王子様の軌跡
俺の名前はレイヴァン・サルトクリフ。
この国の王太子で、幼い頃から厳しい教育と、大抵のことは思い通りになる権力を与えられてきた。
その俺に初めて思い通りに出来ないことが出来たのが、三歳の時。
「こんやくですか?」
「ああ、公爵の娘さんで、あの宰相の孫でもある。良い縁談だろう」
「ご本人も、それは可愛らしくて賢くいらっしゃるのよ。頑張って繋ぎ止めなさいね」
この国で唯一逆らえない父と母に言われ、強制的に婚約が決まった。
勝手に決められたことに、なんだかとても面白くない思いがした。
―――もし顔を見せに来たら、絶対泣かせてやる。
そう決意したが、まさか二年も待たされるとは思いもしなかった。
「………っ」
二年待たされてようやく会えた婚約者殿は、とても綺麗だった。
自分も『艷やか』とよく称される黒髪だが、彼女は『濡れたような』美しい黒髪だった。軽くウェーブがかかっている自分と違い、しっとりと真っ直ぐで、本当に濡れているようだった。
小さい顔の中に丁寧にパーツを置いたような、人形のような顔。色白で真っ赤な唇が、その作り物めいた美貌を助長する。
こちらを見る青い目は、まるでサファイアのような深い青を讃えている。空の青さなんか及びもつかない、深淵のような青だ。
つい、ぽーっと見とれそうになるほど、確かに彼女は美しかった。
「………お前が俺の婚約者か?」
しかし、無理矢理婚約しておいて二年も待たされたのには変わりない。
そっちから婚約して来たんだから、普通もっと早くに会いに来るだろ、とむかついた。実際には、ちゃんと両家の承諾の下の婚約なので、『無理矢理勝手に』というわけではないのだが、我儘な子供にとってはそう感じられた。
今の今まで放っておくなんて、明らかに『俺には興味がなく、地位が欲しいだけ』と言っているようなものだ。よくここまであからさまに、と思うほど。しかし実際、セリアが政治を改善して行ってくれたおかげで、かなり国政も良くなり余裕が出ていたのだが、残念ながらその時の俺は知らなかった。
泣かせてやる、という二年越しの決意もあり、『どうせ地位狙いだろう』と言ってやると、
「あら、他のどんな理由があってあなたと婚約するのでしょうか。私はこれでも公爵の娘で、しかも宰相の孫でもあるのですが?それなのにその物言い、何をお考えなのでしょうか。と言いますか、三歳児が三歳児に婚約を申し出るなんて、地位以外の何を見て決めるとお思いなのですか?ひょっとして外見に惚れるとでも自惚れていらっしゃるので?鼻たれ小僧で涎だらだらのお子様に、私が惚れると?それに今の言い方ですと、地位目当ての女とは婚約したくない、というように聞こえますが、政略結婚もろくに出来ないお子様なのですか?逆に地位以外のどこを理由として挙げて欲しかったので?少なくとも私は、あなたに地位以外の魅力を感じませんでしたが?」
逆に泣かされそうになった。
「あ、私も一時的に『王家の一員』という地位が欲しいだけですので、宰相の孫として国政に干渉出来る年齢になりましたら婚約は解消させていただきますね。その歳になればきっぱりすっぱり絶縁しますが、それまで地位に群がる女避けとしてご活用ください」
訂正、ちょっと泣いた。
そんなわけで、俺の心にしっかり『セリア・ネーヴィアは天敵』と刻まれた。その後、幸いにも会う機会はほぼなかったが、恐ろしいやつだと認識されていた。
だが自分の誕生日パーティで久しぶりに会うことになったとき、生意気盛りで我儘なところも顔を出して、セリアに突っかかって、
「あらあら、私、お前、などと呼ばれるような身分でしたでしょうか。殿下にとっては等しく『下々の者』なのでしょうが、それはつまり、私以下の身分のものも同じように見下している、と受け取ってよろしいのですか?いえ、私でこれほどなのですから、それ以下の方はもっとですね。お労しい。それに私はこの国のためにと思ってはおりますが、現在殿下に仕えているわけではございません。私がお仕えしているのは陛下であり、ひいてはこの国です。何かあれば弟君様が王太子になる殿下ではありません。あ、誤解なさらないでくださいね。決して、殿下の身に何か起こって王太子の地位から引きづり降ろされるということを示唆しているわけではありませんよ」
また泣かされそうになった。
もうセリア怖い、と挫けそうになった。
「王太子様に無礼だぞ」
その時に横槍を入れて助けてくれたのが、その後の生涯の友、ジオルク・ウェーバーだった。
ジオルクとは共通の敵がいたことですぐに打ち解け、仲良くなった。大抵のパーティではセリアと、その兄でセリアを止められるという脅威の人物、俺達の尊敬するフランツも一緒だったが、セリアが何か言えばジオルクが代わりに怒ってくれた。というかそもそも馬が合わないのか、セリアが毒舌を発揮しなくても二人はよく喧嘩していた。俺はフランツが「喧嘩するほど仲が良いっていいますよね」と微笑んで眺めている横で安全に過ごした。ヒートアップする前にフランツが止めてくれていたし、ジオルクとフランツといれば安全だった。
セリアもジオルクとフランツの態度から考えを改めたのか、泣かしに来るばかりでなく優しい面も見せてくれた。いや、元々セリアは優しいところもある人だったのだろう。俺が突っかかっていくか避けるかしかしていなかったら、その面が見れなかっただけで。
フランツも、「セリアはあれで良い子だよ。器が大きいから」と言っていた。喧嘩ばかりのジオルクも、なんだかんだでよく話している。周りの大人達の評判もすこぶる良い。
だから俺達は、結局なんやかんやで、仲良くしてきた。
学園に入学して、学年が違うフランツとはあまり会えなかったが、会えば優しくしてくれた。
知らない人ばかりで不安だった新生活も、セリアとジオルクのお陰で毎日楽しい。今までとは比べ物にならないほどの時間を共有することもあり、セリアに叱られるボーダーラインもわかってきた。その範囲内なら、セリアはとても優しい。
セリアとジオルクの喧嘩を止められるほどでないが、あれはもう二人のスキンシップなのだと思って割り切っている。二人共大人びて分別がついているので、周りの迷惑になるようなことは基本的にしない。たまにジオルクが俺とセリアの婚約に異議を唱えたりするけど、結局セリアが勝つし、問題はない。ジオルクにしても、「あの女は何様だ。なんでたかが婚約者風情が王太子を躾けているんだ」とか言ってたから、俺への好意でやっているとわかるから、ちょっと嬉しかったりする。セリアは厳しい時は容赦なく厳しいから、味方がいると思うと頼もしい。フランツはセリアの兄だし、中立かセリア寄りだから。
「ねえ、よかったらこれ、貰ってくれないかしら。つい調子に乗って作りすぎちゃったのよ」
「……なんだこれは」
「マフラーよ。ほら、最近寒くなってきたでしょう?だから自分用にセーターとマフラーと手袋を作ったら、お祖父様が気に入っちゃって。お祖父様とお兄様におだてられてつい家族分セーターとマフラーと手袋と、お祖父様に帽子もついでに編んだら、まだ毛糸が余ってたから、ついでにレイヴァンとジオルクの分も作ったの。いらなかったらご家族に訊いてみて頂戴。それでもいらなかったら返品は受け付けるわ。捨てるのはもったいないもの」
「せーたーとまふらー?」
「防寒用の衣服と、防寒用のストールの変わり種よ。防寒具って思ってもらったらいいわ」
「あ、セリアが首に巻いてた、赤い布のこと?」
「そう、それがマフラーよ。二人のは余りで編んだから緑と青よ。どっちか取りなさい」
「じゃあ俺青貰う!どうやって巻けばいいんだ?」
「普通にぐるぐるって巻けばいいわ。特に決まりもないから」
「こうか?なんだか、不格好なような…」
「嫌なら使わなくて結構よ。妹さんにでも薦めておいて頂戴」
「これ、暖かい!ありがとうセリア!」
「あ、そう巻くのか。……確かに保温性が高いな」
「まあね。じゃ、レイヴァン、風邪引かないように気をつけるのよ」
「去年は熱を出して三日も休んだからな…」
「あなたって平気で無茶するんだもの。お陰でジオルクと喧嘩しかしてなかったわよ」
「寒いのに薄着で外を駆けまわるなよ。二人だと、何を話しても喧嘩にしかならないんだからな」
「うん!父さんと母さんが離婚しないように、しっかり気をつけるな!」
わいわいとした、楽しい日々だった。
あの女が現れるまでは。