part.1
“イェーガー”……それは、人々の希望でもあった。
突如、世界に“血族”が現れたのは約50年前。奴らは遠い北の地からやってきた。
何者にも知られることなく、何者にも縛られることなく……
奴らは、手当たり次第に近隣の町を襲い、人々を次々に“喰った”のだ。
人々は彼らを恐れた。目に見えない恐怖に毎日苛まれていた。絶望という名の黒く重い暗雲が、瞬く間に世界を包み込んでいた……
……そんな時、一人の男が立ち上がった。彼はたった数人の仲間を連れて、血族に戦いを挑んだ。
人々は彼らの勇気を眼に垣間見た時、一人、また一人と彼らに同行した。そして、いつしかその集団が“イェーガー”と呼ばれるようになった。
……無論、それはあまりにも無謀な戦いであった。身体能力もさることながら、血族の最大の武器は、“二つ”あったのだ。
まず一つはその“繁殖能力”とも言える勢力の拡大率。彼らは人間に“あること”をするだけで、血族の一員とすることが出来ていた。
その数は日々拡大し続けていた。
そして、もう一つは………
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――イェーガー第四部隊待機宿舎――
麗らかな太陽の光が窓から差し込んでいた。小鳥は囀り、緑は風で揺れる……そこは各地に点在するイェーガーの宿舎の一つ、“第四部隊待機宿舎”である。
山間の一角に構えたその施設は白く聳え立ち、建物最上部に立てられた十字架は、いつも誇り高く太陽と月の光を浴びていた。
そんな建物の中を、肩で風を切って歩く少年が一人……
「ヨハン!!!!!」
そう叫び重い木製の扉を勢いよく開けたのは、言うまでもなくブレイクだった。
ブレイクはその目に炎を宿したかのようにその部屋にいる人物を睨み付けていた。
「や。お仕事お疲れ様、ブレイク」
そう爽やかに話す彼――ヨハン・シュービッヒに、ブレイクは怒りを露わにした形相で詰め寄った。
「テメエ! またガセだったじゃねえか!!」
凄むブレイク。しかしヨハンはそれを受け流すかのような不敵な笑みを浮かべていた。その様子に胸の奥の炎を更に炎上させたブレイクは、机を激しく叩きながら更に叫んだ。
「ただの“混血”なんぞに用はねえんだよ!! 何回言わせるつもりだ!! 何が“絶対に間違いない情報”だよ!!」
机は軋み、所々にヒビが入る。こうして彼が机を破壊するのは、いったい何回目だろうか。しかしヨハンは表情を変えない。それどころか、静かな口調で、彼を諭すかのように話した。
「……何を言ってるんだ? 僕は、“絶対に間違いないと言われた情報”って説明したじゃないか。それを君は慌てて飛び出して行ったんだろ?」
「それは――――!!!」
ブレイクは理解した。自分が単に早とちりをしたことに。また、ヨハンがそうなることを予想したうえで、そのままその言葉を彼に伝えたことに。全てがヨハンの思惑通りに動いていたと理解したブレイクの怒りの矛先は、ヨハンよりも、自分の学習能力の無さの方に向けられていた。ブレイクは、ギリギリとただ歯ぎしりしながらヨハンを睨みつけることしか出来なくなっていた。
ヨハンは、そんなブレイクを横目に流し、その後ろで立つエリスに向かって笑顔で声をかけた。
「エリスもお疲れ様。……ブレイクのこの様子なら、今回もコインは君の勝ちだったみたいだね?」
ヨハンの笑顔と言葉を受けたエリスもまた微笑みを浮かべ、ブレイクの方を見つつ言葉を返す。
「ええ。毎回毎回退屈してるわ。“どっかの誰かさん”はよっぽど運がないみたいね」
そう言いながらエリスは、目を細め、勝ち誇った顔をブレイクに見せつけた。ブレイクは、全て事実なだけに、再び歯ぎしりを繰り返すしか出来なかった。
ふとエリスは、何かを思い出したかのようにヨハンに切り出した。
「――そういえば、私に何か用があるんでしょ? さっき廊下で人から聞いたわ。何か命令でもあるの? ヨハン“隊長”」
「ああ、そうだったよ。――それより、その呼び方は止めてくれよ。僕はそんな堅苦しい肩書は好きじゃないんだ」
ヨハンは苦笑いを浮かべていた。
……そう、彼はこの第四部隊を指揮する隊長である。元々はただの補佐官であったが、前隊長が激戦区に異動することになり、彼が隊長役に抜擢されたのだ。その理由は様々であるが、その内の一つに彼の容姿が関係していた。
端正に整えられたセピア色の髪は癖もなくサラサラと風に揺れる。その整った顔立ちと凛々しくも男性にしては細い眉と目は、時折女性と間違えられるほどの美形である。背も高く、その声は人の心をあっさり掴むかのように優しく響く。彼が一度外を歩けば、通り過ぎる女性は憧れに満ちた視線を彼に惜しみなく送っていた。聡明にして容姿端麗。その存在は、もはやイェーガーの顔とまで言われていた。
そんな彼の容姿は、イェーガー本部にとっても貴重であった。イェーガーの情報源は人々からの連絡である。部隊長ともなれば公に姿を見せることも多く、爽やかさと凛々しさを兼ねた彼が舞台に立てば、それだけでイェーガーへの協力が増加する……そう考えられての人事でもあったのだ。
「エリス、キミはアブドラ地区へ向かってくれ。あそこには現在第三部隊が駐留しているが、予想以上に血族の勢力が大きいようだ。助っ人の要請が来てるんだよ」
「ええええ……めんどくさいんだけど……」
エリスは肩を落とし、眉間に皺を寄せて、顔全体で拒否の意思を表しているかのようだった。そんなエリスの様子を見たヨハンは、再び苦笑いを浮かべた。
「頼むよ。今みんな手がいっぱいでね。君の“力”が必要なんだよ」
「じゃあヨハン。俺も一緒に―――」
エリスの様子を見たブレイクはヨハンにそう持ち掛けたが、彼は、ブレイクの前に一枚の紙を差し出し、ブレイクの言葉を遮った。
「ブレイクには、“これ”を処理してもらいたい」
そう話すヨハンの顔は、先ほどまでの笑顔と違い、鋭く、危機感を帯びた瞳をしていた。
そんなヨハンの様子を見たブレイクは、それ以上何かを話すことはなく、紙を受け取り、その内容を静かに読み始めた。
「……一週間ほど前、辺境のブレザー地区のとある農村から、血族の目撃情報がもたらされた。調査のために数名送ったんだが――彼らの消息が絶っているんだ。ブレイクに見てもらいたいのは、その血族の“特徴”だ。きっと、“君好み”の内容だと思うよ」
ブレイクは、ヨハンが言わんとする内容を理解し、その部分を小さく読み上げた。
「――“宙を舞う血族”」
そして、ブレイクは紙を持つ手に力を込めた。紙からはクシャという音が漏れていた。
「……行ってくれるか?」
ヨハンの顔は再び微笑みを取り戻していた。その顔を見たブレイクは、何かを決意するかのような表情をし、小さくも力強く答える。
「――当たり前だ……!」
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……そこは、暗く混沌に満ちていた。光はなく、生臭い空気が、部屋一面を包む。
そして、そこで蠢く一つの影があった。影は何も語らない。ひたすらに“何か”を裂き、咀嚼する音だけを流し続けていた。
「……はあああ……」
その一口一口を噛み締める度に、影からは愉悦に満ちた呻きに似た声が漏れていた。
その目は青白く光り、口からは紅い血が滴り落ち、その手と足元には、“何かの生き物であったであろう残骸”が存在していた。
そこは暗く光も届かぬ場所。そこはこの世の終わりをも連想させる場所。
その場にいる影は、ひたすらに何かを“喰い”続けていた………