第四話
がたたん、がたたん。
心地の良い揺れが眠気を誘う。疲れていたのかは知らないが、天の瞼はだんだんと重くなっていった。
(寝ようか・・・。)
考え込むように少し俯く。その間も、瞼は下がり、莉玖や魅鈴を睨みつけていた鋭い目付きは、もうその面影すら見当たらない。なんとも間抜けな表情をしていた。
「眠いのー?天。」
「・・・ね、むくは無いと思います。」
「曖昧だねぇ。寝ても良いよ?別に次の駅で降りるわけじゃないし。降りるときも、ちゃんと声かけてあげるよ?」
天を気遣うように顔を覗き込み、目を細めて心配そうな表情をする影丸。山吹色の瞳が、また太陽光に反射してまぶしかった。
天は、その眩しさにますます目を伏せる。だが、天はふんと鼻を抜けるような笑みを漏らすと、至極冷え切った声色で吐き捨てた。
「結構です。貴方に、寝顔なんて警戒心の欠片も無いもの見せるのなら、死んだ方がマシです。」
氷のような、冷たい声色。はは、と苦笑した影丸は、うんと一度頷くと、納得したように、安心したように呟く。
「そこで、警戒心とかれて寝ちゃったら、僕が天を殺してたしね。」
「・・・・。」
ただ、へらへらしている男でもないようだ。ちゃんと、オガーデリックの後継者に相応しい人間を選んでいるようだ。そして、そのオガーデリックを受け継ぐものとして、自分が選ばれた。
力が手に入るのは嬉しかったが、そんな風に選ばれるのは良い気持ちがしない。天は、強くなって、こいつを利用できるだけ利用してから殺せば良いか、と自己完結させた。
眠気覚ましに、ふと窓の外の景色を見れば、いつの間にかまた森に入ったらしい。
あの生ぬるい町から遠ざかることができるのは嬉しかったが、いい加減に飽きる。
はあ、と、溜め息をついた。
がたたん、がたたん。
「・・・・本当に眠くないの?」
「・・・・答えなきゃ駄目ですか?」
「うーん・・・。じゃあ、答えなかったらオガーデリックを教えてあげないって言ったらどうする?」
「・・・・・・、眠いです。」
「そっか!」
意味もない問いかけ。何がそんなに楽しいのか、天のその言葉を聞いて、にっこりと花が咲くような笑みを浮かべた。
呆れた表情で影丸を見る天。影丸は、天の感情に答えるように口を開いた。
「やっぱり、師と弟子なんだから、二人の感情は通じ合っていないと駄目だよね!!」
前言撤回。やっぱりこいつはただのへらへらした男だ。
天は、またしても大きな溜め息をついた。
ねえ!何で溜め息つくのさ!なんて、ブーブーと文句をつく影丸を目の端に、天はじっと景色を見る。深緑だけのその絵画のような光景は、逆に眠気を誘ったので、一つ欠伸を零して、影丸のほうに視線を戻す。
影丸は、不思議そうに首をかしげた。
・・・全くもって、文句を言ったり呆けたりと忙しい男だ。
「眠いですね。本当に。何が眠気覚ましになることはないですか?」
「え、それを僕に求めるの?」
「当たり前です。私の前に貴方以外の誰がいますか。それに、先程“師と弟子が”どーたらこーたらって言っていたじゃないですか。」
ふん、と嘲笑を浮かべる天。
困ったように、影丸は笑った。
「あはは。そうだよね。うーん。そうだなあ。」
細い眉の端を下げ、ハの字にして笑う。顎に手を当てた。どこぞの名探偵のようだ。
うーんと唸って話題を探しているのか、形の良い薄い色の唇も歪む。
天は、その様子をじっと睨みつけるように見つめた。
「じゃあさ、僕が天に、質問しても良い?」
「・・・質問、ですか。」
影丸の言葉に、あからさまに顔を歪める。
面倒なことは避けたい、と、表情が物語っていた。
そんな天の表情を理解していても、影丸はにこにこと爽やかスマイルを浮かべたまま。また、オガーデリックのことを盾にされては堪らんと、天は不機嫌そうに頷いた。
「ただし、言いたくないことは言いませんから。」
「うん!じゃあさ、天の元友人さんの名前、とか!」
「・・・名前、貴方、名前がすきなんですか。」
自分のときもそうだったが、わざわざ名前の漢字まで聞いてきていた影丸。
影丸自身の名前もなかなか個性的なものだったが、彼は名前に関心を持っているのだろうか?
天が、眉に皺を寄せたまま尋ねた。
「あー、うんまあね。後で分かると思うけど、オガーデリックでは自分の名前を使うんだよ。」
ばりばりと、豪快に頭皮に爪を立てて掻く。彼の癖なのだろうか。髪が派手な色をしている理由も、無意味に少しだけ気になった。
「僕達は、名前にはそれぞれ神聖な力が宿っていると考える。だって、数え切れない名前の中からたった一つが自分のものになるんだよ?」
真っ直ぐに、天の瞳をじっと見つめて話す影丸に、天も一瞬その通りなのではないかと思ってしまったが、慌てて視線をそらした。
影丸の瞳には何か仕掛けがしてあるのだろうか。オガーデリックの応用なのかは知らなかったが、その力は結構ためになると思い、後で是非とも聞き出そうと心に決めた。
「どうでしょうか。私は、あまり素晴らしいとは思いません。別に自分の名前が嫌いなわけではありませんが、名前なんて、ただの人間という器の名前じゃないですか。精神の名前ではないと思います。」
「・・・・精神の名前、ねえ。」
「自分の名前は自分で決める。他人に決められることが、私は一番嫌いです。」
少しだけ、目を細めてそうきっぱりと言い捨てる。影丸は、少しだけ黙り込み、また楽しそうに口を開いた。
「じゃあ、天は、天ではない違う名前に変えたいの?」
「・・・・いえ、これはこれで気に入っているので、変えません。」
「変なの。これじゃあ矛盾しているよ。」
「いいえ、これは私の決断ですから、矛盾などしていませんよ。」
「そうかなあ、変なの。」
あっはっはっは、と豪快に笑ってそう言う影丸。もう一々反応するのも面倒になったのか、天は軽く目を瞑ってそっぽを向いた。
「それじゃあ話に戻ろうか。ね、教えてよ、元友達の名前っ」
影丸の言葉の発音がおかしいのか、天の耳がおかしいのか、“元”友達、というのが何故か強調されて聞こえた。
ふと、影丸の目に視線をやれば、にんまりと悪戯っぽく微笑む。どうやら、影丸の発音のせいらしい。
「一人は近藤 魅鈴、もう一人は綾浪 莉玖です。」
「みすず、にりく、ね。漢字は?」
「魅惑の魅、鈴は楽器の鈴です。綾浪 莉玖のほうは、茉莉花の莉に黒色の珠、という意味で玖だそうです。」
「天の元友達には、変わった名前の人が多いんだねぇ。」
「貴方に言われる筋合いなんてないと思うのですが。」
「なに?元なのに、友達悪く言われて悔しいの?」
にんまり、意地の悪い笑みを浮かべて、天を挑発するようにみる影丸。
だが、天はふんと一度鼻を鳴らしただけで、特に感情を露わにすることは無かった。
「友達、ですって?まさか。あの人たちは、私のものになる。だからこそ、見苦しい言葉を見逃せないだけです。」
「私のもの、か。じゃあ僕は?僕も、天のものとなるの?その素質はある?」
「はっきり言えば、皆無ですね。」
「・・・・まだなっていないとはいえ、師に対して随分きついねぇ、天。」
「勿論。師には包み隠さず感情をお教えしたほうが良いでしょう?」
ちら、と横目で影丸を見やり、憫笑にもにた笑みを浮かべる。
はあ、と溜め息をついた影丸は、同じように微笑んだ。
「それにしては、全然感情を露わにしてくれないけど?」
「・・・・。お黙りなさい。」
否定も肯定もせずに、天は溜め息をついた。