第32話 落ち続けるワタシ
3日間は繰り返す。三度の核戦争を経験した世界の平和は、クロスライトを信奉するコミュニティによって保たれていた。
だが、そんな時の流れを知らず、時間が戻るたびにその身を宙に踊らせ、命を落とす女性がいた。
3年前、東大を卒業して誰もが知る大企業に就職した私は、誰からもうらやまれたわ。でもホントはね、うらやましかったのは私の方。
みんなの事が。
良かったのは入社した1年目だけ。重要な部署に配置されたし、自分でも誇らしかった。
早朝出勤も残業も、時には泊まり込みの激務もこの部署なら当たり前と思えたし、それをこなす体力もあった。
私は小さい頃からずっと空手をやっている。大学に入っても続けていたから、体力はもちろん精神力にも自信があったわ。
でも、駄目だった。
東大を出た?空手が強い?そんなものなんの役にも立たないって、思い知らされた。
大好きな友人たち、競い合って認めあったライバルたち、厳しいけど優しい師範、私に好意的な人たちばかり。
そして大事な、大事な両親。
私はずっと、人に恵まれていたんだ。
そのことに気づかされたのは、あの上司が赴任してすぐ。
武田課長。
あの人は私を認めない。いえ、認めているからこそあの人は私を否定する。私を妬んでいるんだ。
入社3年目の私は、商品開発チームのチーフに抜擢された。でも、私のチームが出す企画はことごとく却下される。それなのに、とてもよく似たアイディアの企画が別のチームから出て通る。
抗議しても、それはあの人の怒りを煽るだけ。そして私はみんなが見ている中、延々と叱られる。
「お前のチームは優秀だ、俺は分かってるんだぞ?お前が足を引っ張っているってことを」
「こんな程度の企画で、お前本当に東大を出たのか?何かの間違いじゃないのか?それとも東大には、空手推薦とかあるのか?」
「3年目でチームリーダーなんて、無理に決まってるだろ。前の課長はよほど無能なんだな。それともあいつとお前、なんかあるのか?」
「お前のチームだけどうして仕事が遅いんだ?他のチームを見てみろ。お前のチームは、って言うか、お前、頭使ってるのか?」
「女が空手なんかやってるから、いいアイディアが出ないんだよ。脳みそまで筋肉になってんじゃないのか?もしかして、親も脳筋か?」
「そうなんだよ、チームが停滞してるすべての原因は、無能だからじゃないのか?お前がさ」
「お・ま・え・が・・・だよ」
下品極まりない言葉、私の人格を否定する言葉、私の大切なものを破壊する言葉。ひとつひとつが刃になって、私の心を切り裂いた。
心も切られれば血を流すんだ。
体と同じ、血まみれになるんだ。
そんなことを私は知らなかった。
「久高チーフ、あんなヤツ気にしちゃいけない。大丈夫!私はあなたより年上なんだから、なんでも相談してください」
私はチームの最年少だった。そんな私を気遣って年長のメンバーが声を掛けてくれる。
でも、そんな優しい言葉も届かないほど、私の心は傷ついている。
ごめんなさい。あなたの言葉はあんなに優しかったのに、私の頭の中には武田課長がいたの。
いつの間にか頭の中を支配した武田課長の顔が、言葉が、頭の中でぐるぐると回っていたの。
ぐるぐるぐるぐる。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
そして私は、このビルの屋上に立っていた。
職場のあるフロアからここまで、どうやって来たのか全然覚えていない。
気が付いたときにはここにいて、満天の星空を見上げていた。
東の空はほんの少し白んでいて、もうすぐ朝日が昇るのに。
「こんなに綺麗な星って、東京で見たこと・・あったかな」
涙が溢れそうになった。
そして私は、星空を見上げながら、虚空に足を踏み出した。
間違いなく。
なのに、私の足先が屋上の角を離れるその瞬間から、ずっとずっと見ている。私の体が、地面に落ちるまでの光たちを。
もう何回見たの?あと何回見ればいいの?
あぁ、私は終わりのない夢に囚われたんだ。
あぁ、いつ終わるの?
この夢は。
それにしても、なんてひどい。
悪夢。
・
・
うんうん、最初の頃はそう思ったわよ。えぇえぇ、最初の頃だけね。
あぁ、もう何度目なのか数えたくもないし、数えたとしても覚えられないわ。
美しい夜空?瞼をよぎる光たち?
もう飽きた。
これ、悪夢なんかじゃないわ。
信じられないけど、時間が戻ってるのよ。
私がビルの屋上を蹴った瞬間から地面に落ちるその瞬間まで、約5秒。
そして即座に時間は戻る。
もう何回も何回も落ちたから間違いないわ。
このビルは30階建て、私の会社のフロアは26階。
落下時の加速度を考えるとぉ~
5秒の間に何かできることは、ある?
時間が戻った瞬間、私のつま先はまだビルの屋上にあるわ。
少しだけ力を入れることはできるはず。
でも、何をするための力?どの方向にどうやって入れればいい?
ほら、ここまでで、もう10回以上落ちたわ。
5秒の間に考えられることなんてほんのちょっとなんだもの。
ほら、もう2回落ちた。
でも、前回は上手くいった。右足の親指に力を入れるのよ。
そして体を捻じる。落ちる方向が、足からになったわ。
後は顔の向き。ビルの方向に向くの。
難しい、どの方向に力を入れればいいの?
こっち?
違う、こっちに捻じればいい?
あぁ、ひねるの?
どうやって?
あ、上手くいった。高飛び込みやトランポリンの要領なのね。
顔がビルの窓を向いた。さっきまで私がいたフロアの窓。
私はちょうど、会社の窓の前を通り過ぎていたのね。
みんな、びっくりしたろうなぁ。
喜屋武さんが見えた!
私に優しい言葉を掛けてくれた先輩。
同郷だからいつも私を気に掛けてくれたのに、もっと頼ればよかった。
喜屋武さんの向かいに、私のデスクがあるの。
今日の仕事は朝まで掛かりそうだったわ。
でも仕事は終わりそうもなくて、もう耐えられなくて。
横を見ると、なぜか武田がいぎたなくいびきをかいていて。
それが私を待ち受ける悪魔のようで、耐えられなくて。
みんなに黙って、席を立ってしまった。
ああ、喜屋武さんごめんなさい。
できればひと言謝りたい。
喜屋武さん、こっち、こっちを向いて!
これからずっと、こんな風に落ちるわ。
そしてずっと、喜屋武さんを見るわ。
だから喜屋武さん、私に気付いて!
気付いて!喜屋武さん!!
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つづく
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