第三話
二人――近藤魅鈴と綾浪莉玖――を置いて電車へと移った芹崎天は、座席に深く腰掛けながら、流れるように抜けていく景色を眺めて口元を歪めていた。
理由は分からない。ただ、莉玖と魅鈴のあの決意のこもった表情が、頭の中から消えないのだ。
もう直ぐ自分のものになるのに、無駄な抵抗なんかして、と、くすくすと鈴を転がすような笑みを漏らす。
今の天には、どこか不釣合いなものだったが、客観的に見れば、それは神聖なものにもみえたのではないだろうか。
天の見る景色が、建物から植物だらけになると、ふと、かつかつという耳障りの良い足音が響く。
特に景色以外に興味を持たなかった天だったが、その足音が、明らかに此方に近づいてきていることを察して表情を消した。
車掌のものか・・・・、そう思ったが、違うらしい。
足音の方に目をやれば、派手なピンク色の髪がちらりと覗いた。
「やあお嬢さん。リュックサックなんて持って、お出掛けかい?」
「・・・・。」
座席の影からひょっこり覗いたのは、男だった。
表情を消しきったカオのまま、天はその男性を観察するように眺める。派手な短髪、血色の良い肌。唇はどちらかと言えば厚いほうだが、形が整っていてバランスが良い。淡いブルー――例えるなら、セルリアンブルーのような――が縁取った丸い眼鏡の奥の瞳は、これまた派手な金色、または山吹色をしていた。
背丈は見た所180前後と高め。太っているわけでもなさそうだが、やせて見えないのは彼の着るタンクトップから覗く筋肉質な腕のせいか。
これで性格がよければ、彼と同じ年齢くらいの女性にさぞかしモテたことだろう。
天は、上から下までじろりと観察してから、漸く男の顔を見つめた。
「隣、か、向かいの席。座っても良い?」
「向かいの席、どうぞ。」
「ありがとう!」
へらり、とした笑みが、天に向けられる。
天は、面倒そうに眉を寄せてから、いやいや自分とは対角線の位置にある場所を指した。
大きな身体を嬉しそうに揺らし、彼は嬉々として其処に腰を下ろす。
天の、無意識に出た溜め息には、気がつかなかったようだった。
どさ、と重量の分かる音を立てて、彼は持っていたものを降ろす。
どうやら肩にかけていたようで、それには丁度良い長さの紐――はっきりいってしまえば縄――があったが、天はその縄ではなく、背負っていたものに目を見開いた。
大刀。いや、大剣だろうか。
銃刀法違反という法律がある日本に、何故こんなものを持ち歩いているのだろうかと不思議になるが、その大剣は、柄等に収まる事無く白銀の刃を晒したままその場に置かれている。
電車の床に置くのは、刃に傷をつけないのだろうかとぼんやり思いながらも、天は大剣を凝視した。
「あ、これ、やっぱり見えるんだ。」
「・・・・・?」
突然、男の楽しそうな声。
天は、首をかしげた。
“見える”とはなんだろうか。何故、そんなに嬉しそうなのだろうか。どこか不快感を覚える彼の言葉に、天は眉を顰めた。
「いやあ、よかったよかった。探してたんだよね、うん。」
乾いた笑みを浮かべながら、心底嬉しそうに、楽しそうに床に置いた大剣を持ち上げる。
重そうな音を立てて置いたわりには、軽々と其れを持ち上げている男。
天は、怪訝な表情でそれを見た。
「まあとりあえず、僕の名前は影丸。よろしくね。・・えーっと・・・」
「・・・芹崎 天。」
「天ちゃん!変わった名前だねえ。漢字なんて書くの?」
「・・・・。」
行き成り呼び捨てか。
顔を顰める天に対して、男――影丸――は実におちゃらけた様子で天にそう尋ねる。
天は、溜め息をつきながら窓の外の景色を見た。
いつの間にか、本当に深い森の中を走っていたらしい。
木々の間には、少しの光しか覗かなかった。
「テン。空っていう意味の、テン。天国のテンとかいて、あまと読みます。」
「へえ、良い名前だ。綺麗だね!天ちゃんにぴったり。」
「そりゃどうも。影丸さんも、ぴったりだと思いますよ。」
変な人だし、変な名前だし。
と、嫌味たっぷりに呟いて見せれば、影丸はあっはっは、と大袈裟に笑った。
少しも傷ついた様子の無い影丸に、天は少しだけ面白くなかったが、ちらりと影丸を見ただけで直ぐに窓の外に視線を戻した。
「それで。“見える”ってどういう意味ですか。」
吐き捨てるように天が言えば、影丸は、思い出したように大剣を手に取る。
慌てたように大剣を彼女の前にずいと突き出した影丸は、天の不審な目に戸惑う事無く話しだした。
「この剣はね、僕の力の結晶だよ。」
「・・・・。」
実に、信じ難い言葉だった。
天は、咄嗟にあたりを見回す。
時間は帰宅のラッシュがあっても良い頃なのに、天と影丸が乗った車両には、誰一人として人間の姿は無かった。
「君、誰も持たない、強い力がほしいんだろう?」
「・・・・なんで、其れを知っているの?」
影丸のその言葉を聞き、スッと目を細める天。
天が電車に乗るとき、他に人はいなかった。
乗ったときも、人が少なく、会話を聞き取れるものはいなかっただろう。
その話をしていたのは、電車が来る前なのだから。
何故わかったのか、何故其れを知っているのか。
天は、細めたダークブラウンの瞳で、じっと影丸を見つめた。
「うん。別に僕は天ちゃんに危害を加えるために此処に来たわけじゃないよ?
僕はね、ちょっくら、世界中を旅しているだけなのさ。」
不審極まりない影丸の言葉。
それだけで、天が信用するはず無かった。
逆に強まる警戒に、だんだん焦ってきたのか、影丸は冷や汗を、額から頬へと落とした。
「ううん、えーっと、はっきり言っちゃえば、僕には君の求める強い力がある。
僕は、そのー・・・・まあ天ちゃんの“力を求める感情”につられて此処まで来たわけなんだけどー・・・。」
ちらちらと、確認するように天をみる影丸。
天は、目を外す事無くただひたすら影丸を見つめていた。
――だが、いつまでたっても焦ったままの影丸を見て、こいつを疑っても仕方が無い、と思ったのか、
天は重い溜め息をついて視線をそらした。
「それで、私の感情につられてきて、それでそうするんですか?」
「・・・・信じてくれるの?!」
「ウソなんですか?」
「いやいや、本当だとも!!」
嬉しそうに、レンズの奥の目を見開いて、影丸は勢いよく立ち上がった。
影丸の言葉に、からかうつもりで言った天は、本当に嬉しそうな様子の影丸に手を握られて激しく上下される。
ぶんぶんと、何度か腕が千切れるのではないかと錯覚した。
壮絶な握手から解放された天は、ぐったりとつかれきった様子で座席に背を預ける。
いやー、ごめんごめん、なんて、困ったように笑いながらそういう影丸に、天は不機嫌そうに視線を移した。
「で?」
「・・・うん。できれば、君のお手伝いがしたいなーって・・・。」
「・・・お手伝い?」
「・・・・うん。」
天の、怒りの混じった声色で尋ねられ、大の大人が情けないくらいに方を奮わせる。
聞き返す天の言葉に、少しだけ安堵した様子で、影丸は顔を上げた。
「さっき、僕は強い力を持っているって言ったでしょ?
あれは、僕たちの中で『オガーデリック』と呼ばれていて、君達の言葉で言えば、魔法とか超能力みたいなもので、オガーデリック使いでないと見えないものなんだよ。」
「・・・へえ。」
実際、半信半疑だった。
影丸が持っていた大剣がオガーデリックというものでできているのなら、他の人間が見えないのは分かる。
でも、この世の中でそんなものが存在しているだなんて、とてもじゃないが信じられなかった。
「じゃあ、なんで私には見えたんですか?」
オガーデリック使いしか分からない。
それなら何故自分は見えたのか。
天は、そう尋ねるように言葉を投げる。
にっこりと、優しげな笑みを浮かべる影丸は、うん、と一度頷くと、また口を開いた。
「時々いるんだ。力を求める故に、こうした僕達のオガーデリックを見極める人って。
僕達は、オガーデリックを強めると同時に、そうした人たちにも、オガーデリックを伝えている。」
「なんで、強くする必要があるんですか。」
「オガーデリックを伝えるとき、強くしていた方が何かと便利だからだよ。オガーデリック使いは、世界でも減少し始めている。元々少ない人数だったから、こうしたことは結構前から予測されていたんだけど、君みたいなオガーデリックが見える人って、少ないんだよね。」
ふう、と飽きれた様に溜め息をつく影丸。
天は、それに一瞬眉を顰めたが、直ぐに皺を無くした。
ばりばりと豪快に頭を掻き、猫背だった背中をぐぐっと伸ばす。うーんという唸り声を聞いていると、今の今まで眠っていたようにも思えた。
はあ、と満足気な溜め息をつく影丸。
天は、見計らって言葉を続けた。
「オガーデリックが見える人しか、其れを伝えられないんですか。」
「うん。見えない人だと、オガーデリックが使えない言う意味だから。まあ最初から見えるわけじゃないし、後々になって見える人もいるんだけど。」
「・・・なんか曖昧ですね。それ。」
「でしょー?」
はは、と苦笑する影丸。
天は、真っ直ぐに影丸の瞳を見た。
丁度、森を抜けるのか、木々の隙間から光が漏れ、影丸の瞳がキラキラ光って見えた。
「私に、協力すると言っていましたね。」
「うん。お手伝い、だけど。」
「貴方は、私が何の目的のために力を求めているか、知っていてそれを言ったんですか?」
「うん。」
こくり、と深く頷く。
天は、数秒間の間それをじっと見つめたが、すぐに溜め息をついた。
本日何度目の溜め息だろうか、天は、こいつに手伝いを頼んでも良いのだろうかと目眩がした。
「僕に頼むしか、ないでしょう?」
「・・・・。」
心を読んだように、そう言葉を告げる影丸。
天は、一瞬殺気を含んだ眼差しで影丸をみたが、直ぐにそれを無くした。
影丸も、同じように殺気を含ませていたからだ。
ざわり、と背中を鼠の大群が走り去るような、そんな気色の悪い殺気。
それでいて、肌を刺すような心地良い空気。
こいつと闘れば、死ぬのは自分だと、反射的にそう察した。
「僕以外のオガーデリック使いは、今外国の方にとんでいる。そいつらに頼むことはできるだろうけど、難しいんじゃないかな?何年かかるか分からないし。」
「どうでしょうか。貴方のように、私の“力を求める感情”を察知して、私の元まで来るかもしれませんし。」
「その“察知する力”も、ある一定の距離にいるとわからなくなっちゃうんだよね。」
また、楽しそうな声色。
きらきら輝く金の瞳が、ゆったりと細くなった。
諦めたような溜め息。天は、観念した様子で頷いた。
「貴方に頼むしかないんですね。」
「そういうこと。よろしくね天ちゃん。」
「・・・せめて、天にして下さい。」
もう、呼び捨てを直す気力さえ無かった。