1.アンドの場合
この作品は武 頼庵様の『この作品どう?企画』参加作品です。
この日は王宮に勤める文官たちにとって、最大の試練の日だった。
「諸君」
文官たちを前に、宰相が重々しく語りかける。
「分かっているだろうが、本日は国王陛下がお決めになった"貴族の子息令嬢が何でも言いたいことを本音で言っていい日"である。そのやり取りを何一つ漏れることなく見届け、記すように。分かったな」
文官たちは誰も返事をしない。ただただ沈痛な面持ちでいるだけである。文官という名にふさわしくない、本日は体力勝負を強いられる日でもある。
誰もこの日のことを本当の名前でなど呼ばない。長いしセンスがない。代わりにこう呼ばれている。――"婚約破棄の日"と。
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それは、貴族の子供たちが多数通う国立の学園で、毎年その学年末に行われる。
修了式を行ったその会場で、この国の王太子とその婚約者が向かい合っていた。婚約者同士とは思えないほど、お互いに無表情である。
先に口を開いたのは王太子だった。
「君とは結婚できない。この場で婚約破棄させてもらう」
「承知いたしました。謹んで、破棄を受け入れましょう」
ザワつく周囲を全く気にすることなく、二人はにらみ合っている。それを見ながら、王宮に勤めて五年になる文官アンドは、心の中で叫んでいた。
(ああー、やっぱりかっ! 頼む! 頼むから、ホントに婚約破棄なんかするなよっ!?)
じゃないと、宰相の怒りが恐ろしい。
王太子の婚約者は、宰相の娘である。
娘を嫁になど出したくない。しかし、出さなければ出さないで、周囲から"嫁き遅れ"などと言われて噂の的になってしまうので、仕方なく娘の相手を探した。
自分の娘を娶ろうとするからには、最低でも国王になるような男でなければならない、と本気で宣っている宰相だ。これが権力目当てならまだ分かると言いたいが、そうじゃないのが怖くて嫌だ。
というか、宰相も現時点でこれを聞いているはずなのだ。怒り狂ってやしないだろうか。怖い。想像するだけで怖い。
(王太子っ! お前も国王の真似なんかして、婚約破棄宣言するんじゃないっ!)
心の中の叫びには、見事に敬称が抜けていた。
元々は、現国王が卒業パーティーの時に、自らの婚約者に婚約破棄を突きつけ、そこからお互いに本音をぶつけ合ったことで誤解が解けたことから、この別名"婚約破棄の日"が出来上がった。
今の国王夫妻は、そんなことがあったとは思えないくらいに、仲の良い夫婦である。いい歳してハートのオーラをまき散らしている夫婦を見て、微笑ましく思うか青筋を立てるかは、それぞれの立場によって変わってくる。
そして、今度はその国王の息子が"婚約破棄の日"を迎えた。頼むからそれだけは止めてくれよ、という大半の文官たちの願いもよそに、王太子は婚約破棄を告げて、婚約者もあっさりそれを受け入れた。
果たしてどうなるのか、なんてのんきに考える気持ちの余裕は、アンドにはなかった。
この話のみ続きます。続きは六話になります。