このくそったれた世界に神はいない
本日四度目です。眠くてタイトルが適当になるけど今更新しないとまた忙しさにかまけてしないからやるけど眠い。
リリー・チャップルは孤児である。
幼いころ、教会の前に捨てられていた。以来、教会で育つ。
取り立てて頭の回転が早いわけでも記憶力に優れているわけでもなかったが、学習能力が高い子だった。犯した間違いからしっかり学び、二度と繰り返さないようにする子だった。
また、感受性が高い子でもあった。他人に深く同情したり、逆に気に入らない相手と取っ組み合いで喧嘩したり、感情豊かな子供だった。やや早合点しがちなところもあったが、概ねは子供らしい、利発で優しい子だった。
その教会の人間は人が良い者が多かった。だから、半ば孤児院として捨てられた子供や行き場のない子を育てていた。その兄弟の一人としてリリーも育てられた。
経済面で苦労する大人たちを見て、親に捨てられ泣き叫ぶ兄弟たちを見て、彼女は思った。
『どうしてこんなに世界は不公平なんだろう』
『綺麗な服を着て優雅に暮らしてる人もいるのに、なんで私達はこんなに苦しまなきゃいけないんだろう』
『神様がいるなら、どうして私達を救ってくださらないんだろう』
教会で何時間祈っても、神が降りてくることも、啓示や恵みをもたらしてくれることもなかった。
毎日祈っても、神の恵みに感謝しても、何も変わらなかった。
生活は苦しく、兄弟は増え、救いの手を差し伸べられることはなかった。
『神様、どうしてですか』
『ああどうか、この身を、この生命をあなたに捧げます』
『だから、私を救ってくれた家族を、助けてください』
『私のような、愛されない子供を一人でも少なくしてください』
彼女は一晩中祈った。
それでも、何も変わらなかった。
彼女は悟った。この世に神はいないんだと。
教会なんて権威の象徴で、宗教は洗脳の手段で、死を恐れる子羊への慰めなんて、俗世の金で穢されてしまっているんだと。
天罰は下らないし、神の恵みもない。
あるのは、飢餓と苦悩だけだ。
希望なんて、救いの手なんて、ないんだ。
だから、いもしない神に祈る時間があったら、私が家族を救おう。
彼女はそう決意した。
教会はただの看板。でも、ちゃんとした神官がいればその看板で寄付も集まる。今日のご飯が食べられる。
畑を作れば食べ物が出来る。草花は心を癒してくれる。下手だけど、やりがいを与えてくれる。
後ろで泣く兄弟たちは私の励み。彼らを守るために、私は強く正しくあらなければいけない。彼らを守るためと思うからこそ、頑張れる。
拾ってくれた大人たちは私の糧。彼らに楽をさせてあげるために、名誉と賞賛を捧げるために、身を削って学を為す。私の誉は全部、彼らのもの。
弱者に施しを。そうやって施されてきて、私がいる。あの時受けた施しを、今度は別の誰かに。
驕るものに叱咤を。弱者の言葉を聞き止めてくれない神はいらない。いない。神無き世界で蔓延る罪に、警告を。罰を。
愛なきものに愛を。人は愛されないと生きていけない。望まれない子だった私は、無償の愛を受けた。だから今度は私が、愛を返そう。
非情なものに嫌悪を。私や兄弟たちを捨てて行った親は、憎い。産んだのに愛さなかった親を許せない。私達を苦しめる根源に、目いっぱいの軽蔑を。
彼女はそうやって生きてきた。
そして、神学を学ぶために特待生として高等学校に入学して、
「私、あなたのことが嫌いよ!」
そこで出会った、高飛車なご令嬢。
周りから愛され、しかしそれを蔑ろにし、弄んでいる恵まれた子供。
天から愛され、二物も三物も与えられた女の子。
彼女は、久々に神を嘆いた。神を詰った。
『どうして彼女があれほど恵まれているのですか』
『どうしてあんな、驕っている人間に、非情な人間に、下衆な人間に、あれほどのギフトを、恵みを与えられたのですか』
『貴族最上位で、容姿や頭脳にも恵まれ、良き家族に囲まれ、友や恋人に愛されて、何故そこまで愛されたのですか』
『あなたを背いた私は良いにしても、日々を一生懸命に生きている家族たちには、何も下さらないのに』
『何故、彼女はあなたに愛されたのですか』
『何故、あなたは家族を愛されなかったのですか』
『どうして私達にだけ、これほど試練をお与えになるのですか』
『どうして…どうして…』
『彼女のほうが正しいと、おっしゃっているのですかっ…?』
決して天才ではなく、机に齧りついて勉強したリリーは、天才肌のセリアを妬んだ。
実の親に捨てられたリリーは、家族仲が良いセリアを羨んだ。
着飾る金もないリリーは、豪遊するセリアを嫌った。
自分のためではなく家族のために生きることを選んだリリーは、自由に振る舞うセリアを疎んだ。
愛されなかったリリーは、愛されているセリアを憎んだ。
弱者に施しを。―――アルバート・シュペルマンに助力を。ヴィオラ・シュペルマンに同情を。
驕るものに叱咤を。―――スカイ・ボルナノフに諫言を。貴族だからと威張る彼らに反発を。
愛なきものに愛を。―――レイヴァン・サルトクリフに休息を。エリオン・サルトクリフに提言を。
非情なものに嫌悪を。―――セリア・ネーヴィアに最大限の憎悪を。
リリーは綺麗なだけの人間ではない。
自分が汚くなっても、大事な人たちに綺麗でいてもらいたいだけ。幸せに生きていて欲しいだけ。
そのために突っ走って勘違いしても、それを直していけばいい。直して学んで、進んでいけばいい。ゆっくりでも、進んでいれば良い。
そうやって迷走しながら、時に逆進しながら進むリリーの横を、彼女たちは颯爽と、迷いなく駆けて行く。
地力が違う。
迷い悩んで選んだ結果、間違ってしまって、それでも正しているリリーなんかに目もくれず、迷いなく正解を抜き取って邁進していく。
神様。
ああ、神様。
あなたを、恨みます。
やることなすこと間違いで、それを指摘され続けて、結局彼女が正しくて、―――どうして、こうも世界は厳しいのですか?
私だって努力しました。でも、彼女のあの様子を見ていて、おかしいと思うのは間違いなのですか?例外が初めに当たった、私の不運が悪いのですか?
何度も何度も、私が間違ってるって、私が悪いって、責められる。
好きな人が出来てはいけませんか?優しくて頑張り屋さんなクラスメイトに惹かれてはいけませんか?あんな素敵な人を、好いてはいけないのですか?身分なんか、貴族の苦労なんか、知りません。だってあなたたちも、平民の、貧乏人の、捨て子の、苦労なんてわからないでしょう。苦労した苦労したって、私だって、苦労して来ました。
誑かしたとか言われても、皆さんが優しくて許容してくださっただけでしょう?目新しさで落とした?その目新しい世界で優しくしてくれる手を、新参者が振り払えるとでも?私にとっても、こんな世界、飢えも苦しみもないこんな世界、目新しすぎて、目の毒でした。
私は天才なんじゃないんです。ただの、平凡な庶民なんです。
町を歩いてみてください。私のような境遇の子も、私のような考えの子も、腐るほどいますから。凡人で十人並みで、どこにでもいるような子供なんです。
間違えたらいけないとか、知りません。皆さんが受けていた英才教育なんて、受けてないんです。暗黙の了解って、言われなきゃわかりません。察することなんか、出来ません。期待されても、皆さんみたいになんか出来ません。彼女みたいになんか、なれません。右も左もわかりません。不敬だ不遜だ弁えろって、そんなの、私が一番弁えたいです。でもどうしたらいいかわからないんです。誰も、教えてくれないから。教えて貰うのを待つなんて甘えだなんて言われるから。
誰か助けてって、泣いて、帰りたい。
庶民がこんな学校に入学したのが間違えだったんだ。
帰りたい。家に帰りたい。
リリーは悩んで、弱って、それでも学校に来ていた。
あのパーティの翌日も、セリアと顔を合わせたくないと、吐きそうだという泣き言を飲み込んで、いつも通りの顔で来ていた。
そして、放課後。
レイヴァンと話していたらジオルクと出会い、さらにスカイを慰め終わったセリアと合流して、幼なじみたちの中で身の置きどころがなくてそっと輪から外れていた。
そこに、アルバート・シュペルマンが来た。
見知った顔に、リリーも気分が高揚した。
アルバート・シュペルマンも、いつも通りほわほわしながら駆けて来て、
コケて、
劇薬が手から離れて、
輪からやや外れていたリリーめがけて、薬品が舞った。
スローモーションのようなそれを見ながら、リリー・チャップルは思った。
―――やっぱり、神様なんていないんだ、と。
***
放課後、花壇の近くでレイヴァンとリリーは話していた。
「そういえば、リリーは土いじりが趣味って言ってたな。じゃあこういう花も好きなのか?」
「はい、好きです。でも…自分で育てるのは苦手で…」
「……そうなのか?」
「下手の横好きなんです。だからすぐ枯らしちゃって…」
「―――お、レイヴァンか」
そこに偶然通りかかったジオルクが声をかけてきた。
「あれ、ジオルク、どうしたんだ?」
「いや、特に用はないが……レイヴァン、達者でな…」
「俺に何が起こるんだ!?そう言われるようなことが起こるのか!?」
「……本当に悪いが、お前のことは大事な友人だと思っているが、下手に庇ってあいつに嫌われる方が怖い。悪い」
「セリアが何かするの!?やめて!」
「………元気でやれよ」
「優しくしないでー!」
「……あら、元気そうね」
そして、主にレイヴァンとジオルクで軽く話しているところにセリアが入ってきた。
「ん?やけに疲れているが、どうした?」
「……スカイを泣かせてきたのよ…もー、酒でも飲んでるのかってぐらい絡んで泣いてきて、大変だったわよ。ここぞとばかりに説教とか始めるし」
「………えーと、お疲れ様です。ごめんなさい。ありがとうございます」
「いいわ、あなたのせいじゃないもの。あの女のせいだもの」
「それを『あの女』がいる前で言うんだよな…さすがセリア…」
「こいつだからな」
「そろそろ、本気で殴るわよ」
わいわいと話す三人。
リリーは入れず、そっと一歩引いた位置で見ている。
「あ、リリーさん」
そのリリーに、アルバート・シュペルマンが声をかけた。
昨日のことでリリーはややためらったが、何も変わらぬその笑顔に、なんだ、あれは私の自意識過剰だったんだ、と安堵して「先生、こんにちは」と挨拶をした。
「あっ…!」
そしてアルバート・シュペルマンが、コケた。
その手に何か薬品を持っていたことが見えた。ラベルに『HCl』と書かれていたが、それが読み取れても何も好転しない。
アルバート・シュペルマンは、セリアに命に関わるようなときにはドジらないように、徹底的に躾けられている。ドジるわけが、転ぶわけがない。―――わざとでもない限り。
それを裏付けるように、薬品は過たずリリーの頭上に撒き散らされる。
「………え」
呆然とした、リリーの声が漏れる。
諦念のような、絶望のような色に染まる。
そのリリーの横を、颯爽と一陣の突風が通過した。
リリーなど視界にも入れず、何も出来ないリリーを追い越して、―――セリア・ネーヴィアが駆けていた。
この時、セリアは殺気を感じて即座にその殺気が飛んできた方向、アルバート・シュペルマンのほうを向いていた。
そしてわざとコケる元家庭教師を見て、その手から離れる劇薬を見て、反射的に行動していた。
セリアは癒し系教師の劇薬攻撃を、かなり警戒していた。『舞い散る劇薬避けろとかどんな無理ゲーなのよ』と本気で頭を悩ませて対策を考えていた。癒し系教師のハッピーエンドでは、悪役令嬢はそれまでの悪行により追放されていたが、そんなものを信じられないと、癒し系教師が攻撃してきても大丈夫なように備えていた。
姿が見えず、気づかないうちに完全にフラグを折ったような暗殺者より、両陛下を抱き込んだ上での王太子の権力より、すでにほぼ自立している身での勘当より、薬品攻撃を恐れ、警戒していた。
だから、その光景を前にして、考えるより先に動いていた。
スカートをむしり取り、その上っ面に折り返されてくっついていた大きな布を空中に広がるように投げ、近くにいて今まで何度も借りているために慣れていたレイヴァンの剣を取り、布の中心を突くように剣を突き出し、そのまま駆けた。
そう遠くもない、セリアが一足飛びで行けるぐらいの距離にいたアルバート・シュペルマンの元へ。
直前に目視で確認していた胴の、心臓の部分を狙って、布ごと突いた。
「ぐっ…!?」
しかしアルバート・シュペルマンはコケて倒れている最中で、そのため狙いが逸れ、切っ先は喉のすぐそばを通過し空振った。
セリアは、『飛び散る液体を避けるのは不可能。一応愛刀はパラソルに仕込むことで防げるようにしておくけど、パラソルは学校にもっていけない。じゃあ代わりに防ぐ壁を作ろう』と考え、ドレスのスカートに一枚、強く引っ張れば取れるように布を足した。布の長さの関係で折り返されて二重になり、二枚分の厚みが加わったが、元からペチコートなどでふんわりさせているドレスだ、多少ボリュームが増えたところで影響はない。
布で空中の薬品から身を守り、その布が落ちて自分に被さる前に吹っ飛ばす。
計画通りに行き、セリアは勿論、その前に布が劇薬を持っていったためリリーも負傷はない。
しかし、劇薬を吸った布が喉の真横を通ったアルバート・シュペルマンはどうなのか。
真横を通った布は、その後重力に従って落ち、アルバート・シュペルマンの体に覆いかぶさる。
「わぁああああああ!!」
アルバート・シュペルマンは、慌てて退いたが、肌が炎症でも起こしたように爛れた。
だから、『薬品がかかったら水で洗い流す』という、薬品を扱う人間にとっての反射レベルでの常識を実行するため、水場まで駆けて行った。
しん、と静寂が落ちる。
さすがに、いくら突拍子もない奇天烈人間が傍にいたレイヴァンとジオルクでも、これには目を見開いて固まっていた。事前にアルバート・シュペルマンの殺意を目の当たりにしていたジオルクでも、目の前で起きた出来事を処理しきれなかった。
リリーも、呆然としていた。
突然の危険を、横合いから出てきてそれから自分を守ってくれた令嬢の背中を、見ていた。
「―――レイヴァン」
そして、最初に動いてその沈黙を破ったのは、やはりセリアだった。
くるりと振り返り、つかつかと名前を呼んだ彼の元へ歩いて行った。
かちゃん、と器用に剣をレイヴァンの鞘に戻し、
「あの子を選んだんだから、もう一切合切私に頼ってこないで頂戴ね。―――たった今から、私達は他人よ」
そう言って、そのまま歩き去った。
ますます混乱して処理不能を起こす残された三人。
リリーとレイヴァンは未だアルバート・シュペルマンからの殺意を理解していないぐらいで、本当に頭が追い付いていなかった。
そのため、この場で一番理解が早かったのは、当然ながらジオルクである。
事前にアルバート・シュペルマンの殺意を見て、セリアの選択肢を聞いていたジオルクは、大体の事情を察した。
さすがに、ゲームであったから、なんて理由で警戒し続けていたのまでは読めなかったが、アルバート・シュペルマンの殺意を見たから今日は警戒していた、という理解でも矛盾はしないので、そう処理された。
「……危なかったな。しかし、普段殺す憎いと言っておきながら、いざとなったら守るなんて、あいつも中々ツンデレなやつだと思わないか?」
ところで、セリアが転生者であることで色々な影響が出ているが、そのため丸くなったものも多い。
例えば、レイヴァン。ゲームでは俺様で原義のツンデレも素直になれないほうのツンデレも併せ持ち、正解の選択肢を選んでも間違いの選択肢を選んでも同じ反応しか返さないという、攻略本必須のキャラだったが、現実にはそんなことはない。我儘で警戒心が強いだけで、仲良くなればとことん素直に甘えてくる。ゲームより自重しないようになったが、気に入らないからと追放するようなことはない。やらかしたら弟に継承権第一位の座を取られるときちんと理解し、『俺が一番偉い』なんて自惚れを起こしていない。
例えば、エリオン。ゲームでの黒幕でありラスボスだったが、セリアがレイヴァンを躾け、バックアップしているために気持ちに余裕も出ている。国政も良くなったし、同類がいるし、しかもその同類が美味しいものくれるし、ゲームに比べれば子供らしくのびのびとしている。一人で暗躍せず、相談できる同類がいるというのは、それだけでエリオンの気持ちを楽にした。だから国取りなんか画策せず、邪魔者皆殺し、なんて言うほど極まっていない。
例えば、スカイ。オネェであることを隠しているため、本当の自分は受け入れられない、相手も何か隠しているかもしれない、いつか嫌われるかもしれない、逃げられるかもしれない、と不安をこじらせてゲームではヤンデレに進化していたが、セリアに全力で受け入れられ、病むまではいかなかった。独占欲が強い、程度にとどまっている。それすらも、フェミニストで、元々取っ替え引っ替えできるほどモテた男前なので、『あまり気持ちを押し付けても悪い』と見栄を張って隠せるレベルだ。
例えば、フランツ。セリアが馬鹿な妹ではなく老獪しすぎてる妹に変わったことで、コンプレックスが湧き悪影響を受けているようだが、その実それすらも糧にして邁進した。そうなると、ゲームより格段に家族仲も良くなり、腹黒ではあるが家族や身内を大事にする、良い意味での腹黒になった。振られたからと好きな相手を貶めたり、邪魔だからと妹を嵌めたりするようなことは絶対しない。
例えば、アルバート・シュペルマン。人工疑いではなく天然になったが、セリアにより躾けられたのであまり変化はない。しかし真性の天然モノのため、その分吹っ切れてしまっているが、悪意はゲームほどはない。少し怖がらせたらすぐに逃げ出す情けなさもプラスされて、扱いやすくはなった。
そうして丸くなった面々だが、では一番丸くなっていないのはというと、ジオルクである。
幼少期からなんだかんだでセリアと絡んでいたが、それでも丸くならなかった。
むしろ、化学反応を起こしてさらに尖った。
誰かれ構わず甚振るサドではなく、好みの相手のみ甚振るようになりはしたが、代わりに性格は悪くなり、行動的になった。
ノリが良く、現状を悪化させる愉快犯になった。
気持ちに余裕が出来、家の権利も、じっくりじわじわ奪い取るようになった。
フランツに救われて、『受け入れてくれる誰かがいる』という甘えから、あるいは『彼のためならなんでもする』という信仰心から、常識とか良心とかがプチ家出を繰り返すようになった。
セリアにちゃんと惚れて、ますます嗜虐趣味をこじらせて独占欲が強くなった。
しまいには、人を殺しても『まあいっか』で流すような、その筋の人間をそのぐらいの気持ちで殺せるほどの人間になった。
完全に逆成長である。
なんだかんだでヒロイン張っていたリリーやプレシアが、勘違い子になったり不憫になったりしたよりひどい成長である。
ヴィオラの吹っ飛びぐあいとどちらがマシか比べるレベルだ。
そんな、性格の悪い、フットワークもノリも軽いサド野郎が、この状況をどう思ったのか。
アルバート・シュペルマン用に対策していて、自分まで被害が来そうだからつい攻撃したが、結果的にリリーも守ることになり、潰すチャンスを逃がしたことの自棄で『無視する』に路線変更した、と、ほぼ正解な考察をした。
その上で。
―――じゃあ、とりあえず嫌がらせしないとな。
息でもするように自然に、嫌がらせをすることを決めた。
「え…それ…?」
レイヴァンが不思議そうに問いかけるのを、ジオルクは努めて真面目な表情で頷く。内心は『後であいつはどんな顔をするか楽しみで仕方ない』とニヤニヤしている。
「ああ。―――あいつは、その女のことが嫌いなわけで、ない」
「うそ…」
驚愕の表情のリリー。今まさに守ってもらったばかりでも、信じられないようだ。
ジオルクは『腕の見せ所だな』と無駄に張り切って真剣な声音で語りだす。
「あいつは昨日も活躍していた、あの腕の立つ密偵を子飼いにしている。本気で殺したなら、もっと早く殺しているんじゃないか?」
「それは…そう、だけど…」
「そもそも、あいつを本気で敵に回して、今の今まで生きていることのほうがおかしいだろう。あの馬鹿があいつを怒らせた時は、即日にでも潰そうとしていた。なのに、平民でもっと楽に潰せるはずのこいつには、何もしない。こんなこと、ありえないだろう。あいつはセリア・ネーヴィアだぞ?」
「確かに…」
セリアが聞いていたら、『次は殴るって言ったわよね?』とぶん殴りそうなことを話しているが、生憎セリアにここにはいない。殴るものもツッコミを入れるものもいない。
「それが、答えなんじゃないか?」
すなわち、ジオルクの独壇場だ。
「俺の話になるが、あいつは本気で嫌ならキスなんぞしたら後で殺しにくるようなやつだ。だから、いくら口で嫌いだと言っても、許容している以上脈がある、ということになる。
こいつの場合も、同じことじゃないか?
あいつはああいう、ややこしい好意の表し方をするやつだから、なんだかんだで許容しているんなら、言うほど嫌っているわけでもないんだと思う。
むしろ、…好いていると思う」
「っそれはありえないです!」
身分も忘れ、リリーが叫んでいた。そのぐらい、ありえないと思ったのだろう。
だがそんなものではジオルクは止まらない。重々しく頷いてしまう。
「ああ、一見、そうは見えないよな。
だが、あいつは、言っていた。自分が出会いたかったのはお前ではない、と。出会いたかったお前がいる、と。
お前も、お前と出会うことを壊れるほど待ち望んでいたあいつを、知ってるはずだ。
反転しても、ちゃんと好意はあったんだ。
忘れられていたからと殺意を抱くほど、お前のことを好いていたんだ。待ち焦がれていたんだ」
「でもっ…!」
「お前は、レイヴァンが惚れるぐらいには、良いやつなんだろう。そしてあいつは昔から半端なく聡かった。なら、お前が覚えてないぐらい昔に、お前らが出会い仲良くなっていたとしても、あいつがそれをしっかり覚えていても、不思議ではない。
あいつは、昨日自分で好き嫌いがはっきりしていると言った通り、好きなやつには甘くなる。幼いころに一度出会ったきりでも、全身全霊の好意で再会を喜ぼうと思うぐらいに。
その結果、忘れられて引かれたら、憎んでしまうのも、分からないでもない。
だから、最初は本気で憎んだだろう。今も、憎い気持ちはあるだろう。
だが、本気ではない。
お前があいつを避けていたら落ち着いていたぐらいで、気持ちの整理がつかないだけだったんだろう。本気で殺すなんて思ってなくて、落ち着いて考え直したくて、それだけだったんだ。
だから、周りを敵と遠ざけても、なんだかんだで交流していた。
お前を責め立てたのも、周りが勝手に暴走してやったことだろう?
あいつがお前にやったことといえば、昨日突っかかったことぐらいじゃないか?
十字架が盗まれたから気が立っていたのと、お前の指輪が紛れていて、レイヴァンへの親心で嫉妬して、そのぐらいだろう。
お前とレイヴァンがパートナー組んで来たから憎しみが溢れて態度が悪かったが、結局何をしたんだ?」
「何をって…リリーの指輪壊したし、リリーを見殺しにしようとしたぞ」
怪訝そうなレイヴァン。付き合いが長いだけあり、あれが見かけだけなど信じられないようだ。
「だが、助かっただろう?」
それをありもしない確信を持って迎えうつジオルク。
「あいつは、怨敵を殺すためならフランツを潰すことも躊躇わないような吹っ飛びすぎてる女だぞ?土下座させても、『で?』と見下すだけで終わらせるようなやつだぞ?本気で、フランツや俺の謝罪であの程度に納めたと思ってるのか?」
「…それはそうだけど…でも…」
「見殺しにしようとしたというのも、リリー・チャップルがレイヴァンの傍にいさえすれば危険などなかっただろう?レイヴァンとフランツは最優先で守れと言っていて、そのレイヴァンの傍にいたんだから。あいつの性格なら、レイヴァンと険悪になっていたし、じゃあレイヴァンごと殺せといいそうなものなのに。
その安全地帯から駆け出したのなら、そこまで守れというのは無理だろう。
あの時、一番近くにいたのは俺だが、セリアはど真ん中で派手に殺っていたし、気づいて手下に命じるには急すぎた。
一番近くにいて、駆け出すと同時に気づいた俺が駆けて、間に合ったぐらいだ。ど真ん中で命の取り合いしているあいつが気づかなくて、何が悪い。それに、その後、すぐに駆けつけてきただろう」
「それはジオルクを始末するためだ」
「違う。あいつは殺すと決めたら本気で殺しに来る。いつもならともかく、初めての実戦で疲れて消耗していた俺をやり損なうわけがない。最低でも剣ぐらい折っているだろう。
その後も、あっさり引き下がりすぎている。わざわざ駆けつけたのに、脅すだけで終わるなんて、あいつらしくない。
じゃあ、何のために来たんだ?
殺されそうになって泣いているかつての友が、気になったからじゃないか?」
「………まさか…」
レイヴァンが信じられないようにリリーを見る。
ちなみに、セリアが来たのは紛れもなく脅すためと、隙があればリリーと裏切り者のジオルクを殺すためだ。剣を折らなかったのはジオルクが気に入っていたからだ。ジオルクはそれをわかっていてここまで法螺を吹いている。
ついでに、セリアはそのイベントでジオルクがリリーに惚れると思っていたので、以後つきまとうなとはっきりさせるためもあったが、それはさすがにジオルクもわからなかった。
もう一つ脱線ついでに付け加えると、十字架窃盗犯は普通に給仕をしていた少年である。つい出来心で盗んだは良いがそれが武器になっていることに気づいて怖くなり、適当な人間の持ち物に紛れ込ませただけだった。それにリリーが選ばれたのも、平民ゆえに貴族たちほど威圧感がなかったからだろう。さして不思議でもない人選だ。後日、少年はエリオンによって普通に見つけ出され処罰を受けた。一件落着。
「それから、今の行動だ。
一歩間違えれば自分が危ういのに、リリー・チャップルを守るために突撃していた。
本当に、あいつはリリー・チャップルのことが嫌いなのか?
忘れられたことは憎いが、いざとなれば身を挺してまで守るぐらい、好きでもあるんじゃないのか?
そのぐらいの出会いがあって―――幸せになって欲しいんじゃないか?」
畳み掛ける。実に生き生きとしている。
「今まで、平民で苦労していたように見えた。だが、あいつが敵対の姿勢をとったから、誰もあいつの獲物に下手に手を出そうなんて考えなかったんじゃないか?逆に同情で優しくして貰えたんじゃないか?あいつがあの馬鹿にしているように、ただの保護にも見えたんじゃないか?
だが、あいつはあれで意外と愛されているから、忠告や脅しも受けただろう。
あの馬鹿に言われたような、忌憚ない非難も受けただろう。
その結果、それを直そうと努力し、色々学べただろう」
「………」
リリーは俯く。確かに、色々教えられたからだ。それをセリアが意図したか否かは関係なく。
「で、今の言葉だ。一見ただの絶縁宣言に聞こえるが、あいつのことだから本気でそうなんだろうが、本当にそれだけか?
レイヴァンがリリー・チャップルを選んだことを認めると、他人だからもう妨害はしないと、そう言いたかったんじゃないか?
今の事故を見ただろう?あいつはそんなことにも対応出来るほど、こなれていだろう?敵が多いからだ。味方より圧倒的に敵が多いから、そうなったんだ。
じゃあ、そんなあいつといると、危ないよな。
昨日怖がって泣いたような女には、キツイよな。
あいつの憎しみがなくなっても、一緒にはいられないよな。
だから、離れたんじゃないか?
ただ離れると言うと気にするから、自分の我儘で決めたような言い方をして、気に病まないようにしたんじゃないか?
自分一人が悪役になって、それでいいと思ったんだろう。それでお前らが幸せになれるなら、それでいいと思ったんだろう。あいつは、悪役が似合うやつだから」
寂しげな微笑みを浮かべるジオルク。言うまでもないが、セリアにそんな考えは一切ない。そもそもセリアに敵意を抱いているような強者はそういないし、それを実行に移せるような猛者はまずいない。ただの一方的で我儘な絶縁宣言以外の何ものでもない。
「………そんな…」
しかし、あろうことか、リリーは信じてしまったようだった。
彼女のために補足しておくと、今までセリアに対して誤解していた過去があるので、それを顧みた結果である。あれほど狂ってると思った人間が真人間だった、というネタばらしをされたので、さらにいい人だった、と言われてもショックもダメージも少ない。
「………」
逆に、レイヴァンは長い付き合いで疑っているが、口に出すほどではない。素直なところがあるので、『そうかもしれない』と半ば信じてしまい、半信半疑なのだろう。何より、今目の前でリリーを庇うところを見せられてしまったのだ。そのインパクトは大きい。
しめしめと内心大笑いしながら、ジオルクは締めにとりかかる。
「確かにあいつはぶっ飛んでるし素直じゃないが、…本当は、優しくて、良いやつなんだ。誤解しないでやってくれ」
……ジオルクは後にセリアに胸ぐら締めあげられた際、『あの流れは乗るべきだと思った。完全に悪ふざけでやった』などと供述し、ぶん殴られたそうだ。