後編 その二
夕暮れ時の街。
騎士団と義勇兵団。普段は交じり合うことのない戦士たちが、互いの背中を任せて戦っていた。
迫り来る魔嗤邏の勢いは、まだ収まることを知らない。人を襲い、殴り、潰し、ランテンザールク家に向かってただひたすらノロノロと歩く。
民間人は避難させた。良好な関係を築いていた隣国や、ランテンザールク家以外の三大貴族が協力して、避難を先導している。
しかし、遅れた者も多い。戦士たちが戦う戦場───昨日まで賑やかだった街、その至る所にそうした人たちは倒れていた。原型を留めていない者もいる。その中には、もちろん、騎士や義勇兵も含まれている。
だが戦士たちは下を見ない。
他国の騎士団も来ると言っていた。自分たちが、諦めるわけにはいかない。
・
同時刻。魔物の森。
狩りに出ていた少数の義勇兵が、これ以上街に魔嗤邏を通すまいと、命を張って剣を振っていた。
上位層でない義勇兵も、十人で、二十人で、一体の魔嗤邏を倒していく。しかし、魔嗤邏の数は減らない。減っていくのは、仲間の命。
だが、誰一人、生きることを、戦うことを諦めてない。
それが、義勇兵だからだ。ここで戦う全員が、声に出さずとも、その誇りを抱いていた。
・
同時刻。魔物の森の外れ。
川辺での戦闘は数時間に及んだが、ヌヌたちの逃走という形で幕を閉じた。魔嗤邏も二十体ほどしか削れず、故に、あそこにはまだ四十体以上が残ってる計算だ。
しかし、一体も追ってこない。あっちは、我々が帰ってくるのを待っているらしい。かれこれ、ヌヌたちは一時間、円座で作戦会議している。
「ウルが笛で指揮を執るとき、魔嗤邏はかなり統率されてる」アンが口を開く。彼女が作戦を提案する回数は、もう二桁を上回っている。だが、その度にファーストかタイッグ、たまにヌヌが否定した。「だからファーストは、ウルに笛を吹かせないよう牽制し続けて」
「無理だ」ファーストが即答する。「魔嗤邏たちが盾になる。そう、ウルの指揮によってね」
「なら陽動」アンは即座に次の提案をした。頭の回転が早い。「二人。本命が四人、ファーストをそっちに入れる」
「陽動はアンとロネス」ファーストが言った。
「パーミニャと、ロネス」今度はタイッグ。「アンは、本命に、入れるべきだ」
アンは、ついさっき、怪我のことを打ち明けてくれた。誰も驚かなかった。誰もが察していたからだ。
しかし、それでも、タイッグはアンを本命に入れると言った。
ヌヌは、その考えに反対だった。「アンさんとロネスさんがベストだと思います」ファーストと同じ意見だ。
「ロネス、パーミニャ、意見は?」アンが聞く。
二人は首を横に振った。
「なら、私とロネスが陽動。本命グループの指揮はファーストが執って。じゃあ、十分後に陽動を始める」アンは踵を返す。「言い忘れてた。『弱い奴は死ね』」
ロネスもそのあとを追った。何故か嬉しそうだった。
「最後の、なんですか?」ヌヌが聞く。
「アンがいた時代の、義勇兵の合言葉さ」ファーストも嬉しそうに笑っている。タイッグやパーミニャもだ。「さて、僕の指示に従ってもらうよ。皆」今度は、不適に笑った。
・
十五分後、ヌヌたち四人は、ウルと遭遇した地点の近くまで迫っていた。二百メートル先に、一体の魔嗤邏がいる。気配に敏感なタイッグによれば、その一体が魔嗤邏包囲網の一角らしい。
今更だが、タイッグの才能は『気配』である。探知するだけでなく、消す方も得意だが、戦法的に使う機会がない。そう本人が言っていた。
アンは『直感』。ファーストはゾロ目組ということで秘密。パーミニャは何だろう、とヌヌは場違いに考える。
「ヌヌ、準備はいいかい?」
ファーストに聞かれ、ヌヌは意識を現実に戻した。「はい。行けます」
「それじゃあ、作戦通りだ」
ファーストの合図で、まず彼以外の三人が飛び出す。先頭はヌヌだ。これはファーストの作戦だった。
『アンたちが最低でも十体は引き付けてるはず。だから僕らは、残り三十体ちょいと、正面から正々堂々戦おう。
先頭の切り込みは、ヌヌに任せる。タイッグじゃない。返事は「はい」しか許さない』
ファーストはそれしか言わず、なぜヌヌを起用したのかを教えてくれなかった。しかし、それすら彼の作戦の一部だと、ヌヌは思っていた。だから、信じてまっすぐ突っ込む。
すでに捉えていた魔嗤邏を目前に構える頃には、他の魔嗤邏だけじゃなく、ウルも視界に入った。彼女もこちらに気付いたようだ。距離はまだ百メートル近くある。
「任せます」ヌヌが言う。それから魔嗤邏の横に退けて、包囲網の真ん中を目指して走った。
後ろでタイッグが剣を振るって盾を担い、その隙にパーミニャが魔嗤邏を殺す。その一連の動きが、音だけで見えた。
そのタイミングで、ヌヌは大きく前方に飛躍する。魔嗤邏を自分に近付かせないよう槍を振り回して牽制しながら、二体の頭上を飛び越え、包囲網の、中心を除いて最も密度の高い場所に身を落とした。
三体の魔嗤邏が一気に攻撃をしかけてくる。
ヌヌは全身の力を抜き、流動的に身体を動かしてその攻撃をかわす。槍は柔らかく構え、魔嗤邏の弱点である足全般、脇、背中、そのどこかに隙がないか見極める。ほんの一瞬の間だ。
(二体、同時にいける)
ヌヌは自分がノッてる自覚があった。身体は軽かったし、頭はクリアだ。視野も広がっていて、そう、槍を身体の一部のように感じる。
故に、ヌヌは一振りで二体の魔嗤邏を倒そうと決意し、決意した頃には、すでに斬っていた。
伝わってくる感触だけで、魔嗤邏が絶命したとわかる。頭より先に目が動き、別の魔嗤邏を捉え、殺す方法が四通りほど浮かぶ。
(これは、集中しないと迷うな)
頭の回転スピードが、自分の操れる範疇に収まっていない。こんな感覚は初めてだったが、今だからこそ、冷静に対応できた。
まずは、タイッグとパーミニャをここへ導こう。ヌヌはそう思い、魔嗤邏を適当に対応しながら、タイッグたちの方を一瞥する。
苦戦はしていない。ここからの距離は十メートル弱。間にいる魔嗤邏は二体。二人が対応してるのは二体。それから────。いや、これは、今は不必要だ。
見えた情景を思い出しながら、頭で整理した。また、自分が対応してるのは三体。魔王は動いていない。
必要な情報はこれくらいだろう。
調子の良い脳みそが、勝手に最適解を導き出す。
(よし。いける!)
ヌヌは全身を使って大きく槍を回し、相手取る三体の魔嗤邏を無理やり退かせた。少しの穴ができる。そこから三体の包囲を抜け、自分とタイッグたちの間にいる二体の魔嗤邏のうちの一体───ヌヌに背を向けている方───を、無慈悲に刺す。彼らの心臓の位置は、人間と変わらない。骨の隙間を抜け、確実に貫いたのがわかった。
「タイッグ、パーミニャ!」ヌヌは叫ぶ。短く視線を交え、来い、と伝える。
タイッグが雄叫びを上げて剣を大きく振るい、パーミニャが雑に魔嗤邏を倒す。
三人は上手く合流した。魔王まで、あと八十メートル────。
そしてヌヌは、さっき不必要と判断した情報を思い出す。
「ファーストさんは、どこですか?」
ファーストがどこにもいないという情報だ。
『ヌヌを先頭に、三人が包囲網のバランスを崩す。そしたら、頃合いを見て僕がサポートを始める。これできっと、魔王が大きな隙を作るはずだ。
その後のことも考えてるよ。だから皆は、魔王の元へ突っ込むんだ。あぁもちろん、慎重にね』
「あの作戦で言っていた『頃合い』って、今ですよね」
ヌヌの問いに、タイッグもパーミニャも答えない。
現在、病み上がりが二人に、新人が一人。そして、何より、指揮官が行方不明。
やばいな、とヌヌは思った。だが、だからこそ、思考と止めるわけにはいかない。
「ファーストさんの作戦を継続します。異変に気付けば、アンさんたちが駆け付けるはずです」えっと、とヌヌは言葉を挟む。「弱い奴は死ね、なんですよね」
ならば、このピンチを生き続けることで、自分の強さを証明するまでだ。ヌヌが再び魔嗤邏に突っ込み、合流した二人と距離を離した。
自分一人で魔王まで辿り着く。それくらいの気持ちで、魔嗤邏を斬りつけていく。
「いくぞ………!」
勝利への道を、切り開いていく。
・
ファーストは嘘を付いたことがない。自分で、そう自負していた。
性別を聞かれれば、「わからない」と答える。自分の認識での性か、身体的な性か、どちらを質問されているのかわからないから。まぁ、どちらも答えは「男」であるけれども。
ただ、またまた、タイッグに魅力を感じただけの話だ。
どうして弓使いになったのかを聞かれれば、「わからない」と答える。「明確な答えがないのに惹かれたから」、弓使いになったのだから。
大抵その二つ。皆、最初にこのどちらかを聞いてくる。無理もないし、もちろん怒りもない。
容姿を曖昧にしてるのは自分だし、弓使いになった理由を聞かれるのは、自分がちょっと有名人だからだ。悪い気はしない。
だからこそ、驚いた。
『お水、一緒に浴びに行きません?』
ヌヌの第一声だ。
彼女は、自分の認識(ファーストが女であるという)を疑わなかったのだ。
────強い人だ。
ヌヌからは、アンにないものを感じた。
それこそが『強さ』だと思った。そして、何故か、そう信じたかった。
ファーストの才能は『感受』。感じて受け入れることだ。
故に、ヌヌを強いと信じたい自分を受け入れた。
ファーストは、ヌヌが強いことを疑わない。
・
「うーん。流石にちょっと手を貸そうかしら」魔王がやっとヌヌたちを見た。
ヌヌたちは、魔嗤邏を十体弱倒した。残り約三十体。魔王までの距離は、およそ五十メートル。
「あなたたち、辛そうね。明るい曲を披露するわ」魔王が笛を吹き始める。魔嗤邏たちが陣形を整えた。
魔王を囲うのが十体、魔王の前方に二十体が均等な間隔で配置されている。残りは魔王の後ろで、ヌヌたちに背を向けていた。
ヌヌたちは五メートルほど退く。視野を広げたかった。ファーストがどこかにいるかもしれない、という願いからだ。しかし、やはり彼はどこにもいない。
「パーミニャさん、平気ですか?」ヌヌが小声で聞いた。
「嘗めんじゃ、ねーっての」パーミニャは大きく息を吸う。
彼女が一番息を切らしていた。無理もない、どころか、ここまで動けていることに感服と敬意しかない。それでも、彼女には戦ってもらわなくちゃいけない。
この中で一番強いのはパーミニャだと、新人のヌヌにもわかっていた。
確かにタイッグの方が、戦い方も立ち回り方も上手い。彼らが一対一をしたら、タイッグが勝つかもしれない。
だが、パーミニャの方が強い。ヌヌは確信していた。彼女の眼力は、敵を恐怖に陥れ、味方をも怯ませるからだ。
これだけしか根拠はない。だが、他の誰にこれだけのことをできるだろうか。
少なくともヌヌの知るなかに、魔嗤邏に恐怖を感じさせるような、そんな眼力を持った人はいない。
「大筋は、まだファーストさんの作戦で」ヌヌは、まだファーストを信じていた。彼が逃げた可能性だってある。正直、信じてる根拠はない。「わたしが先攻します。ただ止めは、パーミニャさん、あなたが」
「今のアタシなら、きっとヌヌの方が強いぜ」パーミニャが、意外にも反論してくる。
「あなたみたいな人が、敵にとって一番脅威なんですよ」ヌヌは落ち着いて言い返す。「ファーストさんの代わりに、わたしとタイッグで大きな隙を作ります。パーミニャさんは止めです」
魔王の笛の音のトーンが変わる。魔嗤邏が一気に迫ってきた。
パーミニャの返事を聞く前に、戦闘が再開される。しかし、ヌヌは彼女が請け負ったと確信していた。
目は口ほどにものを言う。
パーミニャの目は、野心と殺意に満ちていた。
・
少し前のファースト。
彼はアン、ロネスと合流していた。彼の言った作戦の中に、この行動はない。しかし、彼の中の作戦には、この行動が不可欠だった。敵を騙すには、まず味方からだ。
「で?」十体の魔嗤邏を倒し終え、アンがファーストを睨む。「何でこっちにいるの?」
「この面子で一番強いのは僕だ。戦闘の面でも、頭脳の面でも」ファーストはできる限りゆっくり語った。アンが怒ると怖いのである。「アン、君にはブランクと怪我があるからね」
「何で、こっちにいるの?」アンが再び質問する。誤魔化すな、と言いたげだった。
「ヌヌは強い。それに頭もいい。勇気もある」ファーストはアンの質問を無視する。「一人で打開する策を勝手に練るはずだ」
「ファースト、あと五秒で答えないと殴る」アンはファーストの目の前まで足を運んだ。
「ヌヌは、本当は引っ張る側の人間だ。僕やアンがいては、彼女は自分の能力を全て出し切れない」ファーストはアンの顔を見る。五秒経過し、ひとまず、彼女からの『合格』を獲たことに安堵する。「僕は皆にこう言ってから来たんだ。『頃合いを見て、サポートする』ってね」
・
魔嗤邏の攻撃には慣れた、積極的な意味でだ。魔嗤邏たちは統率が取れてるだけで、攻撃は一辺倒。笛を吹いてるだけで、戦闘に関してずぶの素人である魔王に、攻撃のパターンをいくつも考えろという方が酷なのかもしれない。
もう、魔嗤邏に脅威を感じない。
ヌヌたちは、魔王まで二十メートルという距離に迫っていた。彼女が後退しないのは、アンたちの奇襲を恐れているからだ、とヌヌは思う。
(パーミニャさんなら、この距離を跳べるかな)
彼女の状態によるだろう、と思い、ヌヌは背後のパーミニャに視線を向ける。今、ヌヌ、パーミニャ、タイッグの三人は固まっている。
パーミニャが頷いた。息は切れているが、集中が切れているようには見えない。
次にタイッグに視線を向けると、彼も頷く。
ヌヌの頭のなかで、一つの作戦が生まれた。とは言っても、非常にアバウトだ。ヌヌとタイッグが盾になり、パーミニャが飛躍できるチャンスを作る。しかし空中で魔嗤邏に邪魔されたら、いくらパーミニャでも無事では済まない。危険な作戦だ。
ヌヌは迷う。リスクをパーミニャ一人に押し付けてる気がしてならない。
ファーストが消えてから、ヌヌが指示を出していた。故に、早く決断しなければと思う。
しかし、もっと良い手があるかもしれない。リスクの少ない方法があるかもしれない。二人はすでに思い付いていて、ヌヌだけが遅れを取っている可能性だってある。
頭は、負の連鎖に陥っていく。
焦っているのか、と自問する。しかし、内なる自分は「焦ってない!」と喚くように返すことしかしてくれない。
どうする。このまま状況を引きずっていれば、いつか意識が怠慢になる。その前に、一手を投じなければ。
「………ヌヌ、焦るな」タイッグが呟く。
「全く焦ってません」ヌヌは食い気味に返した。タイッグの方を見ることすらしない。
一手でいいのだ。何か良い策が一つあれば、それだけで今の状況が変わる。勝利へ近付く。誰かが、自分が、決断する必要がある。
他人のことなんて考えたことがない。にも関わらず、ヌヌは、自分から作戦を提案することに躊躇いを感じていた。変な話だが、勇気がないわけじゃない、と自分では思っている。義勇兵として、タイッグとパーミニャをリスペクトしているから言い出せないのだ。
(あ、いや………)
これが、勇気がないということなのだろうか。
勇気がない。ヌヌにとってこの言葉は、挑戦しない、と同じ意味を持つ。
尊敬している相手に自分の考えを伝えないのは、挑戦しないこと、なんだろうか。
思考が落ち着きを取り戻し、内なる自分も「あなたは焦ってない」と諭すように言っている。そして、自己の矛盾がなくなり、内なる自分は消えた。
即ち、迷いがなくなった。
「焦ってません」ヌヌは、今になってタイッグに返した。先ほども返すには返したが、あれはゴミだ。意味を持たない。
皆が同じ考えを持っていることは、すでに確認済み。あとは、ヌヌの決意があればそれで良かった。
それが、今はある。
「いきましょう」ヌヌは、自分でも驚くほど、低い声を出す。「わたしたちが”英雄”だ」
その言葉を合図に、三人は同時に動く。
パーミニャが恐怖で魔嗤邏の戦慄を誘い、タイッグが体剣と己のパワーで薙ぎ倒す。
ヌヌは魔王にまっすぐ向かう。魔王をガードする魔嗤邏がヌヌの元へ集まってきた。
魔嗤邏を倒すことを目的とせず、敵陣の中心でとにかく生きることを優先する。反撃はしない。すると魔王は、ヌヌにまだ余裕がある、と見るはずだ。何せ、素人なのだから。
魔嗤邏が集結するなか、ヌヌはさらに魔王へ迫った。チャンスではある。
だが────。
(────攻め入れるほどの隙はない………)
「ぐっ!」ヌヌの額に、魔嗤邏の腕がかする。視界の右半分が赤く濁った。しかし、赤く染まっていく右目を開けっ放しする。
自ら視界を閉ざすような余裕はない。
拭う余裕もない。
自分は今、苦虫を噛んだような顔をしていることだろう、とヌヌは思う。ズキズキ痛む額に、ジワジワと蓄積していく疲労、終わることも静まることも知らない魔嗤邏の攻撃。
現状の全てが、体力的に、精神的に、ヌヌを困憊させていく。
しかし。
槍を振るう意志が、上を向く勇気が、共に戦う仲間が、ヌヌに希望を与える。
そこに月並みな言葉は存在しない。
あるのはヌヌの、そして仲間の心だ。
(あっ、今────)
いける。そう直感した。
ヌヌは力一杯槍を振り、数体の魔嗤邏の足に傷を負わせる。
タイッグの雄叫びが空気を揺らす。三体の魔嗤邏を一気に地に捩じ伏せた。
パーミニャが跳ぶ。すでにスピードが付いていた。誰よりも早く好機を嗅ぎ付け、速く走れるからこそできる芸当だ。
パーミニャが持っていたのは、何者に対しても戦おうとする意志であり、どんな状況でも戦い抜こうとする気持ちだった。
それは、アンの見込んだ才能、『闘魂』である。
「ぬァァァァアアア!!!」
パーミニャは叫びながら、魔王の頭上で剣を振り上げる。
ヌヌの牽制により、魔嗤邏たちの妨害は一切ない。ヌヌはちょっぴり自分を褒めた。
その時、視界がある人物を捉えた。魔王の後方、少しばかり遠い場所にいる。
一人の男、ファーストである。
彼が矢を放った。
パーミニャが剣を降り下ろす。
魔王は笛で受け止めた。その動きは、素人ではなかった。これはヌヌの誤算である。
ファーストの放った矢が、魔嗤邏たちの隙間を縫うように潜り抜け、魔王の右の二の腕に刺さる。
魔王は呻き声を上げ、パーミニャから距離を置く。
ファーストが近付きながら、再度矢を放つ。
すでに魔嗤邏たちはガードを固めていた。
いつの間にか近くにいたアンとロネスが、矢が到達するまでの僅かな時間だけで、魔嗤邏たちのガードに隙間を作った。
矢はその隙間を通り、魔王の横腹に突き刺さった。
ヌヌは、その連携に思わず見とれていた。
パーミニャが追い討ちをかける。魔王の腕を斬り、腹を斬り、胸を刺し、そして、喉を裂いた。
「はっ………はっ………」
パーミニャの激しい呼吸だけが、場に音をもたらす。
そして彼女は、力尽きるように身体のバランスを失った。
倒れる寸前、ファーストが彼女を支える。
ヌヌも、タイッグも、アンも、ロネスも、魔嗤邏も、皆がその光景を見守っていた。
「魔王、いや、ウル。お疲れ様」ファーストがパーミニャを支えながらしゃがむ。「君の勇気ある復讐が、必ず世界を変える。あとは僕に任せて」
ファーストの言葉は、まるで、「まだ戦いは終わっていない」と言っているように思えた。
〝グァァァァァァァァァァアアア!!!〟
周りの魔嗤邏たちが同時に叫び始める。
ファーストはそれを静観し、ヌヌをじっと見てから、パーミニャを背負ってどこかへ走っていく。
「ファース────」
「待て」タイッグがヌヌを押さえ、彼女を抱えたまま後ろに退いた。「周りを、見ろ………!」
魔嗤邏が延々と叫びながら、暴れ始める。さっきまでヌヌたちが立っていた場所は、密集地帯である。考えるまでもなく危険だ。
「ごめんなさ、いえ。ありがとうございます」ヌヌはタイッグにそう言って、彼の腕から降りた。そして、二人背中合わせで武器を構える。
「ここにいる魔嗤邏を殲滅させた後、ファースト及びパーミニャを追う」アンが、鋭い声で叫んだ。魔嗤邏の叫び声の中なのに、はっきり聞こえた。「私たちは強い………!」
最後の言葉は、あの合言葉の続きのように思えた。
・
ファーストは、魔物の森の最深部、『魔王の住む木の家』に到着した。前代、前々代の魔王が、玄関の外で息絶えていた。自殺でも他殺でもない。自然死だ。
その家の裏、そこに『魔物の素』が置かれている。直径一メートルほどの黒い球体で、緑色の蛍光色が、まるで呼吸するように明暗している。
そして、二つの人影が、『魔物の素』の前に落ちていた。
ファーストはパーミニャを地面にゆっくり下ろし、仰向けに寝かせた。あそこに置いておくのが危険だと思い、ここまでつれてきてしまった。
それから、二つの人影を見る。
「僕の母さんと父さん、だよね? それとも、真の魔王と呼ぶべきなのかな?」
ファーストの問いに、二人は答えない。
「母さんが緑石の耳飾りをしてるのは、表のランテンザールク家───赤い髪を持つ一族への反骨。
父さんが黒石の首飾りをしてるのは、裏のランテンザールク家───白い髪を持つ一族への反骨だ」
二人が振り返り、ファーストの方を見る。だが、口を開こうとはしない。
「二人は、何歳?」
二人は首を横に振る。
この意味が、ファーストにはわかった。きっと、数えるのを止めたんだ。
「永く生きた真の魔王たちは、人と戦うことに疲れていた。だから裏のランテンザールク家を作り、偽の魔王という虚像を作り上げ、そこに従者として滞在し、上手く操った。
自分たちが、魔王として人と戦わなくて済むように」
二人は、間を開けてから頷いた。
「偽物を犠牲にして、犠牲にして、犠牲にして───、自分たちは安心を得る。罪悪感はあった?」
二人は動かない。
「あったはずだ。そして罪悪感から逃れる、いや、忘れる術として、人間の真似をした。セックスだ。
きっと、人間と長く接しすぎた結果、その行為に至ったんだと、僕は思う」
二人は、やはり動かない。
まぁ、息子に子作り事情など話したくないだろう。
「生命は不思議だね。魔王が人間と同じ生殖行為をして、僕が生まれてしまったんだ。
ここから、少し、自惚れるよ。
僕が生まれたのと同時期に、裏のランテンザールク家でアンとウルが生まれた。いつも通りウルを犠牲にしたけど、罪悪感に耐え切れなかった。僕を生んで、愛情を覚えてしまったんだよね?
だからアンが家出したタイミングで、ランテンザールク家を去った」
二人は、ゆっくりと頷いた。
「母さんは、義勇兵団本部にある図書館の司書へ。
父さんは、隠れた武器屋の店主へ」
二人は───司書と店主は、頷いた。
「毎週、僕の家に『真実』の書かれた手紙を届けたのは、僕をここに導いて、殺してもらうためだね?
あなたたちの息子である僕しか、殺せないから」
二人は頷く。
ファーストは二本の矢を同時に射つ。この二人に対して、何の感情もなかった。
矢は喉に刺さり、二人は、『魔物の素』へ倒れ込む。
そして、それに吸収されるように飲み込まれた。
「あとは僕も死んで、『魔物の素』に入れば────」
「ファー………スト………」
「パーミニャ。起きたの?」ファーストはパーミニャを見下ろす。大した生命力だと思う。
「逃げ、ろ………」
ファーストはパーミニャを持ち上げ、素早く前方へダイブした。そして素早く立ち上がり、さっき自分がいた場所に矢を向ける。
「ロネス………? なぜ僕を………?」
そこにいたのは、ロネスだった。彼が、剣を持って立っていた。いつもの優しい面影は、今はどこにもない。
「裏のランテンザールク家は必ず双子を生む」ロネスが早口に言った。「だったら、魔王側だって双子を生むだろう?」
「まさか………」僕らは兄弟なのか、と、ファーストはそこまでは声に出せなかった。
「父さんと母さんは、お前にだけ自由を与えた。おれには、裏のランテンザールク家を監視し続けるという役割を与えた」ロネスは虚を見つめている。「ランテンザールク家に同情されやすいよう、食べ物もあまり与えられなかった。身体も満足に洗ったことがなかった。綺麗な服を着たこともなかった。
お前が父さんや母さんと笑って食事をしてるとき、おれは地面に這いつくばっていた。お前が温かいお湯を浴びているとき、おれは全身の痒みに耐えていた。お前が新しい服を着たとき、おれは自分の髪の毛で服を縫っていた」
ファーストに幼少期の記憶はない。故に、ロネスの言っていることが正しいのか判断できなかった。
ファーストの記憶の始まりは七歳だ。生活必需品が揃った洞穴にいて、大量のお金も置いてあった。生き方を知っていたが、それまでの記憶は一切なかった。
「ああ、わかっている。お前は知らないと言うんだ。当たり前だ。おれの存在自体を害と捉えた父さんと母さんは、お前の記憶を消してから自由を与えたんだ。
おれは役目を全うした。今の今までずっとランテンザールク家の側にいて、定期的に報告の文を送っていた。
なのに、なのに、なのになのになのに────」
「あー、うるせェ」
ロネスの言葉を遮ったのはパーミニャだった。
「ピーピーピー鳴いちゃって、ダサいわー」パーミニャは身体を重たそうに動かし、自力で立ち上がる。そして、ゆっくりとロネスへ近付いていく。「愛して欲しかったのか?」
「笑うか………?」ロネスは引き釣った笑みを浮かべた。彼の目に、感情はない。
「めっちゃ笑える」
「お前に!」ロネスはパーミニャの胸ぐらに掴みかかった。「お前に、何がわかるッ!!!」
ファーストは矢を引こうとする。しかし、途端に背中に激痛が走った。触れると、血が付いていた。
どうやら、さっきロネスに斬られたらしい。
「何をわかって欲しいんだ、てめェは。愛をもらったことない人の気持ちか?」パーミニャは引かずに、ロネスの胸ぐらを掴み返す。「じゃあ全っ然、全く、一つも、わかんねェわ。でも、それ、お前もだろーが。バーカ」
「話を聞いてたろ………? おれがどんなに苦しんで生活してきたか。
満足に食事をして笑ってる奴らの前で、自分だけが………、自分だけが苦しんで、耐えて、苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでッ! 何も与えられずに捨てられる! 愛情なんてなかったんだ! ………そう、そうだ。頭を撫でてくれるだけで良かったんだ。あぁ、それだけで、きっと、おれは幸せだった………」
「お前の両親の話とかしてねーから」パーミニャがロネスの胸ぐらから手を離し、後ろを指差した。「アンの話をしてんだよ、アタシは」
ロネスは目を丸め、後方、アンの方を見た。少し離れた所に、ヌヌとタイッグもいる。
それからパーミニャは、力尽きるように座り込む。ファーストが駆け寄って背中に手を回すと、彼女はニッと笑い、全体重を預けてきた。
ファーストも笑い返し、それからアンとロネスの方へ視線を移す。
アンがズカズカと歩み寄り、ロネスも気まずそうに三歩だけ近付いた。
「とりあえず、私のこと好きか聞かせて」アンが最初に口を開く。彼女らしい凛とした声だったが、少しだけ不機嫌そうだ。
「好きじゃない」ロネスの口調は落ち着いていた。「ただ、誰かの愛情が欲しくて、アンに甘えてただけなんだ」
アンとロネスは、何も言わずにお互いのことをまっすぐ見つめる。二人の世界がそこにはあり、他人が入る余地はなかった。
そして、長い一瞬のような、短い永遠のような時間を経て、美しく脆い世界は、音もなく崩れていった。
「………帰ろう。皆で」アンは下を向いて、小さな声で言う。少し、震えていた。「私たちは勝った」
これほど虚しい勝利は、きっとこの世にない。
ファーストは居た堪れない気持ちになって、思わず空を見る。
ちょうど、月が雲を覆われたところだった。
真の魔王は、人間との戦いに疲れ、偽の魔王を作った。
人間は、偽の魔王を悪とすることで平和を得た。
偽の魔王は、真の魔王が招いた呪縛を解くため、復讐に走った。
全て悪だ。だが、元凶と呼ぶべき『真の悪』はどこにもない。
悪が入り乱れて、真っ暗になっただけ。
それでも、『誰かの善』が光をもたらした。
誰か。それは人でもあり、偽の魔王の娘であり、真の魔王の息子でもあった。
善の裏。
悪の横。
~終~
────真の悪は、平和ではないか。
”英雄”六人のうちの一人が、ふとそう思った。
あと一話、後日談が続きます。
最後に続編を匂わせましたが、シリアスな空気は一旦ここで終わりです。
後日談は、ヌヌ、タイッグ、ファースト、パーミニャ、この四人の関係の発展(友情的にも、恋愛的にも)、そして何より、アンとロネスのその後を書く予定です。




