第9話 守られた夜
眠りに落ちる直前、悟志は違和感で目を開けた。
空調音が、一拍だけ遅れて聞こえる。
時計は正常。心拍も落ち着いている。
——それでも、何かがズレている。
(……来てるな)
そう思った瞬間だった。
世界が、裏返る。
⸻
夜の神殿。
だが、今回はいつもと違った。
光が弱い。
空間が狭い。
そして——血の匂いがした。
「……ノア?」
返事がない。
悟志は走った。
足が床に触れる感触が、やけに生々しい。
柱の影。
そこに——倒れているノアがいた。
「……っ!」
駆け寄ろうとした瞬間、悟志は“見た”。
時間が、逆流する。
⸻
ノアは、ひとりだった。
神殿の奥。
結界の外れ。
彼は弓を向けられていた。
相手は人型だが、人ではない。
言語を持たない、効率だけの存在。
——排除対象
——誤差
——不要
ノアは、動けずにいた。
光が、震えている。
(……怖い)
それは、はっきりした感情だった。
逃げたい。
叱られる。
怒られる。
役目を果たせない。
(ロキ様に、また……)
弓が、放たれる。
——その瞬間。
空間が割れた。
「やめろ」
低く、怒りを抑えた声。
ロキだった。
神殿に降り立つその姿は、
神であることを隠していなかった。
次元が歪み、
矢は途中で霧散する。
「……触るな」
一歩。
「そいつは——」
さらに一歩。
「俺のだ」
圧。
存在そのものが、弓を持つ者を押し潰す。
抵抗はなかった。
次の瞬間、
その存在は最初からいなかったかのように消えた。
静寂。
ノアは、震えながら立ち尽くしていた。
「……ロキ、様」
声が、かすれる。
「すみません……」
悟志は、しゃがみ込んだ。
目線を合わせる。
「何がだ」
「……怖くて」
「逃げようとして……」
「叱られると思って……」
悟志は、ため息をついた。
そして、優しく頭に手を置いた。
「馬鹿か」
ノアは、びくっとした。
「守られてる側が、叱られるわけないだろ」
「でも……」
「臆病でいい」
悟志は、真っ直ぐ言った。
「臆病だから、守れる」
ノアの光が、わずかに安定する。
「俺はな」
悟志は、低く続けた。
「お前が臆病なの、知ってる」
「だから——」
一瞬、言葉を選ぶ。
「だからこそ、大切にしてる」
ノアは、言葉を失った。
その場で、泣いた。
声を殺して。
光を揺らして。
悟志は、何も言わず、そばにいた。
⸻
時間が戻る。
悟志は、現在の神殿で膝をついていた。
息が荒い。
「……ノア」
背後に、気配。
振り返ると、ノアが立っていた。
今の記憶を、すべて見てしまった顔で。
「……見ましたね」
悟志は、隠さなかった。
「ああ」
「だから——」
ノアは、震える声で言う。
「だから、私は……」
悟志は立ち上がり、ノアの前に立つ。
「だから、お前は」
強く、はっきり言う。
「俺の前で死ぬな」
ノアの光が、大きく揺れた。
「ロキ様……」
「エクスカリバーを使うな」
「命を賭けるな」
「それは、俺が許さない」
ノアは、俯いた。
しばらくして、静かに答えた。
「……それでも」
「守ると決めています」
悟志は、拳を握った。
(この時点で、もう——)
分かっていた。
止められない。
ノアは、臆病だ。
だからこそ、最後に逃げない。
神殿が、低く鳴る。
「……時間です」
ノアは、いつもの“叱る声”に戻った。
「今日は、もう休んでください」
「考えすぎです」
悟志は、笑った。
「お前に言われる筋合いはない」
ノアも、ほんの少しだけ笑った。
⸻
目覚め。
胸が、痛い。
枕元のノートを開く。
震える字で、こう書かれていた。
「臆病な者ほど、最後に前へ出る」
悟志は、目を閉じた。
そして、心の底で決めていた。
次に危険が来たら、
ノアより先に立つ。
それが、
守られた者の責任だと知ってしまったから。




