これでもただの茶番だけれど?
「セリア様、兄さんは随分とノリがいいんですね」
ブローチを平然とつけている私達に、エリオンが微笑みながら言う。レイヴァンも、ピンクの薔薇のブローチをつけているエリオンに言われたくはないだろう。
「ええ。ついでに、ノリがいいのはジオルクよ。レイヴァンは面白そうなことに流されるのが好きなだけ。お兄様は愉快なことを大笑いする方よ」
「ストッパーはいないんですね。絶望的です」
「殿下も同類でしょう?」
「僕はセリア様と交友を持っているとアピールしたいだけですよ」
「お兄様とレイヴァンとジオルクもついてきたわよ。感謝なさい」
「はははっ、もう一生あなたについていきます、義姉様」
「―――おい」
話していたら、不機嫌そうなレイヴァンが来た。
「これは兄上、あなたの婚約者様をお借りしております」
にこやかに言うエリオン。如才ない。
「ああ、俺の婚約者の相手をしてくれていたんだな。でも今は俺がいるから結構だ。―――セリア、行こう」
私の手を取り、エリオンを苦い表情で見て、引っ張っていく。
一応エリオンに礼をして、レイヴァンにエスコートされる。
「レイヴァン、そんなにエリオンが苦手なの?」
「………苦手。ジオルクに回収して来いって言われたんだけど、なんでよりによってあいつといるんだ…。俺の婚約者なのに…」
「いいじゃない、エリオンは楽しい子よ?」
そしてジオルクも本当に言うようになっている。第二王子のエリオンから奪還出来るのはそれより偉いレイヴァンだけだから、レイヴァンを派遣したんだろう。レイヴァンもそれをわかってるから大人しく使われているんだろう。
……いや、レイヴァンとジオルクは仲が良いし、『頼まれたから』ってだけで自発的に行った可能性もあるか。レイヴァンは我儘だから嫌なことは何が何でもやらないけど、素直だから好きな人から頼まれればすんなりやる。そういう、我儘一辺倒じゃないところは結構好きだ。
レイヴァンに連れられた先には、やはりいつも通りの面子がいた。兄とジオルクだ。プレシアは母に連れ回されているのか、いない。
「さっさと来い。待ちくたびれた」
「セリア、遅かったね。セリアがいないから、女の子がちらちら見てきて大変だったんだよ」
「あらそれはごめんなさい。騎士が姫君たちのそばを離れてしまって、不安だったでしょう。でも、わざわざ王子様に迎えに来てもらったんだもの、もう少しお姫様気分でいたかったわね」
「俺って結局王子なのか?姫なのか?」
四人でいると、周りの女の子も男の子もサッと引く。傍から見れば私の逆ハー状態だろう。実際、この中で一番愛されているのは兄で、一番可愛がられているのはレイヴァンなのだが。むしろ騎士が私なのだが。
この集まりは、貴族の中でも大貴族と呼ばれるような身分の高いものと王族の社交会だ。残念ながら子爵子息のスカイはいないし、幸いな事に伯爵子女のヴィオラもいない。ただ、ヴィオラの場合はシュペルマン伯爵、つまりヴィオラの父親であるコラソンさんは来ているが、さすがに子供たちは連れて行きていないというだけだ。私達は親の身分が高いから、子供でも出席を許されているのだ。
つまりこの場にいる子供たちは、親の身分が高い子たちだけ。
こちらを伺う女の子たちも、顔面偏差値が高い子ばかりだ。
………ふうん。
「レイヴァン、一緒に踊らない?お兄様とジオルクも、誰かと踊ったらどうかしら?ダンスも社交のうちよ」
「ごめんね、俺、クラスにいい感じの子がいるんだ。初等部からずっと一緒の子。目立つのが嫌いな子だから、今日も声をかけないようにって言いつけられてるけど、誤解されたくないから他の子と踊るのは遠慮したいな」
「あら初耳。お兄様と初等部から一緒っていったら、ウィルキンズ侯爵令嬢のこと?あの方ってどんな方なの?」
「うん、その子。先妻の子で、弟が嫡男だからって露骨に邪魔者扱いされてるけど、一切気にせず黙々と読書に勤しんでる感じの子。結構無表情で社交は苦手かな。でも頭は良くて、よく俺とテストで一位を争ってるよ」
「まあ、お兄様と。じゃあ優秀な方なのね」
「そうだね。将来歴史研究者になるって心に決めてるらしいよ。自分さえ良ければ良いって感じのとこ、ちょっとセリアに似てるね」
「お兄様が惚気けるなんて、珍しいこともあるのね。見た目は?美人なんでしょうね?」
「無愛想だけど、美人だよ。燃えるような赤い髪で、緑の目をしてるんだ」
「今度紹介してくれる?ぜひお話ししてみたいわ」
「相手が良いって言ったらね。とにかく面倒が嫌いな子だから」
「気をつけますわ。お兄様の恋路を邪魔する気はないもの。でも、お兄様なら大丈夫でしょうけれど、お馬鹿な方に引っかからないでね?相手の方が、可哀想だもの」
「彼女は大丈夫だけど、気をつけるよ」
にこにこと話して、視線はジオルクに行く。
「で、ジオルク、あなたは?あなたはまだパートナーもいないし、意中の子もいないんでしょう?」
「………そうだな」
兄の話は初めて聞いたのか、ややご機嫌斜めなジオルク。私も初耳なんだからいいじゃない。兄のこういう性格は知ってるはずよ。
「誰かと踊ってきたら?ほら、あの子なんて可愛いわよ。プレシアみたいに庇護欲をそそるタイプね」
「……そういう女は好みじゃない」
「あら、あなた、好みの女性のタイプなんてあったのね…!ねえお兄様、レイヴァン、知ってた?」
「俺は見てたから知ってるけど、まあそっとしといてあげて。セリアには引っ掻き回されたくないだろうから」
「俺は知らない。ジオルク、どんなのがいいんだ?」
「フランツみたいなやつ」
「「なるほど」」
「うーん、これはあんまり嬉しくないかなあ?」
兄みたいな人なら、そうそう見つからないだろう。こんな素晴らしい人間は他に一人だっているか怪しい。
結局、ダンスなんか行ったら残された二人が群がられることがわかりきっているので、四人仲良く壁の花を決め込んだ。
「あら、これ美味しい。お兄様、今度家でもこれを作らせたいわ」
「んー…俺はもっと辛いほうが好き」
「このぐらいの辛さで丁度いいだろう…」
「セリアは作れないのか?これも作って」
「これ?…ああ、これなら出来るわ。でもこういう難しいのは素人じゃ無理よ。普段も面倒なところは家の料理人に任せてるぐらいだもの」
「あれだけ作っておいて素人なのか?お前の中ではどこからが玄人になるんだろうな…」
「お金をいただくようになれば本職よ。私はまだ趣味程度。勿論、あなたがお金を払ってくれるっていうなら話は別だけれど?」
「つまり、金を払えばまともにまともなものを作れると?さすが公爵令嬢様だな。大した自信だ」
「あなたに比べればね。ご存知?お金を払って人を雇うのは、自分では出来ないからっていう面が大きいのよ?」
「そうだな、普通、身分があって出来ないからな」
「ええ、身分が高くないと、異端扱いされてしまって、出来ないものね」
「……二人共、喧嘩のときは生き生きしてるなあ…」
「セリア、レシピもらってきたよ。これで家で作ってもらおうね」
「っはい!ありがとうございますお兄様!大好き!」
「この変り身、どう思う?」
「さすがセリア、としか言えない…」
いつも通り仲良く話していたら、ふとジオルクの眉間にシワが寄った。
視線の先を見ると、ジオルクの『親戚』たちがいた。
「……ジオルクって、彼らが苦手なの?」
「………自分の家を巣食ってる害虫を、悪意を持って見るなというほうが無理だろう」
「あそこは厄介だからね。そのおかげで助かってきたところもある分強く言えないし」
「ジオルク、結構愚痴言ってたな。親は騙せるけどあそこが面倒だって」
「………憂鬱だ」
はぁ、と珍しく気落ちした表情でため息をつくジオルク。
本当に珍しい。
普段は喧嘩ばかりで好戦的だし、兄を見る時は尊敬の眼差しだし、レイヴァンといるときは親しみを感じるし、プレシアにも一応情を感じる。
でもここまで気落ちするなんて。
「あなたも苦手な人がいたのね。喧嘩ばかりだから、そんなことないのかと思ってたわ」
「………そうだな」
軽口にも乗ってこない。これは相当だ。
喧嘩相手がここまでしおらしく、喧嘩にも乗ってこないなんて、…ちょっとつまらない。
しっかり憎たらしく言い返しなさいよ。調子狂うじゃない。
「からかってきてあげましょうか?」
「………は?」
「セリア、何する気かな?」
「ちょっとあの人たちをからかって、溜飲を下げようってだけよ。……どう?」
「良いと思う。俺の分もよろしくな、セリア」
「嫌よ。レイヴァンの分はレイヴァンがやって頂戴。…じゃ、行ってくるわね」
「いや、何の話だ…?」
ジオルクは珍しく私の意図を読みかねているようだけど、兄が「まあまあ、見てたらわかるよ」と留めておいてくれた。さすがお兄様。フォローも完璧なんて、本当に惚れそう。
「あの…」
私はジオルクの『親戚』の中でも一番偉い男性に声をかけた。
「ん?…ああ、これはこれはネーヴィアのお嬢様」
私はレイヴァンの婚約者でそれなりに有名だから顔も割れている。もしわからなければもっと面白かったが、さすがにそれは高望みのし過ぎというものだろう。
「失礼ながら名乗らせていただきますわ。わたくしはセリア・ネーヴィアと申します」
「ご丁寧にどうも。可愛らしいレディだな」
はははと笑う男性。
そして自己紹介を返そうとしたタイミングで、それが声になる前に遮る。
「本日、お子様はいらっしゃらないんですの?わたしく、お友達が少なくって、どなたかいらっしゃらないか、手当たり次第声をかけてましたの」
「………生憎、今日は連れて来なかったんだよ」
男性の顔がぴきりと引きつった。
いくら影で手を引いていると行っても、彼らはあくまで『ウェーバー家の分家』だ。爵位が一番上のこの男性でも伯爵で、手柄は『ウェーバー家』のもの。分家が本家を乗っ取るのを禁止するためのものだが、珍しく功をなしている。
一伯爵でしかない男性は子供を連れてくるだけの身分はない。実際はかなりの権力を有しているが、それでも伯爵。当主が来るのが精々だ。
「それに、お嬢さんにはお友達がいるんじゃないのかな?」
「いいえ、おりませんの」
撒き餌にも乗ってきた。まあ、普通『友達がいない』とか言われたら、『そんなことないよ』とか言うものね。まんまと引っかかるわよね。
「レイヴァン様がいらっしゃってお近づきになりづらいのと、…わたくしに釣り合う方が、中々いなくって…。だから、伯爵のお子様でも良いかと思ったんですけれど、いらっしゃらないんですわね…」
「………っ」
また、顔が引きつった。
これこそヴィオラ流、『自然な上から目線』だ。ヴィオラの揚げ足を取られる言葉を除けば、あの人を苛立たせる言動は見張るものがある。
「ははは、冗談が上手なことで」
「そうですわね、妥協なんて、いけませんでしたわね。わたしくったら冗談でもないことを言ってしまいましたわ。わたくしのようなものが、第三のにだなんて」
「………」
苛立ってる苛立ってる。抑えているけど、青筋が立ってるのが隠せていない。
「……お嬢さん、家名に傷を付けないうちに、口を閉じたらいかがかね?」
さあ怒ってきました、最後のひと押し!
「まあ!」
無邪気に、警告なんて聞こえなかったフリをして、笑顔で声を上げる。
「伯爵のそのお花、とっても可愛いですわね!わたしくもそんな花、買ってもらいたいですわ!」
私の視線の先にあるのは、伯爵家の家紋。そこには花が描かれている。
「っこの…!」
伯爵もさすがにかっとなり、手を振り上げ、平手打ちしてきた。
「っきゃあ!」
大げさに床に倒れる。
その音で周りから注目が集まる。
伯爵もはっとする。
「……ふぇ…」
そこで、泣き出す。こらえようとして、堪え切れなかったように、しゃくりをあげて泣き出す。
「………どうしたんだね、セリア」
そこに登場お祖父様。これは兄が祖父に目配せでもしてくれたのだろう。頼りになりすぎて素敵すぎる。
「おじい、さま…、このかた、がぁ…!」
祖父に抱きついて泣く。
祖父も勿論弁えて、私の頭を優しく撫でて、伯爵を睨んでくれる。その時に指で『何を企んでいるんだ?』と問われたので、『流れに乗って』と答えておいた。祖父も私に甘いし、ウェーバーの親戚は面倒なので乗ってくれるだろう。
「………うちの孫娘が、何か粗相でもしたのかね?」
「い、いえ、……ちょっと…」
「セリア、何をしたんだね?」
祖父の目線が、そして場の注目が、私に集まる。
私はぐすぐすと泣きながら、祖父を潤んだ目で見つめて必死に(見えるように)訴える。
「は、はくしゃくの、おこさまと、おともだちに、なりたくって…!そうしたら、おこられて…きゅうに、なぐって、きて…」
ここで泣き声で中断。嘘泣きにもある程度リアリティが必要だ。
「はくしゃくの、おこさま、…だいさんがくねんだけど、おともだちに、なれたらなって、おもったのに…っ」
第三学年。
学園内では『第三』でも話が通じる。
伯爵の子供は中等部の第三学年に所属しているので、何もおかしくない。
何もおかしくないが、伯爵の顔色は変わる。
『五等爵の第三風情で妥協なんて、我ながら悪い冗談だった』と伯爵は受け取ったが、これは『中等部の、しかも第三学年という年上の方が、まだ幼く未熟な私とだなんて冗談でも失礼だ。もっと歳の近いところで探さないと』という風にも受け取れるのだ。さらに『伯爵のお子様で妥協する』というのは『本当はもっと歳が近い人がいいけど、中々いないから』であり、『釣り合う人が早々いない』というのは『自分と歳が近い子供があまりいない』という意味にも取れる。
誤解される物言いだったことは確かだが(むしろそれを狙ってたし)、学園内では普通に通じる程度であるし、そこで『伯爵だと馬鹿にしている』と憤るのは穿ち過ぎというものだ。
ましてそれを言うのが子供ならば、大人である伯爵が導き、正しく理解しなければならない。
手を挙げるなど、言語道断。
「………孫娘の言い分を聞く限り、この子に過失はないようだが…?」
祖父も勿論伯爵を睨む。どこからどうみても伯爵が悪い。
「…そ、その子が、我家の家紋を侮辱したので、ついかっとなって…」
ただ『お花』の件が通るなら、情状酌量の余地はある。
貴族とは誇りを胸に生きるもの。
誇りなき貴族は貴族にあらず、誇りこそが貴族と平民を隔てるものだ、とまで言われている。
その誇りの証とも言える家紋を侮辱されたのなら、大人げなくはあるが、かっとなるのもわからなくもない。
「っちがいます!」
それを、涙をぐいと拭いて、健気な被害者の皮を被って、反論する。
「はくしゃくの、かもんのおはなが、かわいくて、その花をわたしもほしいなって、おもっただけです!ぶじょくなんて、してません!」
普通に、家紋が欲しい、家紋を買う、などといえば買収や吸収を意味する。それを言われたら憤って当然だ。
しかし、『その家紋に描かれている剣は素晴らしいですね。私もそのような剣が欲しいものです』といえば普通の世間話だ。むしろ相手の家紋を褒め、家紋の成り立ちなどを話す機会を与える、立派な社交術だ。喜ばれこそすれ、怒られることや、まして殴られることなど、ありえない。
「か、可愛いなど、女子供のことだろう」
だから伯爵も真っ青になりながら、そのぐらいしか言えない。あの時の流れからすると、伯爵には私が『上から目線の憎たらしい小娘』に見えていた。その先入観があったから、誇り高い貴族だったから、『お花』のことで短絡的に手をあげてしまったのだろう。
平時なら、ただの社交辞令だと見抜けただろうに、頭に血が昇っていた。
「おんなで、こどもですもの!かわいいものをかわいいといって、いけないんですのっ?」
そう言って祖父にまた泣きつけば、終了。
伯爵が、終了だ。
「………つまり、何の理由もなくこの子に手をあげたということでよろしいか?」
祖父は、すでに家こそ父に譲っているが、バリバリの現役宰相。
この国を左右する、政治的に見れば一番偉い人。
さらに貴族で最大勢力のネーヴィア家も、家督は譲っているが、祖父が実質牛耳っている。
ゲームで悪役令嬢が無理矢理王太子と婚約出来たというほど、ネーヴィア家の権力は、祖父の力は、大きい。
さて、そんな祖父に睨まれたらどうなるのか。
祖父は公正な人で、私情で政治を左右させることはないが、そういうところを買われて貴族最高位だったのに宰相なんてやっているが、周りはどう思うか。
仲良くして睨まれたら敵わないと、伯爵を避けるだろう。
さらに宰相として私情を交えることはないが、『ネーヴィア家』として個人的に恨む分には何の問題もない。存分に、恨むだろう。
祖父が孫に甘いことは、知れ渡っているのだから。
「………」
伯爵が青い顔で呆然としている。
ジオルクに、さりげなく視線を向ける。
散々喧嘩して、私のやり口なんてわかってるでしょ。ほら、今よ。
ジオルクは、目線だけで頷いた。
「セリア嬢」
進み出て、茫然自失の伯爵の前に立つ。
「………ジオルク様」
そっと、私も祖父から離れ、やや不機嫌そうに見せかけつつジオルクのほうを見る。
「僕の親戚が、失礼した。申し訳ない」
「ええ、本当ですわ。いきなり殴られたんですのよ。お父様にも言っておきますわ。陛下にも、お伝えさせていただきますから」
ネーヴィアとして報復する、懇意にしている王にも言いつける、と言う。
伯爵は大丈夫かと思うぐらい青い。頭がいいからこそ、狡賢いからこそ、この失態の大きさがよくわかっているんだろう。
「どうかそれを許してもらえないだろうか。僕の親戚なんだ」
「………」
「僕の顔に免じて、許して欲しい」
ジオルクが真面目くさった顔で言う。本当はここで頭を下げさせるところだけど、お遊びでそこまでさせる気はない。いや、ただの遊びでなら散々ジオルクを謝罪させて甚振ったけど、これはそれが目的じゃない。
「………ジオルク様がそこまでおっしゃるなら…」
渋々、本当は嫌だけど仕方なく、という風に矛先を収める。
「セリア、いいのかね?」
「ジオルク様がおっしゃるんですもの。仕方ありませんわ」
「………ふむ、セリアがいいならば、私が出てくることもないな」
祖父も矛先を収めたと明示する。言わなくてもわかってるところがお祖父様だ。私がただ許しただけでは、父と陛下が出てこないだけだ。ネーヴィアと宰相からの報復をなくすには、祖父が怒りを収めないといけない。
「さて、君はジオルクくんと言ったかな」
これで終わりの予定だったのに、何故か祖父がジオルクに絡みに行った。あら、予定外。わくわくしちゃう。
「…はい。ジオルク・ウェーバーと申します。セリア嬢やフランツ様には、いつも良くしていただいております」
「ああ、二人からよく話を聞いている。フランツを兄のように慕い、セリアや王太子様と仲が良いと」
祖父は予定外のことにやや緊張したジオルクを和ませるように、目元を和らげ、優しく話しかける。
「………君がいるなら、ウェーバー家も安泰だな」
「っめ、滅相もない…!」
まあ…。
祖父の褒め言葉に、ちょっと驚く。宰相だけあり、祖父は人を見る目も確かだ。その祖父がジオルクをそう評したなら、…ジオルクはそれだけの人物になるということだ。
「これからも二人と仲良くしてやってくれ」と笑って、私とジオルクの頭に軽く手を置き、祖父はその場を去る。
親族からかって、ジオルクのおかげで危機回避させ、でかい顔をさせないようにするだけだったのに、まさか祖父からの太鼓判が来るとは思わなかった。セリアびっくり。ジオルクもびっくり。
しかし何はともあれ、演技は続行中。
ジオルクに気遣われながら、私は退席。休憩室まで連れられていく。
「まさかお祖父様があそこまで言うとは思わなかったわ。びっくりしちゃった」
「……喧嘩相手がしおれていて暇なのはわかるが、別にそこまでしなくていい」
「あそこまでされたくないのなら、死ぬ気でいつも通りを保つことね。レイヴァンも賛成したのよ?意味、わかるわよね?」
私を暴走させる恐ろしさを嫌というほど知っているレイヴァンが、我儘だけど平和を好むレイヴァンが、良いと言ったのだ。それだけ好かれていて、それだけジオルクが気落ちしていたということだ。
落ち込むならまた報復する。嫌なら落ち込むな。妹のプレシアと違って、それが出来る相手であることは、もう知っている。
だからこれは、ある意味似たもの同士の私とレイヴァンからの要請だ。
ジオルクがらしくなく弱っているところを見たくないから、弱るな。問題があるなら口先でも権力でも駆使して壊すから、いつも通りでいろ。
そういう、無茶苦茶で自分勝手な……心配だ。
「……下手を打てば、お前が面倒な立場になっていただろう…」
「あら、私が下手なんて打つわけないじゃない。食えなかったら牙を見せずにおちょくるだけで済ませたわよ」
「殴られた、し…」
「舐めないでくれる?あのぐらい、まるで猫に撫でられたようだったわ。まだ、あなたに決闘で負けるつもりはないわよ」
実際、運動不足の爺が怒りに任せて殴ったぐらい、余裕で避けられた。今回はあえて殴るのに合わせて派手にふっ飛んで、ダメージを受け流すとともに派手に演出しただけだ。癒し系教師の薬物攻撃から逃げられるように、しっかり鍛えている私に不可能はない。
休憩室に着き、中に入る。幸い人はいなかった。いても、嘘泣きとかで追い出す気だったけど。
兄とレイヴァンは後から来るだろうから、さっさとお茶でも入れてのんびり待つ。適度に時間を潰せればそれでいい。
「………せめて涙ぐらい拭け」
ジオルクはさっさと行動する私に呆れたように言いながら、私のすぐ前に来てハンカチを出した。拭いてくれるつもりらしい。が、さすがに公爵令息にそんなことをやらせるわけにはいかない。
「いいわよ、自分でやるから」
「いいから黙っていろ」
だから止めたのだが、断られた。ちょっと殴られた付近の頬を撫でているし、気にしているのかもしれない。なら、やらせておこう。別に嫌なわけではない。ハンカチも軽く湿らせてくれていて、痛くないようにこすらず拭いてくれている。手つきも丁寧だ。
「………頬、痛くなかったか?」
「舐めないでと言ったはずよ」
「………痛がらないし、本当のようだな。ならいいが、無茶はよせ。フランツもレイヴァンも、お前が殴られた時、普通に怒っていたぞ」
「あら嬉しい。で、あなたは?」
「………お前を負かすのは俺だからな」
「素直じゃないのね」
ジオルクは私に敵対心というか対抗心があるようで、よく反発してくる。よほどプライドを砕かれたのが尾を引いているらしい。一度でも負けてやればそんなことはなくなると思うが、それはそれで癪だ。絶対に負けてやらない。
「………お前も」
考えていたら、ジオルクがぽそりと呟くように、言った。
「………お前も、…気にしてくれた、のか…?」
ジオルクが私に反発しているように、私も私でジオルクには反発している。だってむかつくじゃない?こういう輩を叩き潰すことが楽しいし、これはもう意地の世界でもある。ただ素直になれないのではなく、相手に負けたくないから、弱みを晒さない。そういう話だ。
「当たり前でしょ」
でも、真心をハンマーで叩き潰すような真似は、しない。
「らしくないのよ。私の宿敵なんだから、もっとしっかりして頂戴」
強敵と書いて友と呼ぶような仲ではないけど、たまにはこんな、格闘漫画チックな表現も良い。
今のところ私の勝ち続きなことは、言わないでおいてあげるけど。
そんなことを考え、ふふんと内心笑いながら、ハンカチが目元に来たので目を閉じた。
何が悪かったかと聞かれたら、それが悪かったとしか言い様がない。
ふっと風が当たり、おやと思ったところで、暖かなものが頬に当たった。
ハンカチではない感触、温度。
目を開けると、目の前には誰かさんの蜂蜜色の髪と、その向こうに休憩室の壁が見えた。趣味の良い調度品もある。あの花、なんて名前なんだろう。
………はい、現実逃避強制終了。
つまりジオルクに頬にキスされたみたいです。あらびっくり。
「………」
ジオルクが離れて、私の視界に戻ってくる。
ジオルク自身も驚いていた。
これからどうしよう。
「あの―――…」
とりあえず、と事情を聞こうとした、矢先、
「セリア!ジオルク!」
「セリア、一応ほっぺ、大丈夫?」
レイヴァンと兄が部屋に入ってきた。
なんてタイミング。
私はそっちを向いたけど、ジオルクは違ったようで、
「レイヴァンフランツ少し話があるすまない来てくれ聞いてくれどうしていいかわからないあいつは大丈夫だそうだから行こう……最悪だ」
矢継ぎ早に言って、「はっ?」「え、何?」と戸惑う二人を掴んで出て行った。
部屋に一人で残された。
本気で、ジオルクは何をしたいのかわからない。
―――ただ、『最悪だ』という呟きと、真っ青な顔で口を抑えていたことが、目に、耳に焼き付いていた。
やっと!恋愛チックなことが!出てきた!!