公爵嫡子の独白
ジオルク・ウェーバー、公爵家の嫡子だ。
家族構成は父母と妹。父母は完全な政略結婚で、全く愛がない、冷えきった家庭だった。妹は、病弱なので母の実家で療養している。今まで数えるほどしか会ったことがない。
その家庭の中で、俺の役割は『完璧な嫡子であること』だった。
妹が病弱で、政治的に何の価値もないからか、俺に寄せられる期待は大きかった。
まだ無垢だった俺は、だから求められるままに頑張って、結果を出して、与えられた役割を果たしてきた。
「さすがジオルク!さすが私の子だ!」
「さすがね、ジオルク。お母さん産んだ甲斐があったわ!」
でも、父母は、あいつらは、自分のことしか頭になかった。
完璧だから、目を向けない。完璧がアタリマエ。
まだ、難点のある妹のほうが目を向けられていた。
何故、と立ち位置を見失って、周りに気づいた。
天才児ともてはやし、媚びへつらう周りの雑魚に。
作り笑顔で、心にもない言葉で、偽の温かみで、近寄ってくる。
愛なんてないんだ、と早々に悟った。
だからひたすら雑魚を見下し、父母を操る『親戚』たちを誤魔化し、生きてきた。
「王太子様に無礼だぞ」
だからあの時声をかけたのも、王太子様に恩を売れるかと思ってのことだ。顔と名前を覚えさせたら儲けものだ、と声をかけた。
そこにいたのは、三人の子供たち。今にも泣き出しそうな、黒髪と紫色の目の男の子は王太子様。艶があり軽くウェーブのかかっている髪と、深く形容しがたい高貴な紫の瞳は、将来女泣かせになるだろうと容易に想像させる容貌だった。
一番年上だろう、金髪碧眼の男の子は、おそらく王太子様に暴言を吐いていた少女の兄だろう。顔立ちが似ている。きらきらと粒子が舞っているようで、ある意味、本物の『王子』である王太子様より王子のようだった。澄んだ青空のような瞳が印象的だった。
そして、王太子様に暴言を吐いていた、黒髪青目の少女。
王太子様の黒髪とはまた違い、鴉の濡れ羽のような黒髪だった。まとめていたが、濡れたような、インクをこぼしたのではないかと思うほど真っ黒な髪だった。その瞳も、兄だろう少年とは違い、深い深い青をしていた。ツリ目と泣きぼくろのせいかキツい印象を受ける顔立ちだったが、陶器と見紛うほどの白い肌と、鮮血のような真っ赤な唇はなお印象的だった。
挨拶したところによると、少年はネーヴィア家の嫡子で、少女はその妹だということだった。また、少女、『セリア・ネーヴィア』は王太子様の婚約者としても名前を知っていて、確かに王太子様の婚約者になるだけはある容姿だ、と妙な感心をした。
兄の方はまともだったようで、王太子様に妹の非礼を詫びていた。
が、妹は『まともなやつ』ではなかった。
「あなた、私のどこが無礼ですって?言いがかりはやめて頂戴」
さっき自分で吐いた暴言を忘れたのか、と言いたくなるほど堂々と、抗議された。
さらには、
「ジオルク・ウェーバー、あなたに決闘を申し込みます。断るような不甲斐ない真似は、まさかしないでしょうね?」
自分と家名を侮辱されたと決闘を申し込んできた。
あっけにとられた。
決闘なんて、男のやることだし、その男にしたって決闘代理人を立てて逃げるような腑抜けが横柄しているぐらいだし、口は達者だったが、容姿だけで婚約者の地位を手に入れたような女が、決闘を申し込んでくるほど―――誇り高いと思わなかった。
だから、決闘を受けて、本気でやった。
本気でやって、負けた。
完敗した。
今まで『完璧な嫡子』だったのに、それに大きなヒビを入れられた。
「あらあら、自信ありげだったのに、こんなもの?二次性徴前とは言え、女性に負けるぐらいなの?残念だわぁ、ウェーバー家の天才児と聞いていたのに、こんなものだなんて。こんなか弱い少女に負けるぐらいなのね。よくそれで突っかかってこれたものだわ。その面の皮の厚さにだけは、感服するわ。ああ、そうそう、早く謝罪してくださる?私と、ネーヴィア家に、心からの謝罪を要求します」
そして追い打ちまでかけられた。
それに言葉を返せるほど、まだ図太くも強くもなかった。
「やりすぎだよ、セリア」
だからその女を止めてくれたのは、その兄、フランツだった。
床に無様に転んでいた俺は、信じられなくてフランツを見上げた。
フランツは妹をやんわりと窘めながら、俺に目線でくれた。
その目に同情はなかった。情けもなかった。
俺はネーヴィア家とセリアを侮辱した。だからネーヴィア家の嫡子でありセリアの兄のフランツは俺に優しくしたりはしない。
でも、敗者を嬲る真似もしない。
正当に戦った戦士を、誇り高い貴族を見るように、見下しもせず、情けをかけもしなかった。
これが、『大人』だと、名誉ある『貴族』だと思った。
「………すまなかった、セリア嬢、ネーヴィア家の方々。先ほどの非礼と暴言を謝罪する」
俺は立ち上がり、頭を下げ、謝罪した。
妹のほうはそれを軽く嘲笑したが、フランツは『よくできました』と言うように優しく、温かく微笑んでくれた。
「認めます。私も婚約者とはいえ、殿下に少々気安い口を利いて、誤解を招く言動をしましたから」
とはいえ、妹も馬鹿ではなかったようで、ちゃんと自分の非も認めつつ、謝罪を受け入れた。
その後、宰相を務める祖父に言いつけるぞ、だとか、懇意にしている両陛下にチクるぞ、だとか脅してきたのは肝を冷やしたが、
「セリア、駄目だよ」
と、フランツが窘めてくれた。
それでもと「嫌だ行くんだ」と喚くのは、まるきりただの子供だった。
「それじゃお友達になれないでしょ。ほら」
そしてフランツは妹の背を押し、俺のほうに行かせた。
妹のほうは目が合うと、ぐっと強くこっちを見て、
「………あなたが、私の家族を馬鹿にしたからだからね。私、悪くないもん」
と言った。
そっとフランツを見ると、やっぱり微笑んでいた。
………妹のほうに向き直る。
「俺も、言い方が悪かった。馬鹿にするつもりじゃなくて…えっと…つい注意したくなっただけだ。……悪かった」
「うん、仲直り」
また、『よくできました』と微笑んでくれた。
そうこうしていたら、人目を集めていたのでフランツの誘導で移動した。
そしてフランツが来たら、いの一番にお願いした。
「あの、フランツ様と呼んでもいいでしょうか。俺…じゃなくて、僕のことはジオルクとお呼びください」
「俺も、フランツ様と呼んでもいいですか…?」
「ちょっと!私のお兄様よ!」
なんか妹のほうが五月蝿かったが、フランツに撫でられて宥められていた。
―――俺より強いのに、ああやって優しく、子供扱いしてもらえてる。子供でいても、未熟でいいてもいいよって、甘やかされてる。
いいな…。
「じゃあ、ジオルクって呼ぶね。俺のこともフランツって呼び捨てでいいよ。レイヴァン様も、呼び捨てで大丈夫ですよ」
フランツが微笑んで言ってくれた。
それは『甘えてもいいよ』と許してくれているみたいで、今までの『完璧な嫡子』である自分が、崩れるように壊れた。
完璧じゃなくても、地位なんてなくても、いいんだと思えた。
それから、パーティなどでよく四人一緒になった。
王太子のレイヴァンは、良くも悪くも素直で、利用しようと思っていた自分を恥じたほど良いやつで、すぐ友達になった。
王太子の婚約者でフランツの妹のセリアも、会えば喧嘩ばかりだが、頭も口もよく回るやつで、良い好敵手だった。天才児だとかおだてられて伸びた鼻をへし折ってくれた。いつかそのお礼に高く伸びたその鼻を叩き折ってやりたい。
そして、フランツ。
セリアと喧嘩していたら適当に宥め、レイヴァンが怯えれば慰め、セリアが無邪気な顔で脅せば窘め、俺が言い過ぎたら諭して、レイヴァンが無茶をしようとすると止めてくれた。
いつも優しくて、尊敬していた。
だからセリアとレイヴァンが陛下に呼ばれておらず、珍しく二人になったときに、その尊敬を伝えてみた。
「嬉しいけど、俺もそんなに大層な人間じゃないよ?」
フランツは苦笑して言った。
そんなことはない、と言うと、「本当だよ」と、笑って、
「昔、セリアに嫉妬して、セリアなんかいなきゃいいのにって思ったことあるぐらいだもん」
と言った。
「俺、お祖父様が好きで、跡継ぎたいって思ってたんだ。でも、お祖父様はセリアがお気に入りで、セリアに養子に来ないかって冗談で言うぐらいでさ。お祖父様は勿論俺のことも大事にしてくれたけど、俺のほうが二つも年上なのにセリアのほうが頭良いし、セリアがいなければって、すっごく思った」
「………」
「お祖父様がセリアにするときは、なんていうか、対等な大人扱いなんだよ。でも俺に対するのは子供扱い。それがむかついて、俺が兄なんだぞって、大人ぶってるの。本当はもっとガキで嫌なやつなんだよ。ちょっと意地張ってるだけ」
どう、がっかりした?と問いかけてくるフランツ。
「いいえ、むしろ、なお尊敬しました」
言葉にしきれない敬意も伝わるように、敬語で、尊敬の念を込めて答えた。
「………え?」
「俺も、あの女にはいつか一泡吹かせてやりたいです、が、その兄としての意地は、すごいと思います。甘やかされるだけでは嫌だと、対等であろうとすることが、素晴らしいと思います。俺を救ってくれたあの優しさが、生来のものではなく、努力と意地の末手に入れたものだと知って、なお尊敬が募ります」
「……でも、偽物で、本当はジオルクのことなんて考えてないかもしれないよ?」
「それなら、本当にすごいです」
だって、
「あなたは偽りですら人を救うことが出来る。自分の努力と意地で得た幸せを、惜しみなく人に与えることが出来る。それが、本当にすごいと思うんです」
「………本当は、すっごく意地悪でも?」
「俺はむかつくあの女に悪口を言うことを抑えられません。本当を押し殺してでもその優しさを装うあなたは、とても素晴らしい人間だと思います」
「………」
「生まれつき優しい人に救われるより、意地で偽っていたあなたに救われてよかった。ただ優しいだけの人より、苦汁を知っていてなお優しくあろうとするあなたのほうが、ずっとすごいです。あなたは俺が思っているのより、ずっとずっと素晴らしい人だった。なお尊敬します」
本心から言った。
フランツは少し黙って、
「―――ははっ、照れるなあ」
少し子供っぽく笑った。
『大人』じゃなくたって、フランツはやっぱり、温かい優しい人だった。
それから、学園に行って、レイヴァンと相変わらず生意気なセリアと過ごした。フランツは何も変わらず、ただ『祖父の跡を継ぎたい』と言うようになった。自分磨きで忙しいのかあまり会えないが、努力する姿を見ると応援したくなる。
それで三人でつるんでいたが、二人の印象も変わった。
レイヴァンは強かになった。セリアに怯えていたのが、『どこまでなら大丈夫』と見極め、その範囲内でセリアに頼ったりするぐらいになった。たまにはみ出て躾けられているが、縮こまることなく範囲内で甘えているので、随分と図太くなったものだと思う。
セリアは、相変わらず喧嘩ばかりでむかつくが、冗談を言えば冗談で返してくるぐらいには愉快なやつだった。誇り高いが高飛車ではなく、雑用も掃除も普通にやっていた。短気で猪突猛進なところがあり、たまにどうしようもないほど馬鹿になるやつだ。
「レイヴァン、昨日はありがとう。楽しかったわ」
「ああ、楽しんでくれたなら良かった。俺もセリアと一緒にいられて楽しかった。また行きたいな」
ただ、婚約者だからセリアの祖父が宰相で城勤めだからか、二人でよく会っているというのは、気に食わない。
レイヴァンがセリアの毒牙にかかるような気がしてならない。今でも躾けられているから、友として非常に心配だ。
ついでに俺もいるのに、俺の知らない話をされることも気に入らない。訊けば教えてくれるんだろうが、仲間はずれにされたようで、何か癪に障る。
「どこか行ったのか?」
「ええ、レイヴァンと人気の劇を見に行ったの。よかったわよ」
「面白かったな。セリアと行くならって母上が席を融通してくれたんだ。母上も父上も、セリアがお気に入りだから」
「見事にダシにしてくれたわね。私と行くからって言えば陛下も甘いもの。まあ、面白かったらいいけれど、デートなんだからもう少し私のほうを向いて欲しいわ」
セリアが冗談めかして言う。
こういう、二人が婚約者なんだと思い知らされるとき、二人が親密な時、なんだかもやもやして、不快な気持ちになる。
俺だけ仲間はずれにされるからか、レイヴァンが心配だからか、よくわからないが、嫌だ、と思う。
俺はそれほどセリアのことが気に喰わないのだろうか。いや、気に食わないし辛酸を嘗めさせてやりたい気持ちは年々増すばかりだが、嫌いではない、と思う。
あのフランツの妹だし、レイヴァンの婚約者だし、そこまで悪いやつだとも言えない。
今まで与えられた役割をこなしてきただけだから、自分でこうと決めた目標がなくて、それを吐露すると何の遠慮もなく傷口をえぐってきたり、かと思えば『目標を決めるのが目標』と諭してきたり、そういうところは、なんだか、悪くなかった。
作り笑顔で猫をかぶれば、そっちの方が良いと言われて、ちょっと痛かったことも、それがただの冗談であくまで『茶番』でしかないことを合わせれば、逆に……嬉しい、とも思う。
なのに、セリアが大事な友の婚約者であることが不愉快に思うし、セリアが冗談でもレイヴァンに色目を使うことを止めさせたくなる。
それと、セリアから家族ごっこででも、『愛するジオルク』とか言われるとやや動揺してしまうし、『愛しいセリア』とかいう言葉がするっと出てくる。
何故だろう。
まあ疑問は置いておくとして、楽しかったのだ。
レイヴァンとセリアと馬鹿をやって過ごすのが、楽しくて仕方なかったのだ。
それを壊したのが、あの女だった。
完全にヒロイン(セリア)が悪役で攻略対象キャラ(フランツ)が主人公。
悪役街道まっしぐらなセリアさん。