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ブルート・イェーガー~血ヲ狩ルモノ~  作者: 井平カイ
episode.1『大血主は、どこにいる?』
5/11

part.3

 その夜は、いつもよりも静寂に包まれていた。毎日のように聞こえていた虫たちの鳴き声や風で揺れる木々の音すら、何かに怯えたかのように静まり返っていた。月は雲に覆われ、夜の底は混沌としていた。

 そんな常闇に、一つの足音が響いていた。その足音は何かを確かめる様に、何かを探すように村を徘徊していた。

 アンナは、その足音に眠りを妨げられ、目を覚ました。その足音が妙に気にかかり、眠い目を擦り、まだ半分夢の中にいた自分を窓際へと進めた。そんなアンナの目に映ったのは常軌を逸している光景だった。

 ……その人影は四肢を血で染め、さもそれが当たり前の様に平然と村を進んでいた。


「ヒッ―――!!」


 アンナは恐怖の余り口から声が僅かに漏れた。その瞬間人影が振り返ろうとしたのが見え、アンナは慌てて身を屈め、息を殺した。

 足音はしない。その場にまだいるのがわかる。アンナは全身を震えさせていた。あの血は何だったのだろうか。あの人影は何なのだろうか。あらゆる想像がアンナの脳裏を襲っている。もし“アレ”が自分に気付いていたら……そう思うと震えは止まらない。アンナは、ただただ祈る。どうか気付かれていませんように。どうか襲われませんように……

 そう思うアンナの脳裏には、ある情景が浮かんでいた。


(神父様……!! 助けて……!!)


 その情景は、その日の昼に神父と過ごした時間であった。最も心が安らいだ時間であった。アンナは必死に祈っていた。その場にいない神父をひたすらに想いながら。

 全身はなおも震え続ける。まるで自分の体ではないかのように……


 ……やがて、足音はアンナの家を離れていった。

 アンナは、足音が徐々に遠ざかっていくのを耳で確認し、安堵を浮かべていた。全身を汗が流れていた。そして、神父が自分を支えてくれたかのような錯覚を覚えていた。アンナは手を合わせ、祈りを捧げずにはいられなかった。


(神父様……ありがとう……)


 ……しかしその時、アンナは気付いてしまった。その足音が向かう方向に。一瞬にしてアンナは顔が青ざめた。大きく眼を見開き、慌てて窓の外に身を乗り出す。アンナは、足音が向かっていった方向に祈る様に視線を送る。

 その方向は……教会だった。


(―――神父様!!!!)


 アンナは慌てて外へ飛び出した。足音が進んだのは農道。それよりも早く教会に行き、神父に危険を知らせるつもりだった。アンナは靴を履くことすら忘れ、闇に染まる村を駆け始めた。

 アンナは森を駆け抜けた。もしかしたら自分は死んでしまうかもしれない。家で眠る両親の姿を最後に見たかった……そう思いながらも、アンナは神父の無事を祈り続けた。

 涙が自然と零れていた。足の裏は傷だらけになっていた。肺は押しつぶされそうなほど苦しかった。それでもアンナは走ることを止めない。ただただ、神父の無事を祈っていた。





==========





「神父様!!!」


 アンナは教会に着き、叫びながら教会のドアを勢いよく開いた。

 中は照明がなく、暗く不気味な雰囲気に包まれていた。神父の反応はない。もしかしたら間に合わなかったのか……そう思うアンナの耳に何かが聞こえた。


 クチャ……クチャ……


 それは、何かを食べる音だった。下品に口を開け、何かをひたすらにむさぼる様な音が響いてきた。

 アンナは、自然とその方向に足を進めた。そこは、教会の執務室。よく見ると、そこから僅かに光が漏れていた。アンナはその光が漏れる隙間から中を覗き込んだ。

 執務室から漏れていた光は、蝋燭ろうそくの光だった。蝋燭はゆっくりと揺れ、中の様子をアンナの目に映していた。それが何か、アンナにはよく分からなかった。

 しかし、よく見れば人の顔が見える。そしてアンナはその顔を知っていた。知らないはずがなかった。その顔を確認するように、アンナはその人物の名前を口にした。


「……お父さん? お母さん?」


 ――それは、アンナの両親だった。しかしアンナの両親は家にいるはずでは……いや、アンナが最後に見たのは就寝前であった。家を飛び出すとき、アンナは両親の顔を見ていない。故にここにいても不思議ではなかった。

 だが、アンナはここで奇妙なことに気付く。両親は目を見開き、口から何かを零している。蝋燭の光は揺れ、よくは見えない。アンナは更に二人の顔に注視する。やがて、蝋燭の光は両親の顔を鮮明に写した。

 口から零れていたのは―――血。


「――――!! お父さん! お母さん!!」


 アンナは無意識に叫びながら、執務室のドアを開けてしまった。そして、中の惨状を目の当たりにしてしまう。

 ……床には大量の血液が飛び散り、四肢であったと思われる“モノ”が床に転がっている。


「――――ッ!!!」


 その光景を見たアンナは嘔吐した。頭が、心がそんな惨状に耐えきれるはずがなかった。そんなアンナに聞き覚えがある声が向けられた。


「アンナ……大丈夫ですか?」


 それは、惨劇の部屋から聞こえている。アンナがそこに目を配ると、そこには会いたくて仕方がなかった人物が立っていた。


「……神父…様?」


 しかし、その神父の様子は、アンナが知ってる神父とは違っていた。

 口からは血が滴り、手足、真っ白な修道衣は、多量の血を浴びて赤く染まっていた。そしてその手には、何かの(はらわた)があった。そして何より違ったのは、その瞳であった。黒かったはずの神父の瞳は、青白く、仄かに光を放っていた。

 神父は、不気味な笑みを浮かべ、アンナに話しかける。


「……ダメじゃないですかアンナ。こんな夜更けにこんなところまで来ちゃ……」


 そう話しながら神父はアンナに近付いてくる。足元は血が跳ね、音を鳴らす。

 そんな神父の姿に、アンナは恐怖した。いや、それ以上の絶望であった。手足は震え、顔から血の気が引いていた。よく見ればアンナは失禁していた。しかしそれすらもアンナは気付けなかった。迫ってくる“神父に似た化物”から逃げる様に後退りをしていた。


「あ……ああ……」


「そんなに怖がらないでください。さあ、こっちに来なさい」


 神父は両手を広げた。しかしその姿に、いつもの優しい面影はなく、ひたすらに邪悪な空気しかなかった。そんな化物に対し、アンナは聞かずにはいられなかった。


「……あ、あなたは……誰ですか?」


 その言葉を受けた神父は、再びニタついた。その顔は、アンナの心に更なる闇を広げていた。


「誰って……あなたの知ってる“神父”ですよ?」


 アンナは分かっていた。そんな答えは分かっていた。それでも信じたくなかった。自分が想い慕う神父が、こんな化物であることが信じられなかった。

 アンナは震えながら首を横に振った。


「……違う…あなたが、神父様なわけない……!! 違う……!!!」


 アンナは泣いていた。いや、アンナ自身にその自覚はないであろう。体が、心が、自然とその小さな眼から涙を溢れさせていた。


「いやあああああ!!!!」


 アンナは叫び声を上げて執務室を飛び出した。それは、現実からの逃走だったのかもしれない。あの優しかった神父が、あの暖かかった神父が、あの凛々しかった神父が……それまで見てきた神父が、あんな化物なわけがない。アンナはそう自分を言い聞かせ、その場から駆け出していた。


 突然、アンナの背中に何かが起こった。急に背中が一筋の熱を帯び、汗ではない何かが背中を濡らす。それと同時に急に息苦しくなり、アンナの体はよろけ始めた。そして、ゆっくりと背中に痛みが走り始めた。アンナの背中は、刃物のようなもので引き裂かれていた。

 それでもアンナは教会の外を目指した。目が虚ろになり、視界がぼやけて見える。脚は千鳥足のように左右に彷徨い、自由がきかない。それでもアンナは懸命に外を目指した。しかし、間もなく外という所で、アンナの体は立つことすら維持できなくなり、前のめりに倒れ始めた。


 ……しかし、アンナが冷たい地面に体を付けることはなかった。あの人影が、村を徘徊していた人影が、アンナの体を受け止めていた。

 アンナは、薄れゆく意識の中、それが本当の神父だと思い始めた。なぜなら、その手は暖かく、優しく包み込むように自分の体を支えていたからだ。


「……ああ、神父様……やっぱり……助けに来てくれた……」


(……コイツ、もう目が……)


 そして、アンナは彼の顔に向かい、最後の力を振り絞り、震える手を伸ばした。その手は血に染まり、とても儚く見えた。

 彼は、アンナの手を握った。……強く、しっかりと。


「……神父様? 私、怖かったです……

 ……でも……もう……怖…く……な………」


 ……やがて、アンナの瞳孔は大きく開いた。そして、伸ばした手は力を失い、彼が手で感じていた心臓の鼓動は、消えていた。しかしアンナの顔は、どこか安らぎを得たような表情だった。

 彼は、優しく少女の亡骸を見つめていた。最後にこの少女は希望を見れた……それだけが救いであることを感じていた。少女の亡骸は、昔の光景に似ていた。彼が心の底に封じ込めた過去に、彼女の面影が重なる。彼は息絶えた少女の体を静かに床に寝させ、開いた両目を閉じさせた。


 彼は怒りに震えた。少女を助けられなかったことに。化物が、こんなにも自分を想っていた少女を手にかけたことに。

 ギリギリと歯ぎしりの音が響き渡る。握り締められたグローブを付けた手からは皮が擦れる音が聞こえる。心に溢れる想いは、いつの間にか人影の口から形となって出ていた。


「……クソ……!!」


 そんな人影の想いを弄ぶように、神父は笑いながら忍び寄ってきた。


「……死んだか……

 生きてる内に喰った方が美味いんですけどねえ……」


 その手には、やや大きめのナイフがあった。そして、そのナイフからは血が滴り落ちていた。それはまるで、少女の涙のようだった。


 その血を見た人影の目が大きく見開く。そして立ち上がり、神父の方に体を向ける。

 ……その姿、黒いジャケット、黒いズボン、黒いインナー、黒いブーツ……全身を夜の色に染め、紅い瞳は、紅蓮の炎のように強く、激しく光る。


「……もう、言葉はいらねえだろ……」


 手のグローブに装飾された十字架を掲げ、彼――ブレイクは神父に叫ぶ。怒りの全てをぶつけるかのように。


「テメエに“十字架”を……くれてやる!!」


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