二十六
二十六
緑深い神域の草木を踏み分けつつ、のっしのっしと『イワアゴ』の群れが往く。
イワアゴは鉄騎ほどの大きさにもなる巨大なトカゲだ。岩をも砕きそうな巨大な顎からその名がついた。先頭を往く個体は特に大きく、他より一回りほど大きい。イワアゴには少数の群れを作る傾向がある。群れは全部で六匹いた。
一匹のイワアゴがふと四足を止めた。目をキョロつかせ、首を振り、鼻の穴をヒクヒクと動かしている。それが伝播するように、他も同じように足を止め、同じように辺りを見回した。
閉じられた口から割れた舌先をチョロチョロ出した、かと思うと、突如猛然と土をかき、草花を踏み散らして走り出した。イワアゴの群れは四散した。
直後、地鳴りが響き、神域が揺れた。
地が盛り上がり、裂け、草木が突き上げられ、飛び散った。
地中からヤマクズシが飛び出した。その口吻の端にイワアゴを捉えていた。
ヤマクズシが頭を高く一捻りすると、イワアゴが宙を舞った。高空から落下するイワアゴの行く先には、ヤマクズシの巨大な顎が大きく開かれていた。イワアゴは一口で丸呑みされてしまった。
「おおっ……」
その様子を遠くからうかがっていたクロウは、ヤマクズシの圧倒的な狩りに小さな歓声を上げた。
「イワアゴを一呑みか、まったく凄まじいな」
クロウは感に堪えないという面持ちでそれを眺めていた。
「今夜早速狩るぞ」
隣のイッテツが言った。
「やつはあの群れを食い尽くすだろう。そうすれば消化のために今夜は地中で静かに眠るはず。そこが狙い目だ」
イッテツがニヤッと笑う。
「あんな大物、本当にたった二騎で狩れるのか? 龍王はあれを傷つけることはできても倒すことができなかったようだが、それを俺たちだけで狩るというのはいささか無謀にも思えるが」
今まさに二人が目撃したヤマクズシは、クロウが窮地を脱出するきっかけをつくったあのときのヤマクズシだった。ヤマクズシは希少で群れを作らず、テリトリーを広く持つ。その上このヤマクズシは身体のあちこちに真新しい小さな切り傷を負っている。おそらくは龍王との戦闘の際に負傷したのだろう。
二人はヤマクズシの生態とその傷から同一個体であることを特定していた。
「お前さん、まさか怯えているんじゃあるまいな?」
「まさか、この俺が獣ごときに怯えるわけがなかろう。俺が問題にしているのは『心のもちよう』とか『気構え』といったことではない。『実際にそれが可能なのかどうか』ということだ」
「ふふっ、それなら良いがな。案ずることはない。おぬしら素人には無理に見えようが、なぁに、そう難しいことではない。わしにとっては日常よ」
「ほぅ、俺も故郷では神域の巨獣を狩って生計を立ててきたが、あんな大物には手が出せなかった。お前にはそれができるというのだな?」
「だてにこんなところに住んではおらんよ」
イッテツがまたニヤッと笑った。今度はより自信たっぷりに見える。
「とは言ったが、あれだけの大物は久々だからの、実際に狩るときにはお前さんに任せようかの」
「さっきも言ったが、俺はあんな大物を狩ったことはないぞ」
「案ずるな。さっきも言ったとおりそう難しいことじゃない。ただ、おぬしはわしより若いからの、それに龍王と張るほどの操縦技術があるなら、おぬしに任せたほうがいいと思ってな。それに何よりも若い時分の経験は大切にしたほうがいい」
「それに老体にあまり無理させるわけにもいかないからな」
クロウは微笑を浮かべ、流し目でイッテツを見る。
「そう、老人は大切に扱わんとな」
イッテツはまたまたニヤッと笑った。
二人は目を見合わせて笑った。
草木も眠る真夜中に、クロウたちはヤマクズシ狩りへと出発した。
狩りに用意されたのは鉄騎が二騎、槍が十数本、大樽、小樽、木組みのバケット。
鉄騎は、一騎がイッテツのケンガン。これにはクロウが乗騎している。もう一騎は下半身が蛇の形状をした鉄騎で、これはカシャが乗騎している。
鉄騎というのは非常に繊細で感覚的な乗り物であるから、操縦者個々に合わせて作られる。
ゆえに下半身が蛇の女が狩る鉄騎は、操縦者と同じく下半身が蛇であるべきなのだ。
二騎いるが、ヤマクズシ狩りを行うのはクロウの一騎のみだ。カシャ騎は狩った後の貴重部位の採取に使われる。
クロウ騎の先をカシャ騎がそろそろと先導する。さすがに神域で生活しているだけあってこれがなかなか素早い。
(不思議なものだ……)
カシャ騎の『蛇足』の歩みをクロウは感じ入りながら観察していた。
カシャ騎の進みが鈍くなった。足元を注意深く観察しながら進む。やがて完全に足を止めた。カシャ騎が地面を指差した。
「ここ」
カシャの声が通信装置を伝って聞こえた。
「わかった」
クロウは荷をおろした。
カシャはクロウ騎からバケットを受け取り、その場を離れ、神域の闇の中へと姿を隠した。これよりしばらく、カシャの出番はない。
一人になったクロウは淡々と作業をこなした。小樽を背負い、カシャ騎の指差したところに樽を埋め込み、槍をそこから離れたところに目印をつけて置いた。これらは事前にイッテツから教えられてた。
ほどなくして準備は終わった。
(さぁ、狩りの時間だ)
クロウは口中で呟いた。
クロウは樽を埋め込んだ場所に戻った。地面から一本の綱が芋の蔦のように這い出ている。クロウ騎がそれを掴んだ。
「始めるぞ」
クロウがカシャに言った。
「お手並み拝見」
カシャが言った。
クロウは微笑を浮かべた。
そして、綱を一気に地面から引き抜いた。
それと同時に疾風のごとく駆け出すクロウ騎。一瞬にしてクロウ騎はどこかへと消え去り、辺りは再び静寂を取り戻した。
それもつかの間だった。直後、神域を震わすほどの轟音が鳴り響き、同時に火山の噴火のごとく地面が弾け跳んだ。爆発、しかし火炎や閃光は見えない。爆発が地中で起こったためだ。
爆発はクロウの設置した大樽によるものだった。綱はそれの起爆装置であり安全装置であった。大樽は火薬満載の爆弾だったのだ。そしてそれは『目覚まし』でもあった。
爆発の噴煙とともに地中から目覚めたものがいた。それは、えぐれ、陥没した地面に苦痛の叫びを上げてのたうち回っていた。
あのときのヤマクズシだ。爆発の衝撃で木々が吹き飛び、直上に輝く月光に映され、振りまかれる血がキラキラと輝いている。
ヤマクズシはイワアゴを平らげたあと、ここへきて地中深くで眠っていた。カシャはその痕跡をたどり、見事にその寝床を探り当てた。
爽快な目覚めとは程遠かっただろう。爆音と衝撃は土を伝ってヤマクズシの全身を襲った。聴覚は破壊され、平衡感覚にも異常をきたし、爆圧によるダメージも計り知れない。
全身から血を撒き散らしのたうつヤマクズシに、クロウの駆るケンガンが近づく。その手には槍が握られている。
この槍は先端に穴があり、中が空洞になっている。空洞部には麻酔薬が入っている。獲物に刺すことで注射器の要領で獲物に麻酔薬が注入されるというわけだ。
のたうち回るヤマクズシにクロウ騎は注意深く、それでいて素早く近づくと、その巨体に槍を突き立てた。返しのある先端が深々と突き刺さると、濃緑色の血が飛んだ。わずかに返り血を浴び、すぐにその場を離れた。狂ったように暴れる巨体のそばでまごまごとしていられない。
クロウ騎は再び闇の中へと姿を消した。クロウは先ほど準備しておいた次の槍の元へと走った。槍には夜間蛍光塗料の目印がつけられてあり、深夜の森の中で合ってもわずかな月明かりで充分目につく。
槍を手に取ると、再びヤマクズシへと疾走し、槍を突き刺し、再び森の中へと消える。
これを持参した槍の数だけ繰り返した。その数、十四回。単純だが簡単な作業ではない。ヤマクズシは巨体ゆえに、その寝返り程度の動きでさえ、鉄騎には致命的な一撃となりうる。それが苦痛にのたうち回っているのだから、冷静さと慎重さの上に矢のごとき疾さすら求められる。
一流の狩人であっても難しいことを、クロウは初見でやってのけた。最後の槍を刺してから数分後、ヤマクズシは眠るように地面に横たわった。その頃にはさすがのクロウも汗をかいていた。
これで終わりではない。まだあと一作業残っている。薬が効いて動けなくなったヤマクズシの口から小樽を飲み込ませなければならない。
この小樽には、槍に入っていたのとは別の種類の薬品が仕込まれており、小樽ごと飲み込ませることで体内深くに薬品を取り込ませることによって、ヤマクズシを更に深い眠りにつかせることができる。
一作業とはいっても、ヤマクズシは槍の薬によってもはや身動きとれないのだから、もはやクロウにとって大した仕事ではない、
はずだった――。
クロウ騎がヤマクズシの巨大な顎に小樽を投げ込もうとしたその時、ヤマクズシの巨大な顎が、一層大きく開かれた。
ヤマクズシの鎌首がしなり、うねり、クロウ騎の頭上を襲いかかる。まさに文字通り、ヤマクズシが突如として牙を向いた。
薬が効いたように見えたのはヤマクズシの擬死行動だった。
いや、事実薬は効いていた。しかし、まだ動けないほどではなかった。
擬死行動というのは一般的には防御行動だが、ヤマクズシはそれを反撃の布石へと使った。神域の巨大な怪物の知能は侮れない。
クロウはとっさに、覆いかぶさるように迫りくる大顎に向かって小樽を投げ込んだ。小樽はヤマクズシの喉奥へと消えた。
投げると同時に、クロウ騎はその身を低く素早く滑らせた。
間一髪だった。大顎から伸びた鋭く巨大な牙はクロウ騎の肩部装甲をわずかにかすめただけだった。だけとはいえ、牙は肩部装甲をまるで紙切れのように引き裂いた。
(まともに喰らえば終わるな……)
さすがの威力にクロウは苦笑した。常識外の破壊力に、もはや笑うしかない、といったところだ。
だが、今のクロウに焦りも緊張もない。小樽を飲ませた時点で、もはや仕事は九分方片付いたのだ。後はヤマクズシが昏睡するのを待つだけなのだが、
クロウはあえてそうしなかった。
(少し遊んでやろう)
クロウは微笑を浮かべた。
ヤマクズシの顎が、牙が巨体に似合わぬ速度でクロウへと迫りくる。
クロウはそれよりも疾い。顎も牙もまるで問題にしていない。蝶が舞うようにヒラリヒラリと、ときには蜻蛉が飛ぶように瞬間的かつ直線的に跳ね回る。神域の怪物をもってしても、そのとらえどころのない動きにただ翻弄されるのみ。
一撃でももらえば致命傷になりかねない状況なのに、クロウはこれを心底から楽しんでいた。
(俺が死ぬはずがない、もし死ぬなら、その程度の人間だったということだ)
この達観した死生観のクロウだからこそ、この危険な状況でさえ楽しめる。何かを成し遂げようという人間は、どこか普通とは違う異常性を秘めているものだ。
クロウとヤマクズシの生死をかけたダンスもやがて終わりを迎えつつあった。
小樽の薬が効いてきたのだろう、ヤマクズシはもはや鎌首持ち上げることもできず、頭を地面へと這わせた。這った状態から素早く、クロウ騎へと顎を突き出した。
クロウは飛び込み、その牙の隙間をくぐり抜け、ヤマクズシの頭の上に乗った。薬が効いて頭を持ち上げられないヤマクズシは必死に身を捩らせた。クロウはロデオのように、はたまた波間を走るサーファーのように頭の上でバランスをとった。
それがヤマクズシの最後の抵抗だった。
やがてヤマクズシは動きを止めた。顎が閉じられ、微動だにしなくなった。眠るように地面に横たわった。
動かなくなったヤマクズシの上に、クロウ騎は立っていた。勝ち誇るように、それでいて、どこか淋しげに立っていた。
「安らかに眠れ」
クロウは一人呟いた。その額に薄汗が滲んでいた。
やがて、クロウ騎はヤマクズシの頭から降りた。遊びは終わったのだ。
「さすが、たった一人で龍王に挑むことだけはある」
感心したようにイッテツが言った。
「なに、大したことではない。そんなことより、これはなかなか興味深いな」
クロウが言った。
イッテツは先ほどまでクロウの乗っていたケンガンに乗り、ヤマクズシの解体作業をしていた。
杭を打ち、皮をはぎ、肉を切り、穴をうがち、必要部位を切り出す。
作業は外科手術のようなもので、治療ではないので繊細に扱わなければならないというわけでもないが、ヤマクズシは神域でもまれに見る巨体なだけに、その労力は難手術さながらだ。
しかし手術が緊張感を持って行われるのに対して、こちらはそうではなく、時間がかかり体力を使うだけなので、イッテツは気軽にクロウへと適当に話しかけながら作業を進めていた。
ケンガンのすぐ隣にカシャの鉄騎がいる。イッテツが手術の執刀医なら、カシャはその助手だった。
クロウはイッテツと適当に雑談をしながら、二騎のはるか後ろでその作業を眺めていた。
クロウにとってそれは実に興味深かった。クロウも神域での狩りを生業としてきたが、ここまでの大物は初めてだった。その解体作業はさながら巨大建築の解体作業のようで、クロウにとっては未知の世界といっていい。クロウの好奇心が刺激される。
作業は半日にも及んだ。半日使ってすら、ヤマクズシの全体の一部を切り取ったに過ぎない。
土台たった二人でこれだけの大物を解体しつくすのは不可能だった。ヤマクズシの屍体は腐敗が早く、二人だけでは手が足りない。どうしようもないことだった。
腐敗が始まれば、屍体はとても人間に近づけるものではなくなる。腐敗ガスや腐肉に繁殖する細菌は人間やあらゆる生物にとって危険である。
腐敗が始まりだした頃、イッテツはヤマクズシの胃をかっさばき、黒色の直径数十センチほどの、一見して石状の物体をいくつか採集した。
これこそが龍王の鉄騎テンガイを倒すに必要なものだった。
これはいわゆる胃石だ。鳥類や恐竜などは食物の消化を促すために石を飲み込む。飲み込んだ石と食物が胃で擦り合わされることによって、消化が促進されるというわけだ。
ヤマクズシのそれは実のところ石ではなく金属だ。黒光りするそれは非常に硬く、それでいてねばりがある。これはイッテツの知るところヤマクズシの胃からしか取れない。よってイッテツはこれをストレートに『胃鉄』とよんでいる。
ヤマクズシがどこでこれを飲み込んでいるのかは誰も知らない。神域は未知で満ちている。
クロウたちは必要分の胃鉄を採集するとすぐにヤマクズシの屍体から離れ、イッテツの工房へと戻った。胃鉄を工房に運び込むとすぐ隣接した小屋に帰り、三人は泥のように眠った。
翌朝、早速イッテツは作業に取り掛かった。最強の、折れず、曲がらず、斬れないもののない、誰にも負けない剣をつくる大仕事だ。
それに並行してクロウの鉄騎をも修復しなければならない。老爺には大変な重労働だ。だが、老爺には最強の鉄騎をつくるという目標があり、目標はやりがいを生み、やりがいは疲れを忘れさせた。
「最強の鉄騎にふさわしい最強の剣をつくってやる。楽しみにしておれ」
そううそぶくイッテツの目は怪しく、それでいて子供の目のようにキラキラと輝いているのが、クロウにはとても印象的だった。
クロウに手伝えることは何一つない。イッテツが作業につきっきりになってしまったので、クロウは代わりに畑仕事をすることになった。
(悪くないな……)
初めての畑仕事をクロウは楽しんでいた。もちまえの好奇心の為せる業か、クロウは何でも楽しめてしまうのだった。
最強の剣ができるあいだ、クロウは日がな一日畑で汗を流し続けた。




