第12話 使わせないために
研究所の警報は、鳴っていなかった。
それが、いちばんおかしかった。
モニターには「正常」の文字が並び、
空調も、重力も、通信も、すべてが平常値を示している。
それなのに――
ロキは、はっきりと感じていた。
「……近いな」
誰に言うでもなく、低く呟く。
胸の奥が、嫌な音を立てて軋んでいる。
神としての直感。
かつて何度も、世界の終わりを嗅ぎ分けてきた感覚。
そして、それは――
エクスカリバーの方から来ていた。
⸻
ノアは、剣から少し距離を取って立っていた。
いつもなら、きちんと整えた姿勢でロキの隣にいるはずなのに、
今日はほんのわずかに、足元が落ち着かない。
視線も、何度も逸れる。
「……ノア」
呼ばれた瞬間、
ノアはびくっと肩を震わせた。
「は、はい! ロキ様」
声はいつも通り丁寧だった。
だが、ほんの一瞬だけ――
“怯え”が混じっていた。
ロキは、それを見逃さなかった。
「お前、知ったな」
その一言で、空気が固まる。
ノアは口を開きかけて、閉じた。
誤魔化す言葉を探す時間すら、与えられない。
ロキの目は、真っ直ぐだった。
「エクスカリバーの“条件”だ」
ノアは、ゆっくりと頷いた。
「……はい」
その声は小さかった。
「使えばどうなるかも」
「……はい」
ロキの拳が、ぎゅっと握られる。
「なら、答えは一つだ」
ロキは一歩前に出て、
ノアの前に立った。
「使うな」
命令だった。
神の言葉だった。
「これはお願いじゃない。命令だ、ノア」
ノアは、思わず息を呑んだ。
ロキが、ここまで強く言うのは珍しい。
怒鳴っているわけではない。
だが、声には確かな怒りがあった。
――いや。
怒りよりも、恐怖に近い。
「お前が使えば、戻れない」
ロキの声が、わずかに低く震える。
「それが分かってるから、俺は言ってる」
ノアは俯いた。
小さな手が、ぎゅっと握られる。
「……分かっています」
「分かってるなら――」
「でも!」
ノアが、珍しく声を上げた。
ロキが言葉を止める。
ノアは、唇を噛みしめながら続けた。
「ロキ様が守ってきた世界です。
皆が、何も知らずに笑っている世界です」
視線を上げる。
その目は、怖がっていた。
はっきりと。
「僕は……怖いです」
ロキの目が、見開かれる。
「消えるのも、痛いのも、正直、全部……」
ノアは、震えながらも言った。
「でも、それ以上に――
ロキ様がいなくなる未来を見る方が、怖い」
その言葉は、刃より鋭くロキを刺した。
「……ノア」
「だから、使いません」
ノアは、きっぱりと言った。
「ロキ様が“使うな”と言うなら、使いません」
一瞬、静寂。
ロキの肩から、力が抜ける。
「……それでいい」
低く、静かな声。
ロキはノアの頭に手を置いた。
乱暴でも、優しくもない。
ただ、確かめるような手。
「お前は、それでいい」
ノアは、ほっとしたように小さく息を吐いた。
⸻
だが。
エクスカリバーが、低く唸った。
音ではない。
次元そのものが、軋む感覚。
遠くで、何かが“準備”を始めている。
ロキは、悟った。
――来る。
しかも、
今までとは比べものにならないものが。
ロキは、剣に視線を落とし、
そして、ノアから一歩離れた。
「……ノア」
「はい」
「どんなことがあっても」
ロキは、はっきりと言った。
「俺が止める。
お前に、選ばせない」
ノアは、微笑んだ。
少しだけ、泣きそうな顔で。
「ありがとうございます、ロキ様」
その瞬間。
誰も知らない場所で、
ADAMの深層演算が、一段階だけ進んだ。
そして――
NEURONは、最後の攻撃準備を完了する。
⸻
その夜。
ロキは、眠れなかった。
そしてノアは、
一人で、星辰のペンダントを握りしめていた。
「……ごめんなさい」
誰にも聞こえない声で、
それだけを呟いて。




