君が僕に魅せてくれた世界
「今日は雲がきれいだね!」
ひさびさに会った親戚のちびっ子が青く澄んだ空を見あげて僕に教えてくれる。
「あぁ、そうだね」
反射的にあいづちを打ってうなずく僕。
そうつぶやいてから空を見あげると、そこに大きくて真っ白なふかふかとした雲が浮かんでいる。
透きとおるような色鮮やかな青空に、大きく広がるひとつの白雲。
じっと見つめると、影や霧といった表面の細部までもがよく見えてくる。
そんな壮大な自然の一部を目のあたりにした僕は、不思議と心が浄化されるような感覚になるのであった。
「ほんとうに、きれいだね……」
気がつけば、無意識のうちにそんな言葉が僕の口からこぼれていた。
そういえば、雲を意識してみることなんていつぶりのことだろうか……。
もしかしたら、小学生の頃以来かもしれないな。
あの頃は空を眺めながらよくこの田んぼ道を自転車で走ったっけ。
本当に、あの頃がなつかしいな……。
僕は空に浮かんだ雲をみつめながら、若かりし頃の思い出に浸る。
今思えば、子どもの頃は毎日が新しい発見でいっぱいだった。
目に入るものすべてが好奇心や探究心を刺激して、未知との遭遇に心を震わせていたものだ。
それなのに、いつから僕の心はこれほどまでに枯れ果ててしまったのだろう……。
小さな身体で僕の隣を歩く、この子を見ているとそんなことを考えさせられてしまう。
《同じ世界を見ているはずなのに、僕たちには違う世界が観えている。》
僕の日常に確かにそこに存在しているものなのに、僕の意識には存在していない。
視界に入ってはいても僕の記憶には残らない。
そんな光景や思い出が山ほどある。
そんな陳腐な青空ひとつ取ってみても、世界の観えかたがひとたび変われば、ここまで心は揺れ動くものなのか……。
だとしたら、他の人たちから観て価値のある日常というものを、いったい僕はどれだけ無駄にして生きているのだろう……。
それとなく流れゆく日々のなかで、僕はどれだけの幸せを、喜びを取りこぼしているというのだろう……。
もしも、それらをひとつ残らず拾えたなら……。
だが、残念なことに大人になるにつれて僕はそういった感性も、感情も、そして世界も失くしてしまったようだ。
大人になるということは、目に映る世界の不思議が減っていくということ。
稀にしかない起こらない現象に何度も出会っていくということ。
おそらく、昔の僕がこれほど美しい青空を見たのなら、今のこの子のように誰かに伝えたいと思えるほどにはしゃぎまわるだろう。
でも、今の僕には彼ほどの心のざわめきはないのだ……。
悲しいが、僕は彼と同じ世界を観ることはできない……。
いいや、僕はこの星にいる他の誰とも同じ世界を共有することはできないのだ。
「あのね! そういえば、きのうね! ふーくんがね、ネコみたいなイヌを見つけてね……」
「あっ!? 見てみて!! あんなところになにか立ってるよ!?」
彼の話題もいつの間にか別のものへと移り変わっていた。
そしてきっと、僕の隣を歩くこの子は今まさに他人に伝えたいだけの大発見を彼の世界で見つけたのだろう。
「ほんとだね。ふーくんはあれっ、なんだと思う……?」
そうだ。
いつかこの子が僕と同じくらいの大人になったら今日のことを話してあげよう。
かつて君が観ていた世界について、それから君が僕に魅せてくれた世界について——。
あなたはそのありふれた日常に、どれほどの幸せを見いだせていますか……?
だれひとりとして同じ世界を観る者はいない。
同じ人であったとして、変わらぬ世界を観続けられる者はいない。
だからこそ価値観というのは時代や場所、立場によって異なるものなのではないでしょうか。
だからこそ、人と人は分かり合えないこともあるし、時間が経ち分かり合えることもあるのではないでしょうか。
今日のあなたが観るその世界は、人類の長い歴史のなかでもあなただけが観ることのできる貴重なモノ。
どうか、あなただけのその一日にたくさんの幸せが見つかりますように。