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オイタナジー  作者: 安菜
2/8

第一話

グロテスクな描写が入ります。


彼女、芹崎天(せりざきあま)は、ぼんやりと空を眺めていた。

ゆったりと優雅に空に浮かぶくすんだ雲、すんだ青、日に陰る鳥。それらをすべて瞳に写し、彼女は教師の言葉すら耳に入れない。

脳内でそれを理解することも無く、そのまま抜けていく教師の言葉。

彼女は、それを必要とはしなかった。


(面倒臭い。)


気力をなくしてしまった。

それが、今の彼女には、ぴったりだろうか。空を眺める彼女の瞳には光は宿ってはいない。ただただ、鏡のように映すだけだ。

さらりと風に揺れる彼女の黒い髪が、肩口でもどかしいゆるいカーブを描く。

彼女の髪は癖がついていて、それが、天は少し嫌いだった。

ひとつひとつの顔のパーツは整ってはいるが、鼻が何故か低い。すん、と少し不機嫌気味に息を吸えば、気力の抜けた彼女の瞳は、寂しげに揺れた。


「天、芹崎天さん、」

「・・・――はい。」


名を呼ばれ、特に目立った反応を示さずそちらを向く天。

教師は、その天の態度に一瞬眉を寄せたが、すぐに言葉を続けた。


「次、読んでください。」

「次、ってどこですか。」

「っ!」


天の、悪びれないその声と言葉に、かっと瞳を怒りで吊り上げる。それでも怒鳴り散らさなかったのは、彼女の“就職”という大人の事情が、鎖のように絡まっているからだろう。

深呼吸をして、気を落ち着かせ、教師は天に言い聞かせるようにして口を開いた。


「天さん。今は授業中よ?もう直ぐ受験なのだから、しっかり勉強しなくては駄目。」

「そうですか。」

「・・・っ、先生に向かって、そんな言葉はどうかと思うわ。」

「すみませんでした。」


教師に一つも目を向けず、感情のこもらない言葉をただつらつら述べる。

面倒臭い、とでも言うような彼女の声色に、教師は本当に怒鳴りかけたが、謝罪の言葉を聞いた瞬間に、諦めたように溜め息をついた。


「読んで頂戴。」

「教科書を忘れました。」

「・・・・・。」


淡々と述べる。

これには、もう眉を寄せるしかなかった。

教師は、天から目を外し、彼女からだいぶ離れた場所に座る生徒の名を指す。

彼女の変わりに、文章を読ませる為だろう。

指された生徒は、一瞬嫌そうに顔を歪めたが、文句を言う事無く其れを読み始めた。


「・・・天、今日機嫌悪いね?・・どうかした?」


ふと、天の後ろに座っていた少女――名を近藤魅鈴(こんどうみすず)という――が、天にそう言葉を投げる。

勿論、怒鳴りはしないが口が煩いと評判の教師には見つからないよう、小声で。

魅鈴は、大きな垂れ目に天より少し身長が高かったが、その仕草や物言い、物腰がどこか可愛らしく、少なからず男子に人気があった。

心配そうに、恐る恐るといったように天を見つめる魅鈴。天は、冷ややかな瞳で其れを見つめ返した。



「別に。なんでもないけど。」

「なんでも、ないの?本当に?」


何時もとは明らかに違う彼女の態度に、魅鈴は戸惑いながらもう一度問うた。

はあ、とあからさまな溜め息をついた天は、眼光鋭く魅鈴を睨むと、一言呟いた。


「なんでもないから。」

「っ」


彼女の言葉に、悲しそうに顔を俯かせる魅鈴。

だが、天はそれに心を痛める事無く、何事も無かったかのように前を向いた。

ふと、天が視線を真横に移せば、天の隣の席の男子が、不思議そうに天を見つめている。

天は、五月蝿そうに口をへの字に曲げた。


「何?」

「あ、いや、なんでもないけど・・・。」

「じゃあ見ないでよ。鬱陶しい。」

「・・・ごめん。」


彼女の言葉に怒るわけでもなく。

ただ、逆鱗に触れぬよう天から目を外す。

天は、ふん、と一人鼻を鳴らした。


キーンコーンカーンコーン。


耳に馴染んだ鐘の音。授業の終わりを告げるものだ。

天の態度のお蔭でイライラしていた教師は、安堵の溜め息をほっとつくと、安心しきった表情で生徒に号令をかけさせる。

天は、重い腰を上げるようにゆっくり立ち上がると、号令に合わせて腰を折った。


「ありがとうございました。」


クラスメイト全員が、声を合わせる。

中には、声を出さずに口パクで礼をする生徒もいただろうが、それなりの音量となって教室内に響いた。

天の耳には、それが、酷く耳障りだった。


「次、なんだっけ?」

「体育じゃなかった?」

「うげ、じゃあ、ジャージに着替えるようじゃない?」

「面倒臭ぇー。」


授業中にあった天の言動すべてが、実は無かったのではないかと思うほど、

生徒達はざわざわと騒ぎ始める。

天も、無情の表情で鞄からジャージを取り出し、無言で着替え始めた。その時。


「ねえ。天。今日はどうしたんだよ?」

「・・・莉玖。」


後ろに、泣き出しそうな顔をした魅鈴を従え、綾浪莉玖(あやなみりく)が天にそう言った。


きりりとした吊り気味の瞳が、どこか強気な彼女を更に強気に見せているが、長い黒髪を左右に結わえ、一文字に結ばれた薄めの唇はカサついている。

白い肌は、手入れがしっかり施されているのか、シミ一つ見当たらないのに、何故か唇だけが荒れていた。


細い眉が、きゅっと震える。

莉玖の後ろにいる魅鈴の肩も、ぴくりと震えた。


「魅鈴、天がおかしかったから、聞いただけじゃん。なんであんな態度取ったんだよ。」

「別に。」

「べつにって、」


なんだよ。そう続けるはずだった莉玖の口は、ぱくぱく音を発する事無くただ動く。

天の瞳は、苛立たしげに2人を睨みつけていた。


「なんでもないから。」

「っ、なんでもないからって、なんだよ!」


何が、なんでもないのか。

莉玖と魅鈴は、其れを求めていた。

でも、それを理解しているのかしていないのか、天は答えを彼女達に伝える事無く制服のボタンを外す。

ばさり、と莉玖の顔にそれを投げつければ、莉玖は怒り狂ったように制服を剥ぎ取り、天に殴りかかった。


「莉玖!」

「お前!本当にどうしたんだよ!」

「・・・。」


殴りかかった莉玖に、咄嗟に魅鈴が声を張り上げる。

元々仲がよかったからか。

莉玖の、握られた拳は、天の頬にめり込む前に止まった。莉玖の顔を、拳を、何も言わずに見つめる天。

莉玖は、ぎりりと歯をかみ締めた。


「くそっ!」


一度、天の下着の襟元を握り締め、グイと持ち上げてから床に叩きつけるように放す。

莉玖の、精一杯の抵抗か。それでも、天は表情を変えなかった。


天は、ジャージに着替える手を止めて、また制服を着なおす。

ジャージのズボンに履き替えてしまった下は、巻き戻すようにスカートをはきなおした。

制服のボタンもすべて閉め終え、首元や裾をくいくいとほんの少し引っ張りながらずれを直す。

漸く普段の彼女の格好――制服だが――に戻ると、彼女はキッと莉玖を睨み、無表情のままの天に苛立っていた彼女の後頭部を掴んで自分の机に容赦なくたたきつけた。


「キャアーーーー!!」


教室のどこかで上がる悲鳴。悲鳴。

もしかしたら、莉玖の直ぐ傍に立っていた、魅鈴のものかもしれないし、一部始終を見ていた誰かのものかもしれない。

でも、その悲鳴は一人だけのものではなく、複数の女子生徒のものだったので、正解は魅鈴もほかの女子生徒も上げたのかもしれなかった。


複数分の悲鳴が上がったお蔭で、何が起こったのかと駆けつけた教師は二、三人。

教室の戸に手をかけ、焦ったように教室内を見渡し、机の上で顔を抑えて血を流す莉玖と、その隣で駆けつけた教師の顔を見つめる天の姿を目に映したときの教師の表情は、天にはとても滑稽に見えた。


「いやああ!莉玖ぅ!」


泣き喚きながら、だらだらと汚らしく血を流す莉玖に縋り付く魅鈴。

天は、それをつまらなそうに眺めていた。

すると、普段は温和な彼女が、珍しく天を睨みつけ、耳障りな甲高い、悲鳴のような声で怒鳴る。


「莉玖に、なんてことするの!」

「・・・。」

「血が、ちがいっぱい、こん、ここんなに!あああ!」


無我夢中で、自分のハンカチを莉玖に押し付ける魅鈴。

莉玖は、痛みに顔をゆがめながらも、声を上げずに歯を食いしばっていた。

顔を覆っていた手のひらを、魅鈴が押し付けるように差し出したハンカチに伸ばす。

血にまみれた彼女の顔が、一瞬チラリと覗いたが、その顔は、片目が潰れているようで、とても元の彼女の顔は想像できないものだった。

もっとも、顔一面にべっとりと纏わりつく血液を全て拭い、包帯か何かで潰れた目を隠せば、その面影を思い出せるかもしれない。

天は、いまだぎゃあぎゃあ騒ぐ魅鈴の声を耳に入れる事無くそう考えた。


そのとき。


「芹崎!お前なんてことをした!」


中年太りの男性教師が、慌てた様子でこちらに駆け寄った。

残りの教師は、いまだ入り口付近で呆然としているらしく、彼一人だけが、漸く正気を取り戻したようだった。

正気を取り戻したと言っても、大量の出血を見て興奮しているらしく、息が荒い。

気持ち悪い、と、心の中で呟いた。


「芹崎!なんとかいったらどうだ。」


なんとか言えば、それでいいのだろうか?

ばかばかしい教師の言葉に、ふん、と嘲笑めいた笑みを漏らした。


「なんとか。」

「っお前!!」


殴りかかる一歩手前。

教師はそこでぴたりととまる。

殴れば全てが終ってしまう。その言葉が、彼の脳内にこだましているのが、手に取るように理解できた。

天は、また笑った。


くるり、と、いまだパニック状態の生徒や教師達に背を向ける。

ここにいる必要なんて、もう無くなった。

彼女の背中が、そう物語っていた。


彼女を、とめるものはいなかった。

全員が、言葉をかけることを恐れていた。


“自分もああなるのではないか?”

誰もが、莉玖の姿を哀れんだ。


天は、それを予想して、魅鈴と莉玖に、憫笑した。

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