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 七


 雨風吹きすさぶ神域を、クロウは背に追跡の気配を感じながら走る。

 常人であれば、この時点で追跡に気付くのは不可能だろう。なぜなら、雨夜の原生林では、目も耳もほとんど役に立たないからである。


 しかし、クロウは常人ではない。山を住処とし、山で育てられた野生児である。いわば山は彼にとっては自室のようなものだ。自室に土足で踏み込んできた不届き者に、クロウほどの男が気付かないわけがない。

 彼の鋭敏なる耳目、研ぎ澄まされた知覚はこの時も冴え渡っていた。遥か遠く、追ってくる四騎の音、シルエット、発散される殺気、クロウはそれらを全身で感じ取っていた。


 四騎が段々と距離を縮めて来ている。しかし、クロウは焦らない。今のペースなら、ジイが最期に指し示した『滝』までは、追いつかれることなく辿り着くことができる。

 鉄騎は、生身の人間とは比べるべくもなく速い。クロウはその差を、常人ならざる体力と経験とで補っていた。

 補ってはいたが、完全には埋められない。故に、クロウは常に全力疾走だ。クロウほどの体力をもってしてもかなり苦しいが、そうでなければ逃げ切れない。


 (ギリギリだな……!)


 ところがクロウの予想に反して、ギリギリの勝負とはならなかった。途中で四騎の足が止まった。クロウもそれを察した。


 (神域の獣か何かと鉢合わせたな?)


 クロウの勘は当たっていた。事実、そのと通りだった。

 雨の夜とはいえ、鉄騎、それも四騎もいれば目立ちすぎる。神域の生物の目を引くのも無理はない。

 おかげでクロウは余裕を持って『滝』へと辿り着くことができた。

 雨夜の『滝』は、その輪郭すら覚束おぼつかないのに、激しく落ちる水音だけがはっきりとしていてとても不気味だ。


 (確かジイは『滝の奥』と言ったな)


 『滝の奥』とは一体滝のどこを指すのか? 聞き慣れない言葉に、クロウは少し考えた。


 (滝壺の底でもあるまい。それならばそれと言うはず。ということは滝の奥とは、流れ落ちる滝の向こう側、ということなのか?)


 意外と知られていないが、滝は危険だ。よく滝に打たれて修行する、などという話がきかれるが、これは大変危険な行為なので決して真似してはいけない。上流から何が落ちてくるから知れないからだ。小石程度なら怪我で済むが、流木に当たれば最悪死ぬ。

 クロウもそのことを弁えている。

 しかし、ジイの最期の言葉を無視するわけにもいかない。そこにある何かをあてにしなければ、滝ではなく鉄騎に殺されてしまう。


 クロウは滝壺に入った。滝壺の水はひんやりと冷たいが、このくらいの冷たさには慣れている。

 滝壺は浅い。余裕をもって足が着く。彼は水の中を歩いて滝へと近づいた。

 流れ落ちる滝を目の前に、上流を眺めた。真っ黒な空が広がり、雨粒が降りしきる。暗すぎて、滝の全容も定かではない。これでは流木を警戒することもできない。


 (ま、流木など、滅多にあることじゃない……)


 クロウは滝の中へと入っていった。

 滝の圧は厳しい。だからこそ、滝行というものが存在するのだろう。

 しかし、それもほんの僅かな間だけだ。たった数歩、水流のカーテンの中を進むと、ジイが言った通り滝には『向こう側』があった。

 滝の向こう側、そこは巨大な空洞が広がっていた。だが、その全容はクロウにはわからない。月明かりは遮られ、中は真っ暗だ。


 目を開けていても目を閉じていても同じような暗闇の中を、クロウは手探りで少しずつ這うように進んだ。手や足に得体の知れない感触がある。空洞に巣食う虫だろう。それらは触れるたびに、微かな羽音を立てたり、音もなく身をよじって逃げてゆく。

 山育ち、野生児のクロウであっても、多少気味の悪いことだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 五分ほど這い続けた時だった、突然、頭上で淡く小さな赤い光が灯った。それは微弱で朧げな光だったが、暗闇の中ではクロウの目に一際輝いて見えた。その得体の知れない存在に、クロウは身構えた。

 赤い光は二点あった。


 (赤い、目……!?)


 ここは神域。化外の地の未知の化物かもしれない、そう思ったクロウは腰の剣に手をかけた。


 その刹那、

 何かがクロウを絡め取った。


 硬い金属質の何かが、クロウの身体を締め付け、自由を奪った。

 これでは剣は抜けない。いや、抜いたところでどうにもならないだろう。何せ、身体の自由を奪うそれは、明らかに剣より硬く、重厚であった。

 身体を絡め取るそれによって、クロウは赤い目に吸い寄せられてゆく。

 いや、違った。クロウは赤い目の僅かに下へと納まった。


 直後、淡い光がクロウの周囲を彩った。様々な計器、ゲージ、ランプの灯りがクロウを包み込んだ。


 (これは、鉄騎か……!)


 まさにクロウが納まったそこは鉄騎の操縦席だった。


 (これか、爺の言っていたのは……!)


 クロウは感嘆しながら、鉄騎の起動スイッチを入れた。低く唸るような音が響き、鉄騎が起動した。操縦席を閉じると、正面に空洞内の風景が映し出された。どうやらこの鉄騎には暗視装置が備わっているようだ。昼間ほどではないが、充分に明るく見える。

 暗闇が見えるようになり、クロウは自分を捕らえたのものの正体がわかった。それはこの鉄騎の手だった。


 クロウの頭に疑問が浮かんだ。

 年中貧乏暮らしをしていたジイが、どうやってこんな超高級なものを用意できたのだろうか?

 この鉄騎は何故ひとりでに動いたのか? ひとりでに動く鉄騎なんて聞いたことも見たこともない。


 が、そんなことは、今はとりあえず脇にどけておく。今一番の問題はジイの命を奪い、今なお追跡してくる四騎の鉄騎だ。

 ふと、クロウはかすかな空気の揺れ、振動を感じた。それらが鉄騎を介し、クロウへと伝わってきた。


 (来たな……)


 クロウは四騎がすぐ近くまで来たのを悟った。

 そしてそれは正しかった。四騎は滝の周りにその姿を現していた。

 今も肉眼では見えてない。四騎からもクロウの鉄騎は見えていない。しかしクロウの感覚は四騎の大まかな位置を把握していた。


 四騎を把握した瞬間、クロウは行動を開始した。

 クロウは鉄騎を駆った。風の如く速く鋭く駆けた。勢いのまま滝から飛び出すと、一番近くにいた鉄騎目掛けて疾駆した。

 その鉄騎は油断しきっていた。ほとんど一瞬のこととはいえ、クロウの奇襲に何のアクションも起こせなかった。


 クロウは敵の腰にあった得物を抜き取り奪うと、操縦席目掛けてその切っ先を突き入れた。

 まず一騎撃破。

 剣を引き抜き、残りの三騎へと突撃する。その背後で、操縦席をやられた鉄騎が水飛沫を上げて滝の中に崩れ落ちる。

 残りの三騎の反応も鈍かった。一騎やられて、今ようやく抜刀した。


 (鈍いやつ……)


 敵のあまりの鈍さに、クロウは思わず微笑んだ。

 三騎はもはやクロウの敵ではなかった。虎がうさぎを敵視しないのと同じことだ。実力的にお話しにならない、相手に不足のあるものを敵とは言えなかった。

 しかし、三騎はジイの仇ではある。また、クロウの命を狙う不届き者でもある。生かしておく理由も無い。


 クロウは、まず左前方の鉄騎に詰め寄り、剣を持ったその腕を斬り落とし、返す刀で操縦席を貫いた。剣を引き抜くと同時に、右手に剣を持ち、左手には斬り落とした相手の剣を持った。

 これで二騎。

 そこへ残りの二騎の内、右側にいた一騎が果敢にクロウに挑んできた。

 高く振り上げた剣をクロウ目掛けて振り下ろした。

 が、当たらない。クロウは難なくそれをかわすと、左右に持ったそれぞれの剣を鉄騎に突き立てた。二本の剣は交差するように操縦席を破壊した。

 これで残りは一騎になった。


 最後に残った一騎は、なんとクロウに背を向け、一目散に逃げ出した。

 一瞬、クロウは呆気に取られた。鉄騎を持っているということは、一流の武士か、もしくは大商家おおだなの主と相場が決まっている。四騎は恐らく前者のはずだ。それが恥も外聞も体裁もなく、這々の体で逃げ出す様は、呆れすら通り越して滑稽かつ哀れだった。


 (無理もない……)


 クロウは同情的だった。何も彼らが悪いわけではない。悪いのは任務と、相手がクロウだったことだ。


 (だが、見逃せん)


 クロウは、気持ちの上では逃してやりたかった。だが、そうはいかない事情がある。ジイの仇であり、逃がせば報告されることは間違いない。報告されてはこれからのことがやりにくい。


 (許せ。これも運命だ)


 クロウが騎体を疾走はしらせた。あっという間に逃げる鉄騎の背後に迫った。その背に白刃を浴びせかけた。

 背部に致命の一刀を受けた敵は制御を失い、無様に転がり果てた。

 これで、四騎全てがクロウの手によってたおされた。その間、わずか一分と少々。


 クロウはこれが初乗りだった。ジイの教育により、鉄騎の操縦法だけは知っていたが、初乗りで精鋭四騎を一瞬のうちに斃せたのは、騎体の性能もあるが、多くはクロウのセンスによるものだ。

 クロウには天賦の才があった。鉄騎だけではなく、彼には、初見であらゆることを人並み以上にこなす資質を持っていた。俗に言う天才肌だった。

 自らに鉄騎を扱う才の充分あることを確認したと同時に、クロウは一つの道を見出した。


 ジイはクロウに鉄騎を使って逃げろと言った。だがクロウはそれでは勿体ないと思った。彼はこの素晴らしい性能を誇る鉄騎、そしてそれを自由自在に操れる自らの才を思う存分活用すべきだと考えた。

 それは復讐の道ではない。ジイの遺言は守る。だが全てではない。

 逃げるのも一つの道だが、相手がどこまでも追ってくる場合はどうする? 結局戦わなければならないではないか。それなら、最初から戦った方が話が早い。龍王を倒してしまった方が手っ取り早い。しかしそれは復讐じゃない。言うなれば『攻撃的自衛』だ。


 (ジイ、しばらく地獄は寂しいかもしれん。だが案ずるな、すぐに賑やかになる)


 クロウはジイをしのんでしばし瞑目した。

 目を開けると、雨が止んでいた。雲にいくつか切れ間ができていた。

 クロウは斃した鉄騎から鞘を奪い、二刀を納めると、ジイの指示した『ノミナ』とは逆の方角へと走り出した。彼の行く方角、遥か遠くには龍王の居州『ヤマクモ』がある。

 クロウの頭上、雲の切れ間から月が覗いた。月が彼の行路を明るく照らす。漆黒の騎体が月明かりにほのかに浮かび上がる。やがて樹海に差し掛かると、樹海の闇の中へと溶け込むようにクロウの姿は見えなくなった。

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