私は働き者の妖精さんです☆ ――死ね! ~ブラック研究所の社畜魔導士は退職テロを起こす~
ご都合主義の魔道具によって『配信文化』が根付いているふわっとした世界観です。
「あら、ねえ見てくださいませ。また妖精さんが一晩でやってくれましたわ。本当に働き者ですわねぇ」
耳をつんざくような甲高い声が疲弊しきった私の脳に突き刺さる。寝不足で霞む視界の先には、仕上げたばかりでまだ湯気が立ちそうな書類の山が鎮座していた。
高級ポーションのひとつでも差し入れてくれれば多少は溜飲も下がるのに、渡されるのはこうした遠回しなお褒めの言葉ばかり。やって当たり前、できて当然。努力も成果も、ここでは一切評価につながらない。
昨晩だってそうだった。終業間際に所長から言い渡されたのは「新設する北方国境要塞の防御結界案を、あらゆるパターンで明朝までに十通り提出せよ」なんて無茶振り。あそこにあるのは徹夜で計算し、魔術理論を総動員して仕上げたばかりの、まだインクも乾ききっていない設計図の山である。
私の睡眠時間を犠牲にして何とか完成させたというのに……。
お貴族様のご令嬢、マリアンヌ様がパラパラとめくり、「私が提出しておきますわね」と善意ヅラで掻っ攫っていった。
――いつからだったろう。この研究所で「妖精さん」と呼ばれるようになったのは。
大国サンドリアの新人魔導士である私が配属されたのは、王都から遠く離れた辺境の古びた研究所。古びた魔道具と埃をかぶった書物ばかりが並ぶ、華やかさとは無縁の場所だった。
地味な研究と地道な計算を繰り返す日々。同僚や上司も何やら訳アリばかりで、まともに仕事が回っているようには見えなかった。
だから、焦っていた。
このままでは私はなんの面白みもない雑務に忙殺され、埋もれてしまうのではないか――と。
証明したかった。
自分はもっと出来るのだと。
誰も手をつけようとしなかった古代文字の解読を徹夜で仕上げたのもそのためだった。
翌朝、机に置かれた訳文を見た所長は目を丸くした。
「驚いた。これ、誰がやったのかしら?」
目を細めて笑う彼女に、私はおずおずと手を挙げる。
「あ、それは私が――」
「まさか。就業中に手がつけられないからって、夜中にこそこそ仕事を終わらせる子なんていないわよねぇ。要領が悪すぎるし、第一そんなのは評価の対象外よ。……ああ、きっと妖精さんがやってくれたのね」
私の仕事というわけでもなかったはずなのに、そんな事を言われては「私がやりました!」なんて名乗り出る気にもならない。
ただ、誰がやったかの見当はついていたようだ。
その日以来、所長は当然のように私に仕事を押し付けるようになった。
手が回らなくなって徹夜で仕上げれば「妖精さんの仕事」だと涼しい顔で笑う。マリアンヌ様のように、成果を丸ごと奪っていく不届き者も現れた。当然、妖精が勝手にやってることになっているから残業代なんて出るはずもない。
……妖精さん? 妖精が魔道具を組み立てたり、資料を整理したり、設計図を清書するだなんて地味な作業をやるわけがないでしょ。
しかもミスがあればここぞとばかりに責め立てる。いやいや、妖精さんが勝手にやってるんでしょ? 設定は最後まで守んなさいよ、馬鹿!
徹夜明けの鉛のような身体を引きずりながら帰路につき、私は心のなかで毒を吐く。悲しいかな、面と向かって上司に文句を言うほどの度胸は持ち合わせていない。
「早く帰って……推しに会いたい……」
こんな糞みたいな状況に陥っても、私が職場を爆破せずに働き続けている理由はただひとつ。
それは――私が愛してやまないリカちぃの存在だ。
天才魔道具師が生み出した万能魔道具エコーストーン。録画・録音・通信機能を有していて、その中でも『配信』機能は瞬く間に広がり、新たな文化として根付いた。
そして私は、その配信文化の先駆者にして革命児――アイドル配信者リカちぃに、日々命を救われていた。
『どもどもー、リカちぃでーす! 今日も一日お疲れ様っ! お昼は暑かったね。ちゃんと水分摂ってね?』
画面越しに推しが華やかな笑顔を振りまく。もちろん私だけに向けられたものではないことくらい分かっている。
それでもいい。労われない日々のなかで「お疲れ様」と言ってくれる声があるだけで、今日も生きててよかったと思えるから。
『今日もコメントいっぱいありがとう~! それじゃあリクエストでもらった歌、歌っちゃおうかな』
「やった! 拾ってもらえた……!」
二十連勤の徹夜明けでも、この瞬間だけは疲れが溶けていく。私が働いている理由なんて、推しに投資するためのお金を稼ぐためだけに過ぎない。彼女の声は私に活力を与えてくれる、まさしく命の水なのだ。
画面の向こうの推しを両手で拝み、余韻を噛みしめていた、その時だった。
『ここで重大発表〜! なんと、来月、リカちぃの初の生ライブイベントが決まったよっ! 場所はサンドリア王都の国営音楽ホール! 生配信もするけど、都合がつけば是非来てね~!』
……え?
……ちょ、ちょっと待って……それ、本当に、マジなやつ……!?
リカちぃの、生ライブ?
魔道具越しじゃなくて、実物の彼女が……リアルでステージに立つ……ってこと?
心臓が跳ね、喉の奥が熱くなり、勝手に涙がこぼれそうになる。理解が追いついた瞬間、私の中で何かが爆ぜた。
「――行く。行くよ、絶対、行く!」
生きてて良かった! これまでの徹夜も、古代語の翻訳も、爆発寸前の魔道具の整備も、全部この日のためにあったんだ!
行くしかない。彼女の勇姿をこの目に刻むためにも、絶対に、何が何でも行かねばならない。
目の下のクマがどれだけ濃かろうが、足がふらつこうが関係ない。
意識はすでに、有休申請とチケット争奪戦へと飛んでいた。
そう。噂にだけ聞いた『有休休暇』なる幻の制度が、どうやら私にも一応は付与されているらしい。
ならば、今こそ使うときだ。
人生初の有休を――いざ、解禁!
「……というわけで、申請書はこちらになります。来月の二十の日、たった一日だけで構いませんので、お休みを頂ければ幸いです。業務には支障ありません。詳細は資料にまとめてありますし、前日までに引き継ぎも完了させます」
丁寧に頭を下げ、有休申請書を差し出す。内容は完璧だ。欠員対応案、補助魔道具の自動運転計画、時期は閑散期。穴のひとつもない。
私が晴れやかな笑顔でお願いすると、所長も愛想よく微笑んだ。
「そう。……妖精さんにも、お休みが欲しいのね?」
……その呼び方、いい加減やめてくれないかな。
軽くイラッとしたものの、私は努めて穏やかに笑い、何度も首を縦に振った。
「はい! 万全の準備をしておきますので、この日だけお休みを頂けたら、あとは全力で頑張ります……!」
「ふぅん……」
所長は書類をしばらく眺めたあと、ぱん、と優雅に手を打った。
「仕方ないわね。そこまで言うなら、今回は特別に許可しましょう」
「……! あ、ありがとうございます!」
思わず声が弾んだ。
初めての有休。初めてのリカちぃ生ライブ。憧れの彼女を、この目で見られる――!
ふひひ、と気の抜けた笑みが漏れたその瞬間。所長の目がすうっと細まり、口元に不快な笑みが浮かんだ。
「……で、その日、何の用なの?」
「えっ?」
「理由よ。何があるの?」
――しまった。他の人は理由も聞かれず申請が通っていたから、油断していた。
「あ……ええと、その……王都でイベントがあってですね……。リカちぃという配信者の、生ライブが……」
「へぇ。リカちぃって、あのリカちぃよね? 配信者として大活躍中の、我らが憎き魔塔のアイドル」
「そうなんです! わぁ、所長もご存じなんですね! そうですよね、超有名人ですもんね! 私、ずっと応援してて、今回が初の現地開催で……! クラウドファンディングにも参加してたから優先販売でチケットが買えたんです! ほら、箔押し入りで……超かわいいんですよ、これ!」
職場で推しの話なんて滅多にできないからつい嬉しくなって、手に入れたチケットを誇らしげに取り出した。
所長はうっすら笑みを浮かべたまま、静かに頷いた。
「そうだったのね。……あらぁ、ごめんなさい。私、その日に大事な予定があったのをすっかり忘れてたわ」
えっ、と情けない声が漏れる。所長は立ち上がると、私の前に申請書をぽん、と無造作に突き返した。
「どうしても外せない用事があるの。私が不在になるからあなたにはいつも通り頑張ってもらわないと、所内の機能に支障が出ちゃうのよ。だから……有休は翌週にしてくれる?」
「……は? え? いや、その、ライブはその日だけで……」
「好きなことをするのも結構だけど、あなたも研究所の一員よ? 優先順位はちゃんと弁えてもらわないと困るわ。……まさか遊びのために、職場に迷惑をかけるつもりだった?」
有無を言わせぬ一言に喉が詰まる。反論はいくつも浮かんだけれど、声にはならない。
有休は制度としては確かに認められている。けれど私は妖精さんだから、そんな人間らしい権利はないらしい。
ただ働いて、成果を出し、功績は奪われ、感謝もされず、そして――たった一日の休みすら許されない。
「……承知しました」
絞り出すように答え、頭を下げる。所長は勝ち誇ったように顎を上げ、ふふんと鼻を鳴らした。
「そのチケットも預かっておくわね。手元にあると未練が残っちゃうでしょ?」
言うが早いか、私が手にしていたチケットをするりと奪い取る。
文句を言う間もなく、もう話は終わり、とばかりに手をひらひらさせて追い払われた。
周囲からの忍び笑いと憐れみの視線が突き刺さる。
それを背中で受けながら、私はふらつく足で自席へと戻るしかなかった。
*
人より遅い休憩時間。裏庭の奥、私はあちこちでひっくり返ったセミを眺めながら作業に取り掛かる。
取り出したのは、研究所から拝借してきた細い藁。藁人形、絶賛制作中。
これまでに三十体は作ったから、もう目をつぶってでも編める。……あ、誤解しないでほしい。呪術じゃない。あくまで手慰み、ストレス発散だ。怨念はぎっしり詰まっているけど、多分、無害である。
くるくると指を動かしていると、建物の方から聞き馴染みのある――今は聞きたくもない声が響いてきた。
「……そうなのよ。あの子、有休なんて申請してきたの。まぁ、却下してあげたけれど」
所長だ。相手はたぶんマリアンヌ様。私は咄嗟に木陰へ滑り込み、息を潜めた。
「当然ですわね。下っ端の分際で生意気ですわ。……でも、なんで急に休みたいなんて言い出したんですの?」
「何かと思えば推しのイベントなんですって。……ほら、リカちぃよ」
「リカちぃ? あんなアバズレ、よく見ていられますわね。……配信者なら、やっぱりデュオ様こそ至高でしょう? 知性と品格、そしてあの麗しさ……ああ、思い出すだけでうっとりしてしまいますわ」
「でもね、デュオ様はリカちぃと仲がいいじゃない? もしかしたらライブに友情出演するかもしれないし……その席、私がいただこうと思って」
そう言って、奪ったチケットをひらひらと見せびらかす所長。リカちぃの可愛いイラストが、無惨にくしゃっと歪んでいる。
「あら、羨ましいわ。私も親に頼んで手に入れてもらおうかしら。その日、私もお休みをいただいていいですわよね?」
「もちろんよ。どうせ閑散期ですもの。うちの部署には誰か一人がいれば充分よ」
「それは助かりますわ。ライブ会場にデュオ様がいなかったら、さっさと出て観光でもしましょう」
「そうねぇ。王都なんて滅多に行けないもの。楽しんでこようかしら」
笑い声だけを残して遠ざかっていく二人。
残された私は、藁人形がひしゃげるほど強く握りしめていた。
……仕事を押し付けられること自体は、もう慣れた。
そのぶん知識も経験も得たし、貴重な魔晶石を扱える機会だってあった。
まあ、残業代が出ないのは不満だし、査定に私の実績が一切反映されていないのは許し難いけど。
それでも。
私の推しを「アバズレ」と罵り。
私からチケットを奪い、生き甲斐まで踏みにじった。
……そんなの、許せるわけがない。
気がつけば私は藁人形を放り捨て、背中越しに遠ざかる彼女たちを睨みつけていた。
――作戦決行は、ライブ前日。
その夜も私はひとり研究室に残り、深夜まで黙々と作業をしていた。
室内はしんと静まり返っている。皆、当然のように私に仕事を丸投げしてとっくに帰っていたからだ。
所長とマリアンヌ様は、すでに王都へ前日入りを果たしている。今ごろは私のチケットを手に、デュオ様のサプライズ出演にでも期待しながら上機嫌で酒でも飲んでいるのだろう。
「……ふう。これで、よしっと」
仕事なんか定時前に片付けてある。
本命はこっち。日頃から使っている魔道具群に仕込んでおいた論理爆弾、その起動準備だ。
手早く作業を終えた私は、机の上に藁人形を一体ぽんと置き、研究所を静かに後にする。
夜馬車に乗り込み、目指すは王都――そしてライブ会場だ。手元には、事前に再発行してもらった新品のチケットもある。
懐に大切にしまい込み、一仕事終えた充実感と共にそっと目を閉じた。
――ズン、と。遠く離れた研究所の方角で、何かが微かに揺れた気がした。
*
結論から言うと、ライブは最高だった。
泣いて、笑って、跳ねて、叫んで。
生きててよかったと、心の底から思えた。
会場を出た私は、研究所に帰る――わけもなく、王都の宿屋でふかふかのベッドに沈み込む。
目が覚めたのは昼を少し過ぎた頃だった。
のそのそと起き上がり、水を一口飲み、ついクセでエコーストーンを起動する。
この魔道具は配信を見られるだけでなく、通信機能まで備わっている優れものだ。
起動した瞬間に表示されたのは――着信通知件数「99+」の文字だった。
「…………は?」
恐る恐る開いてみると、すべての発信元が同じだった。
研究所。研究所。研究所。そしてまた研究所。
「……怖っ」
こわごわと操作していると、図ったように着信が鳴り響く。反射的に応答してしまった画面に――見慣れた、見たくもない顔が映し出された。
『やぁっっっと出たわね! あんた、今どこにいるのよ! 無断欠勤なんていい度胸じゃない! しかも魔道具の構造も魔法陣の紋様も、全部勝手に書き換えたでしょう!』
キーン、と耳が痛くなる怒鳴り声。背後には人々が慌ただしく動き回る姿が映り、悲鳴や怒声も聞こえてくる。
私はエコーストーンを少し離しつつ、いつものようにヘラヘラと応じた。
「そんなぁ、私は何もしてませんよぉ。……あっ! 妖精さんの仕業じゃないですかぁ?」
『その妖精さんはあんたでしょうが! どれだけの被害が出てると思ってるのよ?! こっちは徹夜よ、徹夜!』
「あれれぇ? おっかしいなぁ? だって『妖精さんが勝手にやったことだから、あなたの実績にはならない』って、所長ご自身が何度も仰ってましたよね? ……まあ、仕方ないんじゃないですかね? 妖精さんってほら、イタズラ好きって言いますし」
『ふざけんじゃないわよ! 今すぐ戻ってきなさ――』
ブチッ。
通信を切る。ついでに研究所からの着信は即座に全ブロック設定して、はい、業務連絡終了。
あれだけ怒鳴っていたということは、あの論理爆弾が見事に作動した証拠だろう。書き換えた紋様や仕組みは誰にも解読できず、今ごろ研究所内は大炎上中に違いない。
……でもおかしいな。確かに業務に支障はあるけど、その影響範囲はあくまでも私が効率化を施した部分だけ。余所に被害が出るようなことはしてないはずなんだけれど……まぁいいか。
「……あ、そうだ。電話、しなきゃ」
うっかり退職願を出し忘れていた。勤め人として最後の手続きはきっちり済ませねばならない。
私はエコーストーンを操作し、あらかじめ登録しておいた通信先にコールをかけた。
「あ、もしもし? 退職代行サービスですか? ……え? そちらは『婚約破棄代行サービス』? まあまあ、縁を切るという意味では似たようなもんじゃないですか。私、職場を辞めたいんですけど相手をするのも面倒で。……あ、話だけでも聞いてもらえます? じゃあ、早速――」
*
それから半年後。
しばしの無職生活を経て、私は再びこき使われていた。
新たな職場は――魔塔。
大陸最高峰の魔導士たちが集い、史上最強と謳われるハーフエルフが主を務める、伝説級の研究機関だ。
ありがたいことに、私はその末席に加わることに成功していた。
以前の研究所とは全くの別世界。
設備は一級品、資金は潤沢、そして完全なる個人主義かつ実力主義。
魔塔の主は放任主義で、仕事は丸投げするが過程に口を出すことは一切ない。
お給金は前職の十倍。衣食住は保証され、仕事が終われば自由時間までついてくる。
……つまり、私にとっては天国である。
そして、ここには何より――。
「こんにちはー! あっ、ナンナさん。どう? もう魔塔には慣れた?」
「リカちぃ! こんにちは!」
そう。私の推しのリカちぃが時々遊びに来てくれるのだ。しかも贅沢にも、名前を呼んでもらえる無償オプション付きである。
「お陰様でだいぶ慣れました。それもこれもリカちぃが紹介してくれたおかげです。口利きしてもらえなかったら、末席どころか門前払いだったと思います」
「え~、そんなことないって。ナンナさん真面目だし、推薦なくてもいけたと思うよ。……でも、良かった! 嫌なことがあったらちゃんと言ってね? ほら、ここ変わり者だらけだから」
変わり者どころか人格破綻者の巣窟だけれど、そんなことよりも私の推しが今日も優しくて可愛い……!
歓喜にむせび泣きそうになるのをグッと堪えて笑顔を返す。
――そう、あれから私は、職を失った代わりに自由を手に入れ、王都に拠点を移し、握手会に通いつめた。
その甲斐あってリカちぃに顔と名前を覚えてもらえ、毎日は充実していた。幸せだった。
請求書が届くまでは。
どうやら、私があの研究所に与えた損害は想定以上だったらしい。ただの仕返しのつもりが、笑って済む規模ではない崩壊を引き起こしてしまったのだ。
夜中に仕込んだ論理爆弾は、私が業務効率化のために組み上げていたシステムを逆手に取ったもの。制御をひとつ外せば全体が最適化をやめ、無限ループ地獄へ突入する仕掛けだった。
本来なら私の担当領域に収まるはずが――実はその仕組みはあちこちで勝手に流用されていたらしく、他機関にまで波及しながら被害は瞬く間に拡大していった。
私はその光景を、藁人形に仕込んだ魔道具で録画していた。
退職代行への電話を終えたあと、エコーストーンに転送されていた動画を再生すると――。
そこには、研究所の壮絶な末路が克明に映っていた。
『誰かっ! ループ処理の負荷で魔導核が暴走してる! このままじゃ崩壊する……早く止めてっ!』
『冷却陣が反転してる!? あっつ……暑い! 空調まで死んでるぞ!』
『ぎゃああっ! またセミが動いた! なんでこんなところに転がって……って、無限転送されてない!?』
壁一面の魔導モニターが赤い警告文を点滅させ、耳を劈くエラー音が研究所全体を震わせる。
誰かが慌てて魔力伝導管を引き抜いた拍子に、隣接する魔導回路群まで連鎖的にダウン。
さらに裏庭に仕込んだ転送陣が絶え間なく稼働し、室内のあちこちでセミファイナルが炸裂。羽音と断末魔の合唱に、所員たちは涙目で逃げ惑っていた。
そんな地獄絵図に、呼び戻されたのか汗だくの所長とマリアンヌ様が駆け込んでくる。
『一体どういうことよ! 私がいない間に何があったの!?』
統率を図ろうと声を張る所長。颯爽と冷却魔法陣の書き直しを試みるも、私が仕込んだダミーに魔力が流れた瞬間、熱風が噴き出して書架に並んだ古文書が炎上した。
『所長! そんな初歩的な魔法陣でミスしないでください!』
『失礼ね! こんな複雑な紋様、私知らないわよ!』
その横でマリアンヌ様は理解もせずに魔道具の起動ボタンを無闇に連打。暴走した装置が光弾を吐き出し、床に散らばった貴重な魔晶石を次々に誘爆させていく。
『きゃあああ! な、なんでこんなことに!?』
二人は互いに責任をなすりつけ、罵声を飛ばし合うばかり。
その様子を、一人の若手研究員がエコーストーンで撮影していた。録画を終えると彼は藁人形に目を留め、苦笑を漏らす。
『うわ……怨念こもりすぎて特級呪物になってるじゃん。増幅されてこの有様か。……ま、給料も安いし糞みたいな職場だったからしょうがないね。俺もさっさと逃げっかな』
そう呟くと、彼はそのまま研究所をバックレた。
後日判明したところによれば、その動画は全所員に一斉送信され、隠蔽する間もなく瞬く間に拡散。混乱は王都のインフラにまで及び、この映像が決定打となって所長は辞任。マリアンヌ様も実家の信用を失い、公の場から姿を消した。
……しかも職場外でも、しっかり追い打ちが入っていた。
『あの女のせいでエコーストーンが使えなくなったのよ! もうデュオ様の配信も見られないじゃないの!』
『私を誰だと思っているんでして?! こんなこと、皆やってることじゃありませんか!』
どうやら私から奪ったチケットは、不正使用として処理されていたらしい。ライブ会場では門前払い、アカウントは即停止。金を積んで入手したマリアンヌ様も同じ処分が下された。
当然だ。リカちぃは、不正と転売ヤーを心の底から憎んでいるのだから。
――ざまぁ!
……ただ、その爽快感も長くは続かなかった。
退職は代行サービスに丸投げしたものの、しばらくして被害総額の計算が終わったらしく、莫大な損害賠償の請求書が届いたのだ。
まあ、それは受け入れるしかない。予想外に拡大したとはいえ、引き金を引いたのは間違いなく私だ。
でも後悔はなかった。あれは、私の尊厳を守るために必要な一撃だったのだから――。
……とはいえ現実は無情である。
王都の宿屋で推し活に全力投資していた私はあっさり貯金を食いつぶし、残ったのは泣きの分割払いで手打ちとなった請求書だけ。
金もなければ職もない。立派な「無敵の人」の出来上がりだが、これ以上世間様に迷惑をかけるのも気が引ける。
――だから、今日でぜんぶ終わりにしよう。
そう覚悟して挑んだ最後の握手会。顔色の悪い私を心配そうに見つめるリカちぃに、別れを告げた。
『リカちぃ。今日は……お別れを言いに来たの。今まで本当にありがとう。あなたは、私の生き甲斐だったよ』
『えっ?! ど、どうしたのナンナさん? 何かあったの? 私でよければ、話、聞くよ?』
『……実は……』
片付けが始まった会場の片隅で、私はこれまでの出来事をすべて打ち明けた。
推しに迷惑をかけるなんて、ファン失格もいいところだ。
我に返って慌てて謝ろうとしたその時、神妙な顔をしたリカちぃがぽつりと呟いた。
『……エコーストーンで、日頃の暴言とかも録音してたって言ってたよね?』
『え? う、うん……。いつか暴露系配信者になって晒してやろうって妄想してたから。実際には観る人なんていないだろうし、私にはそんな度胸もなかったけど……』
『うん、暴露配信はちょっと困るけど……証拠として使おう! 残業代も払われてなかったんでしょ? パワハラ、モラハラ、窃盗。ぜんぶまとめて慰謝料請求いっちゃおう! 多少は相殺できるはずだし、サンドリアの王様とは知り合いだからチクッと言っとくよ』
正直、半分も理解できなかった。
でも彼女はひとりの厄介ファンでしかない私のために、本気で動こうとしてくれたのだ。
そして、損害賠償は慰謝料やら何やらで相殺され、それ以降の請求は消えた。晴れて借金地獄から解放されたのだ。
……とはいえ、職探しは難航した。
あの一件はすっかり業界に知れ渡っていて、こんな爆弾女を好き好んで雇う場所などあるはずもない。
そんな時、またもリカちぃが助言をくれた。
「全く気は進まないけれど……魔塔なら過去なんて気にしないから、ナンナさんの能力だけ見て採ってくれるはずだよ」
半信半疑で訪ねてみたら、一応用意した職務経歴書は湯呑の下敷きにされ、簡易的な魔力検査だけで即採用が決まったのだった。
「リカちぃの紹介なら仕方ないですね」
それが合否判定のすべてだった。
私の教育係となったその人は、圧倒的な魔力で場を支配する。
このとき私は、これまでの自分が井の中の蛙であったことを痛感した。
*
「ほら、ナンナさん。配信ばっかり見てないで手を動かしてください。まだ山ほど仕事が残ってるんですから」
「はぁ〜い。……ここって天国ですよね。魔晶石は使い放題だし……残業代まで出るなんて!」
「何言ってるんですか。当たり前じゃないですか。タダ働きなんて、馬鹿なんじゃないですか?」
呆れ顔をする教育係の先輩に、えへへと笑い返しながら、私は今日もエコーストーンの最適化案を練る。
残業はあるし、徹夜もする。やっていること自体は前職と大差ないのに、心は驚くほど満たされている。ここでの仕事はリカちぃの活動の支援につながるし、なにより働いた分の対価がきちんと支払われるからだ。
「それにしても、あなたがあの騒動の張本人だったとはね。話を聞いたとき、サンドリアのレベルの低さに思わず笑ってしまいましたよ。……で、なんであんな真似をしたんですか?」
「いやあ。私、前の職場では"妖精さん"なんて呼ばれてたんですよ。夜中に無償で仕事を片付けるからって。酷い話ですよねー?」
それは大変でしたね。
そんな労いの言葉を期待していたら、先輩は滅茶苦茶嫌そうに顔を顰めた。
「……なるほど、それはたしかに酷い話です。あなたは随分と馬鹿な真似をしていたんですね。頭おかしいんじゃないですか?」
「……え?」
「そんなの、努力を履き違えた無能のやることじゃないですか。自己満足の極みですね。それで被害者気どりとは度し難い。他人の迷惑にしかならないので、ここでは絶対にやめてくださいよ」
「…………」
辛辣な言葉の数々が突き刺さったが、考えればその通りだった。……私ったら。自ら搾取されに行って、裏では「こんなことも出来ない人たち」と見下して悦に浸っていただけじゃないか。
こうして真顔で指摘してくれる人がいなければ、そんなことにも気付けなかったなんて。自分の視野の狭さに恐れ入る。
自分の所業を振り返って反省しながら、黙々と手を動かす。
もう間違えるわけにも、迷惑をかけるわけにもいかない。私は、稼がなければならないから。
私の名前を呼び、私を人として扱ってくれる。
たった一人の女神様への恩返しとして――全力で貢ぐために。
リカちぃ「推し活は計画的にお願いしまーす!」