとむくれた顔だ。

 でも、どちらも見れなくて下を向いている。


「あきらめるとかなんとか言っといて公開プロポーズとか、恥ずかしくて死ねるな」

「あんたにはあげませんから」


 ぐいっと手を引かれて、アキラに肩抱きされる。


「何のことだよ」

「俺が気がつかないと思ったんですか。あんだけ遠回しにも直接的にも美紀をあきらめろってさんざん言われて、気がつかないとでも?」

「……俺はその気はなかったぞ」

「その割には美紀の部屋を訪ねたりしてますよね。俺、見たんですから。あんたが美紀の部屋から出てくるところ」

「見てたって……見張ってたのかよ。ストーカーはやめろって言っただろうが」

「あんたに言われる前のことだ」


 ちょっと待って。いったい何の話をしているの?

 編集長がうちに来たのは何回もないはずだ。


「そりゃ独り暮らしの部下が高熱出してぶっ倒れてりゃ、様子見にぐらいくるだろうが。お前がぶっ倒れた時だって行ったろ?」

「でも普通の部下なら朝帰りなんかしませんよね」

「朝帰りぃ? 一体……」

「ちょっと待ってっ。いったい何の話してるんですかっ」


 明らかに牙をむいていがみ合う二人の間に割って入る。アキラの腕が邪魔したけどそれどころじゃない。

 なんでアキラと編集長が喧嘩する羽目になったのよ。


「だからお前の話」

「この馬鹿に言ってやってくれ。緑川。俺は妻帯者だって」

「え?」

「はぁ?」


 間の抜けた声が出た。編集長の言葉があんまりに予想外だったせいだ。

 それはアキラも同じだったようだ。

 あたしたちの視線を受け止めて、編集長は眉根を寄せるとまずはあたしをにらみつけた。


「なんでお前が知らないんだよ。この間の編集会議で話したろ?」

「そう……でしたっけ」


 ここしばらくの編集会議は全体の把握と自分の担当分の確認に集中してたから、他の編集員たちの日常会話、右から左で聞き流してた気がする。


「まったく……もう入籍もしたって報告したろうが」

「すみません、全然覚えてませんでした。おめでとうございます」

「お、おう」


 素直に頭を下げると、編集長は照れたように首の後ろに手をやって視線をそらした。心なしか顔も赤い。


「結婚を前提として付き合ってる女性がいたならなおさら、独身女性の部屋を深夜訪れるなんて疑われるようなことするんじゃねえよっ。おかげで俺はっ……」


 アキラが悔しそうに歯噛みしている。


「まあ拗ねるな。お前が勘違いするように仕向けたのは事実だしな」

「なっ……」


 けろっと吐くと、編集長はぐいとアキラの首を片腕で締め上げた。


「おかげで言いたいこと、言えたろ?」

「ぐ……」

「まああれだ。半年もこんないい女をほっといた罰だ。甘んじて受けやがれ」

「いい女なのは知ってますよっ。だから早く会わせろって言ったのに」

「ちゃんと虫よけはしてやったろうが。それに我慢したから言えたんだろ」


 なんだか二人だけで通じる話をしているらしい。

 胸倉をつかみながらのひそひそ話って、なんなのよ。


「とにかく。これから美紀と大事な話、するんです。帰ってください」

「おう、ちゃんと話し合え。……緑川」

「は、はいっ」


 アキラを解放した編集長は扉から離れて通路に出た。編集長の方に体の正面を向けると、そっと後ろからアキラの手が肩に乗ってくる。


「きちんと向き合え。逃げるな」


 編集長の目はあの時と同じ――何もかも見透かすようなあの目だ。心臓がつきりと痛む。


「納得するまで話して来い。ああ、それと明日は無理しなくていい」

「えっ」


 ちらりと編集長の目がアキラに向いて――溜息をついた。


「……桐生先生」

「はい」

「緑川を頼む。……もう、泣かせんなよ」


 息をのむ音が至近距離でした。


「……ああ」


 階段を下りていく足音。アパートの玄関から見えるあたりで編集長が振り向いたのが見えた。

 片手を振って背を丸めて歩く編集長に、頭を下げた。

 肩に乗ってるアキラの手に力がこもる。


「話、聞いてくれるか? 俺も聞きたいこといっぱいあるし……あの、さっきの言葉は……保留で構わないから」


 さっきの言葉。……公開プロポーズのこと、だよね。顔に血が上ってくるのがわかる。アキラに背中向けといてよかった、ほんとよかった。


「あたしも……聞きたいことも話したいことも……謝りたいこともいっぱいある」

「うん……美紀」


 くるりと体の向きを変えられて、目の前にはアキラの顔がある。

 改めて見上げると、無精ひげに目の下の真黒な隈。顔色も悪いし、記憶よりずいぶん痩せた。


「アキラ、痩せたね」

「お前もな。……悪かった」


 両腕に囲われて、改めてアキラの背中に手を回す。前より細くなった胴回りとじんわりと伝わってくる体温に涙腺が緩む。

 頭に降ってくるキスの雨に顔を上げると、アキラの目が細く眇められた。


「キスしたい。……いいか?」

「う……んっ」


 小さく頷いた途端に噛みつかれた。たばこの香り。

 目を閉じると、体がふわりと浮いた。

 扉を開ける金属音。途端にたばこのにおいがきつくなる。

 鍵を閉じる音。

 キスで唇を封じられたまま靴をぽいぽいと脱がされて、部屋の中に運ばれた。

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