犬派か猫派か
よぉ。いきなりだけど、あんたは犬派? それとも猫派? なぁどっちだい?
なんて、ははは、どうでもいいんだ。悩ませちまったらごめんな。犬と猫どっちが好きか議論するなんて不毛だよ、不毛。そのことで争うなんて特にな。
しかし、ここにもそんな不毛な連中がいた。猫好きの女と犬好きの男。ああ、女と男と言っても――
「おい、クソババア! そのクソ猫どもをうちの庭に入れるなっつっただろ! うちのロッキーが引っ掻かれでもしたらどうしてくれるんだよぉ!」
「うるさいんだよ! あんたこそ、その馬鹿犬の夜鳴きをやめさせたらどうなんだい! この飲んだくれ! デブ! 死ね!」
女と言っても婆さんで、名前はアン。男の方は小太りの中年で、名前はドリー。ドリーが着ている白いタンクトップは黄ばんでいて、いつかも思い出せない昔吐いたゲロが染みて模様になっている。
この二人は平屋住まいの隣同士。仕事をしておらず、ともに裕福とは言えない。趣味はテレビ、人の気持ちを考えず言いたいことを言い、嫌われるタイプ。それから不潔で、まあ、こんな風に共通点も多いが、この二人に恋が芽生えるはずもない。歳の差を言ってるんじゃない。猫好きの犬嫌いに犬好きの猫嫌い。こりゃキューピッドも逃げ出すね。
そういうわけで、顔を合わせれば二人は喧嘩ばかりしている。でもお互い、ペットを前にしたら嘘みたいにふにゃふにゃと美味しそうなくらい顔が柔らかくなるんだ。
アンの家の中には常に四、五匹の猫がいる。時にはもっと多く、その顔ぶれも違ったりする。アン風に言うと『猫ちゃんはこの家に出入り自由よぉ』だ。家の裏口のドアは常に少し開いていて、そこから猫が自由に出入りできるんだ。当然、そのドアの前のウッドデッキと庭も猫たちのたまり場で、それがドリーを苛立たせている。連中、ニャーニャー鳴くわ、その辺で小便するわで、ドリーは自分の匂いには鈍感だが、風の強い日なんかに、ちょーっとでも家の中に連中のションベンの匂いが香ると、目を吊り上げて庭に飛び出し、大声で怒鳴り散らすんだ。
すると、すぐさま、アンの婆さんがすごい勢いでドアを開けて外に飛び出し、「大きな声出すんじゃないよ! うちの猫ちゃんたちが怖がってるじゃない!」って怒鳴り散らして、もう、それはそれは凄まじい罵り合いになるんだ。
でも、猫たちはドリーの声に(ついでにアンの声にも)ビビっちゃいない。そりゃ当然さ。喧嘩なんて日常茶飯事。もう慣れっこさ。ドリーも猫連中に慣れちまえばいいものを、ある日ついに我慢できなくなった。どうしたって? 猫たちに毒餌を食わせることを思いついたのさ。
ドリーからすりゃ、これまでなぜ思いつかなかったのか不思議なほど簡単な話だそうだ。猫たちがゴロゴロくつろぐそのウッドデッキには、アンが連中のために置いた水入れや餌入れがある。そこに混ぜてやればいいってな。
ただ、ドリーは計画がうまく行った後のことについては、想像が及ばないようだ。
アンが悲しむ? それくらいはドリーにも想像がつく。むしろそりゃいい気味だってさ。で、その先は? 残念なことにそこが考え付かないんだ。
でも、おれは違う。だからこう、事を運んだ。
ドリーは夜中にアンの庭に忍び込み、計画通り毒を仕掛けた。
そして、翌日の朝。ドリーはいつ振りかに清々しい気持ちで目覚めた。と、いうのは気のせいだな。昨晩もいつもと変わらず飲んだくれてたし、朝は大抵、頭痛と吐き気で胸糞悪く、腹は不機嫌そうにゴロゴロ鳴っている。でも、猫連中の声がしないことに気づくと鼻歌を歌いながら庭に出て、大きな欠伸と伸びをした。
と、そんなことをしていると、アンの婆さんが庭に飛び出してきて「あんたがうちの猫ちゃんたちを殺したんだろ!」って、また怒鳴り散らすんじゃないかって、ドリーは思ったが、まあそしたら知らん顔して笑ってやると、余裕の表情を浮かべた。
でも、その顔が歪んだ。……静かすぎる。漂う不気味な雰囲気に、「もしかしたら、俺はとんでもないことしちまったんじゃないか」って、ドリーは今さらながらビビっちまったんだろう。ドリーは首を伸ばし、アンの庭を見つめた。
猫たちの姿はない。まさか、あの猫たちを全員殺しちまったのか? それはさすがにやり過ぎか? と、ドリーはアンの家の裏口のドアをじっと見つめた。ドアは少し開いていた。
「……あ、ロッキー! ロッキー!」
そして、もし本当にそうだったとしたら、とドリーは思ったんだろう。アンの婆さんがどうなっちまうか。ショックで心臓麻痺を起こしてぶっ倒れている。いいや、そんな肝っ玉じゃない。たとえそうだとしても、あの婆さんは必ずやり遂げるだろう。報復をな。
ようやくその考えにたどり着いたドリーは、必死になって愛犬の名を呼び、そして返事がないとみるや、これは何かあったのだと思った。腹を揺らして、ゴムが緩んだスウェットからケツを少し出し、自分の家とアンの家の仕切りのフェンスを越えて、ウッドデッキに上がった。そして――
「ロッキー……おい、ロッキー。いるか……?」
ドリーはドアの隙間に手を入れ開けて、中に入った。
くちゃくちゃくちゃ。
くちゃくちゃくちゃぴちゃ。
音がした。
「ロッキー……? あ、あああ、あああ!?」
薄暗い廊下。そこにあった一つの塊を目にした瞬間、ドリーは叫んだ。
猫たちはアンの体に群がり、その肉を貪り食っていたのさ。静かだったのはその熟成された味を堪能していたというわけ。
「あ、ああ、あ、ロッキー、ロッ――」
逃げようと踵を返したドリーの前におれは立った。おれを見つけて、ドリーはほっとしたんだろう。強張った肉を柔らかくしてくれた。
おれはドリーに飛びつき、その喉に噛みついた。そして、ドリーの口から漏れた悲鳴を合図に、猫たちが一斉に飛び掛かり……。
と、全てが手筈通りにうまく行った。そう、おれが猫たちに教えてやったのさ。その餌には毒が入ってるってな。でも、このままだと遅かれ早かれお前らはドリーに殺されるし、おれも報復でアンに殺される。だから、こうやったというわけさ。
犬派か猫派か争うのは不毛だって言っただろう?
おれたちは意外と仲良しなんだぜ。