part.1
静寂に包まれた夜の街を、風のように駆け抜ける少年がいた。
「何で夜中に俺がこんなことしなきゃいけねえんだよ!!」
彼はその口から不満の言葉が溢れていた。
短めの刺々しい黒髪とジャケットは吹き抜ける夜風で靡き、ジャケットはバサバサと音を鳴らす。
まだ幼ささえ残る彼の容貌は、十代半ばから後半といったところか。
一つ、彼の服装には特徴があった。
黒いジャケット、黒いズボン、黒いインナー、黒いブーツ……
全てを黒く染めた彼の風貌は、まるで夜に溶け込むように……いや、彼自身が夜そのものであるかのように見せている。
しかし、彼の瞳だけは違っていた。その瞳は真紅に光り、彼が駆けることにより、漆黒の夜を切り裂くような紅い一本の線を描いていた。
「何か上手いこと口車に乗せられた気がする……ヨハンの奴……!!」
彼は自分をこんな目に遭わせたヨハンという男への愚痴をダラダラと漏らしていた。
「ハイハイ。ブレイク、そうやってぼやかない。気分まで暗くなっちゃうよ?」
そんな彼――ブレイクを宥める一人の女性がいた。
金色の長髪は輝きながら揺れている。整った鼻筋と細い眉、顔の比率に対して大きめな瞳は、ブレイクとは対照的に青く揺れていた。
彼女はバイクに股がっていた。鮮やかな青いレーシングタイプのバイクは、彼女には似つかわしくないほど大型のバイクだ。エンジンルームからは爽快な音が流れ、かなりの速度が出ているようだ。
しかし、ブレイクはバイクと並走する。つまりは、ブレイクはそれほどまでに速いのである。
常識的に考えれば異常であるのは見れば明らかだが、彼女――エリス・ブランケットはそれをさも当たり前かのように平然としていた。
「分かってるよ!! ――エリス、この辺りか?」
「ええ。情報によれば、ね」
彼らが目指すのは街の辺境にある小さな小屋であった。周囲は田畑や林しかなく、人の気配はまるでない。
ではなぜ彼らはそんな場所へ向かっているのか。そこには、彼らが探す“輩”がいた。
エリスのバイクは甲高いブレーキ音を響かせ止まった。それに続き、土煙を上げブレイクも止まる。ブレイクに疲れた様子はなく、息さえ乱れていなかった。
「……ここね」
「ああ。さっきからプンプン“匂ってる”よ」
二人が見つめるのは荒廃した小屋であった。しばらく人が手入れした様子はなく、壁は所々破れ、屋根は剥がれている箇所も目立つ。……到底、何者かが住んでいるようには見えない。
しかし彼らはその小屋に近付き、入り口の門の前まで来た。
「やるか、エリス」
「そうね。今日も頑張ってもらおうかしら」
そう言ってブレイクは、一枚のコインを取り出した。どこにでもある、この世界の通貨である。ブレイクは親指でコインを弾き、宙を舞わせた。空中で素早く回転するコインは吸い寄せられるように彼の手元に戻る。彼はコインを手の甲に押し当てた。
「……私は“裏”よ」
「じゃあ俺は“表”だ」
二人が言い終えると、ブレイクはゆっくりと手を外した。
「……裏、ね」
「ああああ! くっそおおおお!!」
頭を抱え、全身で悔しさを表現するブレイクに対し、エリスは上機嫌にブレイクの肩を叩いた。
「また私の勝ちね。ってことで、よろしく~」
エリスはブレイクに向かってヒラヒラと手を振った。
ブレイクはブツブツと文句を口にしながら小屋の門を開いた。
門は、音と共に埃を舞わせながら開いた。中は灯りもなく漆黒の空間となっている。傍から見れば中の様子なんて見えない。
しかし、ブレイクは中に向かって叫んでいた。
「オイ、“見えてる”んだよ! 時間が惜しいから早く出て来い!」
ブレイクの声に呼応するかのように、奥から一つの影がゆらりと動き始めた。そして、床が軋む音を響かせながらブレイクの方に近付いてきた。
月明かりが射し込む位置まで移動したその“輩”を見たブレイクとエリスは、情報の正しさを確信していた。
「……何だガキか……この俺に何のようだ」
邪気を帯びたかのような禍々しい声だった。その風貌……巨体で、肉体はそれに見合う筋肉を帯びている。その瞳は濁った白色をし、眼光は鋭い。一見すると、とてもブレイクでは相手にならないような巨漢の男であった。
しかしブレイクは、巨漢を見ても全く怯む様子もない。むしろ、怠そうに全身の力を抜き、残念そうな表情を浮かべていた。
「……血族、ねえ……」
その言葉を聞いた巨漢はニヤリと不気味に笑う。
「ほう、多少の知識はあるようだな……それなら、“俺たち”の力も知ってるだろう……」
巨漢は高圧的に話す。しかし、それでもブレイクは動揺を見せない。
「ああ、知ってるよ。――お前じゃ知らないだろうな……」
ブレイクは頭をかきながら残念そうに呟き、続ける。
「お前も、大人しく暮らしてりゃいいものを……何で“人を喰った”?」
ブレイクの問いに対し、巨漢は高笑いを始めた。その声は外で眠る野鳥を目覚めさせ、近くの木から一斉に飛び立つ音が響いている。
「――なぜ!? 決まってるだろ!! “喰いたいから喰う”――それだけだ!!」
巨漢の言葉を受けたブレイクは、それまで見せていた気怠そうな様子を一変させた。そして、力強く、荒々しい真紅の瞳を巨漢に向け言う。
「……そうかよ。――だったら、もう充分だろ」
ブレイクは懐からフィンガーグローブを取り出し、手に装着した。グローブに装飾された銀色の“十字架”が、月明かりを受け、仄かな光を放つ。
そして、ブレイクは巨漢に言い放つ。
「テメエに“十字架”を……くれてやる!!」