第12話 阿羅業神醫 1
埼京医大・第四内科。
夜間外来は静まり返っていた。
一か所を除いては、だ。
第三診察室、灯のついたそこだけは、異様な熱が漂っていた。
医師、阿羅業神醫は、
電子カルテを閉じると、椅子に座った少女をじっと見た。
少女──羽田美亜。十八歳。
病名は、PMCD:Progressive Myocardial Dystrophy。
進行性心筋萎縮症。
それは、概ね、十八歳を境に発症、急激に心筋が紙のように薄くなり、最終的には心臓が"縮んで死ぬ"。
現代医療での治療はただ一つ、
心臓移植。
しかし、事実上、日本ではドナーは見つからない。
少女の胸郭が波のように上下していた。
呼吸をするたび、命が少しずつ削れていく音がする。
しかし、彼女は笑っていた。
苦しいのに、無理に作った表情で。
「先生……他に方法って、本当に……ないんですか?」
阿羅業は眉一つ動かさない。
医師の姿をしているが、中身は全く違う。
「現行の医学では……。だが"現行の医学"を捨て去れば、手はある」
少女が少しだけ目を見開いた。
「……捨てる……?」
「そうだ。倫理も理屈もガイドラインも──ぜんぶ邪魔だ。お前の命を助けるには、不要だ」
少女の母親が息を呑む。
その横で、美亜自身は――なぜか怯えず、静かに聞いていた。
「先生……私、怖いのは……死ぬことじゃなくて……」
「死に方か」
少女は頷いた。
「このまま……縮んで……誰にも見られないまま……消えるように死ぬのが……怖いんです」
阿羅業はカルテを机に置いた。
手の骨が浮き出て見える。
この男は死を見続けた人間の手だ。
「美亜。もし生きたいなら、生きるつもりがあるのなら、言え」
少女は拳を握った。
「生きたい。でも、家族に迷惑は……」
阿羅業は首を横に振った。
「違う。これは家族にかける"迷惑"の話じゃない。お前の意思の話だ」
少女は震えながら言った。
「……生きたいです。まだ死にたくない。もっと……もっと……!」
阿羅業は静かに立ち上がった。
「ならば方法は一つだ。お前の心筋そのものを作り直す。死にゆく心筋細胞を捨て、"新しい心臓"を作る」
少女の母が叫んだ。
「先生! 何を──」
阿羅業は冷たい目で返した。
「M28細胞だ。心筋強化型線維芽細胞。遺伝子統合器x2500で作ることのできる……この、"異形の細胞"から、この子の心臓を作り出すのだ」
少女は小さく息を吸う。阿羅業は深く息を吐きながら続けた。
「この細胞を移植すれば、お前の心臓は強くなる。弱らない。縮まない。むしろ……普通の人間より強く脈打つ。」
少女の母が震える声で言う。
「……それは、治療……なんですか……?」
阿羅業は答えなかった。答える必要がなかった。
医療でも治療でもない。これは"創造"だ。
美亜が阿羅業の白衣の袖を掴んだ。
「……お願いします、先生。私、本当は死にたくない。もし……、普通じゃいられなくても、生きていられるのなら……。それでも、いい」
阿羅業は静かに頷いた。
「……わかった。今日からお前は俺の患者だ。俺が責任を持って心臓を作り直す」
と、そのとき、
スマートフォンが震えた。
通知音は鳴らない。
暗号化された特別回線。
阿羅業は画面を見ると、眉を寄せた。
煉脈連の暗号指令が秘密裏に転送される。
"御子神龍雅を捕らえよ、x2500を奪取せよ"
阿羅業は舌打ちした。
「……やはり動きやがったか」
美亜が不安げに見上げる。
「先生……?」
阿羅業は少女を見て、言った。
「安心しろ。お前は死なせはしない。だが、そのためには……あいつ……或る男に会いに行く必要がある」
少女の母が震えた声で問う。
「……あいつ……?」
阿羅業は振り返り、笑って言った。
「優秀な遺伝科学者だよ。その男の才能が、この子の命を救う唯一の鍵だ」
そして小さく呟く。
「その男はかつて同じ戦場で軍医として共にいた、亡き戦友の息子でね、M28細胞は彼しか創れない」
阿羅業は少女に言った。
「お前は必ず生還する。お前の新しい心臓と一緒にな。それまでは、心筋庇護剤の内服で心臓の機能低下をできる限り食い止める……」
処方箋を手にして、何度も頭を下げながら、診察室を辞した母娘を見送ると、阿羅業は白衣の襟を立てて、そのまま外へ出た。
夜風が白衣の端をめくる。
阿羅業は医者になった瞬間から、"人間を助ける"より"人間を癒す"ことに異常な執着を見せていた。
その異常さを見抜いたのが彼を支配していた煉脈連だ。
彼は、その昔、中国国境の共産党軍病院で 重傷の兵を安楽死させては、遺体を解剖し、臓器の状態を記録する作業を行っていた。
心筋、肝臓、眼球、腱……。
それはみな、死んだ組織、どれも「もはや、再利用できない」もの。
阿羅業はぽつんと言った。
「死んだ臓器より、死ぬ前の臓器を弄る方が興味深い」
その一言で、煉脈連は"こいつは治療者の方が使い勝手がいい"と判断する。
安楽殺人者ではなく、"治療"という名の下で行われる"創造"。
阿羅業はそこで腕をならしていったのだ。
中庭を歩く彼の後を、煉脈連の追跡者の影が、ゆっくりとつけていた。




