蔓延らせたいんじゃない、這いつくばらせたいのよ
「先輩、今いいですか?」
「いいけれど、目上のものの会話を邪魔するなんて、無礼よ。気をつけなさい」
「えー…」
「王太子による追放コース、公爵家による日陰者コース、決闘により殺害コース」
「気をつけます。ご忠告痛み入ります、先輩」
「わかってくれて嬉しいわ。それから、公的機関の学校とはいえ、身分のほうが優先されるから、例えばレイヴァンに『サルトクリフ先輩』なんて言ったら無礼よ。『殿下』か『王太子様』で行きなさい」
「じゃあ、先輩は『ネーヴィア公爵令嬢様』ですか?」
「さすがにそれは正式すぎね。『ネーヴィア様』とかかしら。でも、長いし私に関しては『先輩』でいいわよ」
「はーい、先輩」
「で、後輩、何の用よ」
「えっと、ここじゃあれなんですけど…」
「じゃあ場所を変えましょう」
ここは廊下で、レイヴァンとジオルクと話していたところだ。二人からの視線が、そろそろ痛い。
しかし後輩は声を潜めて続けた。
「―――ポテチが食べたくなりまして」
「明日にでも用意してあげるわ。あれは中毒性があるものね」
「はいっ、そうなんですよ!食べたくて食べたくて…!…コーラはありませんよね?」
「いくらなんでもコーラの作り方は知らないわ。…ていうか、ポテチぐらい自力で作りなさいよ。揚げるだけでしょう?」
「そもそも厨房に入れてもらえないし、料理そんなに得意じゃなかったし…」
「敬語」
「サーセンっしたー!」
「意味不明」
「すみませんでした!」
「ああいう、『あざっしたー』とか、正直何言ってるかわからないわよね」
「様式美です」
「はあ?」
「ノリです」
「ノリなら仕方ないわね。で、料理が出来ないなら、何なら出来るの?何してたの?」
「………英語教師」
「無意味ね」
「………はい」
さて、そろそろ本気で視線が突き刺さるので切り上げよう。
「じゃあまた明日ね。レイヴァン、ジオルク、行きましょう」
「………セリアはもっと、俺達といるべきだと思う」
「貰ってやるって言ってるんだから、他の男に尻を振るのは止めろ」
「その話は断ったでしょう。何、私がうろちょろするのが嫌で言い出したの?あなたって、本当にレイヴァンに過保護でお兄様が好きなのね」
「……それだけじゃない」
「そうね、権力もあるわね。でもね、私はもっと結びつきを強くしたいところに嫁ぐつもりなの。ウェーバーとはもう十分なの」
「はん、いくらお前の条件が良くても、こんな性格の悪い女を引き受けるような聖人がいるものか」
「あらあら、じゃあそんな女を引き受けようっていうあなたは、素晴らしく聖人なのね。あるいは、とんでもない愚か者ね」
「フランツの妹だから仕方ないだろう。妹が行き遅れたら、フランツにまで迷惑がかかる」
「心配しなくても、あなたみたいな性格の悪いのに引っかかるほど馬鹿じゃないわ。私より、不憫で可愛いプレシアの心配でもしていたら?」
「プレシアは最初から結婚を諦めている。適当に好きな男でも作れば、権力の許す限り、好きにさせてやるつもりだ」
「そうねえ、私もあの子のバックアップをしていくつもりだけれど、あの子の気持ちが分からないものね。交友範囲も狭いし、身近なところで仲が良い男性はお兄様とスカイだけれど、お兄様はお兄様が人当たりが良くて素晴らしい人格者なだけだし、スカイは…スカイだし…」
「……さすがに、オカマとはやめてもらいたいんだが…」
「私は別に構わないし、スカイは可愛いプレシアを可愛がっていて、プレシアも懐いているんだけれど、……姉妹なのよね」
「………」
「完全に対象外。ノリでプレシアが『お姉様』とか呼び出して、それにスカイが大喜びしてたぐらい。完全に、ないわ」
「ないのか…」
「ええ」
「…まあ、プレシアは気長に構えていこう…」
「そうね。最初の卑屈な頃から考えたら、かなり進歩したもの。焦らずに行きましょう」
「………父さん、母さん、俺に妹が出来たのか?」
「レイヴァン、その茶番はやめろと言ったでしょう。立場を考えて発言なさい」
「お前には元々妹がいるだろう。今いくつだ?」
「えーと、八歳。ここじゃない学園に通ってる。会わないからよく覚えてない」
「だから、そんなんじゃ政治利用出来ないじゃない。しっかり把握して、掌握しなさい」
「お前のようにか?レイヴァンに無茶を言ってやるな。こいつは素直なおりこうさんなんだ」
「単純で流されやすいからこそ、私達がしっかり舵取りしないといけないんじゃない。賢い犬はね、飼い主の言うことは聞いても夜盗の言うことは聞かないものよ」
「それは飼い主の躾が悪いんじゃないのか?上から命令ばかりして、だからレイヴァンがこんな流されやすい、自分でものを考えない間抜けになったんだろうが」
「私一人のせいにしないで頂戴。あなたが、レイヴァンを甘やかしたのよ。躾のための折檻を虐待だとか言って。この子はのんきなんだから、多少厳しすぎるぐらいが丁度いいのよ」
「トラウマになるほど怯えていたんだぞ?確かにレイヴァンは調子に乗りやすいが、それを上手く利用して伸ばしてやればよかっただろう。子供は褒めて伸ばせ」
「甘いわ。飴と鞭の比率は、飴2に対して鞭8ぐらいが丁度いいのよ。いっそ飴は1でもいいわ。命がけになればこそ、伸びる力もあるわ」
「出来もしないことを押し付けるのが教育か?それでレイヴァンの精神状態はどうなる?多少出来が悪くても、子供の幸せが一番だろう」
「無茶を言ってるつもりはないわ。出来るようになると思うから言っているの。甘やかすだけが愛情じゃないわ。むしろ、甘やかしすぎるのも一種の虐待よ」
「じゃあお前は、子供が怯えて逃げ回るようになってもいいのか」
「嫌われてでも、子供の成長を考えるべきよ」
「―――お、お父さんお母さん、落ち着いて下さい!」
後輩が私とジオルクの間に入ってきた。ジオルクは不快そうに見ている。
公爵の子供の話に、子爵の子供程度が割って入ってきたら、そりゃ面白くない。後輩は知らないだろうけど、私とジオルクに関しては、喧嘩もコミュニケーションの一種だし。
「お父さん、もう少しお子さんを見てあげてください。一言褒めてあげるだけでいいんです。厳しくされても、お父さんから認めて欲しくて子供は頑張っているんです。頑張ったことを、褒めてあげて下さい。お母さんも、お腹を痛めて産んだ我が子が可愛いのはわかります。でも、いつまでもお母さんがつきっきりというわけにも行かないでしょう。手を出しすぎず、自力で立つのを見守ってあげて下さい」
「結果を出さないと認められないのは常識でしょう。あの子はこれから、そういう世界で生きていくの。あの子のためにも、今から厳しくするべきだわ」
「子供もいない若造に、何がわかる。大事な大事な、我が身より大事な可愛い我が子だ。何かあったらどう責任を取ってくれるんだ。あの子が健やかに育つためにも、親の力が必要なんだ」
「ええ、保護者様方の言い分もわかります。子供もいない青二才の言葉が信用出来ないのももっともです。ですが、……お子さんを見てあげて下さい。親が自分のことで喧嘩して、お子さんはどう思うと思われますか?」
はっとして、ジオルクとレイヴァンを見る。
レイヴァンはじっと私達を見つめる。
「……離婚しないで。俺は父さんと母さんと一緒がいいよ…」
「……レイヴァン…。…ごめんなさい、私、あなたのことを見てなかったわ…」
「………俺も、お前がいつまでも小さいと思っていた。…もうこんなに大きくなっていたんだな…」
ジオルクがこっちを向く。
「離婚はもうやめよう。子供のためにも、帰ってきてくれないか…?」
「……そう、ね…」
「結婚してくれ、セリア」
「何どさくさにまぎれて求婚してんのよ」
「ノリで」
「乗らないわよ」
「じゃあ一緒に出かけでもしないか?」
「コロシアムに?それとも討論所?」
「……外出は厳しいのか?」
「いいえ?つい先日、エリオンとお忍びで屋台を出してきたところよ。焼き鳥屋でがっつり儲けてきたわ」
「何をしているんだお前は。殿下を巻き込むな」
「エリオンから持ってきた話なの。急に人手が必要になって、屋台で売る食品を仕入れてくれって言ってきたから、ついでに介入して純利益を七三にすることで調理、販売してきたのよ。勿論七が私ね」
「どうしてそうなった」
「久しぶりに炭火焼きの焼き鳥が食べたかったんだもの。エリオンと、お土産で持って帰って食べさせたプレシアとスカイとお兄様も、美味しいって言ってくれたわよ?」
「え、セリア、それ俺食べてない」
「お忍びだったんだもの」
「そこまで大々的にやってか」
「第二王子と公爵令嬢がやってるってバレてないんだから、立派なお忍びじゃない」
「浮気だ。子供をつれて出て行く」
「ただの友達だって言ってるじゃない。レイヴァンの親権は渡さないわよ」
「じゃあ結婚しよう」
「もう一度言うわね、何どさくさに紛れて求婚してんのよ」
「ノリで」
「乗らないって言ってるでしょう」
「ノリが悪いな…」
「あなたが乗っているのは調子よ。悪いのもね」
「お前こそ、減らず口の調子が悪いようだが?」
「今度は図に乗ったわね。次はなあに?尻馬?」
「性格が悪いな。……とにかく、だから、一緒に出かけよう」
「だから、どこに何をしに行くの?」
「……か、買い物、とか…」
「商人から直接仕入れているから、特に買うものはないわ」
「劇を見に行ったり…」
「今、いいのないわよ?」
「ピクニックは…」
「いつも一緒に食事してるし、遊んでるじゃない。それにこれから数日は雨よ」
「図書館で勉強を…」
「それ、わざわざ図書館に行って二人でやる必要ある?一人で家でやるわよ」
「……っもういい!決闘だ!剣を抜け!」
「なんで急にキレてんのよ!レイヴァン、剣!」
「―――はいはいはい、落ち着いてください!」
また、後輩が間に入ってきた。ジオルクは今にも斬りかかりそうなほど殺気立っている。
「ウェーバーくん、気持ちはわかるけど、押し付けは駄目ですよ。相手の気持ちになって考えてみましょう。それから、恥ずかしいかもしれないけど、ちゃんと言わないと伝わらないよ?先生も応援してるから、勇気を出して言ってみようか。ネーヴィアさんも、ウェーバーくんのことをちょっと考えてあげてください。いじわるで言ってるんじゃないんですよ。賢いネーヴィアさんなら、ちょっと考えればわかるんじゃないですか?ね?ウェーバーくんのこと、嫌いなわけじゃないんですよね?」
「………」
「………」
むっつりとジオルクと睨み合う。
「…素直になれないお年頃なんですね。じゃあ、ウェーバーくんはネーヴィアさんのこと、嫌いなのかな?仲直りしたくないのかな?」
「………別に」
「あ、俺はセリアのこと好き!厳しいけど、優しいし、大好きだ!」
「まあありがとう、レイヴァン」
「うん、サルトクリフくんは素直で良い子だねー。ネーヴィアさんも、ちゃんとお礼が言える良い子だね。じゃあ、ウェーバーくんは?どうかな?」
「………別に、嫌いなわけではない」
「うん、よく言えたねー。良い子だねー。じゃあネーヴィアさんは、ウェーバーくんのこと嫌い?」
「嫌いか嫌いじゃないかなら、嫌いじゃないわ」
「俺もジオルク好きー!最近いじめてくるけど、基本優しいし世話やきだし!」
「サルトクリフくんは本当に良い子だねー。みんながそうなら、先生とっても嬉しいのになー。で、ネーヴィアさんもウェーバーくんも、お互いのことが嫌いじゃないんだよね?なら、仲直りしよっか?」
「嫌よ。ジオルクは私の敵。仲直りすることなんてありないわ。そもそも、仲直りするほどの仲がないわ。私とジオルクは喧嘩相手で宿敵、それだけの関係よ」
「確かにそうだな。じゃあ、これから新しく仲を作っていこう。結婚してくれ」
「お兄様は絶対に渡さないわよ」
「フランツには手を出さないから、代わりにお前を寄越せ」
「本当に?お兄様が『ジオルクはすごいね』って褒めてくれたら?頭を撫でたりなんかしてくれちゃったら?」
「喜びで舞い上がる。しばらく地上には帰って来ない。フランツにまた褒めてもらえるように精進する」
「ほら見なさい、やっぱりお兄様に色目を使うんじゃない。この泥棒猫。お兄様は絶対に渡さないわ」
「お前で我慢する」
「信用出来ないわ。そう言って義弟の地位を手に入れて、『義兄様』とか言ってお兄様に言い寄る気なんでしょう。お生憎様、可愛い妹の座は私のものなのよ。迷惑かけ通しでコンプレックス抱かせまくりで面倒ばかり引き起こす私に、ぱっと出のあなたなんて敵うはずがないわ」
「………それ、フランツに嫌われてないか?」
「っそ、そそそそそんなわけないわ!ありえないわ!あったとしてもそんな現実私は認めないから!絶対認めないんだからぁあああ!!」
「………フランツも大変だな」
「五月蠅いわよ!」
「やはり、こんな不良債権は身内で引き取ろう。レイヴァンがギブアップしたんだから、俺が引き受けるしかないだろう。子供のためにも、再婚するぞ」
「私ほどの優良債権なんてないわよ。お兄様を付け狙うストーカー信者はお断りよ」
「お前には言われたくない、ストーカー信者一号。…だから、…その、フランツだけが目当てってわけじゃない」
「ええ、ネーヴィアの権力とか私自身に付随する条件とかもろもろ合わせてよね」
「それだけでもなくて…えっと…、…お、お前のこと、が……好き、だから…。……お前のことが、好きだから、…結婚したいん、だ…」
「………」
俯いて、絞りだすように言うジオルクの頬は赤く染まっていた。
……自然と、私の顔も上気してくる。
「ジオルク…私…」
自分でも熱っぽいとわかる声が出た。はしたない、と思われるだろう。
でも、構わない。
レイヴァンも後輩も、温かく見守ってくれている。
―――この茶番を。
「私―――まさかあなたがそこまで言うほど、ノリが良いとは思わなかったわ」
「………………は?」
「屈辱に耐えてまで、言葉を振り絞るなんて…。本当に、プライドが高いものを屈服させることに悦びを見出すあなたの気持ちも、よく分かるわ。やっぱりあなたって最高ね。初めて会った時、決闘で負けて無様に床に転がり、屈辱に耐えて謝罪するあなたを見て感じた優越感を、今も感じたわ。確かに、これはくせになるわね。―――プライドが高く実力もあるサディストが屈辱にまみれている姿って、とっても素敵」
ヴィオラを虐げている時とはまた別の気持ちだ。
ジオルクが意に反して、私を好きって言って求婚してくるなんて、こんな完璧超人の美形を虐げているなんて、なんて素敵!まさに乙女の夢ね!
「結婚はしないけれど、茶番は再開しましょう。そうね、笑いが足りないとは思っていたのよ。それを察してこんな娯楽を供給してくれるなんて、もう愛してるわ。私達って、最高のパートナーねっ」
「………お前がサドすぎるとか茶番じゃないとか色々言いたいことはあるが、……俺もお前のことを愛しているし、最高のパートナーになれると思う」
「やっぱり!私、一生あなたを大事にするわね!私以外の誰にも虐げられないように、大事に大事に育て上げて、それを根底からぶっ壊してあげるわね!あなたを甚振っていいのは、私だけよ!」
「そうか。じゃあ、その誰にもへし折られていない、高く伸びた鼻をへし折るのはこの俺だ。精々今の内に伸ばしておけ。そのご自慢の鼻は、近い将来へし折られるんだからな」
「私が生きている間にお願いね。百年はかからないと良いと思うんだけれど…」
「また伸びたな。今から折るのが楽しみだ」
「まあ素敵。減らず口が上手なあなたを屈服させた時の恍惚感が増すわ」
「それは何よりだ」
ジオルクはこっちに来て、私の手を取った。
「………理由はどうあれ、俺にうっとりしている姿を見れたし、色々嬉しい事を言ってくれたから、今日はいいことにしておく。次はないがな」
私の手の取って、顔を近づけ、手の甲に唇を当てた。
私の手の甲に、ジオルクの唇が当たっている。
つまり手の甲にキスされた。
ジオルクは、不敵で憎たらしい、とっても魅力的な笑みを向けてくる。
「好きだ、セリア」
………。
フリーズしている間に、ジオルクは上機嫌でそのまま私の手を引き、「今度、三人で出かけよう。レイヴァンの社会見学に行くなら、いいだろう?」と言いながら、教室に入っていく。
え、とレイヴァンを見る。
心から祝福しているように、満面の笑みで私達を見ていた。
後輩を見る。
先生が手のかかる生徒を見るような目で、生暖かく見ていた。
………とりあえず、
「っ後輩!あなた敬語はどうしたのよ!お家取り潰しにするわよ!あとその目、不愉快だから即刻やめて頂戴!レイヴァンも、さっきサーベル寄越さなかったわね!決闘しそびれたじゃない!今日帰ったらお城に行くから、そのときに剣の相手しなさい!叩き潰してやるわ!」
「っすみませんでした先輩!」
「えっ、セリアと!?ジオルクにも勝てないのに!?」
怒鳴って、怒りを発散させながら、ジオルクに手を引かれて行った。