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ガンマン

ガンマンにビールを

作者: 沼津幸茸

 俺がとびきりうまいビールにありついたときの話をしてやろう。


 俺がとあるアーコロジーに住んでた頃の話だ。

 ところでお前さん、「アーコロジー」という言葉の定義は知ってるか。どうだ。そうか。知らないか。学のない奴だな。

 いや何、別に重要な話ってわけじゃないさ。だが、どんなことだって、知らないよりは知ってるほうがいいもんだ。俺が住んでた場所をイメージする役にも立つ。だから、先にちょっと説明しておいてやるよ。

「アーコロジー」ってのは「環境建築」や「環境都市」なんて訳す奴もいる。特別な建物や都市のことだ。よくわからないだろう。俺もわからない。訳す奴にどういうつもりか訊けるものなら訊いてみたいところだ。何でそんな訳にしたんだってな。ただ、その定義自体は知っている。建物としては敷地や建物の中に生活に必要な施設全てが詰まった場所のことだ。その気になればそこから一歩も出ずに生活できる。要するに都市化した建物だな。もっとも、大抵のアーコロジーは(セミ)アーコロジーだが。定義上のアーコロジーと比べると何かしら足りないところがあるんだ。自己完結性とかな。俺が住んでたアーコロジーもそういうところだった。ちなみに、都市として見るなら、人、物、金、土地なんかの資源を効率良く集約した立体都市もその一種だ。東京辺りがそんな感じだ。建物の上下に建物を建て、都市の上下に都市を築き、人をその中に詰め込んで、上下時々左右にひたすら伸びていくスプロールだ。どうもこの国は都市計画に計画性がない。

 蘊蓄はこれくらいにして話を始めるとしようか。

 その日俺は、久々に日の光を浴びたくなって、外壁からバルコニーみたいな形で突き出した――と言っても強化ガラスで覆われたドームなんだが――造り物の自然が溢れる空中公園に出かけていた。荒れ果てた地上――ついでにアーコロジーを囲むスラムの違法建築だとか――をお釈迦様気分で一望できる外縁部のベンチに座って、朝から優雅に『道徳経』なんぞを読んでいたんだ。誤解してそうだから言っとくが、『道徳経』は「道徳的に生きよう」なんてお上品な本じゃないぞ。古代中国の哲学思想の本だ。詳しく説明するのは面倒だ。内容が気になるなら買うなり借りるなりして自分で読め。そんなに高い代物じゃない。今日日紙の本だとウン万円もするが、データなら百円で買える。

 何だよ、俺が読書するのがそんなにおかしいか。まあ、確かにそういうタイプには見えんだろうな。自覚はあるよ。俺みたいなのはエロ動画でも眺めてにやにやしてるほうがお似合いだ。だが、生憎とこれで実は結構な読書家で思索家なんだ。都市()生活()支援()情報()端末(Ta)には一万冊以上も入れてる。哲学者みたいな奴だと言われたことだって一度や二度じゃない。もっとも、哲学者と呼ぶには、俺なんぞは少しばかり血の気が多すぎるかもしれんがな。とはいえ、ソクラテスだって戦場じゃ勇敢な兵士だったと言うんだ。哲学するゴロツキがいたって構いはしないだろう。俺の見たところ、戦闘と哲学は水と油よりは相性がいい。何だよ、ソクラテスを知らないのか。義務教育はどうした。

 まあ、さてそれはさておきとしてだ、もちろん、空中公園にいたのは俺だけじゃない。家族連れも一杯いたし、俺みたいに独り静かに日向ぼっこを楽しむ奴もいた。俺のすぐ隣に座っていちゃつくいい性格をしたカップルもいた。前でも下でもなく空を見上げたまま歩いてると思ったら案の定アイスを落として泣き出す馬鹿な子供もいた。拳銃と警棒だけを装備して巡回するご苦労な警官どもやそいつらよりもう少しばかり重武装の警備員もいた。つまり、普通の市民生活とやらがそこにあったわけだ。

 こうやって話の前振りとして聞くと、あまりにも出来すぎた平和なありさまだと思うだろう。俺だってそう思う。B級映画――爆発があって銃撃戦があって殴り合いがあって女が裸になってアンアン喘ぐようなやつ――なら、事件が起こって台無しにされるためにあるような風景だ。

 そして、実際に事件が起こった。世の中というのはうまく出来ていやがる。全部が全部というわけじゃないだろうが、中には糞食らえな神様がおもしろおかしく脚本を書いてる事件もあるのかもしれん。

 避難警報が聞こえたときには、もう事件は始まっていた。砲撃でも喰らったような音と揺れが来たと思ったら、あっちこっちから悲鳴や怒鳴り声が――その上、銃声まで――聞こえてきた。

 頭をよぎった言葉は「襲撃」だ。知ってのとおり――地方のは特にだが――アーコロジーはとにかくよく狙われる。変異生物の産廃ども。武装ホームレスのクズども。強盗団のダニども。自然回帰主義のゴミども。カルト教団の人でなしども。混沌主義の気違いども。それにカビ臭い共産主義や全体主義の残党ども。種革軍のクソども。敵はたくさんいる。外だけじゃない。内にも大勢いる。内側で育ったのも、外側から忍び込んできたのもだ。どっちかと言うと内で育つか外から忍び込んでくるのが主流だが、敵はどこにでもいる。隙を見つけては入り込むんだ。もっとも、さすがに高度二百メートルの空中公園を外から狙う頭の悪い奴らは滅多にいないが。実際、最初は浸透してきたテロリスト連中の仕業かと思ったくらいだ。

 俺はどこのカスどもが来たのかと思って腰を浮かせて、間抜け面を曝してきょろきょろ辺りを見回していた。そうしたら、アイスを落としてしょんぼりしていた白人の子供に、上から降ってきた平たい何かが覆い被さるのが見えた。

 そこで思考が一旦止まった。正確に言えば、体の動きと頭の動きが切り離された。お利口に座って考え込む時間が終わって、野蛮に体を動かす体育の時間がきたわけだ。

 頭の動きと体の動きがもう一度繋がったのは、体が勝手に動いた後だった。ほとんど自動で動いていた体が何をしたかと言えば、こいつで――知らないか、こいつは国友銃工が作った最強のリボルバー、スーパーシングルアクション、略称SSAだ――こいつを使って子供に被さった何かを撃ち殺す作業だった。ところでこれは紛れもない自慢話なんだが、抜き終えるのと撃鉄が下りるのはほとんど同時だった。どういうことだかわかるか。つまり、握把を掴んだときにはもう引き金を絞ったまま撃鉄を起こしてて、ちょうど構えた瞬間に落ちきるようなタイミングで撃鉄から指を離したわけだ。

 よくわからないか。仕方がない、説明してやろう。いいか、こいつに限らずシングルアクションリボルバーという奴は、引き金を絞った状態のままで撃鉄を起こせる。でもって、その状態だと撃鉄は上がりきっても固定されないから、きちんと押さえておかないとそのまま雷管を叩きに戻る。引き金を引きっ放しなら即席のオートマチックになるし、得意な奴なら自動小銃並みの速さで撃てる。シングルアクションリボルバーが自動(オートマチック)拳銃(ピストル)に唯一勝っている点がこの速射性だ。

 要するに俺が何をしたのかと言うと、構える前からある程度当たりをつけておいて、撃鉄が下りるまでのコンマ一秒にも満たない間に照準を済ませたんだ。凄いだろう。

 と言っても、本格的に抜き撃ちをやる奴は――程度の差は当然あるが――これくらい当たり前にこなす。お前には縁がない話だろうが、抜き撃ちってものをやるときには、構えるまでに仕事を全部――引き金を絞るのも含めてだ――片付けておかなきゃいけない。抜きながら撃鉄起こしと仮の照準を済ませて目星をつけて――できるんなら引き金も最初から絞り込んでおいて――抜いた後は撃鉄が下りていく一瞬を利用して銃口の位置を合わせる。俺は何度も繰り返してきたこれをそのときも練習どおりにこなした。

 被甲(ジャケッテッド)粉粒(グラニューラ)弾とはいえ、五十五口径マグナム――国友銃工ご自慢のハイパーロングムラサカ弾――だ。初速も小銃弾並みだから、威力は当然物凄い。それこそ、拳銃をSSAとそれ以外で分けられるほどだ。もちろんムラサカ弾を使うのがSSAだけってことはないが。エイトオートなんかもある。もっとも、あれは薬室も勘定に入れての八発(エイト)だから、詐欺みたいなものだ。実際、それで苦情があったとかなかったとかって話だ。

 さて、ムラサカ弾は狙いどおり平たい何かに命中して、表面を突き破るのが見えたときにはもう、入った孔より大きな孔を開けて向こう側に飛び出していた。中で被甲(カバー)が破れて金属粒が飛び散って、中身をぐちゃぐちゃにしながら抜けていったんだ。

 グラニューラ弾で撃たれた傷を見たことはあるか。ないならイメージもしづらいだろうから、ちょっとわかりやすいものに喩えてやろう。そうだな、胡椒を練り込みすぎた挽肉が近い。赤身の中に黒い粒が見えるんだ。どうした。早く食わないとハンバーグが冷めるぞ。何だ、くれるのか。お前さんがそう言ってくれるのならありがたく貰っておこう。ほう、胡椒がきついな。いい感じだ。

 さて、どこまで話したんだったか。そうだ、化け物の肉に黒胡椒を練り込んだところまでだったな。そこから再開しよう。

 人の声とは似ても似つかない短い悲鳴を上げて子供の上から剥がれ落ちたそいつを落ち着いて確かめてみたら、そいつは体長二メートルくらいのムササビトカゲ――この辺りにはいないんだったか――だった。ムササビトカゲというのは名前のとおりムササビみたいな体をした大きなトカゲだ。胴体と手足の間の皮膜が特徴的だから見れば一発でわかる。左右それぞれに二メートルばかり拡がる皮膜を使って、高いところから滑空して、移動したり獲物を襲ったりするのがそいつの狩りのやり方だ。武器は細長い口にびっしりと生えたとても硬くて鋭い牙で、そいつの顎の力と合わされば薄い鉄板くらいならハムみたいなものだ。人の肉なんて豆腐みたいに食い千切られる。

 俺はそいつを見てすぐ、野生の変異生物どもの群れが押しかけてきたんだと状況を理解した。

 トカゲは地面にへばりついたまま、皮膜のおかげで辛うじて繋がっている千切れかけた胴体から血と臓物を垂れ流して弱々しく動いていた。本当の皮一枚という奴だ。どう見ても致命傷だった。グラニューラ弾がしっかりと仕事をして中で散らばって、大事な内臓をうまいこと挽肉に変えながら抜けていったんだろう。

 だが変異生物という連中は、完全に死に切るまでは油断できない。連中に限ったことでもないがな。そもそも敵ってものは生きている限り危険だ。もうほっといても死ぬだろう、なんて寝ぼけたことを考えて背中を向けて、足首から下を喰い千切られた奴の名前だけでも分厚い紳士録が出来るだろうさ。実を言えば俺も駆け出しの頃に似たことをやらかしたことがある。体を半分吹き飛ばしてやった毒ムカデに噛まれて、腕を切り落とすか落とさないかの怪我をした。毒で右腕の筋肉が壊死しかけたんだ。あのときに処置が遅れていたら、俺の右腕は移植物になっていただろう。

 だから俺は、もう一度撃鉄を起こして、今度は間違いなく死ねるように頭を弾いてやった。脳味噌と骨を撒き散らして頭が半分吹き飛ぶと全身から力が抜けて、さすがのトカゲも死にかけの昆虫みたいに体を痙攣させるだけになった。こいつは装填弾数と給弾に難があるから制圧火力という意味じゃ少しばかり心許ないが、一発の威力は拳銃としては不相応なほど高い。時代遅れのシングルアクションリボルバーとは言っても、五十五口径を撃てるんだから、兵隊はともかく便利屋――若い奴にはリスティリと言ったほうが受けがいいか――にとってはまだまだ現役だ。平和強制者(ピースメーカー)ならぬ危険粉砕者(リスクブレイカー)は伊達じゃない。

 ところで、「リスティリ」が正式名称じゃなくて略称だってことは知っているか。最近の若いのは知らないみたいだが。そうか。やっぱりな。お前も知らなかったか。

 ちょうどいい機会だ。教えてやるから頭の隅っこにでも入れておけ。おねえちゃんとの話のネタになるぞ。

 いいか、リスティリってのはリスクユーティリティの略称だ。この不思議な和製英語を無理に日本語に直すとしたら、意味合いとしては「危険請負人」が近いだろうな。大雑把に言えば、切った張ったの仕事をする貧乏人や他に何もできない能無し、そんなものを好き好んでやる気違いのことを言うんだと思っておけば間違いない。俺は貧乏じゃないからたぶん能無しか気違い、いや、その両方だ。自覚がある。

 お前の言うとおりだ。確かに「請負人」なら「コントラクター」のほうが意味的に正しい。意外に学があるな。何、高卒なのか。この底辺業界じゃ高学歴だな。どうして「ユーティリティ」なんて言葉が出てきたか気になるのか。それなら、二つの呼び方を造語して結びつけた久城四蔵の『危険請負人』を読んで自分で調べろ、と言いたいところだが、ここは一つ、めんどくさがり屋の若造のためにおじさんが簡単に説明してやろう。確か久城四蔵は「危険な仕事を押しつけられて体良く便利使いされるところから『リスクユーティリティ』のイメージを、他人が冒すべき危険を代わって背負う姿に『危険請負人』のイメージを見て、二つを結びつけることを考えついた」だとか後書きに書いていたよ。うろ覚えだが大体こんな感じだったはずだ。それにしても、文士先生という連中はくだらないことを思いつく。そう思わないか。こんなのは便利屋でいいだろう。ゴミを掃除をする奴と人間を掃除する奴を区別できないと紛らわしいかもしれないがな。

 話を戻そうか。トカゲの頭を吹き飛ばしてやったところまで話したっけな。

 その後、俺は一安心して子供に意識を戻した。だが、そこにはもう誰もいなかった。どこかに逃げたならよかったが、他のに食われたようなら助けてやった身としてもおもしろくない。もしそうなら仇くらいは取ってやろうと思って急いで辺りを見てみると、両親らしい白人の男女に駆け寄る小さな背中が見えた。二人のほうも急いで駆け寄って、安心した様子で子供を抱き締めた。子供と違って多少は礼儀ってものをわきまえていたらしくて、男のほうが俺に手を振って大きな声で礼を言ってから子供を連れて逃げ出した。あの野郎、「サンキュー、カウボーイ」だとか言っていたよ。

 その間も戦いは続いていた。

 俺が砲弾の直撃を連想した音と震動は、戦車が玩具に見えるほど大きなヨロイカブトムシが強化ガラスに特攻してきて、自慢の大角で突破口をこじ開けたときのものだった。そのときの衝撃はやっぱりとんでもないものだったらしくて、鋼材より硬くドラム缶より太い角は根元から折れて公園に転がっていた。運の悪い連中が下敷きになって赤黒い染みになっていたが、俺はそんなことを一々気にするたちじゃないし、他の連中のほとんどもそんなことを気にする余裕なんてなかった。

 ドームに取りついたまま中に入り込もうと足掻く角無しカブトが開けた穴からは、大小の化け物どもが広場に潜り込んできていやがった。空を飛んで後続が途切れることなくやってくるものだから、まるで決壊した堤防みたいなありさまだった。ろくに使うこともない持ち腐れの外壁銃座もやかましい音を立てて三十ミリ弾で迎撃していたが、まさか敵を食い止めるガラス天井ごと敵を葬るわけにもいかないから、思いきった攻撃ができずにいた。警官やら警備員やら有志やらも応戦していたが、多勢の無勢の上、統制も取れていなかったから、効果的な反撃になっていなかった。掃討を考えるよりも先に、まず統制の取れた兵隊の血で攻勢を撥ね返すことから始めないといけない状況だった。わかりやすく言えば、かなりまずかったってことだ。

 だが、俺が潜ってきた中ではまだましなほうと言えばましなほうだった。世の中、上には上があるし、下には下がある。

 ただあからさまに旗色が悪いことは事実だったから、俺はさっさと逃げることにした。自衛訓練すら受けていないか弱い市民の安全だとか、修羅場を潜り抜けてきた危険請負人(リスクユーティリティ)の意地だとか、予備役軍人の義務だとか、そんなものは頭から吹き飛んでいた。

 ああ、俺は元兵隊なんだよ。見ればわかると思ったが、案外わからないものか。その頃の俺は乙種予備役だったんだが、よくわからないか。予備役にも甲と乙の二種類があってな、甲は拘束が厳しいが手当や特権もいい、乙は拘束が緩いが手当も特権も大したことがない。軍に食わせてほしいなら甲種がお薦めだが、世間体や付き合いの問題なら、乙種が断然ましだ。しかしまあ、民間人ってのは、本当に軍のことを知らないんだな。広報の連中や地本マンは何をやっていやがるんだ。

 話を戻すか。

 俺は予備役軍人だった。ところがだ、それなのに――そういう資格を得て誓いも立てて、本業に役立ててもおきながら――いざそのときが来た途端、逃げようとした。

 責めたきゃ責めてもいい。「無力な市民様」には当然そうする資格がある。無力じゃないとしても、その場にいなかった奴と最初から最後まで気持ちを揺らさず戦い抜いた奴にはそうする自由がある。どれだろうと、市民を見捨てようとしなかった点だけは一緒だからな。

 もっとも、その場にいなかった奴はあまり大きな口を叩かないほうがいい。そうすれば、万が一自分の番が回ってきたときに、恥をかかずに済む。なぜって、そういう奴の大方は、いざ自分が同じ立場になったら真っ先に逃げるに決まっているからだ。

 何しろ、俺の隣でいちゃついていたカップルが、いつの間にか近寄っていた人間より大きなカマキリどもに仲良く首筋を齧られているような地獄だったんだ。何か一つでも歯車が狂っていたら、俺が首を齧られて白目を剥きながら痙攣していてもおかしくなかった。生と死は表裏一体の隣り合わせ。いつ自分が死んでもおかしくない。いつ殺される側に回っても不思議はない。そういう地獄だ。

 そんな場所に踏み止まれる奴がどれだけいそうか、少しでいいから考えてみろよ。

 たかが義務感や正義感如きでその恐怖を小揺るぎもせずに乗り越えられる奴がどれだけいる。たかが義務や正義程度のものが人間にそんな要求をしていいとでも思っているのか。義務や正義がそんなにご大層なものであるものか。憶えておけよ、どれだけ綺麗事を並べ立てようがな、結局のところ、普通の人間が命を投げ捨てるにはそれ以上の何かが必要なんだ。それがあるから人は命を張れる。

 そして、そのときの俺にその「何か」はなかった。だから揺らいだ。だから逃げようとした。だから進んで死地に残ろうなんて気持ちにはならなかった。

 よく誤解されるが――昔の仲間連中なんかは本当に俺を買い被っていたものだ――俺はどんな戦場でも踏み止まって戦う英雄なんかじゃない。踏み止まるだけの理由がなければ踏み止まれない。分が悪いときはさっさと逃げる。そういう人間だ。

 だから俺は、生き延びるために――逃げ延びるために――まず目の前の危険と戦った。完全(フルメタル)被甲弾ジャケットを装填してあったもう片方の銃を抜いて、続けざまに二発撃った。狙いどおり、弾は西瓜より大きな頭のすぐ下に当たって、硬い外骨格の弱点、頭の付け根の関節部分をうまいこと粉砕した。二匹のカマキリの頭が同時にぽろりと、まるで椿みたいに転がり落ちた。憶えておくといい。たとえ拳銃弾だって、当てる場所さえ選べば変異虫どもの硬い外骨格に対抗できるんだ。そんなもので立ち向かう破目にならないに越したことはないし、その時点である意味じゃ負けたようなものではあるんだが。

 ついでに少しためになる話をしてやろう。虫どもの本当にいやらしいところは、実は強靭な外骨格なんかじゃない。本当に怖いのは生命力だ。頭を吹き飛ばしただけじゃ連中は止まらない。食う口もないくせに体が動いて餌を探すんだ。仲良く頭を落とされた二匹も、鉄より硬い棘だらけの鎌で二つの死体を後生大事に抱え続けていた。

 この手合いばかりは瀕死のトカゲにとどめを刺したときのようにはいかない。虫どものしぶとさは段違いだ。こいつらを即死させるには薬や超能力で殺すか圧倒的な破壊力で全身を破壊するくらいしか手がないから、大口径とはいえ単なる拳銃じゃどうにもならない。このときは、こんなことなら衝撃手榴弾かマグナムカービンでも持ち込んでおくべきだった、と思った。今思えばどうしてあんな丸腰同然で過ごしていたのか不思議でしかないが、あの頃はそのことをおかしいとも感じていなかった。俺としたことが情けない話だが、あのときはすっかり平和ボケしていたんだ。予備の実包を部屋に置き去りにするほどボケていなかったのは不幸中の幸いだったと思う。もしそんな馬鹿なことをしていたら、俺はここにいなかったはずだ。

 俺は自分が死んだことに気づきもしない下等生物どもを放置して、さっさと撤退を始めた。こいつの装弾数は六発だが、普段は暴発の危険を考えて五発しか入れていない。それが二挺で、うち既に四発が発射済み。つまりすぐに撃てる弾はその時点で残り六発だった。その上、構造がシングル()アクション()アーミー()と大体一緒だから、再装填に手間がかかる。そんな状態で意味もなく孤軍奮闘しようと思うほど頭のおかしい奴は――頭のおかしいのが基本のリスティリでも――そうはいない。

 それでも、手の届く範囲にいる奴を見捨てて逃げられるほど俺は薄情じゃないし、軍法が怖くないわけでもなかった。軍法違反は不名誉除隊もありうる。名誉除隊なんてくだらないものに執着するつもりはなかったが、つまらないことで手放す気もなかった。

 もしお前が経験者ならわかるだろうが、助けて助けてと叫ぶ奴と目が合ったとき、視線を背けるのはとてもつらい。そのときを乗りきったとしても、その後も、ずっとその目は俺を責め続ける。お前に俺がどう見えるかはわからないが、俺だって、できればそんな思いはしたくない。

 それでも、人目がなけりゃ逃げること自体は選択肢としてなしじゃない。だが、あんな衆人環視の場で公然と市民を見捨てるわけにはいかなかった。そのときはごまかせても、どうせ後から告げ口する奴が絶対に出てくるんだからな。中には俺が予備役だって知っている奴がいるだろうし、市民様というのはそういう生き物だ。そのときに備えて既成事実を作っておく必要もあった。戦わずに逃げたと戦ったがだめだったの間には天と地ほどの差がある。

 そういうわけだから、得体の知れない化け物どもに組みつかれそうになった奴を何人か助けてやった。何百人もいる犠牲者候補のうちの五、六人なんてまさに焼け石に水だが、大事なのは俺が逃げずに戦って市民を救ってやったという事実だ。これが後で何か言われたときに効いてくる。

 ただし、組みつかれた奴は手遅れと判断して見捨てた。ある意味トリアージだ。実際、そいつらは手遅れだったんだ。その辺の見極めに関しちゃ俺の目は確かだった。だから俺は何も悪いことなんてしちゃいない。事実、俺はそのことで誰にも責められやしなかった。

 このときに俺を支配した迷いや情けや複雑な我が身かわいさが、その後の流れを決定付けた。手近にいた何人かを助けてやって、これで心置きなく逃げられると思った矢先のことだ。管理AIが操作する合成音声の放送が流れた。放送はアーコロジー全体の状況報告から始まった。地上部といくつかの空中公園が変異生物の襲撃を受けていると言った後、放送は、住民は即刻内側に避難して、現場にいる警察官と予備役その他は警備会社の重装部隊到着まで住民の保護と支援に当たれ、と言ってきた。建前上は命令じゃなかったが、命令と変わらない。つまり、俺は踏み止まることを余儀なくされちまったんだ。命令が出たら、後は粛々と任務に就くか、放り出して裁かれるだけと相場は決まっている。

 外縁部にいたことや化け物と交戦していたこともあって、俺は避難者の最後尾辺りにいた。これは考えようによっちゃ不幸中の幸いだった。こういうのは先頭にいるのが一番だが、一番前にいられないんなら、いっそ後尾につくしかない。真ん中だけはだめだ。周りを弾除けに囲まれて一番安全に見えるかもしれないが、実は一番危ない。避難場所に逃げ込んでいく先頭の奴らの背中が見える上、後ろから逃げてくる連中もいるから、どうしても気持ちが焦っちまうし、落ち着いて頭を冷やそうにも速度を緩めれば後ろの連中に踏み潰されちまう。マグロ――ちょっと違うかもしれないが――みたいなものだ。そうでなけりゃ赤の女王だ。停まったら死ぬ。踏み止まるなんて論外だ。実際、そんな風にして守るべき市民様に踏み殺された警官や警備員やらが何人もそこにはいた。連中は敵じゃなくて味方に殺されたんだ。ひどい笑い話だろう。最大の敵は常に身内に在りってな。

 避難の混雑と無縁の位置にいたおかげで、俺は無能な味方に怯えずに済み、ただ純粋に気色の悪い化け物どもだけを警戒していればよかった。俺が生き残れたのも大部分はこのおかげだろう。発狂した群衆に巻き込まれるのは敵に囲まれるより始末が悪い。

 こうして振り返ってみると、我ながらよく戦ったものだ。戦果自体は自慢できるほど大したものじゃなかったし、弾がたくさんあったから弾切れの心配だけはしなくて済んだが、装弾数六発のシングルアクションリボルバー二挺であの地獄を生き抜いたことは自慢してもいいだろう。実際こいつは勲章物の活躍だ。俺じゃなかったら死んでいたに違いない。

 何しろ、俺がいたのは戦場だ。六発ずつと言うと日常の喧嘩や決闘じゃ十分すぎるくらいだが――普段の戦いで俺に六発以上撃たせる奴はいない――敵味方が入り乱れる戦場じゃ丸腰も同然だ。確実に当てて無駄を防いだとしても、あっと言う間になくなっちまう。死んだ味方の近くに銃が転がっていることもあったが、他に武器がないならともかく、生きるか死ぬかの戦場で手になじんでいない銃や壊れているかもしれない銃を拾う気にはなるわけがない。もっとも、たとえ俺がもっと無神経だったとしても、警官が持っている官品の銃が威力不足の三十五口径だってことだけはどうにもならないんだが。

 それでも俺は二挺だからまだよかった。弾切れを起こしても、すぐに無防備な再装填を始める必要がないからだ。空っぽの銃を腰に戻して、もう一方を抜いてそのまま戦える。西部開拓時代どころか前装銃の時代からの伝統的戦術だ。映画や漫画なんかじゃ両手に一挺ずつ持っていたりするが、そんなのはただの曲芸だ。二挺拳銃というのは、本来、弾切れを先延ばしにするためのものなんだからな。

 そう、先延ばしだ。根本的解決にはならない。所詮問題の先送りだ。二挺目を撃ち尽くしたら地獄の再装填が始まる。ただでさえリボルバーは装填に手間がかかるのに、こいつは基本構造がSAAだから、スピードローダーも使えない。SAAの再装填のやり方を知っているか。撃鉄を半分起こして回転弾倉(シリンダー)を解放し、装填口(ローディングゲート)を開けて、銃身に付いている排莢棒(エジェクターロッド)を押して一発一発空薬莢を取り出して、また一発一発弾を込めて、ゲートを閉じて、でもって撃鉄を完全に起こす。こういうしちめんどくさい作業を終えて初めてまた撃てるようになる。SSAも同じだ。

 普段の生活の中でならこんなことは苦にならない。それどころか、一つ一つの手間が却って心を落ち着かせて、研ぎ澄ましてくれる。だが、戦場でそんな悠長なことはしていられない。俺は走って逃げ回りながら、恐怖に震える覚束無い手で一発一発弾を込めては撃って、また走り回った。そういうとき、俺はいつも思うんだ。自動拳銃(オートマチック)にしておけばよかった、と。だが、喉元過ぎればなんとやら――昔の人は実にいいことを言うものだ――終わった頃にはそんな気持ちもさっぱり失せちまう。やっぱり人間はだめな生き物だな。

 引き金を引きながら、さっさと避難を済ませろと心の中で無力な市民の皆様に毒づいてもいたが、出入口の辺りを見て頭が痛くなったよ。万が一にも内側に化け物どもの侵入を許すことのないよう狭められた隔壁の収容能力がまた絶望的でな、市民のほとんどがそこで団子状態になってまごついていやがった。暴走した豚の群れよりも頭の悪い市民の群れが逃げきるまでにどれくらいかかるか、さすがの俺にもわからなかった。

 俺が死ぬのが先か、愚図どもが逃げるのが先か。十数分ばかりだったろうか、そんな風に苛酷な戦いに巻き込まれながら市民の脱出に合わせて少しずつ後退していると、一般用出入口の左右の隔壁が開いた。治安要員用の通路だ。やっと騎兵隊のご到着というわけだ。

 この物騒なご時世だ。警備会社はどこも景気がいい。よく聞くのは陸軍系の一空やアンフィ、アイジー、海軍系のマリタイム、空軍系のエアロ、警察系の桜田辺りだが、俺達が聞いたこともないような会社だって、実はかなり繁盛している。そんなだから、どこも社員の待遇や装備に力を入れていてな、質で言えば軍より高い。俺がいたところでもそうだった。薬物と少しばかりの生体部品を使って肉体を強化しただけの俺と違って、連中の中には、ネズミ並みの脳味噌をアダマンタイト合金製の頭蓋骨の中に残して全身を生体部品と無機物に置き換えた戦闘機械どもまでいた。外見はもちろん大きさも人間離れしていた。当然、見かけ倒しなんて奴はいなかった。それぞれに差はあるが、中には化け物が仔猫か何かに見えるほどの化け物じみた力の持ち主もいた。もし喧嘩を売られたとしたら、たとえ対物小銃が手元にあったとしても、変な意地なんか張らずに土下座でも何でもしてさっさと見逃してもらうところだ。あいつらは人型の戦車みたいなものだから、正面から生身で殴り合うのは馬鹿のすることだ。

 助けに来てくれたのはそんな連中だった。強化外骨格(エクスケ)を着込んで完全武装したあいつらは、初期の二足歩行ロボみたいな動きで隔壁から出てきた。

 縦にも横にも俺の倍以上はありそうな一つ目鉄ゴリラどもの姿を見つけた俺の喜びが、その場にいなかった奴にわかるかどうかは知らない。重装警備員連中が抱えたガトリング砲がビール瓶に、背中の馬鹿でかい給弾装置がビールサーバーに見えた気持ちは、その場にいなかった奴にはさすがにわからないんじゃないかと思う。

 憶えておけ。警察や軍隊を見たときに安心できる国はいい国だ。少なくとも、連中の制服を見て、やましいこともないのに逃げたくなるような国とは比べ物にならない。だから、そういう意味じゃあのアーコロジーは悪くなかった。

 だが、ベターではあっても、ベストな国とまではいかなかった。

 俺が思うに、最高の国という奴は、未だかつてただの一度も存在したことがない。治安維持組織が必要ない国がそれだからだ。警備員や警官を見て安心できるってことは、それまで不安でびくついていたってことだ。

 いつかそんなすばらしい国に住んでみたいが、きっと楽しいのは最初のうちだけで、すぐに退屈になるんだろう。俺にとってはユートピアこそがディストピアなのかもしれない。

 待てよ。すると、つまり、もしかして、不幸は幸福のスパイスなのか。いつ死ぬかわからないから生きられるのか。不幸せになる可能性があるのに幸せだからこそ幸せなのか。死ぬかもしれないのに生きているからこそ生きていられるのか。悪がある中で善があることが幸せなのか。

 話がまたおかしな方向にいっちまったな。ちょっと酒が回ってきたみたいだ。

 戻ろう。

 警備員連中が横隊を組んで前進すると、大時化みたいに荒れ狂っていた市民がモーゼを迎える紅海みたいに静かに割れた。

 俺はその姿を感嘆とともに眺めていたが、市民を後ろに回した連中が立ち止まって足を踏ん張るのを見た瞬間、我に返った。俺諸共化け物を撃つこともありえた。もし連中に良心なんてものがあったとしても、俺を避けて掃射するんじゃ討ち洩らしが大量発生するだろう。それに、手違いというやつは必ず起こる。二十ミリの流れ弾なんぞ想像するのも嫌だ。それを避けるため、俺は生き残りの味方に怒鳴ってどくように呼びかけ、なるべく化け物どもがいないほうに向かって走った。

 俺の退避を待っていたようなタイミングで、霙混じりの台風でも来たような轟音が響いた。鉛玉の暴風がベンチや街灯、並木だとかと一緒に化け物どもを薙ぎ倒して挽肉に変えていくのが見えた。俺がちまちまと仕留めていった連中が半分にもならない時間で何十倍もまとめて消し飛ぶ姿は圧巻の一言に尽きた。

 そんなとんでもない火力を見るのは久しぶりだったから、俺は戦いを忘れてその爽快な大虐殺に見入っていたが、そのおかげでこっそり近づいてきていたノミ野郎を見逃しちまった。間一髪で気づいて顔面を吹き飛ばしてやらなかったら、延髄辺りに槍の穂先みたいな口を突き立てられて中身を吸われていたところだ。下水道や草叢でならまだしも、公園の路上で忍び寄られるなんてお笑い種でしかない。まるで駆け出しみたいなミスをしちまった。

 俺は二度と同じ失敗を繰り返すまいと思って、銃を構えてびくびくしながら周りを警戒した。

 だが、結局、ノミの顔を吹き飛ばしてやったのが、その戦いでの最後の射撃になった。警備員どもの圧倒的な活躍で大勢が決まると、後続が拡声器を使って、あとは自分たちが処理するから退避してもいいと言ってきたんだ。中にはそれでも残って戦う物好きもいたが、俺はありがたく勧めに従った。リボルバー二挺を持ったきりで必要もないのに戦場をうろつくほど命知らずになれるはずがなかった。もちろんナイフもあったが、そんなものを戦場で武器に勘定するのは馬鹿げている。侍なら侍刀一本で戦うところだったんだろうし、実際に何人か刀を振り回している奴があの場所にはいたが、俺に武士道なんてものを期待されても困る。

 俺は一足先に部屋に戻って、こいつの手入れをしてから、待機名目でくつろいで読書の続きをしていた。一時間くらい経った頃だったか、例の合成音声が流れて防衛成功宣言が出た。放送では後片付けを始めるから役に立てそうな奴は被害地区に集合しろとも言っていたが、任意だったし、もう最低限の義務は果たしていたから無視した。

 それからさらに二、三時間が過ぎた。四、五時間だったかもしれない。その間にあった細々とした放送やら何やらと同じで、俺にとっては大して重要でもなかったから、よく憶えていない。

 まあ、どっちでもいい。大したことじゃない。

 俺が憶えているのは、片付けが大体終わったという放送と、本格的な加工をしなくても食用可能な化け物の肉を調理して配るから希望者は受け取り用の器を持って下層の広場に集合しろ、という通達だ。それに合わせて部屋の端末にも具材や調理方法なんかの詳細情報が届いた。調理方法は鍋を使ったごった煮だった。大体哺乳類系の変異生物が材料だったこともあって、そのアーコロジーでは大雑把に「獣鍋」と呼んでいた。

 変異生物の大半は人間の敵だが、それだけというわけじゃない。わかるだろう。そうだ。資源でもあるんだ。種類にもよるが、解体すれば工業資源から食料資源まで――最悪でも燃料か肥料くらいには――あいつらは何にでも使える。たとえば、さっき話に出したヨロイカブトムシの甲殻からは金属を抽出できるし、他の連中も体液から薬の成分を取り出せる奴なんかがいるだろう。肉がいい肥料になる奴とか、鉱物を腹の中で宝石――天然物とは色々違うが――に作り変えるような奴もいる。科学全盛のこのご時世だが、自然の支配には程遠い。情けないことに、化け物に作ってもらうしかないものや、化け物から採るのが一番安上がりなものが腐るほどある。だから、俺たちは殺した化け物は骨までしゃぶり尽くすわけだ。連中の無駄毛一本まで、全部俺たちのものだ。土に還すなんてもったいない。

 さて、放送を聞いて、俺は早撃ちをやるとき以上の反応速度で動いていた。放送が終わったときにはもう鍋を手にして――ついでに公園での教訓から久々に完全武装して――部屋を飛び出していたんだ。

 何を笑っていやがる。大袈裟だと言いたいのか。ここいらと違ってあのアーコロジーの食事ときたら基本的に代用食か保存食、よくて化学物質を食って育ったなんとなく薬臭い味がする化学養殖の家畜や野菜くらいで、俺みたいな庶民は天然と養殖――ついでに原種と改良種――関係なく、化学物質に頼らず育った新鮮な本物なんて滅多に食えなかったんだ。俺たちが普段食っていたものと言えば、脚が二十本くらいついていて一週間で成体になる鶏とか、怪しい肥料のおかげで三日もあれば収穫できる水耕栽培のジャガイモだとかだ。まずそうだろう。実際、どれも大してうまくない。

 もちろん好き好んでそんなものを食っていたわけじゃない。何せ、自然養殖と化学養殖じゃ、桁が一つ二つどころか軽く三つは違った。このビーフジャーキーが本物の肉だとしたら――もちろん仮の話だ、お前が言うとおり、実際はこいつも化学養殖の肉だ――一切れウン万円してもおかしくない。その辺りを考えれば無理もない反応だろう。気色悪い化け物の肉とはいえ、化学養殖じゃない本物の肉という奴はそれだけで庶民にとってかなりの――もちろん普段から贅沢三昧の上流階級の方々にとってもそれなりの――ご馳走だったんだ。それをタダで食えるとなれば少しくらい浮かれたって仕方がないじゃないか。それとも何か、お前はそんな環境でも坊さんみたいに落ち着いていられるのか。そうだ。わかればいい。

 部屋を出ると食い意地の張った奴らが大勢いた。鍋や釜を抱えた老若男女が警官に注意されるほどの速さで廊下を走り、下層を目指していた。俺もすぐに仲間に加わった。ひどいお祭り騒ぎだったが、実際、あれはお祭りだったと言っていい。戦いに勝利した祝い。戦い抜いた戦士たちへの労い。恐怖を癒す馬鹿騒ぎ。あのはしゃぎぶりにはそういう目的もあったんだ。

 下層まではまったく大変な道程だった。下に行くためにまず上に行き、西棟に行くためにまず東棟に向かう。途中で三メートルほど途切れた工事中の連絡通路の切断部を飛び越え、吹き抜け部分を五メートルばかり飛び降りる。五号エレベーターで三十階まで下ってから八号エレベーターで九十階まで上り、今度は二十八号エレベーターで地下三階まで下る。それから今度は一階に上がって二号エレベーターに乗り込む。そういうのが延々続いた。

 俺でさえ苦労したんだから、一般人はもっと大変だったはずだ。現実離れした不合理だ。こうして冷静に思い返してみればみるほど不条理だ。外敵の侵入を防ぐための設計だとか、まるで中世ヨーロッパの城砦みたいな説明を聞かされた記憶がある。俺もあの頃は若かったからそういうものかと思うだけだったが、今となってはあんな説明で少しでも納得した自分が理解できない。どう考えてもあれは正気の沙汰じゃなかった。狂った管理AIのいやがらせじみた勧告のせいだろう。実際にAIが狂っていたのかどうかは知らないが、計画的にあんなものを作るほど人間が狂っていたとは思いたくない。歴史は人間が馬鹿な気違いだと何度も証明してきたがな。

 三時間くらいかけてようやく目的の場所に到着すると、もうそこは容れ物を持った連中――難民じゃなかったら乞食みたいに見える連中――で溢れ返っていた。

 広場の奥まった辺りには人間を軽く三十人は釜茹でにできそうなほど大きな鍋がいくつもあった。そこから立ち上る湯気は景色に靄がかかって見えるほど凄まじかった。湯気がそれだけ出るということは当然匂いも相当なものになるわけで、広場に入ってすぐのところでさえ、味噌と醤油の香りが濃く漂っていた。それだけで腹一杯になりそうな匂いだった。

 俺は警備員の誘導に従ってなるべく人の少なそうな列に並んだんだが、大した意味はなかった。そこでも目算二百人くらいが既にいた。列の先にはさっきも言った大きな鍋があったから食いっぱぐれる心配自体はしていなかったが、そこに行き着くまでにどれだけの時間がかかるか想像するだけで気分が滅入った。正直に言えば帰りたかった。

 俺の前には頬髭を生やした陽気な感じの白人男が大鍋を抱えて立っていた。そいつの顔には見覚えがあったが、すぐに思い出せなかった。わざわざ思い出そうという気にもならなかった。俺はあまり他人に興味がないんでな。そいつが敵じゃないとわかっていればそれでよかった。

 俺が後ろについた気配を感じ取ったのか、男が振り返った。すると男は何かを確かめるようにじっと俺の顔を見つめたかと思うと、ぱっと笑顔を浮かべた。身振り手振りを交えた外人特有の大袈裟なリアクションで「よう、名無し(マン・ウィズ・)の男(ノー・ネーム)。さっきは息子を助けてくれてありがとうな」と笑って呼びかけ、右手を出してきた。それで思い出した。そいつは公園でトカゲから助けてやった子供の親だったんだ。

 俺はその手を握って「ジョーとでも呼ぶ気か」なんて答えて話に付き合ってやった。

 そうすると父親は「君を呼ぶなら正義の味方(ガンスリンガー)だな」とまた笑った。本当によく笑い、よく喋る奴だった。

「よしてくれ。俺は悪党(ガンマン)だよ。便利屋だからな」そう軽口を返して俺は手を離した。

 ガンスリンガーだのカウボーイだのと呼ばれはしたが、俺は西部劇趣味でSSAを使っているわけじゃない。服装にしたって、着衣は今と大して変わらない。オーバーコートにタクティカルベストに戦闘服だ。二挺と弾薬を収納する弾帯だって軍用のを多少仕様変更しただけのやつだ。西部劇をイメージさせるものはない。ただリボルバーが好きで早撃ちがうまいだけだ。俺はそう否定したんだが、父親によれば、便利で信頼性も高いダブルアクションオートやフルオートが普及した時代にピースメーカーみたいな不便な代物――リスクブレイカーだと訂正はしたが「つまり同じことじゃないか」と返された――を使う昔気質が「古き良きアメリカ」を思い起こさせるらしかった。リボルバーは「アメリカを作った銃」で「アメリカの魂」らしい。感覚的には日本刀みたいなものなんだろう。

 見ればわかるだろうが、俺はアメリカ人じゃないし向こうの血なんか一滴も流れちゃいない。

 だが、その辺りはどうでもよかったんだろう。実際、よくよく聞けばその白人一家も、出身はオーストラリアだという話だった。現役の悪党と犯罪者の末裔が、世界の警察様の精神を話し合っていたわけだ。なかなか笑える。そう思わないか。

 俺たちは亀の歩みよりも進みの遅い行列の中で雑談を続けた。面白くもつまらなくもない会話だったが、驚きがなかったわけでもない。一番驚かされたことだけ話しておこう。典型的な「陽気な馬鹿外人」以外の何にも見えなかった父親だが、実はアーコロジーの技術職員という、俺なんぞが逆立ちしても敵わない知能の持ち主だったんだ。これには恐縮するより先に呆れがきたものだ。エリート様がこれか、と。

 しばらく言葉を交わすうち、退屈を持て余したらしい父親が、趣味で作っている機械の試作品を見せてやると言い出した。いつも持ち歩いているのかと呆れて訊いてみたら、公園で実験するつもりだったと奴は答えた。

 父親が鞄から出したのはドライヤーに似た道具だった。違うのはドライヤーなら送風口になっている部分に穴がなくて、その周りに扇風機の羽根みたいなもの――長さは十五センチくらいだったか――が後ろに折り畳まれた状態で生えていたことだ。父親は「携帯型送風機」とそれを説明した。

 自信満々の父親が羽根を一枚一枚起こしてからハンドルを握り明後日の方向に機械を向けてスイッチを入れると、先っぽのプロペラが回転を始めた。

 俺は退屈そのものの気分でそれを見ていたが、少ししてちょっと驚かされることになった。少しずつ羽根が伸びているように見えたんだ。最初は目の錯覚かと思ったが、目を瞬かせてもこすっても変わらなかった。

 羽根が五割くらい伸び、またさらに伸び続けて、もう錯覚と言い張るのが無理になった頃、父親がしてやったりというむかつく笑顔を俺に向け、種明かしを始めた。羽根の素材は強化プラスチック系新素材で、特殊警棒みたいな構造を採用しているから回転の遠心力で伸びていく、と奴は語った。強度的に問題があるんじゃないかと思っていたら案の定で、長い間使うと羽根の関節部分が壊れるし、安全を考えると再使用はしないほうが無難だと父親は言った。まだまだ未完成だったわけだ。奴はこれで技術を試験して別分野に転用するつもりだと言っていたが、こいつがどうなったのかはついぞわからずじまいだ。調べればわかるかもしれないが、そこまでするつもりもない。

 さて、俺はそんな脆い発明品をこんなところで無駄遣いしていいのかと驚いたわけだが、父親は構わないと笑った。「息子の命の恩人が楽しんでくれるなら安いもの」らしい。

 意外に強い風が隣の列に並んでいた若い女のスカートを乱れさせるのを眺めてにやにやといやらしい顔をしてから、折れた羽根が周りに無差別攻撃を仕掛けないうちに、と父親は何食わぬ顔で機械を鞄に戻した。

 感想を求めるような目配せをされ、俺は技術的なことはわからないが、と前置きした上で「なかなか面白かったよ」と正直な感想を告げた。

 父親は嬉しそうに笑って、今度他の発明品を見に来ないかと誘ってくれたが、俺がそれに答えを返す前にまた事件が起こった。ちょっと離れた場所から雷が鳴るような音が聞こえたかと思うと、悲鳴が聞こえてきて、人々が列を乱して逃げ惑うのが見え、そして何発かの銃声が聞こえた。

 俺は咄嗟に身を低くして銃を抜いて警戒に入った。俺に比べれば遅くはあったが、周りの連中も似たような反応を示していた。武器を持っている奴はそれに手をかけ、持っていない奴は蹲ったり逃げ出したりしていた。件の白人もそうだった。大柄な体つきに似合わない小型のオートマチックに手をかけ、強張った顔で音のしたほうを睨んでいた。

 いつでも撃てるように撃鉄に親指を乗せながら状況に注意を向けていると、広場に警備会社の音声が流れた。確か放送は、錯乱した住人が順番待ちの列に向かって放電手榴弾を投げつけて十何人かの怪我人を出した、とか何とか説明していた。落雷みたいな音と悲鳴はその音だったんだ。ちなみに銃声は警備員が非致死性弾頭――俺に言わせれば即死しづらく後遺症も残りにくい拷問用の弾のことだ――を撃った音で、犯人はすぐに制圧されたということだった。

 安全宣言が出たので俺たちは立ち上がってまた順番待ちを始めた。この程度のことは茶飯事だったから、事が済んでしまえばもうどうということもなかったんだ。むしろこのときは、逃げ出した奴のおかげで進みが速くなったと喜んでいたくらいだ。今にして思えば、苛酷な時代で、苛酷な場所だった。

 俺と父親が何事もなかったように会話を楽しんでいると、手榴弾事件のあったほうから警備員二人組がお喋りしながら歩いてきた。好奇心旺盛な父親は早速話しかけて、何があったのかを聞き出そうとしていた。

 警備員たちは苦笑して「頭のおかしいアフリカの呪い師」が手榴弾を投げたんだと語った。「白人の機械に力を送るため」と意味不明な供述をしていたが、クスリのやりすぎが原因で発狂気味の男だったからどうでもいい、と警備員は一蹴してみせた。警備会社はまともに取り合うつもりもないようだった。

 それを聞いた父親は顔を引き攣らせて礼を言って警備員たちを解放した。それから俺を見ると、周りを気にした様子で「やっぱり俺のせいだよな」と小さな声で言ってきた。俺は真面目腐った顔で頷いてやった。父親は頭を抱えて「ジーザス」と呟いたかと思うと、家族には内緒にしておいてくれと言ってきた。

 その後は特に何もなかった。微妙な気まずさを抱えて雑談を続けるうちに獣鍋の前に辿り着いていた。肌が火照る熱気と一緒に日本人の胃袋を刺激する味噌と醤油の圧倒的な香りが押し寄せてきた。傍で作業――調理や配膳という言葉は生易しすぎる――していたアーコロジー職員やボランティアのうち、未増強の連中は汗だくで死にそうな顔をしていたが、ずっとそこにいるわけじゃない俺にとっては食欲をそそられる実にすばらしい場所だった。長居はしたくなかったが。

 まず父親が分け前に与った。和風の調理法が珍しかったのか、抱えていた鍋に獣鍋が乱暴に分けられるのを眺めながら、父親は馬鹿外人そのものの態度で褒め言葉を口にしていた。

 父親の番が終わってようやく俺の順番だ。立ち上る匂いについほっぺたを緩ませながら、俺は大鍋一杯に具材と汁が注がれるのを眺めていた。

 沸騰した汁のおかげで早くも迂闊に触ると火傷しかねないほど熱くなった鍋を抱えて帰ろうとしたとき、俺を引き留める声があった。誰かと思えば、とっくに帰ったと思っていた父親だった。聞けば俺を待っていたとのことで、よければ家に寄ってビールでもやっていかないかと誘ってくれた。正直人付き合いなんぞめんどくさくてそれ以上付き合いを広げるのは億劫だったんだが、折角の誘い――タダで飲み食いできる――を無下にするのも気が引けたから、俺はちょっとだけお邪魔することにした。

 陽気な白人に案内される最中、俺はちょっとした特権階級気分を味わった。管理部の上級職員専用の通路やエレベーターを使うことができたんだ。俺たちが普段使ういやがらせのような迷路とは比べ物にならない快適さと明快さで、あっと言う間に白人の住む区画に出られた。

 だが、そこで俺は少しばかり気まずい思いをする破目になった。お喋りしながら案内された先は、俺が住む区画とは明らかに雰囲気の違う高級居住区だった。俺みたいな奴はあからさまに場違いで、通り過ぎる連中も「なんだ、あの野蛮人は」というような目を向けてきた。父親に遠回しないやがらせをされているんじゃないかとすら思った。全然気にしていない父親の様子を見て、すぐそれが邪推だとわかったが。あれはただ無神経なだけだった。

 白人の家に着いたとき、正直に言って、玄関の扉が開くまでは少し緊張した。何しろ、子供の命を助けてやったとはいえ、俺は所詮便利屋だ。技術職員様のお宅にお邪魔できるような人間じゃない。白人にその心配は要らないとわかっていたが、家族のほうも同じように俺を受け容れてくれるかどうかなんてわかりゃしなかった。白人がインターホン越しに「今日は特別なお客を連れてきた」ともったいぶって家族に告げるのを横で聞きながら、不安になったよ。

 俺のことを心配性な男だと思ったか。確かにそういうところはある。経験を積むと便利屋の多くはそうなるんだからな。俺も御多分に洩れなかったわけだ。

 だが、それを差し引いても、そういう心配をしても仕方がないのが便利屋という人種なんだ。新米にその辺の機微はわからないだろうがな。

 便利屋の社会的価値は低くない。何しろ、俺たちがいなきゃ引き受け手のいない仕事がたくさんあるし、俺たちが小銭目当てに方々に持ち込むものにはお宝が一杯混じっている。買い物だって特別だ。軍や警備会社以外じゃ俺たちくらいしか買わないようなものが一杯ある。その上、特別な技術を持つ奴も多い。だが、価値と待遇が釣り合う例が歴史上にどれだけある。いい例が農民だ。古今東西、良識派ぶった奴らが、農民は偉い農民は偉いと口を揃えて言ってきたが、それで農民が世間から尊敬されるようになったなんて話は聞いたことがない。尊いということになっている。それだけだ。実際に何か大層な身分を保障されているわけじゃない。よくよく考えてみると、むしろ百姓を引き合いに出すのなんてとんでもない話だな。一握りの正社員に支配される圧倒的多数のフリーターや派遣のほうが近い。農民はそれでもまだ敬われる部分があるが、フリーターや派遣なんぞをありがたがる奴はいないだろう。もう日本社会自体がそいつらなしじゃ回らない状況にあるくせにな。つまりは、社会的価値はあってもそれを認めてもらえる社会的地位はないに等しいということだ。

 もちろん、指図する側の奴ならどんな職業だってそれなりの格というものをつけてもらえるから、そういう便利屋は名実共に名士様だ。俺に言わせればそんな奴はもう便利屋じゃないがな。そういう奴らの中には役所の便利屋関連部署の職員や顧問になるのもいる。この点も考えると、むしろ広い意味での古代ローマの奴隷に近いかもしれない。雇い主の考えと本人の才覚次第で変わる部分があるという意味ではな。

 ただ一つだけ言えるのは、これが実際に手を汚して体を動かす側となると――特に手を血で汚すような奴は――どうしてもそうはいかないということだ。わかるだろう。兵隊や警官、そして俺たち便利屋なんかのことだ。俺みたいな人種、小銭のために命を取ったり取られたりする生き物は、だめなんだ。

 良識とやらがあろうがなかろうがそんなことは関係ない。良識のある奴は、どんな汚れ仕事をやる人間だろうとそいつがいないと社会が回らなくなることを知っているから、少なくともあからさまに軽蔑してみせたりはしない。その中でも人間の出来た奴は、たとえ俺たちみたいなのが相手だって、心底から敬意を払ってくれる。それでも、親しみを持ってくれる奴はあまりいない。住む世界が違うからだ。敬いはするが仲良くはしたくない。敬遠という言葉のこれ以上ないお手本だ。それが大抵の奴の本音なんだ。嘘だと思うんなら、試しに誰かホワイトカラーを捕まえて訊いてみればいい。仕事か何かで知り合った便利屋に一杯やらないかと誘われたとき、ホワイトカラーに答えるのと同じように頷いて、宿酔いになるほど仲良く酒を飲むつもりになるか、と。こう訊いてもいいぞ。普段、ホワイトカラー仲間やお上品な彼女を連れて行く店に俺も連れて行ってくれるか、とな。まずイエスとは言わないだろうさ。今飲んでいるのより一等上のウオッカを賭けてもいい。どうだ。賭けてみるか。

 そういうわけで、カメラ越しに俺たちの姿を認めた奥さんが玄関から嫌な顔を出すんじゃないか、と俺は段々不安になった。その手の反応には慣れていたが、殴られ慣れているからといって痛くなくなるわけじゃないだろう。勘違いしている奴が多いが、慣れるってことは、どうにか取り乱さずにいられるってことの言い換えでしかない。殴られても痛くなくなるってのは慣れじゃなくてただの麻痺だ。そういう奴はもう神経が死んでいるんだ。

 だが、俺の心配は杞憂だった。奥さん、つまり母親は父親に声をかけるよりも先に、笑顔で俺に歓迎の言葉をかけた。子供も連れてきていて、二人揃って公園の一件の礼を言った。二人が父親に声をかけたのはそれからだった。

 白人一家は俺のことをそれはそれは温かく迎え入れてくれた。小汚い戦闘服で家の中をうろついても嫌な顔一つしなかったし、何かと気を遣って食卓の主賓扱いまでしてくれた。今となってもいい思い出だ。

 家に上がると早速ダイニングキッチンまで案内された。中は広々として清潔な洋風の造りで、俺の住処との違いを嫌でも感じずにいられなかった。奴らの住処こそが「家」で、俺の住処なんかは「巣」でしかないんじゃないかとすら思ったものだ。

 父親と子供が俺の相手をする横では、母親が受け取った鍋をガスコンロに載せていた。それを見て、ごちそうになるだけじゃ気が引けるからと俺も鍋を差し出した。最初は遠慮されたが、何度か押し問答し――最後にはいかに俺が大食らいかを力説して――ようやく押しつけることができた。意外かもしれないが、俺はその辺りに割合気を遣うほうなんだ。

 ぬるくなっていた鍋の中身が温まるまで大して時間はかからなかった。白三人と黄一人がテーブルを囲む広々とした洋間に味噌と醤油の匂いが充満し、食卓上にナイフとフォークじゃなくて椀と箸が並ぶさまは洒落が利いていると思ったが、笑いそうになったのは俺だけだった。一家は何の疑問もないような顔でメシの支度をしていた。それがまたおかしくかったんだが。

 メシはうまかった。本当にうまかった。

 何から話そうか。

 さしあたり、鍋から話そう。完璧に思い出す自信はないが、たぶん大きな間違いや見落としはないはずだ。確かあのときに入っていたのは、シチトウドリにヤツメウシ、ツノイノシシ、ソラウオにヤドリニンジン、それからヨツマタダイコン、カタナネギも入っていた。ニクジキシメジもあったか。要するに、鳥肉、牛肉、豚肉、魚肉、人参、大根、長葱、茸とかがどっさりと入っていたんだ。こいつらが味噌と醤油――それとたぶん隠し味に胡麻油――を使った汁の中でじっくり煮込まれていた。つまり、この日に食った獣鍋というのは、平たく言えば豚汁風味の寄せ鍋みたいなものだ。

 これがまた実にうまかった。あまり和食を食わないという白人一家も舌鼓を打っていて、父親などはこれからは毎日鍋を食おうなんて言い出して母親に叱られていた。俺はそれを見て心が温かくなったし、どこか誇らしい気持ちにもなった。やっぱり、自分の国の料理を外人に褒められて悪い気はしない。そうだろう。

 おっと。肝心の鍋の味を話すのを忘れていた。

 まず具のほうだが、大鍋でじっくり煮込んだおかげかそれとも温め直したおかげか、こってりとした濃い味が染み込んでいて、俺みたいな肉体労働者にはありがたかった。その上、口の中じゃ滅多に味わえない天然物の旨味と香味が暴れるときたから、ほっぺたが落ちないように気をつけるので大変だった。

 この具の味を一言で表わすなら「ごはんが欲しくなる味」だろう。今思い返しても涎が出てくる。あれにごはんがつかなかったのは犯罪的失敗だ。白人一家がパン派だったのが残念で仕方ない。所詮は外人ってことだな。

 もちろん、汁も凄く良かった。なんと言っても、しょっぱいだけ、甘いだけ、脂っこいだけ、というんじゃなくて、味にちゃんと深みがあったのが最高だ。煮込まれる中で具が溶け崩れて水気と旨味を出して、何種類もぶち込まれた食材の味をうまいこと混ぜ合わせていたんだ。よっぽどおかしなものを入れない限り、なんだかんだで一つの程好い味になる。それが鍋ってもので、それこそが鍋の醍醐味って奴だ。そう思わないか。そうか。わかるか。それはよかった。

 俺としては締めにうどんでもやりたかったんだが、生憎とオーストラリア一家の食料庫にそんなすばらしいものはなかった。パスタならあると言われたが、ふざけるな、だ。当然、却下した。

 そうだ。大事なことを言い忘れていた。これを忘れるなんてまったくどうかしていた。

 ビール。ビールだ。鍋も絶品だったが、このときに出されたビールがまたうまかったんだ。物自体ももちろん良かった。お高いお高いオオクニビールだった。滅多に飲めない奴だったから、あれだけでも誘いを受けた甲斐があった。だが、あれをうまいと思った一番の理由はやっぱり、さっぱりとした苦味とこってりとした獣鍋の相性が抜群だったからだろう。濃い味と脂で口が疲れてきた頃にぐっと喉に流し込むと、これが本当に爽やかに疲れを洗い落として、もっと食おうという気にさせてくれるんだ。

 ああいうとき、俺はいつも状況適応遺伝子(SAG)を追加したことを後悔する。ほろ酔いにはなれてもよっぽど深酒しなけりゃ酔っ払えないし、酔ってもすぐに醒めちまうからな。

 SAGを知らないのか。珍しいくらいに物を知らない奴だな。主流じゃないとはいえ、今でも現役の技術だぞ。

 簡単に説明すると、こいつは免疫力や適応力を強めてくれるんだ。たとえば酒が入るそばからアルコールを分解しちまうし、寒いところに行けば体温と血糖値を上げてくれる。怪我をしてもすぐに自然治癒する。毒物はもちろん病気なんかもすぐになんとかしてくれる。筋肉もつきやすくなるし、生体部品との調整もうまいことやってくれる。ただ、所詮は体質改善レベルだから、他の増強処置に比べるとどうも見劣りするのは事実だ。導入した状態で長く生きれば生きるほど効果が上がりはするんだが、他の増強並みの効果を出すには苛酷な環境で下手をすると何年何十年と暮らす必要があるから、筋力が欲しいとか硬い皮膚が欲しいとか具体的な目標があるようなら、他の増強を受けるほうが断然効率がいい。それに、最近の生体部品にはSAGと相性の悪いやつもある。高い確率でおかしな適応をして突然変異を起こしたりするんだ。たとえば、アメリカのなんとかいう会社が何年か前に新型の硬質皮膚を作って売り出したんだが、SAGとの異常適応で象皮病みたいになっちまった奴を見たことがある。入れている奴が減ってきたのはこのせいだ。手軽に手に入る強い力と手に入れるのに苦労する多少強い力なら、物好き以外は手軽なほうを選ぶだろう。物好きでなければ、SAGしかなかったか、SAGのほうが優秀だと言われていた時代に生まれたか、業者に騙されたような奴だ。かく言う俺もその口だ。とはいえ、SAGもそう捨てたものじゃない。何しろ、総合力という意味じゃ、SAGのほうに分があるんだ。強化筋肉は病気を治しちゃくれないだろう。つまりはそういうことだ。長く使われるものにはそれだけの価値があるということを憶えておけよ。

 説明は終わりだ。続きを話すぞ。

 うまい鍋とうまいビール。お互いの味を引き立て合う絶妙の組み合わせを思う存分味わった頃には、大鍋二つ分の獣鍋とビール一ダース半が空になっていた。

 俺は久々に腹一杯食えて大満足だった。確かに、その日会ったばかりの他人の家で飲み食いする量じゃない。それは認める。だが、だからと言って、俺のことを厚かましい奴だと思うのはやめろ。あれは向こうが勧めてくるのを素直に飲み食いしただけなんだから。あいつらは俺の腹にどれだけ入るのか興味津々の顔をしていた。動物や子供に餌をやる感覚に近かったんだろう。

 食い終わった後はちょっと食休みをして帰るつもりだったんだが、子供がSSAを気にしているのを見て、ちょっと予定を変えた。一飯の恩義という奴だ。SSAを手足同然に扱えるようになるための練習の中で身につけたガンプレイを披露してやった。これがまた大受けだった。母親が二人を叱りつけるまで、軽く五回はアンコールを要求される破目になった。そういえばこのとき、酒が入っていい気分になっていた父親から「やっぱり君はガンスリンガーだ」とありがたいお褒めの言葉まで賜ったんだった。

 その後は予定どおり巣に帰った。泊まっていけと勧められたが、役所や企業に出勤するスーツや制服姿のエリートたちの間を薄汚い戦闘服で通り抜ける気にはなれなかったから、「また今度な」と日本的な断りを入れて押し通した。ただ、それでも外人の強い押しには勝てなかったが。今度また一杯やってガンプレイを見せる約束をさせられちまった。


 これで俺がうまいビールにありついたときの話はおしまいだ。酒の肴くらいにはなったか。

 そうか。それなら、ここの払いは任せてもいいな。ついでにもう一杯貰おう。

 仕方ない。後日談もちょっと話してやるから、それで手を打て。俺とその一家がどうなったか気になるだろう。そうか。そう来なくちゃな。


 知り合って以来、俺とその一家は月に一度くらい一緒にメシを食う仲になった。もちろん、タダメシを当然のものと思って何も返さないほど、図々しい人間じゃない。ちゃんと時々は手土産を持っていったし、手土産がないときも宴会芸くらいは披露してやった。

 だが、本当に残念なんだが、付き合いは長く続かなかった。アーコロジーなんてちっぽけな世界にも派閥や政治があるわけで、結論から言えば、父親はその渦に呑まれて沈んだ。技術はあったみたいなんだが、主流に乗り損ねたせいで一気に窓際というわけだ。するとそこに見計らったように他の企業アーコロジーからスカウトがあった。父親は二つ返事で話を受けた。そして家族を連れてお引っ越し、というわけだ。そこで俺たちの仲も切れた。訪ねればまた歓迎してくれるだろうが、訪ねる気にはなれないし、訪ねても他の連中に門前払いされそうだからな。

 これで本当に俺とあの一家の話は終わりだ。


 ところで話は変わるんだが、第二橋に住みついたホームレスどもに武器が流れてるって噂を知ってるか。あっちこっちで流れ始めた話じゃ、連中は武装して強盗団を立ち上げるつもりらしい。

 噂の出所はたぶん自治体だ。警察は頼りにならない。軍や警備会社は金がかかるからあまり使いたくない。だが、本格的に強盗団が出来上がっちまうと軍か警備会社を動かさないわけにいかなくなる。でも、軍を動かすと管轄争いに負けることになって政治的にまずい。そしてどのみち、そんな脅威が育つのを許した役所の責任問題になる。だから、そうなる前に噂を流して、後腐れのない金目当ての便利屋どもをけしかけよう。ついでに便利屋なんてクズどもも間引けたら儲けもの。そんな腹だろうな。

 だが俺は乗るぞ。お偉いさんの思惑なんか知ったこっちゃない。俺の懐が温かくなるんならそれでいい。俺のやることに便乗して他の誰が儲けようが構わない。俺の邪魔さえしなけりゃな。両手で掴める限りのものを分捕る。邪魔な奴は皆殺し。他のことはどうでもいい。それがリスクユーティリティってものだろうが。

 このヤマは踊らされるに値する。儲けがでかいからな。ホームレスと言っても、全員が全員、栄養失調寸前の半死人というわけじゃない。奴らの共通点はたった一つ、正式な家も宿泊先もない、これだけだから、健康な奴や見た目のいい奴も結構いて、そういうのはその場でちょっとしたお楽しみをしたっていいし、ちゃんとしたところに持ち込めば売り物になる。人間の売り買いに関わらないとしても――そのほうが断然賢いってことは憶えとけ――連中が貯め込んだ小銭や武器で稼げる。それに活躍できりゃ業界での評判も上がる。便利な奴、ってのは俺たちにとって一番の評判だ。そうなると行政や企業からご指名があったりもする。

 さて、もう動き出してる気の早い奴らもいるからな。行くんなら乗り遅れないうちに動かなきゃならない。俺も酒が抜けたらすぐに準備して出るつもりだ。

 お前はどうする。新米だって銃を撃ったり走ったりするくらい――せめて荷物持ちくらい――はできるだろう。行くんならさっさと行ったほうがいい。一人で行くにしても、誰かのケツにつくにしても。急がないと取り分がなくなっちまうぞ。

 心配は要らない。中には兵隊崩れや便利屋崩れなんかもいるが、ほとんどは泣き叫ぶだけの生きた的だ。油断は禁物だが、まとまった数で殴り込むんなら怖がることはない。こっちにも足手纏いはいるし、獲物を取り合って仲間割れだってするだろうが、相手はそれ以上に弱いし統率も取れてない。結局は「なんでもするから命だけは助けてくれ」とか、「俺たちが何したって言うんだ」とか、「子供だけは殺さないで」とか、そんなことを喚く連中をまとめて撃ったり殴ったりしてから廃材で造ったような家に火をつけるのがメインの簡単なお仕事だ。何、正式な家屋じゃないから、火を点けたところで放火罪にはならんさ。安心しろ。射的とキャンプファイヤーを楽しむくらいのつもりでいればいい。つらいところもあるだろうが、ちょっとだけ割り切って辛抱すりゃ大丈夫だ。

 逆に言えば、そういうのがだめだって奴はホームレス狩りなんぞやるものじゃない。そんなことしなくても稼ぐ当てはいくらでもあるんだ。やりたくもない仕事なんぞやるものじゃない。どうせ嫌でも人を撃たなきゃならないときがあるんだ。必要もないのにやりたくもないことをやるのは馬鹿のすることだぞ。

 どうする。

 そうか。賢い判断だ。自分の限界をわきまえるのは便利屋をやる上で一番大事だ。できることとできないこと、攻め時と退き時を理解してない奴は、どんなに強くたって長生きなんぞできやしない。体力がある。殴り合いや射的がうまい。それがどうした。所詮そんなものは武器の一つでしかない。大事なのはその武器を使って目的を遂げる力だ。

 さて、SAGのおかげか酔いも醒めてきたことだし、そろそろ出かける準備をしようかね。ここの飲み代は約束どおり払っておけよ。

 しばらくはこの辺で暮らすつもりだから、もし見かけることがあったら声をかけてくれ。そのときにはよく冷えたビールでも一杯やろう。あんな話をしたせいか、どうもビールが飲みたくてしょうがない。

 小説の書き方を思い出しているところです。

 漢字の閉じ開きも多少変えました。

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