神はいないが、悪魔ならいるようだ
本日五度目です。多分
セリア・ネーヴィアは前世の記憶があるだけの、普通の女の子だ。
家族のことは好きだし、格好良い男の子に言い寄られたら動揺するし、ぼっちは嫌だと奮闘する。
極めて普通の女の子だ、と本人は思っている。
どこの世界の普通の女の子が気晴らしに飛行機開発したり内乱起こさせて一国落とすんだとツッコまれようが、本人はそう思っている。
前世の彼女は、変人ではあったが、飛び抜けて優秀なわけでも、取り立てて好かれる人間だったわけでもない。
変な雑学知識は豊富で、食に興味はなく、面白いことをこよなく愛し、友人は少なく、それなりに苦労もして、普通に生きて、あっけなく死んだ。
ゲーム補正がよかったのだろうか。
幼少期から詰め込んだのがよかったのだろうか。
平凡な彼女は異端と呼ばれる鬼子に、馬鹿な悪役は天才と呼ばれる鬼才になった。
しかしそれでも、彼女の周りには忌み子も天才もいたため、それを意識することはなかった。
あくまで、自身を何でもない人間だと思い続けてきた。
どこぞの同類のように、飛び抜けて賢いわけではない。前世の分、年の功と異界の知識があるだけだ。
どこぞの兄のように、取り立てて愛されているわけでもない。悪役であるし、自分の性格が悪いのは皆認めることである。
どこぞの宿敵のように、特別才能があるわけでもない。幼少期からの積み重ねと、前世知識とゲーム補正があるだけだ。
どこぞの馬鹿のように、とてつもない異端なわけでもない。あそこまでぶっ飛んではいない。自分は常識人だ。
どこぞの天使たちのように、とびっきり美しいわけでもない。ゲーム補正で美人ではあるが、あのヒロインたちの公式お墨付きの美貌には敵うはずがない。
大人と仲はいいが、それは精神年齢が近いからだ。
取りざたにされるほど、特別な人間ではない。
そう思っている。
事実、計画が崩れたら『どーにでもなーれ』と自棄になって試合放棄するし、逃げ出したりもする。そういうメンタルの弱い側面もある。その結果、逃げ出して距離を取った上で助走を付けてドロップキックを決めるような人間でも、逃げたことに変わりない。
いくら周りが囃し立てようが、本人が自負しているように、歳相応のところも弱いところもある。
それが顕著に現れたのが、今回の騒動だ。
「あの、私、あなたのことが嫌いです」
登校してそうそう、どうして昨日他人宣言したリリーとレイヴァンに申し訳なさそうに話しかけられるのか、そんなことを言われるのか、セリアにはわからなかった。
「何でも出来て、色々なものに恵まれているあなたが、妬ましいです。きっと、私のほうが、あなたのことを嫌っていました」
へー、あっそう。どうでもいいけど。ていうか好かれてるなんて思ってないけど。
セリアはその日の朝食のメニューを思い出していた。
「変な人だって嫌って、歩み寄ろうともしなくて、昔の出会いを忘れてたのは私のほうなのに、それに罪悪感を感じることもありませんでした」
なんか勝手にそういうことになってるけど、ゲームとか説明出来ないからあえて正さないけど、あなたと昔会ってたなんて事実は一切ないわよ。
セリアは放課後の予定について頭の中でチェックし始めた。
「名前を呼ぼうともしないで、恵まれてるからって、愛されてるからって、嫌ってました。あなたの苦労や美点なんか、見たくないって、無意識のうちに目を逸し続けていました。……こんな態度じゃ、あなたが嫌うのも、当然ですよね」
本当にねー。
セリアは窓の外の雲を眺めていた。
「でも、…それなのに、あなたに守ってもらってました」
はい?
「平民なのに、こんなにも学校に馴染めたのは、あなたのお陰です。昨日も、守ってくださいました。忘れていたのに、覚えていてくださいました。あなたのお陰で、クラスの方々が優しいんだと、会長がおっしゃってました。あなたは私を心待ちにしていたと、ジオルク・ウェーバー様が教えて下さいました。あなたは厳しくも優しいんだと、レイヴァン殿下は、ずっと、そうおっしゃってました。……今まで、ありがとうございました。身の程知らずに、あなたの気持ちも知らずに、レイヴァン殿下を好きになって、ごめんなさい」
頭を下げるリリー。
セリアは、死んだ目でそれを見ていた。
「幸せにします。あなたの思いを無駄にしないように、これまであなたが守ってきたように、今度は私が守ります。絶対、幸せにします…!」
あら、これって『娘さんをください』ってやつなのかしら。後ろで黙って控えてるけど、レイヴァンはそれでいいの?あなたヒモまっしぐらよ?自覚ある?
セリアは口を抑え、ふるふると震えているジオルクをじろりと睨んだ。あの笑いをこらえている男が主犯か、後で締め上げよう、と思った。
セリアは、この段階ですでに『無視する』を選択している。ジオルクが予想した通り、うっかり守ちゃったものだから、どうでもよくなって無視することに路線変更したのだ。元々、殺そうという決断も阿弥陀で決めたものだ、趣旨替えに躊躇いはなかった。
だから現状、セリアはこの二人に関わる気がない。関わりたくないし、やる気もない。「あっはい」とか言いつつ逃げ出したいと、心から思っていた。昨日までの、リリー憎しのセリアなら言い返して論破してついでに嘲っただろうが、もうそんなモチベーションはない。ひたすらに面倒くさい。
いやだって、私レイヴァンの親とかじゃないし。元婚約者だけど、それだけだし。幸せにしますとか言われても困るぅー。マジ困るー。
セリアは思い、そして、考えるのを、やめた。
「……王太子様」
「へ!?ど、どうした!?」
「どうもしておりませんわ。臣下たる身として当然の態度です。…私は、昨日、王太子様方とは他人だと申したのですが、何をお望みでこのようなことをなさっているのですか?」
「何をって…」
「王太子様とその寵姫様が、私のような一臣下に過ぎぬものに謝罪など、なさるものではございません。尊き者は、尊くあられてくださいまし。何をお求めで、私にお声をかけられたのですか?」
「…あの…そういうんじゃ、なくて…」
セリアが考えるのをやめてしまったのでレイヴァンに移る。
レイヴァンは、初めて出会った時から傍若無人で敬いもしなかったセリアに急にこんな態度を取られ、困惑していた。親だと言うほど、セリアを自分の上だと認めていたのに、怒りもなく淡々と、当然のように尊ばれて、どうしていいのかわからなくなっていた。
「私はこの国の忠実な臣下でございます。さあ、お望みがあるならおっしゃってください。私の力が及ぶ限り、なんでも、叶えましょう。これまでの態度への謝罪を欲するなら、這いつくばって謝罪いたします。敵は失せろと命じるのなら、王太子様方の視界から消え失せましょう。敵を打てと望むのなら、誰であれ消して来ます。それで、王太子様方は、私に何をお望みなのでしょうか」
「えーと…だから、許して欲しいっていうか…」
「では許します。王太子様方のこれまでを、これからを全て許します」
「あー、いや、だからそういうんじゃなくて、セリアの本心でっていうか…あの…」
「私はいつでも虚心でございます」
「……ジオルクー」
レイヴァンが泣きそうな顔でジオルクに助けを求める。
肩を震わせて笑っていたジオルクも、さすがに可哀想になり助けようとするが、
「―――手ぇ出したら殺すわよ」
セリアのどすの利いた声で押しとどめられた。
「セリア、やっぱり怒ってるのか?」
「まさか。そんなことはございませんわ」
しかしレイヴァンに話しかけられると、ころころと笑う。
他人行儀に、作り笑顔でそうあしらわれる。
おかしい、とレイヴァンの背筋が冷たくなった。
「あの、セリア、…いつもみたいに、してよ。なんか、そういうの、やだ」
「いくら王太子様のご命令でも、それはできかねますわ。誇り高き公爵家の娘として、そんな無礼はできませんもの」
「……いつもしてたぞ…」
レイヴァンがぼそりと言ったが、セリアに「何か?」と微笑まれ、黙殺された。レイヴァンはそれを、『あー、この振り回される感じ、いつものセリアだー』と思い、懐かしんだ。
レイヴァンも、親から捨てられようとしていると、薄々感じ取ってはいた。
だが認められず、『じゃあセリアが対応出来ないぐらいの無茶を言えばいつもみたいに怒ってくれるかもしれない』と考えた。
レイヴァンの知る中で、セリアが感情的になるようなキーワードは色々ある。セリアは冷静なようでぶっ飛んでいて、冷ややかなようでよく笑う人間だ。長い付き合いの中で、それはわかっていた。
記憶の中の彼女は、怖くて、強くて、意外性の塊で、綺麗で、変なところ子供っぽくて、誇り高くて、楽しそうに笑っていた。
最後まで一人の女の子として見ることはできなかったが、一人の人間として、大好きだった。
これからも、一緒にいたい。
そんな思いで、レイヴァンは言った。
「……じゃあ、お願いなんだけど、―――リリーと結婚したいから、助けて」
出来ないだろう、と思っていた。
セリアはとことん、自分を切り捨てるぐらいリリーのことを嫌っているし、昨日はジオルクに言いくるめられてしまったが、リリーは信じたようだが、セリアの性格上、あれは完全に嫌っている。守ったのだって、多分、別に何か理由があったからだ。
だからこれには『嫌よ』とか嫌悪感丸出しに吐き捨てるはずだ、とレイヴァンは思った。
長年付き合っていただけあり、その考察は的を射ていた。
しかしレイヴァンが考える以上に、セリアは先を突っ走っていた。
「ご随意に」
セリアは何でもないように答え、鞄から書類を出してきた。
「こちらが、リリー・チャップルを陛下の従姉妹様の御子だと証明する書類です。こちらはそれを了解した旨の書類です。両陛下と第二王子、祖父を筆頭とする宰相室の方々、大臣方が認め、ご署名してくださいました」
王家の印が描かれている書類を、ぱさりと机に置くセリア。
さすがにジオルクもそこまで予想しておらず、レイヴァンやリリーはいわずもがな、クラス中静まり返った。
セリアはその空気の中、にこりと笑う。
「これで、たった今からリリー・チャップルは王族の末端になりました。おめでとうございます」
「………え」
リリーはセリアを見て、怯えているように、ふるふると首を振り続けながら後ずさる。
「ちがい、ます…わたし、そんな…ちがいます…ちがいます…」
「ええ、違います。あなたは正真正銘、ただの平民です。高貴な血など一滴たりとも入っていません。けれど、―――事実は作れるんですのよ?」
ご存知ないの?と、セリアがくつりと笑った。
話は、セリアが高等部入学後初めて後輩と会合した翌日に遡る。