態度を直せない男篇-1 謎の邂逅
※本作品はフィクションです。自殺を幇助するわけではありません。
また、自殺しても自殺シミュレーションの世界に行けるわけではありません。
本当に死んでしまいますのでおやめください。
都内のとある交差点。男は一人、虚空を見つめるようなうつろな目をしていた。
桜田通りであることも相まって、昼間にもかかわらず車と人は多い。
白昼の最中。昼休みも過ぎて、午後の仕業も始まっている頃だというのに、男は一人で交差点の横断歩道の前に立っていた。
その男は、目の前の歩行者信号が青であるにもかかわらず、一向に信号を渡ろうとしない。
信号が点滅しても、急ぐ素振りを見せなかった。
耐えかねたかのように歩行者信号が赤となっても、男は微動だにしない。
目の前の車の信号が青となり、赤信号で止まっていた車が急ぐかのように走り出す。
停まっていた車が掃けたと見受けられるや否や、男は歩み出していた。
歩行者信号は、言わずもがなの赤信号。
その最中、男は横断歩道を渡りだす。
そして、信号に従って進もうとしていたトラックが―――その男の上を通り過ぎた。
「本日をもってここでの契約は打ち切りとさせていただきます」
オフィスビルの休憩所で、男はそう上司から宣告された。
「理由はわかっているよね?」
上司の問いかけに、男は淡々とした応答をする。
「…勤務態度が悪かったこと、ですよね」
男は仕業自体はそつなくこなすが、その勤務態度は以前も指摘されたばかりであった。
「分かってるんだったら、なぜ修正できなかったのかな」
男は返す言葉もなかった。全て自分が悪い。それが痛いほど、よく理解していたからである。
「…この後、私はどうなるのですか?…もうクビですよね。注意されたことなのに、できなかった。こんな私が、会社に残れるなんて、どうかしているんですよ」
男は悟ったかのような口調で吐き捨てた。
「次の仕事先が決まるまでは自宅待機という形になります」
こうなったことについて後悔はあるか、と上司に問われた男は、さらに吐き捨てるかのように上司に言った。
「後悔自体はあります。ですが、勤務態度を直せる自信はありません」
そう言い切られると困る、と上司は怪訝な表情を見せた。
しかし、男の態度は変わらない。
「…トラックにでも飛び込めば、けじめは付けられると思います」
突然の告白に、上司は困惑の表情を見せた。
「いきなりそういう方向に話を持って行かれるのはこちらとしても困るんだけどね。極端すぎるんだよ」
「極端で大いに結構です。どうせ私なんて生きる価値などないんですから」
上司は何とか男を説得しようと試みたが、結局男の心を覆すには至らなかった。
「異動はよくあることだ」
別の上司からは慰めの意を込めてそう諭された。
しかし、男の表情は暗いままであった。
現在
「…私は、どうせもうだめだ。生きる価値など微塵もあるわけがないんだ…」
そう呟きながら、男は信号を無視して横断歩道を渡る。
彼の意思は最早固いものとなっていた。
自身のしたことに対して、後悔よりも諦観の方が強かった彼なりのけじめ。
彼はそんな彼自身の不甲斐なさに蹴りをつけるべく、生を捨てる決断をした。
彼の予想通り、彼の元に猛スピードでトラックが突っ込んできた。
男はむしろ安堵の表情を浮かべ、自らにかかる災いを全て受容するつもりで、撥ねられた。
―――ああ。苦痛は全くない。これが旅立つということなのか。死ぬときは苦痛が避けられないと噂に聞いていたが、まさかここまで呆気ないものだとは。これで、少しはけじめをつけられたのだろうか。これ以上、他人や会社に迷惑はかけたくないし、私は潔くここで旅立つんだ。そこに後悔は、微塵もない。
「本当に、そう思っているのですか?」
完全な暗黒の中。男の耳には、確かにそんな声が響いた。
―――誰だ。何のつもりだ。私は死んだんだ。確かに死んだはずだ。この期に及んで、私に何の用だ。
男は無関係を装った。
「後悔、していないんですか?」
またしても男の耳に声が響く。
男は無関係を装い続けた。
「馬鹿な事を言うんじゃない。後悔どころか既に諦めたんだよ。もうどうしようもない、ってな!」
男はそう口にした後、ふと実家の両親のことが頭をよぎった。
「…後悔が無いと言えばうそになる。だが、後悔以上につけなきゃいけないけじめの方が重要なんだ。だから私は死を選んだ。それが、不甲斐ない私に対する相応の罰だと思ったからだ」
男は俯きながら声を絞り出した。
「そうですか。ならば」
不気味に笑ったかのような口調に変わった謎の声は、次いで男に衝撃的な一言を与えた。
「一度、死んでみたらどうでしょう?」
衝撃。不気味、不思議、驚愕、それを通り越すような衝撃が、男を支配した。
「お願いします。もう今の私には辟易しているんです。勤務態度を改められない私ですから。こんな私が死んだところで、誰も悲しまないでしょう」
男はかえって懇願した。死ねるなら本望。
不可解な現象だが、男にとっては有り難い話であった。
しかし、今度は返答がなかった。
その代わりに、男の目の前が、漆黒から純白へと姿を変えていった―――。
「ん…?」
男は、何故かベッドで寝かされていた。
男は目を開けると、普段と何も変わらない病院の光景が飛び込んできた。
「ここは病院?…まさか、死ねなかったのか?」
男は周囲を一瞥した。どうやら点滴は刺さっていないようだ。
これならいくらか歩き回ることができそうだ。
男は近くを探すと、ベッドの患者名を差すプレートに名前が記載されているのを見つけた。
「副島弘昭殿」
プレートにはきれいな楷書でそう書かれていた。
もはや男にとっては見飽きた、自らの名前である。
「ははっ。トラックに飛び込んだというのに、死ねなかったのか。ざまぁないな」
弘昭はそう呟くと、ベッドに腰を掛け直した。
どうみても死んだはずなのに、なぜ未だに生きているのか。
弘昭にとっては不思議でならなかった。
「いーや、あんたは確かに死んだはずじゃ」
突然、隣のベッドから声が聞こえてきた。
カーテン越しで姿は見えないが、声の感じから、どうやら高齢者であることが想像された。
「どういうことです?現に私は、こうしてどこも損じることなく生きてますが」
弘昭はどこも悪くないという素振りを見せた。
「それじゃ、あんたはここがどこだか知っておるのか?」
老人からも、弘昭のシルエットが見えているらしい。
流暢な会話が成立していることに、弘昭は驚きを隠せないでいた。
「どこって…ここは都内のどこかの病院じゃないんですか?」
都内で撥ねられた弘昭にとって、それしか思い当たる節はなかった。
「そうかい。あんたは都内で死んだんじゃな。じゃあ、沖縄で米軍ヘリの墜落に巻き込まれて死んだ儂は、なぜここにいるんじゃろうな?」
老人は怪訝な声でそう投げかけた。
「え、死んだ!?あなたもですか!?というか、沖縄で!?」
弘昭には、老人が死んだことにも驚いたが、なぜ沖縄で死んだという老人と同じ病室にいるのかが理解できなかった。
「わしだって驚いとるんじゃ。じゃが、儂は確かにヘリの墜落に巻き込まれて死んだ。それは間違いない事実じゃ」
老人の声は真剣で、弘昭には法螺を吹いているようには聞こえなかった。
「私はトラックに飛び込んで、撥ねられて死んだんです。…ところで、変な声が聞こえませんでしたか?」
弘昭は自身の死因を語りつつも、少し前から自身に起こったことを老人に話した。
後悔はないのか、一度死んでみるか、などと変なことをのたまっていた謎の声が聞こえた。
それを聞いた老人は、神妙そうな声で弘昭に語りかけてきた。
「…これは、わしの孫から噂で聞いたことなんじゃ。信用できるかは疑わしいのじゃが…」
弘昭は老人の次の言葉に備え、姿勢をいつになく正して臨んだ。
「自殺シミュレーション。あんたは、これについて何か知っておらんか?」
自殺シミュレーション。
そんな言葉は初耳だ。弘昭は老人にそう答えた。
「そうか…」
老人は若干肩を竦めるような素振りを見せた。
「わしも噂にしか聞いたことがないから、詳しいことは知らん。なんでも、死を決意した者のみが体験できるというシミュレーションらしい」
そんな馬鹿げたシミュレーションが存在するのか。
弘昭はそう笑い飛ばすかのように言った。
「そうじゃな。確かに馬鹿げておる。しかし、だとしたら、なぜ死ぬときに何も苦痛を感じなかったのじゃろうな?」
弘昭にとっても一瞬謎に感じた疑問を、老人が再度投げかけた。
「儂は長く生きておる。それゆえに、死の淵を彷徨うことは何度もあった。得てして、死の淵というのは苦痛が伴うものじゃ。しかし、いざ実際に死ぬとき、何も苦痛を感じないというのはおかしな話じゃろう」
弘昭は納得した表情を見せるも、そんなことはどうでもいいと断じた。
「まぁ、あんたみたいに、もう死んでもいいと思った人間にとってはそうじゃろうな。しかし、儂は死ぬことに対して意図的になったことはない。少なくとも、ヘリが墜落してきたときも、何とかして生き延びようと思った。…結果はこのザマじゃが」
流石に話し相手の名前が分からないのでは話し辛い。
弘昭は老人がいるベッドのネームプレートを覗いた。
「だとしたら、ここは死後の世界なんでしょうか。初狩さん」
「重範さんで構わん。この初狩重範、こないだ喜寿を迎えたばかりじゃが、若い者にはまだ負けん。そのつもりで生きてきたが、どうやらここらが潮時だったらしいのう」
流石に死には逆らえないことを嘆いたのか。
老人の口調は先の弘昭のそれになっていた。
「ここは確かに死後の世界です。でも、あなたたちは死んだわけではありません」
今度は幼気な少女の声がした。
弘昭と重範は誰だ、と言わんばかりに、声がした病室の扉の方に向き直った。
そこには、年端もいかない少女がいた。
漆黒のドレスに身を包み、黒い髪のツインテールであるその少女は、見たところは小学生ほどの背丈で、年齢的にもそのくらいであると感じ取れた。
目には光が宿っていないようにも見受けられたが、機械的に喋っているわけでもなさそうだった。
「自殺シミュレーションの世界にようこそ。副島弘昭様と、初狩重範様ですね。ついて来て下さい」
彼女は手招きをするかのような素振りを見せた。
弘昭と重範は、様々な謎があることを怪しく思いながらも、彼女の手招きに応じて、病室を後にした。
本作品は初投稿です。
右も左もよく分かっていませんし、文章も拙いですが、一読して頂き幸いです。
第一話はとりあえずこのくらいかなと思って投稿しました。
短いか長いかと言われると多分短いです。
いろいろと模索していって、軌道修正していければと思います。