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善の裏。悪の横。  作者: 犬と猫
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後日談


 魔王討伐半年後。街は、元通りと言っていい状態に復興した。


 『魔王の素』は、"英雄"の六人の手により、国の北にある深い湖に沈められた。ファーストによれば、あれは魔嗤邏を生み出す装置のようなものらしい。魔嗤邏以外の魔物は、実は魔嗤邏の失敗作とも話してくれた。


 騎士団は、今回の事件でその必要性が重要視されるようになった。なぜなら、半年という早さで復興できたのも騎士団(義勇兵もだが)が迅速に対応したお陰だ、というのが世論だからである。

 しかし、義勇兵は解散になった。

 義勇兵のなかで、タイッグもしくはファーストから推薦を受けた者で、騎士団への入団を希望した者は、無条件でそれを許可した。上位層とランク七の弓使いは、ほとんど入団が許可され、タイッグをリーダーに元義勇兵のチームが騎士団内に設けられた。

 しかしそこに、他の英雄の姿はなかった。

 ヌヌは復学して勉学に励み、アンはヌヌの従者に戻り、ロネスは姿を消した。

 驚いたのはファーストとパーミニャである。二人で義勇兵団本部を買い取り、新しく図書館として開放し、そこの司書になったのだ。魔物の森に関する資料は隅に追いやられ、一階と二階に一般的な著書が並べられた。三階はそのままにして、四階より上は取り壊されている。残した三階に、ファーストとパーミニャが住んでいた。

 ちなみに、ファーストは義勇兵の時代から小説を執筆していたらしい。ペンネームは誰も知らない。



 午後六時。この時期だと、もう夜と呼べる。ヌヌは毎週末の楽しみのために、館の裏にある庭に来ていた。花壇が水面の波紋のように配置され、その中央には噴水がある。ここは『花の波紋』と呼ばれ、寛ぐためのベンチもいくつか置かれていた。

 そのうちの一つに、ヌヌは腰を下ろす。三人は掛けられるベンチだ。

 最近は少し寒い。ロングスカートにカーディガン、その上から毛布も羽織っている。


「ふぅー」


 息を吐くと、霧のように白い。

 それから周りを見回した。月が明るいお陰で、それなりに遠くまで見える。ヌヌ以外にもベンチに座るか、噴水や花壇の前に立っている人が数名いた。男女ペアが多い。


「寒い、か?」


 そんな言葉と共に、ベンチが軋む音がして、少し揺れた。ヌヌは横を見ると、タイッグがベンチの背(もた)れに腰を掛けていた。

 彼は、この時期にしては薄着だった。いつも付けている赤いバンダナが、今はない。珍しいことだ。


「タイッグこそ、寒いでしょう?」


「元々、暑がり、だ。そうでもない」タイッグはそう言って、ゆっくりした動作でヌヌの手を握る。


「温かいですね」ヌヌも、彼の大きな手を両手で握り返した。「もう少し、このままで」


「これから、もっと、寒くなる。会う場所を、変えるか」


「ここは、静かですから」この返答はおかしいかなと思いつつ、ヌヌはタイッグの顔を上目遣いで伺う。


 彼は納得しているようだった。言いたいことを理解してくれたのだろう。ヌヌは、タイッグと過ごす時間を誰にも邪魔されたくないのだ。


「わたし、夢ができたんです」ヌヌは、話の流れを変えた。この話題が、今日最も話したいことだった。「旅に出ようと思います」


「旅、か」


「隊商を作って、各地にある珍しいものを売って回りたいんです」この夢は、まだ誰にも言っていない。両親に言ったら、流石に反対されるだろう。「どうですか?」


「良い夢、だ。ヌヌ、らしい」タイッグは微笑む。彼は、魔王討伐以降、表情が豊かになった。


「両親、特に、お母様が反対すると思います。そこで」ヌヌは立ち上がり、ベンチを挟んでタイッグを向かい合う。「わたしと駆け落ちしてください」


「………四つ、質問が、ある」タイッグは全く驚いていない、ことにヌヌ自身が少し驚いた。「時期。今、どの程度まで、考えているのか。他の、協力者。隊商の仲間、の候補。以上だ」


「あと一年と少し、わたしが学校を卒業してから。ほとんど考えてません。協力者はいません。隊商の仲間もいません」


「これから、か」


「無計画過ぎますか?」


「一人で決められるより、一緒に、考えられる方が、いい」


 タイッグらしい答えだと、ヌヌは思った。彼は、優しさと甘さをしっかり分けている。

 しかし、わざと一つだけ大切なことを言わなかったのだが、それに気付かないタイッグではないだろう。

 あぁ、とヌヌは気付いたように思い出す。彼は、見た目以上に初心(うぶ)なのだ。


「あの、質問、一つ足りませんか?」ヌヌは自分から質問する。


「………お互い様、だな」タイッグが目を逸らした。


 ヌヌが足りないと思った質問は、『ヌヌの気持ち』に関する質問である。つまり、それを自ら聞いた事実は、ヌヌにとって、告白したも同然だった。

 だからその後の彼の言葉は、つまり、そう、言うまでもない。

 ヌヌはベンチの座席に登る。身長が一回り、どころか、二回り以上伸びた。花壇や噴水だけでなく、世界の全てを、いつもより高い視点から見下ろせる。

 しかし、タイッグだけは見下ろせなかった。彼の身長は、また伸びたような気がする。ヌヌは一ミリも伸びていない。もうこのままいけば、来年には縮んでしまうのではないか、と最近はちょっと本気で心配している。


「わたしが勝ってますかね」


 ヌヌは自分の頭に手を置き、それをタイッグの方へ平行移動させた。

 コツン、と彼の額にぶつかる。ズルをしても、彼に身長で勝てないらしい。


「負けでした」


「可愛いな、お前は」


 タイッグが珍しくストレートにものを言ったと思うと、何の前触れもなく唇を重ねてきた。

 ヌヌは目を丸めてから、ゆっくりと瞑る。タイッグの首に手を回し、彼は彼女の全身を包み込むように抱き締める。

 一回目(・・・)同様、それは長く静かだった。

 しかし、そこには、二人の想いがあった。それだけは、確かに違った。


「一年後、遠くへ、行こう」タイッグは唇を離し、至近距離で言う。「誰にも、邪魔されないくらい、遠くに。どこまでも、一緒だ」


「はい。もちろんです」


「………好き、だ。ヌヌ」


「やっと、言ってくれましたね。わたしは半年間ずーっとアピールしてましたよ」ヌヌは背伸びをして、タイッグの額に口付けした。「大きくなりますからね、わたし」


(じゃないと、多分………)


 ヌヌはあることを考えてから、タイッグに飛び付いた。鍛えられた彼の身体は、ヌヌ程度では揺らすことできない。

 タイッグはヌヌの脇を持ち、ゆっくり地面に下ろそうとする。

 ヌヌは彼の首に手を回し、それを拒否した。それから、耳元まで口を持っていく。



 ────じゃないと、多分、入りません。



 ヌヌは、ピョンと自ら地面に飛び降りる。恐る恐るタイッグの顔を覗くと、困ったように頭を掻いていた。


「すまん」タイッグは小さい声で続ける。「見た目との、ギャップがな。でも、当たり前だ。そういう、年頃だ」


「これでも、十七ですから」そこまで言って、ヌヌは、タイッグの歳を知らないことに気付いた。「タイッグさんって、何歳ですか?」


「十九、だ」


「………………ん?」それだと、ヌヌと二つしか変わらないが。


「老けてる自覚は、ある」


「ん? ん?」


「パーミニャは、オレの、二つ上。アンとロネスは、その二つ上。ファーストが、さらに、その一つ上だ」


 つまり。

 タイッグが十九。

 パーミニャが二十一。

 アンとロネスが二十三。

 ファーストが二十四ということになる。

 ロネスとファーストの年齢が違うのはなぜだろうか。ヌヌは疑問に思ったが、ファーストが嘘を付いている、もしくは、そういう設定で通っている、と結論付けた。あの人は適当だ。

 それよりもタイッグである。皆、想像より三歳ずつくらい若いが、タイッグが十代なのは事件だ。


「タイッグも子供なんですね」ヌヌは親近感が沸いて、ニッコリ微笑んだ。


 ちょっとからかったつもりだったが、タイッグは真顔になり、ヌヌの頬に手を添えて、ゆっくり顔を近付けてきた。

 そのまま耳元まで運んでいく。さっきとは立場が逆だ。



 ────子供かどうか、試してみるか?



 その日は、息の白い、あつい夜だった。


─────────────────


「ファーストよー、聞いてくれよー」


 とある夜。パーミニャは、荒々しく酒の入った瓶を机に叩きつけた。その反動で中身が少し漏れる。


「聞いてるよ。もうずっとね」本当にずっとだ、とファーストは心のなかで呟く。「でもね」


「なんだァ? 文句かァ?」


「いや、うーん。うん、文句だ」ファーストは本を閉じる。「ここ、図書館だから。図書室で、司書が、お酒飲んで、暴れ回るの、止めてくれるかな?」


 ファーストたちが買い取った義勇兵団本部。そこの一階から三階を残し、他の階は解体した。一階と二階は図書室として活用し、三階はファーストとパーミニャの家にしている。

 ここは一階である。貸し出しの受付には、義勇兵団本部でも受付係を勤めていた十二名をそのまま雇った。優秀だからだ。


「んーだよ。いいだろ酒飲んでんだからァ」


「あのね、お酒を飲んでること自体を問題にしてるんだよ」


 現在午後七時前、閉館は七時。そう、まだ営業時間である。


「よし。ちょっと僕の部屋に来ようか」ファーストは受付の人たちに深くお辞儀をしてから、残りの仕事を彼らに任せた。と言っても、図書館の戸締まりくらいだが。


「ん~? 女同士やめとこうぜ~?」


 その言葉で、まだ性別を言ってないことに気が付いた。


(あれ。これって結構大切なことじゃ………?)


    ・


「今日はいつもより荒れてたね、パーミニャ」


「ごめんなー。いつも」


 三十分後、ファーストはパーミニャの酔いを覚ます秘密の方法を知ってるので、それを実践した。図書館で働く人も、もう帰った頃だろう。

 二人はファーストの部屋にいる。パーミニャがベッドに胡座(あぐら)をかいて、ファーストは増設した台所で食事を作っていた。

 台所も洗面台も各々の部屋にあり、個別でも生活できるようにしたが、ほとんど毎日、どちらかの部屋で一緒に食べていた。


「いつもって頻度じゃないからいいよ。でも今日はちょっと荒れてたね」


「あー、うん。昨日の夜さぁ」パーミニャは普段より穏やかな口調だ。「タイッグとヌヌがホテルに入っていくの見たんだわー」


「えぇ………」ファーストは、初めからタイッグのことを諦めている。それに相手がヌヌとなれば、応援一択だ。だが、知り合いのそういうのは想像したくない。「まぁ、まぁ………うん。言いたいことはわかるよ」


「ヌヌは子供過ぎんだよなぁ、見た目が」


 あいつとタイッグって構図がもう犯罪だろ、とパーミニャは小さく呟いた。


「あ、そうそう」ファーストはわざと、思い出したふりをする。「僕、男だからね」


「………ま」パーミニャは、目を丸めていた。「じぃ? や、お前、ヌヌと一緒に水浴び行ってたろ」


「ヌヌは僕を男として見てなかったし、僕もそういう目で見てなかった。男女間の友情に疑問を持ったら、僕たちを思い出してほしい」


「くっそまじかよぉ。タイッグ、ファースト、なーんで近くに男しかできねーんだ」


「モテるからだよ」


「はいはい~、感謝感謝」


 パーミニャみたいに着飾らないタイプは、実は男受けが良かったりする。本性が表にあるから、安心するのだ。

 しかし、こういう人はなぜか、異性に興味がなかったり、モテてる自覚もなかったりする。


「ところでさ」ファーストはまた話の舵を切った。


「話変えすぎだろ。話すの大好きなわけ?」


「パーミニャは、何で騎士団に入らなかったの?」ファーストは料理をベッドの前のテーブルへ運ぶ。この問いの答えは、本当はすでにわかっていた。故に、狙いはそこじゃない。


「………アタシみたいのはもう要らないんだよ。きっとね」パーミニャはそう言って、ベッドに倒れ込んだ。


 ファーストは、パーミニャを二重人格だと思っている。男っぽい話し方の彼女と、女っぽい話し方の彼女だ。どうもいつ入れ替わるのか、まだわかっていない。

 それは今のように、唐突にやってくる。


「ヌヌを見て気付いたんだぁ」パーミニャの口調は、かなりおっとりしている。顔は布団で隠れていて見えない。「これからは、頭良いやつが必要だってね。まぁ、そのヌヌも騎士団に入らなかったけど」


「パーミニャだって、頭の回転が遅いわけじゃない。戦ってるときなんかは、早い方だと思うよ」


「アタシは波がありすぎる。タイッグと組んでたから、それがカバーされてたんだ」口調が普段通りに戻っていく。きっと、パーミニャ自身も無意識なのかもしれない。「一人で頑張ってたときから、薄々気付いてたけどよ」


「悪かったね、あの時は。僕も手を貸すべきだった」


「いーや。拒絶してたのはアタシの方だ。こうやってりゃ、アンが同情して戻ってきてくれると思った。悲劇のヒロインぶってな」ファーストは、乾いた笑いを漏らす。「アタシって別に、メンタル強くねぇんだよ。無我夢中になってるだけで、それが終われば、いつも泣きそうになる」


「最近になって気付いたよ、そのことに。僕がもっと早く、君を受け入れてたら、何かが変わってたかな」ファーストはベッドの側に膝を付き、パーミニャの頭に手を置いた。


「言葉にする勇気がねぇから察してもらおうなんて、アタシがわりぃだろ」


「ここでも強がらなくていいよ。僕はそんなに頼りないかな」ファーストは、パーミニャが一番言いたいことを言えていない気がした。「パーミニャは、戦うの、本当は嫌いなんだろ?」


「あはっ」パーミニャの笑い声には、これっぽっちも元気がない。「なのによー、皆が『闘魂』なんて呼ぶからよー。そっちじゃねぇんだよ、本来のアタシは。くそっ。わりぃのは誰だ。アンか? いや凡人どももだ」


「この勢いで吐いちゃおうか」


「凡人どもはよ、周りに凄い奴が一人でもいたらそいつ持ち上げんだ。そいつに甘えるために。クソども、甘えるなら金払え。本当はさー、友達に誘われて義勇兵になっただけなのにさー。身体的に秀才でも、精神的には凡人なんだよアタシは。

 あぁぁー、あいつ、アンも悪いぜ。そりゃ天才から『強くなれる』とか言われたら誰だって嬉しいじゃねーか。自分がどれだけ人から尊敬されてるか、わかってねぇんだ。絶対」


 一呼吸置いて「話し疲れた」と口を動かし、パーミニャは大人しくなった。


「やっと本音が聞けた気がするよ。ありがとう」ファーストはそう言ってから、彼女から離れた。「さて、食べようか」


「なぁ、お前って」パーミニャはそこで止める。起き上がった彼女は、ピンク色の毛の猫みたいだった。「この仕事にアタシ誘ったときから、わかってたの?」


「いいや。パーミニャが誘いに乗ったときに、初めてわかったよ」


「そーか」パーミニャは、布団に(うず)めてボサボサになった頭を手櫛で整える。「じゃあお前は何で辞めた」


「もう、許されないからだよ」ファーストは即答した。「僕は、そう、好きな人の近くにいたかっただけなんだ。でも、もう良い感じに失恋できたから、騎士団には入らなかった」


「へぇ。お前も、恋愛とか興味あんだな」パーミニャは興味なさそうに言う。「アン、ロネス、あとヌヌとタイッグ。んでお前も。馬鹿しかいねぇ」


「あははっ。パーミニャは面白いなぁ」


「葉巻と恋愛は馬鹿がやるんだ」パーミニャは吐き捨てる。


「あれ? お酒は?」


「ははッ」さっきまでの暗い顔はどこへ行ったのか、パーミニャはニッと歯を見せて笑った。「酒は飲みもんだぜ? 生きてく上で必要だろ?」


─────────────────


 さらに数ヶ月後。

 アンは従者室で葉巻を咥えていた。魔王討伐から一年、自分でも、吸う頻度が増えたことは自覚している。

 理由もはっきりしている。ロネスが側にいなくなったのと、身体を動かせなくなったからだ。魔王を討伐する代償として、怪我が悪化した。医者には、四肢を縛られる勢いで怒られた。

 問題は前者だ。解決のしようがない。

 誰かが来る。そんな気配がして、アンは素早く葉巻を隠した。


〝アンさん、夜遅くにすいません〟


 ドアの向こうから聞こえてくるのは、聞き慣れた従者の声だった。


「どうしたの?」


〝明日の『祭り』で、ちょっと確認したいことがあると、ヌヌ様が〟


「わかった。すぐ行く」


 従者が去っていくのが足音でわかった。

 アンはソファに深く腰を預ける。それから、ロネスの使っていた部屋の方を見た。

 明日は、従者だけのパーティーをする日。

 つまり、ロネスの誕生日だ。

 

    ・


 ヌヌからの話は、館主たちはここにいてもいいのか、というものだった。

 そこまで配慮しなくていいと伝え、話は終わった。最近、彼女は勉学に熱心だ。その理由をアンは知っている。

 ヌヌの夢に、アンも乗ってほしいと言われた。

 明確な答えは、未だに出していない。

 あと半年も経てば、ヌヌの夢はスタートする。それまでに、答えを出さなくては。


    ・


 夜七時。パーティーは恙無(つつがな)く終わった。

 アンもそれなりに楽しめた。チェスをして、料理をつまみ食いして、ダーツやらビリヤードもして、何より、いつもより従者と会話ができた。

 しかし楽しいと感じる度に、ロネスの顔を思い出してしまう。ほとんどずっと一緒にいたのだ。彼がどんな過去を持っていようとも、どんなに目的で自分の側にいたとしても、アンにとって、ロネスの存在価値は変わらない。


(重い、かな………)


 人の色事には興味ないし、ロネス以外で関係を発展させたいと思った人もいない。自分の気持ちを、どう評価していいのかわからない。


(まぁいいか………)


 わからなかったら、自分の信じた道を歩むだけだ。自己責任だが、手柄は総取りである。そういうのは、嫌いじゃない。

 アンは自室に隠しておいた葉巻を取り出し、椅子に腰を下ろした。いつも従者室に隠してあるものだが、今日はパーティーなので移動させておいた。その従者室からは、まだ騒ぐ声が聞こえてくる。九時にお開きという決まりがあるので、それまでは騒ぐだろう。明日の仕事は、片付けからだ。

 ふと窓を見る。月明かりと、深い深い青が一色。いつかの早朝に見た空とは、真逆な気がした。


(………来た)


 アンは直感し、窓を開ける。


「久しぶり」ロネスが顔を覗かせ、窓縁に片肘を置いた。彼の着る黒い外套(がいとう)は、夜に溶けるような色だった。「まずは、これ」そう言って、背後に回していた腕をアンの方へ持ってくる。


 何本もの黄色い花々が、アンの視界を埋め尽くした。さっきまで暗い夜空を見ていたせいか、光に包まれたような気分だった。

 良い香りに鼻を(くすぐ)られて、ようやく我に帰る。


「なに? どういうこと?」


「怒らないでほしいという下心ありきのプレゼント」


「怒ってないけど、貰っとく」アンはロネスから花束を受け取る。すると、彼は笑った。「質問が二つある」


「一つ目の解答はね」


「質問するまで待って」アンはため息を付こうとしたが、息を吸ったときに入ってきた花の匂いが良かったので止めた。「なんで何も言わずに消えたのか」


「わかってるだろ?」ロネスは真面目な顔を作る。「まずは裏のランテンザールク家を潰す必要があった。奴らの住んでる場所はおれしか知らないからね」


 これは察しが付いていたので、特に驚かないし言及する気もない。ほとんど記憶のないアンにとって、あそこに思い出などないからだ。それに、ロネスの行いを否定できるほどの綺麗な正義なんて持っていない。


「二つ目は」アンはそこで言葉を止め、受け取った花をチラリと見る。「今度はちゃんと、私のことを好きになってくれるかどうか」


 アンは受け取った花束を、ロネスに押し付(・・・)けた(・・)


「いいの?」ロネスはそう聞いてから、アンからの花束を遠慮がちに受け取る。


「下手くそな告白」アンが言った。「黄色にした点だけは褒める」


 その花の名は水仙。黄色い水仙だ。

 花言葉は、『私の元に帰ってきて』。


「好きな色くらい知ってるよ」


「私の好きな食べ物は?」


「知ってる」


「好きな楽器は?」


「知ってる」


「好きな場所は?」


「知ってる」


「あと────」


「全部、知ってる。食べるときは右手、ダーツは左手、字を書くのは右手。静かな方が好きだけど、座るときは勢いよく座る」


「私も、あなたのことは全部知ってる」アンは、もう最初から気付いていた。「あの時、私に『好きじゃない』って、嘘付(・・)いた(・・)ことも知ってる」


「わからなかったんだ、自分の気持ちが。だから好きとは言えなかった」ロネスは申し訳なさそうだったが、目はまっすぐこちらを見ていた。「親に言われた通り、ランテンザールク家を監視してた。だけどたまに、気づけば、アンに違う目線を向けてるときがあった」


「気付いてた。なんか、ずっと見られてるから」


「えっ。すぐ逸らしてたと思ったけどな」


「私もよくあなたを見てた。寝顔とか。私、寝る時間短いから」


「ずるいな。それじゃ気付けない」


 沈黙が落ちる。ドアの向こうから聞こえる騒ぎ声が、隔たり以上に遠く感じた。


「もう行かなくちゃ」ロネスが言った。


「うん。わかってる」


 裏側を知ってる部外者じゃないと、裏のランテンザールク家を殺そうとは思わない。裏側を世間に知られちゃいけない。

 これらの情報から導かれる答えは、ロネスが追われている、ということだ。


「どこに行くの?」


「わからない」


「半年後、私も旅に出る。ヌヌたちと一緒に」アンは決心した。なぜかと聞かれれば、それはわからない。もしかしたら、ロネスの後を追いたいのかもしれない。「いつか、会おう」


「ああ。必ず」


「ねぇ」アンは、黄色い水仙を指差した。「それ、やっぱり欲しい」


 ロネスは、首を傾げながら渡してきた。どうも、理解していないらしい。


(言葉にするのが恥ずかしくて濁したのに)


「あなたのいる場所が」アンは自分の頬が熱くなるのを自覚しながら、言葉を続ける。「私の帰る場所だから」


 ロネスは微笑んだ。

 その顔で、アンは察する。


(この男。言わせたな)


 気付けばロネスの姿は、最初からいなかったように、もうそこにはなかった。


 アンは息を漏らす。この感覚には、覚えがあった。


 そう。去年の、ロネスの誕生日。


(私が、控えめに笑った(・・・・・・)とき………)


 アンは鏡を見る。


 自分の笑った顔が、そこに映っていた。


 水仙を、強く抱き締めた。


完結です。

読んでいただき、ありがとうございました。


『善と悪』の物語はここで終わります。

続編は、また別のタイトルで、かなり先になると思います。(もしかしたら、違う小説が先かも)



ではでは。

またこの場で会えることを願って。(  ̄ー ̄)ノ

犬と猫でした。m(__)m

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