第七話
影丸の後ろをついて駅を出た、天の目の前に広がった光景は酷く寂れた町並みだった。
もとは発達した所だったのだろうか。
それとも建設途中で終ってしまったのだろうか。
どちらにせよ、灰色のコンクリートジャングルが空を覆い隠すようにそびえ、所々崩れる壁からは、家を失ったホームレスの子供達や大人達がごろごろと毛布もかけずに寝転んでいた。
もしかしたら、死んでいるのかもしれない。
そんな考えも浮かんだけれど、哀情の欠片も確かめられなかった。
死ぬ方が悪い。生きたければ生きれば良い。
天は、ふんと小さく鼻を鳴らした。
「ここから、少し歩くからねぇ。」
間延びした影丸の言葉。肩越しに振り返り、金色の瞳を細めながらそう言う。
声には出さず、こくんと頷くことで了解を伝えた天は、辺りを観察するのも面倒だとばかりに俯く。
影丸は、くつくつと楽しそうな笑みを浮かべた。
そのとき。
「お姉ちゃん。」
「っ、」
くい、と軽く引かれる制服の裾。
一瞬感じ取ることのできなかった気配に息を呑んだ天は、悔しそうに眉を寄せたが、すぐに振り返った。
「なに?」
「ご飯、頂戴。」
振り返った其処に居たのは、虚ろな目をした一人の子供。
よく見ると、子供の後ろには、物陰に隠れているのかいないのか、頭や体の一部を覗かせてこちらの様子を伺っている他の子供もいた。
ずい、と力なく差し出された手。
肉が削げ落ちたように細い指に、天は目を細めた。
ところどころ泥で汚れている。
此処では満足に身体も洗えないだろう。そして、食料も同じく。
天は、背負っていたリュックから保存食用のビスケットを数枚取り出して子供の手の上に置いた。
「食べて良いよ。」
「ありがとう。」
柔らかく、酷く繊細な笑みを浮かべた子供。
天も、無意識に優しげな微笑を浮かべていた。
その様子を見ていた影丸は、驚いたように目を見開く。
そして、軽く口笛を吹いた。
「天。そろそろ行くよ。」
「はい。」
影丸に返ってきたのは、感情のこもらない無機質な声。
目的地に着くまで、影丸はぶつぶつと文句を吐いていたが、天は一つも声をかける事無くただ後ろについていた。
ぎいいいい。
もう何年も油が差されていないであろう重い扉を、ただ片手で押し上げるように開く影丸。
天は、手伝った方が良いのかと一瞬迷ったが、直ぐに面倒臭くなってその場で影丸が歩き出すのを待っていた。
扉が開き、広がった景色は旧いバー。
カウンター以外のテーブルには、何が書かれていたのか確認できないほどに汚れたラベルが張ってある瓶がごろごろと転がっている。
いつ飲まれたのだろうか。天の足元の透明の瓶の中には、虫が巣を作っていた。
「いらっしゃい。」
しゃがれた声が、影丸と天の耳に届く。
影丸が、特に表情を変えず笑顔のままで声の方向を向けば、そこにはその辺で拾ったような木の棒を杖代わりにした、老人がいた。
腰に手を当て、やつれた表情でこちらを見ている。
老人が、また口を開いた。
「なんにしましょうか?」
「部屋を借りたいんだけど。」
能天気な影丸の声。天は、影丸をみる事無くただ老人を睨むように見つめていた。
ぼさぼさに乱れた黒髪に、所どこと一掴み程度に白髪が覗いている。
黒だったのか茶色だったのか判断できないほどに色褪せた眺めのエプロンは、ずるりとだらしなく垂れ下がり、老人の薄汚い服を覆い隠していた。
天の、不審な瞳には、訳が合った。
気配を感じ取るのは、常人よりは優れている天。
それなのに、この店とはいえない店の扉を開けるまで、老人がいるかどうかすら分からなかった。
先程もそうだ。天の年齢の半分を行っているかいないかの子供の気配が感じ取れなかった。
どうみても、普通の人間にしか見えない此処の住人が、何故こんなにも気配を絶つのが上手いのか。
天は、自然と顔を顰めた。
「承知しました。5号室が開いております。・・・二部屋にしましょうか?」
影丸の言葉に、老人がちらりと天を見て確認する。影丸も一緒に天に目をやったが、
天は、「ベッドが二つあれば一部屋でも良い」と答え、口を閉じてしまった。
影丸は、老人に目配せし、「お願いします」と伝えると、深く頷いて背中を向ける老人の後を追うように足を進める。
勿論、天もその後をついていった。
―――――
「いやー、意外だなあ!天にもあんなに可愛いトコがあったんだねぇ!」
少し埃臭いベットに腰掛けながら、影丸がそう漏らす。
あの馬鹿でかい大剣は、ベットの端の壁に立てかけてあった。
影丸の手に届く位置。間の抜けた奴だが、その辺はやはり考えているらしい。
「何がですか。」
櫛で軽く髪を梳かし、整える天。
ちらりと横目で影丸を見れば、丸いレンズの奥では茶化すような瞳がこちらを見ていた。
イラ、と苛立ちが一瞬燃える。だが、頭を振ってそれを散らせた。
「子供に、あんなに可愛い笑顔を向けるなんてねぇ。」
「・・・ああ、あのことですか。」
「僕は天の師匠なのに!まだあんな笑顔見たことないよ!」
「知りませんよ。」
見せて、というように声を上げる影丸に、天はそっぽを向いたままそう答える。
それを聞いて、つまらなそうな声を上げたのは勿論影丸。
ぶーぶーと子供のように唇を尖らせ、鬱陶しく文句を言った。
「それはそうと。」
「ぶ?」
天の言葉に、ブーブー言うのをやめ、影丸は首を傾げる。
天は、こんな奴に頼んで大丈夫なのだろうかと心配になったが、溜め息をついてからまた口を開いた。
「なんなんですか、此処の住人は。」
「ああ、気配のこと?」
「その通りです。」
尖らせた口を逆に吊り上げ、楽しそうに笑む影丸を睨む天。
髪を梳かしていた櫛をリュックにしまい込み、天は影丸を正面から見た。
「此処の住人はねぇ。天みたいな、力を欲する人を鍛えてくれるんだよ。」
「・・・・なんですか、それは。」
怪訝な表情。天は、よくわからないと頭を振った。
「時々、気に食わないのか殺されちゃうお弟子さんもいるみたいだけどね。天は余裕でOKされるから大丈夫だよ。」
「どこからその根拠が・・・。」
殺されちゃう、とふざけた口調で影丸がいった言葉に、天は心底嫌そうに顔をゆがめる。
弱音を吐くわけではないが、此処の住人には勝てる気がしなかった。
くつくつと喉で笑う影丸。
天は、ぴくりと眉を震わせた。
「天、さっき、天に声をかけた子供がいたでしょう。」
「ああ、」
あの子か、と頷く。
他の子供と同じように、麻のような布で身体に引っ掛けるように服を着ている子供だ。
確か、髪の色は、くすんでいたが青かった気がする。
なかなか珍しい色だ。影丸と同じく。
影丸は、にやにやと企んだような笑みを浮かべ、天をじっと見つめる。
もったいぶっていないでさっさと言え、と、天はにらみつけた。
「あの子は、この町の長なんだ。」
「・・・・は、」
一瞬。肩の力が抜けた。
「どういうことですか。」
信じられないのか、天は眉を寄せたままそう問う。
だが、影丸はそんなことは気にせずにくつくつ笑った。
「まずはその話より、僕たちの話しをしようか。」
「・・・。」
影丸のその返答に、つい黙る天。
話を変えるのならば、今はまだその質問はできない。
不機嫌そうに口を尖らせる天に、楽しそうだった笑みは少し消え、代わりに困ったような笑みが影丸に浮かんだ。
「僕たちは、オガーデリックという力を使う。それは、電車で話したから知っているよね?」
頷く天。影丸は、それに答えるように頷いて話を進めた。
「オガーデリックは、自身の力を元とする力。でも、世界に存在する特別な力には、もう一つの種類が有るんだ。」
ぴん、と人差し指をたてる。
無意識に、その先端に目をやる天。
血色の良い指の先から、整えられた爪が少しだけ覗いていた。
「デルーストーム。周りの力を元とする力のことを指す。僕たちとは逆の位置にいるため、オガーデリックを使う人間とデルーストームを使う人間は反発しあう。今も、それは変わりないよ。」
もう片方の手の人差し指もたてる。
それらを近づけ、軽くぶつけて離れさせる。
どうやらオガーデリックとデルーストームのことを表しているらしい。
天は、頷かずに話を進めるよう訴えた。
「で、僕たちが使うオガーデリックは、自分の隠れた力を表に引っ張り出さなくてはいけないから、此処を利用するんだ。」
「・・どうやって?」
曖昧な頷きをニ三度繰り返し、口を開いた天。
影丸は、天の言葉に頷くと、先程のように口を開いた。
「気配を完全に消すこと。」
「―――。」
「此処の住人は、常人には到底気配を感じ取ることができないようになっている。気配を消すのが上手いからね。でも、僕のようなオガーデリック使いなら、それを察知できるようになるんだ。」
立てていた指を、他の指と一緒に握る。
それを自然に膝の上に置く影丸の動作を、意味もなく眺める。
影丸は続けた。
「それは、オガーデリックを引き出すことと同時に、オガーデリックを操ることにも繋がるんだよ。わかった?」
「・・・はい。大体は。」
こくん。と頷く。
影丸は、よかったと息をついた。
「僕、説明するの苦手だからさ。まあでも、今日はまだそれはやらないから、明日に備えて早めに寝ようか。」
「はい。」
満足気な溜め息をつき、もぞもぞと毛布の中に潜り込む影丸。
天も、軽く返事をして毛布とシーツの中に滑り込んだ。
そこでふと、天は考える。
(お風呂には入れないのは分かった。でもせめて、着替えだけは・・・・。)
「・・・・師匠。」
「んー?なーにー?」
「・・・明日、着替えをしたいのですが、どうしたらいいですか?」
「・・・じっちゃんに相談してみるよ。」
ついでにシャワーもね。
そう付け足した影丸に、天は気付かれないよう安堵の溜め息をついたのだった。
補足
寂れた町:通称ゼーパルの町
由来:ゼーパルというオガーデリック使いが其処を見つけ、利用するようになったから。
説明:オガーデリック使いだけが利用する町。
ただ宿のために利用するものも居ない訳ではないが、ほとんどは天のように訓練する為。
カウンターの老人(名をモイスローという)が「5号室が開いている」といったのは、
その部屋しか綺麗にしていないという意味。
なので、あらかじめ開けておきたい場合は、きちんと予約をすることをおすすめします。
また、ゼーパルの町長である少年エヴノはゼーパルの町でも一番に気配を絶つのが上手いらしい。