第39話 藤間綾子と科学者たちの矢
藤間綾子、理論物理学者、48歳にして東大教授。
彼女は今、繰り返す3日間の謎に取り組んでいる。彼女が所属するのは、世界の頭脳を集めた科学者集団。
彼女とその仲間たちが、繰り返す3日間の迷宮を破壊する。
5月28日、午前7時、藤間綾子のマンション。
「今日は、学会だったわね」
私はいつもより少し早くベッドを降り、その代わりいつもよりゆっくりと朝食を摂っていた。
「そうだ、5月28日、この日は学会だったんだ」
現代の宇宙論、相対性理論、量子論を専門にする世界中の理論物理学者は、急激に発達する観測技術がもたらした観測結果と自身が考案した新理論を検証し、更に発展させている。
時間と空間の関係を宇宙の暗闇から引きずり出したのは、天才アルバート・アインシュタインだ。その理論は宇宙のすべてを美しく記述するものと思われた。でも、同時期に提唱された量子論は相対性理論に対し、ミクロの世界の難問を突き付ける。
相対性理論では超ミクロの世界で物理法則が破綻することを説明できない。それはすなわち、相対性理論ではこの宇宙の成り立ちを説明できない、ということなのだ。
だからもう何十年も、理論物理学者は相対性理論と量子論を統合し、この宇宙をミクロの成り立ちからマクロの最後まで完全に記述できる理論の解明に取り組んでいる。
でも、もういいのよ。
最初の5月28日、あの日の学会はつまらなかった。日本国内の学会だったし、顕著な発見はもちろん、斬新なアイディアも提唱されない。でも、そんなことはもういいの。
どうせ今日も“5月28日”なんだから。
私たちは、すでに何百回も5月28日から始まる3日間を繰り返している。そしてこれから何十万、何百万、何千万回繰り返すのか分からない。分からないから私たち理論物理学者は、その秘密を解き明かさなければならない。
この『箱庭の迷路』の秘密を。
でなければ、私たち理論物理学者の存在意義など、ないのだから。
今日、5月28日の午前3時22分42秒がスタートだ。それから約3日後、正確には68時間37分17秒後、5月30日の午後11時59分59秒、時間はスタートに戻る。
いつも同じ。
5月31日は、来ない。
最初の3日間はみな普通の生活を送った。次の3日間はみな夢を見たんだと思った。それはそうだ、まさかその時すでに時空の狭間に囚われているなど、誰も考えはしないわ。
それからの3日間は悲惨だった。世界中で繰り広げられる惨劇。
殺される前に殺せ、だ。
そして起こった、世界最終戦争。核の炎が地球を覆った。
核戦争は永遠に続くと思われたけど、そこに突然現れて、最終戦争を終らせたのがクロスライトという子供。
「世界の人々が平等に、助けよう、泣く子がいないように。この3日間を幸せに過ごそう。それこそが全て、4日目は、ない」
繰り返す最終戦争を終らせた彼の言葉は、世界の合い言葉になった。
『クロスライトの予言』という名の国際組織、PCLの誕生だ。
今では時間が戻った瞬間、世界のPCLによって飢餓や紛争地帯に食料と医療が送られる。世界中で泣いていた子供たちに笑顔が戻った。
でも私たちは、そんな宗教めいた活動とは無縁。私たちは物理学者という自身の存在を賭けて、この現象の秘密を解き明かさなければ。
「さぁ、そろそろだわ」
そう呟いた私の前で、タブレットが通知音を鳴らす。オンライン会議の知らせだ。
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「藤間君、今日は遅いじゃないか、東大は今日休みだったか?」
この冗談は前にも聞いたことがある。京大の竹山教授だ。
竹山明、日本の理論物理学をリードする人物。年齢的にも人間的にも、私たちのリーダーと呼べる人だ。
この会議には世界中の理論物理学者や数学者、天文学者が参加している。世界各国でユニットが組まれ、それぞれがこの現象について仮説を立て、推論し、計算している。そしてそれを検証するユニット、記憶するユニット。
3日間の始まりにその成果が全てのユニットに提示され、また同じ作業を進めていく。
果てしない作業だし、報われることはないのかもしれない。それでも私たちを突き動かすのは、科学者としての信念だけ。私たちには国も人種も性別も、年齢すら関係ない。ただ自分の能力を信じ、真実を追い求めるだけなんだ。
『Brains of World』
世界の頭脳、それが私たちの名前だ。略称は”ボウ”、つまり弓矢の、矢。
私たちは弓から放たれた矢なんだ。止まることなんて出来ない。
「さぁ、がんばらなくっちゃ!!」
私は寝癖の髪を手ぐしで撫でつけ、自分に気合いを入れた。
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つづく
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