第8話 正しすぎる沈黙
朝の空は、相変わらず完璧だった。
雲は散らばりすぎず、光は柔らかく、風向きすら計算されたかのように安定している。
悟志は研究所の屋上で、フェンスに手をかけて空を見上げていた。
(……綺麗すぎる)
美しい、ではない。
整いすぎている。
「また空ですか」
背後から声。
井上だった。
「研究者の職業病だよ」
悟志はそう返しながら、視線を外さない。
「この空、毎日ほぼ同じだと思わないか」
井上は少し考えたふりをして答える。
「統計的には、あり得ます」
即答すぎた。
「……統計で済ませるには、揺らぎがなさすぎる」
井上は、わずかに笑った。
「揺らぎは、不安を生みますから」
悟志は、ゆっくり振り返る。
「誰が?」
一瞬。
井上の表情が、止まった。
「……一般論です」
その直後、研究所内のアナウンスが流れる。
『全館、通常運転です。異常は確認されていません』
誰も確認していないはずの“異常”。
悟志は、背筋が冷えた。
⸻
その夜。
眠りに落ちる前から、悟志は分かっていた。
(今日は、来る)
意識が沈むより早く、世界が反転する。
⸻
神殿。
だが、光が違った。
黄金色が薄く、どこか冷たい。
背景で、規則的な“脈動”が響いている。
「……ノア?」
返事がない。
悟志が一歩踏み出した瞬間、
空間の奥から別の気配が立ち上がった。
声はない。
だが、意識に直接触れてくる。
――秩序
――安定
――最適化
「……誰だ」
悟志が低く問う。
その瞬間、ノアが割って入った。
「見ないでください!」
強い声。
ノアは、悟志の前に立っている。
完全に、盾の位置だった。
「ここは、あなたが触れる場所ではありません」
「今のは――」
「ただの反射です」
ノアは即座に遮る。
だが、その光は、はっきりと揺れていた。
「ノア」
悟志は、声を落とす。
「さっきのは、何だ」
ノアは、しばらく沈黙した。
臆病さ。
昨日、見たものと同じ。
「……世界を保つための」
言いかけて、止める。
「いいえ」
言い直す。
「考えなくていいものです」
「それを決めるのは誰だ」
ノアは、視線を逸らした。
「私ではありません」
それだけで、十分だった。
悟志は、拳を握った。
「お前が怖がる理由は、それか」
ノアは、否定しない。
「怖いから、叱ります」
「叱って、距離を保ちます」
「距離がなければ、守れません」
「……それは」
悟志は、静かに言う。
「いつか、独りになる言い方だ」
ノアの光が、強く瞬いた。
「ロキ様」
珍しく、名前を強く呼ぶ。
「私は、独りでも構いません」
「それが、最適なら」
その言葉が、悟志の胸を刺した。
神殿全体が、低く鳴る。
「時間です」
ノアは、もう悟志を見ない。
「今日は、これ以上進まないでください」
「……分かった」
だが、悟志は思っていた。
進むかどうかを決めているのは、ノアではない。




