第97話 甦れ、命 7
翌朝、ゲーレン・ダストの姿は、ワシントンのCIA特殊活動部(SAD)いわゆる黒組本部にあった。
地上部は古いアパートメント、だが実際の内部構造は、地下十階の深層構造。
コンクリートの廊下は、音を吸い込むように静まり返っていた。
警備員はいない。
銃も見えない。
ここで引き金が引かれれば、それは事件ではなく"事故"になる。
SADリーダー・ジャヴァー・ボルトは、会議室の中央に立っていた。
机の向こう側に、ゲーレン・ダストが座っている。
高級なスーツ。年齢に似合わぬ張りのある声。
世界中に畏怖を轟かす巨大企業、ペシュラの首魁。
だが、目の奥は――一人の父親だった。
「時間がなくなった」
ダストが、開口一番言った。
「私の息子は、日単位で崩れている」
ボルトは、何も言わない。
「結局……ペシュラのバイオスケープ・ナビゲーターでは、修復不能と診断された。あの早乙女が上納してきたx2500は作動せず……だ。最後の切り札は……」
ダストの指が、机を叩く。
「御子神龍雅」
はっきりと。
「彼を、連れてこい」
沈黙。
ボルトは、視線をわずかに動かした。
「……御子神は、現在、監視対象にあります」
「もはや、監視の対象ではない」
ダストの声が、わずかに荒れる。
「拘束しろ。脅してもいい。裏金はいくらでも出す」
一拍おいて、ダストは言い放った。
「これは"命令"だ」
その言葉が、室内の空気を変えた。
ボルトは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……ミスター・ダスト」
声は低い。
「CIAは、あなたの下請けではありません」
ダストの目が、細くなる。
「ペシュラが、どれぐらい、CIA秘密予算に投資してきたか、忘れたのか?」
「忘れていません」
ボルトは、即答した。
「だからこそ、ここにお通ししている」
一拍。
「日本の陸自に声掛けはさせていただいた。しかし、CIA自らは、日本では拉致は行いません。もう一度、陸自への声掛けを望まれるのなら……」
ダストの拳が、固く握られる。
「陸自など、もはや当てにならん。ならばどうする?」
ボルトは、静かに言った。
「交渉する」
「……交渉?」
「ええ」
ボルトは、ダストの目を正面から見た。
「御子神は、金で転ぶ男ではありません」
一拍。
「彼は、"患者"を選ぶ」
ダストの表情が、一瞬だけ崩れた。
「……私の息子は患者だ」
「そうです」
ボルトは、頷いた。
「だからこそ、あなたが命令するのではなく、依頼するべきです」
ダストは、初めて視線を落とした。
数秒。
それは、この男が生涯で最も長く感じた時間だった。
「……私に」
声が低くなる。
「頭を下げろと言うのか」
ボルトは、否定しない。
「ご子息の命を救うためなら」
一拍おいてボルトはダストの目をみた。
「あなたは、何でもする男でしょう」
ダストは、ゆっくりと立ち上がった。
怒りはない。
あるのは、認めざるを得ない現実。
「……条件を飲む」
声は、かすれていた。
「金でも、技術でも、情報でも」
一歩、ボルトに近づく。
ボルトは、わずかに笑った。
「それが、最も合理的ですな」
ダストは、振り返りもせずに部屋を出た。
扉が閉まる。
静寂。
副官が、低く言う。
「……御子神を、呼びますか」
ボルトは、窓のない壁を見つめた。
「いや」
一拍の沈黙をおいて、ボルトは心を決めた。
「ゲーレン・ダスト、彼から連絡させよう」
「どうやって」
ボルトは、ゆっくりと答えた。
「世界は、狭い」
そして、低く続けた。
「御子神龍雅、彼は、救える命を見捨てない。問題はダストが素直に頭を下げるか、だな」
地下深く、CIAは、拳を振り上げず、代わりに、盤面を動かした。
そしてその盤面の中央に、御子神龍雅という駒を置いた。




