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善の裏。悪の横。  作者: 犬と猫
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後編 その一


 正午、上位層エリア。ヌヌは、大木の枝の上に足を投げ出すようにして座っていた。口だけのお面と付け毛を装着したいつもの格好で、割れた槍のうちの一本を膝の上に置き、他方は背負ったままだ。


「………いた」ヌヌは呟く。


 背中から落下するようにして枝から落ち、空中で一回転し、音もなく着地した。

 前方の茂みが揺れる。出てきたのは、三メートル近い魔嗤邏だった。三メートルいってないので、まだ子供だ。

 ヌヌは槍を形成し、かん高い指笛を鳴らす。


「見付けた、か」五秒ほどで、タイッグが姿を現した。


 魔嗤邏は相変わらずノロノロしており、まだタイッグと話す時間がある。


「魔嗤邏は、初めて、だな」タイッグは大剣を抜いた。「オレが盾に、なる。膝、もしくは、脇の下を、突け。そうすれば、簡単に、終わる」


「突くまで難しいんですけど………」


「オレに、任せろ。序列最下位(・・・・・)


 タイッグと組んで二週間。一週間で怪我を治し、その次の一日でランク八の称号を得て、序列に参戦可能となった。つまり、タイッグと共闘してから数えると六日目だ。この六日間、上位層エリアで魔物を狩っていたが、魔嗤邏に遭遇するのは初めてのことだった。

 やっと会えた、という感覚が一番近いとヌヌは思う。もう一度、こいつと戦いたかった。


「行くぞ」タイッグが先行する。


 十歩遅れて、ヌヌが彼を斜め後ろから追う。

 魔嗤邏より二メートル強ほど手前でタイッグは止まり、大きく剣を振るった。彼の腕と剣なら、この距離からでも充分届くのだ。

 タイッグの大振りな攻撃を、魔嗤邏は両方の前腕で受け止める。最近知ったが、魔嗤邏は前腕のみ異常に硬いらしい。図書館でもう少し詳しく魔嗤邏の項目を読めば良かったと思う。

 思考を現実に戻してすぐ、ヌヌは最も良い攻撃を思い付いた。しかし、それには条件が足りていない。


「タイッグさん、もう少し身体を寄せて」ヌヌは彼の真後ろに回る。


 タイミングを同じくして、タイッグが唸り声を上げながら魔嗤邏に一歩だけ詰めた。しかし、それは充分な距離だ。

 今、タイッグの身体により、魔嗤邏からヌヌは見えていない。ここから突然攻撃すれば、鈍重(どんじゅう)な魔嗤邏はかわせないはずだ。

 ヌヌは一呼吸置いてから槍で魔嗤邏の膝を付き、素早く退いた。

 魔嗤邏が体勢を崩す。


「よくやった」タイッグは大剣を一度引っ込め、再度大きく振るう。


 その一撃で、魔嗤邏の頭をかち割った。

 ヌヌは反射的に目を背ける。しかし、グロッキーな絵を一瞬だけ捉えてしまった。


「パターン、として、ありだな。今のは」


「タイッグさんの負担が大きくありませんか?」


「元々、オレには、パワーしかない。この役回りが、一番、向いている」タイッグは大剣を背に戻した。抜くときより大変そうだ。「どう、する? 大物を、狩った。帰るか?」


「まさか。まだ────」ヌヌは何かの気配を感じる。この妙な感覚には、覚えがあった。


「そこの、木の、裏だ」タイッグが指を差す。


 やはり彼は気配に敏感だ。ヌヌもそちらへ目と(きっさき)を向ける。


「むふふっ。よく気付いたわね」透き通った綺麗な声と共に、クリーム色の髪を持つ女性───魔王が姿を現す。手には笛を持っていた。「お久しぶり、小人さん?」


「ヌヌ、知り合い、か?」


「彼女が、魔王です」ヌヌは、タイッグに彼女のことを話していなかった。


「魔王………?」タイッグが、魔王をまじまじと見つめる。


 信じていないのだろう。ヌヌ自身も、正直に言えばまだ半信半疑だった。人々の勝手なイメージが作り出した魔王の虚像が、完全に信じさせてくれないのだ。

 魔王と呼ぶには、彼女は美しすぎる。


「きっとここで会えたのは何かの縁よ。二人とも、お名前を教えて」魔王が微笑む。人懐っこい笑みだった。


「タイッグ、だ」


「ヌヌです。ヌヌ・アーナ・カウグスト・ランテンザ────」


「あ、ごめんなさい」魔王がヌヌの言葉を(さえぎ)る。「殺すわ」口元に笛を移動させた。


「危険だ」タイッグがヌヌの襟を掴み、大きく後退する。


「わっ」ヌヌの足は宙に浮いていた。タイッグに、ぬいぐるみのように持たれているのである。


「ふふっ。タイッグと言ったわね。いい判断よ」魔王は笛を吹かずに腕を下ろした。「あなたたち、これ以上深く来ない方がいいわ」


「忠告、か?」


「いいえ。んー、そうね」魔王は唇に指を当てて、斜め上に視線を向けた。いちいち仕草がわざとらしいが、可愛らしい。「親切心、かしら」


 魔王はそれだけ言って、何もせず去っていった。


「ごめんなさい、黙ってて」ヌヌは、まだ宙に浮いている。「帰ったら、ちゃんと話します」


「わかった。今日は、もう、お開きだな」タイッグはようやくヌヌを下ろす。軽い動作だった。


「タイッグさんっていつ筋トレしてるんですか?」


「していない。一度も、したことが、ない」


 天性のものなのか。ヌヌは、彼がどれくらいの筋肉量なのか少し気になった。故に、手を伸ばして彼の腕を触ってみた。


「太いですね。硬くしてくれますか?」


 タイッグは黙ったまま、腕に力を込める。肌に筋が刻まれ、一回り太くなった。触ってみると、ため息が出るほど硬い。


「太くてカチカチ────」ヌヌの頭に、違うものが連想される。「ナンデモナイデス」こういう時、感情を捨てるのが一番だ。


「? 昼は、オレの家で、いいか?」


 タイッグの問いに、ヌヌは黙って素早く三回ほど頷く。だが、内容は全く聞いていなかった。


    ・


「タイッグさんに助けてもらったときに、初めて魔王と会いました。あのクリーム色の髪の彼女が、自分のことを魔王と名乗りました」


 ヌヌはタイッグの家にお邪魔した。何度も来ているので、ヌヌは近所でも知られる存在となっている。

 タイッグが台所で料理し、ヌヌはリビングで待機し、魔王について知ってることを話している。


「でも、以前、魔王のことはアンさんから聞きました。あの人は、魔王の声を聞いたことがあるそうです。なので、きっとロネスさんも知ってるでしょう」ヌヌは言葉を止めてタイッグを見る。あまり反応がない。「魔王は、あの笛で魔嗤邏を操ることができます。多分」


「魔王自身に、戦う力は、あるのか?」


「わかりません。わたしが知ってるのは、今話したことだけです」


「そう、か」


 タイッグはそれしか言わなかった。魔王と会ってから、彼は静かになった。元々静かだが、何と言うか、こんな無反応な人ではなかった。


「できた、ぞ」タイッグがリビングに料理を運んでくる。ステーキとパンだ。


「頂きます。夜はわたしが作りましょうか?」


「本部の寮に、帰らなくて、いいのか?」


「わたし、タイッグさんと付き合ってるらしいので、平気です」寮内で、そんな噂を最近良く耳にする。


「そうか」


 ヌヌもタイッグも、その手の噂を気にしたりはしない。聞かれたら否定するが、自分から違うと言ったりはしない。面倒だ。

 それより、ヌヌは今後のことを考えていた。正確には、魔王からの忠告(・・)の件である。魔王的に言うと、親切心らしいが。


「明日はもう少し深くまで行きましょう」


「賛成、だ。また、あいつに、会う必要が、ある」


「タイッグさんは、魔王についてどんな印象を抱いてますか?」


「自分の目で見たものしか、耳で聞いたものしか、信じ、ない。そうやって、生きてきた」


 つまり、特に何の印象も抱いていない、ということだ。彼が魔王と出会ってから静かだったのは、自分のなかで『魔王』を形成していたからかもしれない。

 彼は料理も得意で手先も器用だが、たまに不器用である。一つ例を上げるなら、話すことは特に不器用、いや不得手だ。


「ヌヌは、あれ(・・)を、殺せるか」


 タイッグの言うあれとは、魔王のことだろう。そして彼が聞きたいのは、人間の見た目をした生物を殺せるのか、ということだ。


「子供扱いしてますか?」


「大人なら、殺せるわけじゃ、ない」


「わたしは、殺すべきと判断すれば殺せます」


「判断」


「対話が先、という意味です」


「平和的、だ」


「綺麗事だと?」


「ああ。ただ、悪いニュアンスは、含んでいない。どちらかと言えば、肯定的、だ」


「魔王を救う選択肢がわたしの中にある、と言っても、まだ肯定的に取れますか?」


 良いテンポで行われていた会話が、そこで途切れる。タイッグは、考えているときの顔をした。無表情に近いが、組んでから何となく読み取れるようになった。

 今のうちに食べてしまおうと、ヌヌはステーキにかぶり付く。貴族時代なら、こんな食べ方はできなかっただろう。束縛を強く感じたことはなかったが、些細な自由がこうも心地良いとは思っていなかった。


「お前が、救いたいと言うのなら、頭ごなしに反対はしない」


「わたしに譲歩し過ぎでは?」


「それだけ、お前とオレの、価値観が似ている、だけだ」


 なるほど、とヌヌは思う。「タイッグさんのことが少し知れた気がします」


「お互い、様だ」


 それからのタイッグは、ステーキを一口サイズにカットしてから食べていた。

 まだまだわからないことが多いな。ヌヌはそう思いながら、先ほどより大きく口を開けてステーキにかぶり付いた。


    ・


 同日の夜。本部の図書館。


「魔王に関する資料がないのは、なぜなのでしょうか?」ヌヌは、隣に立つ司書に質問した。二人とも本棚の前に並んで立ち、各々違う本を探している最中だ。


「魔王がいて、最も利益を得るのは誰でしょう?」司書が答えた。手には分厚い本を持ち、ペラペラと(めく)る。


「………この国の三大貴族ですか?」


 三大貴族は騎士団のスポンサーをしている。貴族とはいえ、利益がないのにスポンサーなどしない。

 例えば他国と合同の武闘会を開催するとして、その入場料などは、もちろんスポンサーに入る。集客のために「魔王から国を守る騎士団」という宣伝文句を掲げたりすれば(実際掲げている)、ある程度の利益は保証されるだろう。


「あの、何が言いたいんでしょうか?」ヌヌは、こういう話題の議論が苦手だった。自分が貴族だからである。客観性が保てないのだ。


「次に、魔王がいて困るのは?」司書はヌヌの質問を無視した。


「国民です。………多分」国民という言い方は、重すぎただろうか。


「魔王は、脅威ですものね」司書は別の本を取る。その声はどこか他人事だった。


「あの………」


「ある方面では悪でも、誰かが得をしている。それが言いたかっただけです。今夜もう、帰った方がいいのでは?」司書は手袋をした手でヌヌの頬を触り、耳元で囁く。「タイッグの家で、食事なんでしょう? 彼も男だということを忘れてはいけませんよ」


「あっ、あの人は、そういうわけじゃにゃ………、なくて」ヌヌは平然を保てなかった。司書が色っぽすぎる。彼女は本当に五十代なんだろうか、と疑ってしまうほど声も若々しい。


「ヌヌにとっては、ね」司書がベールをずらした。しかし、距離が近すぎて顔は見えない。


 不意に、ヌヌの耳に司書の唇が触れる。柔らかくて、温もりもあって、鳥肌が立つような心地良さも感じた。ヌヌは思わず目を(つむ)る。


「タイッグは」司書がゼロ距離のまま話す。


「ひっ………」ヌヌは口を押さえた。逆に誤魔化し切れていないが、そんなことを考える余裕もなかった。


「タイッグは、ヌヌを、異性として、見てるかも。で、す、よ」司書は言葉を細かく区切り、その度にヌヌの耳元で息を吸う。「ヌヌは、一度も彼を異性として見たことがないのですか?」


 ヌヌの脳裏に、狩り場での失態が(よみがえ)る。


『太くてカチカチ────』


 彼の筋肉を触って、そう言ったのだ。その時、ヌヌはある"もの"を連想して────。


「大きいですよ、彼」司書が、息を漏らすように囁く。


 ヌヌは、考えを見透かされているようで、心臓と身体が跳ねた。「も………っ、やめっ」


 意外にも、司書はパッと離れた。それから首を傾げる。「身長の話ですからね。では」それだけ言って立ち去った。


(司書さん、大人だぁ………)


 ヌヌはしばらく呆然としていたが、ずっと身体が火照っていた。


    ・


 装備から普段着へ着替え、ヌヌはタイッグの家に向かった。

 現在、料理を作るため、彼の家の台所に立っていた。寮生活を始めてから包丁を握ったので、本当に全然上手くない。

 しかし昼をタイッグに作ってもらったし、その時、夜は自分が作ると約束してしまった。二言はなしだ。


「ヌヌの、料理を、食べるのは、初めて、だったな」タイッグがリビングから声をかけてきた。


「そ、そうですね。頑張ります」ヌヌは、タイッグの家にお邪魔してからずっと緊張していた。「その、期待は、あんまりしたいでください」司書のせいである。


「どう、した? 昔のお前みたい、だぞ」


「やっ、あの、昔のわたし………、なるほど」何がなるほどなのか、自分でも良くわからない。


「ヌヌ。オレが、作る」タイッグは立ち上がって、台所、ヌヌの側まで歩いてきた。


「平気、ですっ」理由もなく、一歩引いてしまう。彼の顔が見れなかった。


「耳が、赤い。なぜ、下を向いている」


「赤くないですっ」そこを否定しても意味がないだろう、と自分に突っ込む。


 突然、両頬に大きな手が添えられ、簡単に顔を起こされる。もう、何と言うか、恥ずかしがってる自分が恥ずかしかった。

 タイッグは無表情でヌヌを見下ろす。その目に自分がどう写っているのか、気になって仕方がなかった。


「………なぜ、そんな顔を、している」


「わたし、どんな顔してますか?」ヌヌは本当にわからず、素直に聞いた。顔はまだ熱い。


「お酒を飲んだ、パーミニャの顔、だ」


 だからそれはどんな顔なんだ、とヌヌは聞きたかったが、口にはしなかった。それすら面倒に感じる。


「まだ十八じゃ、ない、な」タイッグは、やはり無表情だ。「飲んだ、のか?」


「飲んでないです。シラフでこの顔です」


「熱いのは、なぜだ?」


「わたし、照れてるんです。ずっと」


 まるでタイッグの操り人形のように、ヌヌは聞かれたことをスラスラと話す。上手く考えることができなくて、従うことの方に身を預けた。

 最近ずっと張っていた糸が緩んだ気がして、全身の筋肉がフニャフニャになったような感覚に襲われる。

 しかし、決して嫌な感覚ではなかった。


「好きな、男、でも、できたか?」タイッグが無表情を解き、少しだけ、本当に少しだけ微笑んだ。


「今、タイッグさんを思い浮かべました」


 顔が熱い。でも、恥ずかしさはなかった。

 混乱はあった。でも、後悔はなかった。

 何を言ったのは理解している。なぜ言ったのかは、考えることもできない。

 これは本心だろうか。触発された偽りの心だろうか。それも、考えることができない。

 具合が悪いなんてこともなく、では、嘘を言ったんだとしたら、酷い女でしかない。あぁ、だめだ。考えが(まと)まらない。


「疲れてる、だけだ。落ち着け」タイッグは無表情に戻っていた。しかし、その声にはどこか温かさがある。「やはり、オレが、作る。ヌヌは、ベッドで、横に、なっていろ」


 ヌヌは彼の大きな手に引かれ、気付けばベッドで寝かされていた。


「すぐ、作る」タイッグはヌヌから離れる。


「ごめんなさい」


「甘えることは、悪いことじゃ、ない」


「………ありがとう、ございます」


 タイッグが台所に戻ると、ヌヌは顔に布団を被った。

 拒絶されなかっただけましだ、と思う。官能的、思春期的な思考回路になってしまった原因が司書にあるとは言え、少なからず、タイッグからの信頼は薄くなっただろう。尻軽な人なんて、信用することもできない。


(タイッグさんの手、大きかったなぁ)


 布団の中でそんなことを思いながら、握られた手を見つめる。目一杯広げても、タイッグのと比べたら、彼の指の第二間接くらいまでしかなき気がする。

 しかし、それが当たり前だ。彼は二メートルないが、一メートル九十センチはある。ヌヌと五十センチ差だ。


(自分より五十センチ低い物………)


 三歳くらいの子供はそれくらいだろうか、と生まれたばかりの弟のことを思い出しながら考える。

 相対的な身長だけで判断すると、ヌヌから見た三歳児と、タイッグから見たヌヌは同じであると言える。

 そこまで考えて、ヌヌはタイッグの年齢を知らないことに気付いた。以前、ロネスを「あいつ」と呼んでいたので、彼と同じくらいだろうか。しかし、アンとロネスがいた時代の義勇兵は常に罵り合ってたらしいので、その時の名残からそう呼んだ可能性もある。

 だが、ロネスより年上だとは考えられなかった。ロネスが大人っぽ過ぎる(大人だが)からだろう。

 そこまで考えて、音もなく眠気が襲ってきた。一週間前に怪我が治って、すぐ狩りに復帰し、一日も休んでいない。さっき変なことを口走ったのも、体力が戻ってないのにハードワークし過ぎたせいだろう。

 ヌヌは寝るためにそう理由を付けて、眠気に身を任せた。


    ・


「ん………っ」


 ヌヌはゆっくりと身を起こした。窓の外は暗いが、部屋は一つだけのランプに照らされて程良く明るい。

 虫の声が聞こえる。人の声は聞こえない。夜の深い時間だ、とヌヌは窓を見ながら察した。


「変な、時間に、起きたな」


 思わずビクッとする。素早く振り向くと、タイッグがテーブルの横に寝転んでいた。テーブルには、二人分の料理が置かれている。


「すいませんっ」ヌヌはベッドから急いで出た。「寝ちゃったことと、ご飯と、ベッドも。本当にすいません」頭を九十度下げる。こんなことをするのは初めてだった。気付いてなかっただけで、わがままに生きてきたんだと実感する。


「三つ、約束事だ」タイッグが上体を起こした。「謝るな。オレを、さん付けで、呼ぶな。それから、一日一つ以上、お互いの、悪口を言おう」


 ヌヌは意味がわからず、何も言わずに首を傾げる。

 しかし、タイッグも口を開かない。

 彼の灰色でまっすぐな髪が乱反射するように多数の方向へ伸び、その隙間から眠そうな顔がチラリと覗ける。惚けている顔は、いつもより幼く見えた。いつもなら気にならない彼の普段着も、翌々見れば薄着で、筋肉質な身体が、こっちの気も知らずに露出していた。

 ヌヌは、男性に対して色気というものを初めて感じる。


「あの、タイッグさん────」


「タイッグ、と呼べ」彼は素早く注意してきた。「謝る、なよ」先制攻撃も追加される。


「その二つには従えますけど、最後のが良くわかりません」


「昔、罵り合ってた頃の、真似事だ」


「なるほど」ヌヌは再度首を傾げる。「わかりません」


「文句は、ちゃんと、言え。と、言いたい」


 今度こそ、なるほど、とヌヌは思った。「では早速、一つ。なぜわたしを怒らないのか、という文句です」


「ヌヌは、多分、怒られても、反省しないタイプだ」タイッグは、いつの間にか覚醒し切った顔をしていた。


「反省しますよ。ちゃんと」何だか馬鹿にされてる気がして、ヌヌは反論する。そう、怒られるために。


「怒らなくても、するだろう。だから、怒らない。それに、このくらいじゃ、オレは怒れないな」


「殴ったら怒りますか」タイッグの優しさが、どうも子供扱いされてるようで、ヌヌはいい気がしなかった。


「当てられたら、褒める」タイッグはゆっくりと立ち上がった。「夜の街を、歩いたことは、あるか? お姫様」ヌヌへ向けて手を差し伸べる。


「姫じゃありません」まるで当たり前の事のように、ヌヌはその手を取った。


    ・


 武器もなく、普段着で、手を繋いで、夜の街を歩く。全てが初めてのシチュエーションだった。

 いつも賑わっている飲み屋ですら明かりがなく、ヌヌとタイッグの歩く道を照らすのは、遥か上空から見下ろしてくる月だけ。


「三時、二十七時くらいか。飲み屋も、二時には閉まる」タイッグのいつもより小さく、少しだけ低い声は、野原を抜ける温かい風のような心地良さがあった。「あと一時間、くらい、この街は、オレたちだけしか、いない」


「何か、いつもできないことをしたくなりますね」


 ヌヌは静かな空間が好きだが、それは自分の部屋でゆっくり過ごしたいときだけの感性だ。今のようにいつも賑わっている街が静かだと、まるで時間が止まってしまったようで、何か悪戯(いたずら)したくなる。

 きっとこれは自然の衝動だ。ヌヌは自分勝手に、そう結論付けた。


「落書き、でも、するか? もう少し、西の街なら、今は、お絵描きの時間だ」タイッグは、何故か、息を漏らすように笑った。


 まさか経験者なのか、とヌヌは思う。こう言っては悪いが、非行の一つや二つくらいならやってそうな見た目をしている。


「あの、狐のお面は、どこで、買ったんだ?」


「出店です。ここら辺で、たまーに見かけますよ」


「苦しく、ないのか?」


「武器屋の店主さんに加工してもらって、空気の通りを良くしてもらいました。あの人すっごい器用なんです」


「そう、か。それなら、いいが」タイッグが立ち止まる。


 気付けば、街で有名な広場まで来ていた。中心に大きな噴水があり、他はベンチしかないが、かなり大きい広場で、子供は駆け回れ、大人はリラックスできると大人気だ。

 しかし、もちろん、今は誰もいない。

 小さい水飛沫を上げる噴水を中心に、その側に二人がポツリと存在していて、遠くには、月が止まってるように回っている。

 街に、世界に、宇宙に、二人は立っている。


「この噴水は、誰もいなくても水を出してるんですね」


「オレたち、みたいな、迷惑な客のために、な」


「全てのものに、存在する意味があります」ヌヌは、タイッグの手を強く握る。「魔王が存在することにも、意味があるはずです」


「ああ。同意見、だ」


「義勇兵の皆に、協力をお願いするべきでしょうか?」


「魔王を詮索することは、言わば、タブーだ。魔王の存在を疑ったり、()を推測してる者も、義勇兵内では、少なく、ない」


 タイッグが言う『裏』とは、貴族が魔王という存在を作り上げている、という見解のことだろう。

 濁したのは、恐らく、ヌヌに気を使った結果だ。


「だが、真実を求めてる者は、少ない。なぜだか、わかるか?」


「今、平和が成り立っているから、ですね。理解してます」ヌヌは噴水から目を離して、タイッグを見上げる。彼もこっちを向いた。「それでも、わたしは魔王に会って、真実を知りたいです」


「望まぬ、真実、だったら?」


「わたしはランテンザールク家の人間です」


 ヌヌは、言葉をかなり濁した。これは誤魔化したに等しい。だが元はと言えば、タイッグの質問が曖昧だった。彼も真実を知りたいと思っていたからだろう、と思う。

 意思は一致し、目的は明確。

 お互い同じ場所に立ち、同じ景色を見ている。

 一歩でも踏み出せば、もう引けない。


「付いてきてくれますか? タイッグ」ヌヌは彼から手を離し、一歩離れる。


「いいや」タイッグは、半歩ほどヌヌに寄った。「一緒に、歩くんだ」


 ヌヌは背伸びをする。

 タイッグは彼女の頬に触れ、顔を近付ける。

 唇が触れた。

 初めてのキスだった。


(やらかい………)


 感じたままを心で呟く。


(もっと………)


 そして、思ったことを行動で表すように、ヌヌは彼の首の裏に手を回して、自分の方へ引っ張った。


(もっと………)


 彼は拒絶しない。

 ヌヌも拒絶しない。

 お互いに特別な感情はない。

 この行為は愛から来るものではなく、信頼からはみ出た名前のない感情だ。そう確信していた。そして、その考えを共有できてる感覚もあった。


「わたし、死ぬ気がします」ヌヌは唇を離してから言った。


 タイッグが膝を付いてしゃがむが、それでもヌヌとあまり目線が変わらない。お互いの顔は、鼻の先にある。


「どこまでも、一緒に、歩く」タイッグは微笑む。ちゃんと、笑っていた。


「感謝しませんよ。絶対」ヌヌも笑い返した。


    ・


「あーらら」


 同日の昼前、太陽は雲に隠れている。ヌヌとタイッグの目の前にいるのは、クリーム色の髪を持つ魔王。ここは上位層エリアのさらに先、未開拓地帯だ。


「来ちゃったのね。まぁ、予想してたけど」魔王は笛を鳴らした。空気が揺れるような、不快で鋭い音だ。


 周りが木々がざわめき、重いプレッシャーを感じる。魔嗤邏(ましら)がいるのだとわかった。それも、大量に。


「ふふっ。この演奏を人前でするのは二回目よ。一回目は、この前、アンに披露したばかりかしら」魔王はニヤリと頬を吊り上げる。それから木の上に後退し、再び笛に口を付けた。


 金属同士を(こす)りつけるような音が響き、三メートルほどの魔嗤邏が次々に姿を現す。見えているだけで、二十体はいる。

 魔王はかん高い笑い声を挟み、さらに演奏を続けた。

 ヌヌには、魔王の叫び声のように思えた。


    ・


 ヌヌがランテンザールク家からいなくなって、約三週間が経過した。アンも仕事に復帰し、いつものように従者としての責務を全うしていた。

 この三週間、ランテンザールク家には特に変化がない。あったとすれば、ヌヌが家出した次の一日だけ。しかし彼女の両親が全く慌てなかったので、従者たちも騒がなかった。

 両親も昔はヤンチャだったらしいので、「まぁ、家出は誰もが通る道だ」と思っているのだろう。確かにそんな人じゃないと、娘が義勇兵になることを許したりしない。


「アン、平気?」廊下の向こうから、ロネスが手を振ってやってきた。


「何が?」アンは、他の従者と共に廊下を掃除しながら返す。


「病み上がりだろう?」


「それなら────」


 アンは言葉を止める。何かが聞こえた、気がした。ロネスの顔を見るが、彼は気付いていない様子だ。

 では、気のせいだろうか。

 そんなことを懸念した瞬間、再び何かが耳を打った。


(叫び声? 誰の────)


 突然、頭のなかが掻き回される。自分が立っているのか、倒れているかもわからなくなる。周りの音が聞こえず、見えるものは全てここではないどこかの景色。

 なぜそうだとわかるのか。混沌する自分の脳みそに問いかけた。

 

「あなたの記憶だから」もう一人の自分が、幼い自分が、静かにそう答える。


 アンは、全てを思い出した────。



─────────────────


──────────────


────────────


──────────


────────


───────


──────



────約五ヶ月前。アンとロネスにとって、義勇兵最後となる日。その早朝の話。────




「びびってる人、いる?」アンが問いかける。


 早朝の本部。目の前には、四十一人の上位ランクの義勇兵が集まっていた。アンはテーブルの上に立って、彼らを見下ろしている。

 誰もが、血の気の多い顔つきをしていた。


「今日、魔物の森に大きく攻め入る。私と共闘するにあたって、約束が一つ」


 アンがそう言うと、何人かの義勇が笑った。上位層でチームを組んで戦うことが月に一度のペースであるが、アンはいつも同じ約束を彼らとしていた。

 非常にシンプルな約束事だ。


「弱い奴は死ね」アンが言うと、笑いが起こった。「じゃ、行こう」


 アンを先頭に、皆が適当に続いた。アンの隣はロネスで、その後ろにはパーミニャとタイッグ、さらに後ろをその他の義勇兵が歩く。いつもこうだ。

 街を離れ、『魔物の森』に近付くにつれて、義勇兵の声と態度は徐々に大きくなる。何やかんやで、街の人には迷惑をかけない連中なのだ。


 上位層エリアのさらに奥を目指して、魔物の森を走ること三十分。もうサーカスを見る観客のように、ほとんどの義勇兵が騒いでいる。だが、もちろん、息を切らしている者は一人もいない。

 すでに未開拓地帯に入っていた。ここに来るまでに何体かの魔物と遭遇したが、上位層の義勇兵にとって、魔嗤邏以外の魔物は喋りながらでも倒せる。


「いた」アンが呟く。


 小声だったが、全員がそれで騒ぐのを止めた。木と茂みしかなかった景色が晴れ、少し開けた場所に到着する。

 我々が来るのを待っていたかのように、魔嗤邏が立っていた。数は、五十強。ただ、まだ完全に視界が晴れたわけじゃないので、もっと入るかもしれない。


「弱い奴は、勝手に死ね」アンが刀を抜き、スピードを上げて前進する。


 最初から全力だ。このスピードに付いてこれるのは、パーミニャしかいない。

 二人で、ノロノロ歩く魔嗤邏たち群れに斬り込む。五秒ほど経ち、他の義勇兵たちと魔嗤邏がぶつかり合う音が聞こえてきて、アンとパーミニャに追い付いてきた。

 上空から矢が飛んでくる。遠距離攻撃をするのは、上位層には三人のみ。所謂(いわゆる)、『ゾロ目組』だ。序列十一位、二十二位、三十三位の三人(十一位はファースト、二十二位はセカンド、三十三位はセカンドという愛称で呼ばれている)である。

 彼らが枝と枝とを飛び回り、素早く連続で射っていた。矢が減れば地上に降りて回収するが、彼らは魔嗤邏の攻撃をスルスルと避けるのだ。通常の序列なら三人とももっと上だろう、とアンは常々思っていた。


「ロネス、パーミニャ、タイッグ、ファースト」アンは、最も信頼を寄せる四人の名を大声で呼んだ。こうでもしないと声が通らない。魔嗤邏たちの攻撃がいつもより激しく、義勇兵もその雰囲気に当てられて熱くなっているからだ。「魔嗤邏の様子がいつもと違う。私がもっと奥を探ってくる。ここは任せた」


 彼らは頷くかグッドサインを返してきて、すぐ戦闘に戻った。

 序列二位であろうと、序列十一位であろうと、戦いにおいて、アンと対等に渡り合える者はいない。だから、一人で探りにいくしかない。

 彼らはそれを察してくれている。だから信頼しているのだ。自分の実力を見積もれないのは、馬鹿だけだ。


 魔嗤邏の群れから抜け、アンは一人森を進む。誰か(タイッグかファーストだろう)がガード役を担ってくれたおかげで、一体の魔嗤邏も追ってこない。

 茂みを揺らすような音が聞こえた。気配を消し、足音を殺して、ゆっくり、そちらへ移動する。刀は抜きっぱなしだ。


「ちょーっと攻めすぎね」突然、女の人の声が聞こえてきた。「あと、十五人は削りたいんだけど………」


 アンは驚いていた。彼女の話す内容にじゃない。声にだ。聞き覚えがあった。

 昔は毎日聞いていた声で、最近はずっと聞けてなかった声。


「ウル………?」アンは()の名を呼び、無造作に生えた茂みを掻き分けて、声のした方へ進む。そして遂に、クリーム色の髪を持つ女性を見つけた。間違いなく、姉だ。「ウルっ!」


「ん? わぉ」ウルはわざとらしく目を丸める。「でも、私、今は魔王なの。アン」そう言って不適な笑みを浮かべた。手には、一つの笛があった。


「何を、言ってるの?」


「あーあ。アンが来ちゃうとはね。お母様には何も言われてないの?」


「あなたがいなくなって、すぐ家出した。ロネスと一緒に。それからは彼と一緒に住んでる」


「へぇ………。幸せそうね」


 ウルは笑顔のままだった。しかし、どこかプレッシャーを感じる。これが殺意に似てることを、アンは気付かないようにした。


「一緒に、帰ろう」アンが言う。訳もなく、声が震えた。


「無理よ」ウルは笛を口元に寄せる。「あなたはここで死ぬんだもの」


 ウルが笛を鳴らした。

 無数の魔嗤邏が地鳴りと共に押し寄せてくる。彼らは四足歩行の動物のような走り方だった。


百人(・・)と一人。新しい曲を披露する場としては申し分ないわ」ウルが吹く。笛が叫ぶ。魔嗤邏が唸る。


 ウルは「百人と一人」と言った。先ほども、魔嗤邏を『(にん)』と数えていた。簡単な問題だ。

 混乱した頭が一つの答えを出したが、アンはそれを無視した。敵は魔嗤邏のみだと、そう脳みそに言い聞かせる。

 ウルは、魔王は、敵じゃない。


「それじゃあ、観客は盛り上がって」


 ウルが木の陰に消え、同時に、四方八方から魔嗤邏が襲ってきた。


「私は、序列一位! 負けるわけにはいかない………!」百体の魔嗤邏を相手に、アンは刀を振るう。


 一撃で殺さないと、囲まれてしまう。

 一つでも攻撃を食らうと、動きが鈍る。

 一度でも防御に回ると、集中業火を浴びる。

 一秒足らずで周囲の状況を見極め、判断する。

 一瞬の間で、人生を繋ぎ止める。

 一手一手が、命の綱渡りだった。

 一呼吸も、休む暇がなかった。


「私は………!」


 何時間も、一人で戦った。残した義勇兵たちのことなど一度も頭に浮かばなかった。ただ自分のために剣を振るい、自分のために敵を殺す。

 アンは大きく息を吸った。身体がそれを求めたはずなのに、締め付けられるように頭が痛み、視界が揺れる。

 飛んでくる魔嗤邏の腕をかわし、足に力を込めた。次の攻撃のためだ。しかし、左膝が抜けた(・・・)。カクン、と目線が一段階低くなり、気付けば地面に膝をぶつけていた。


「くっ、そ………!」


 逆の足のみで跳ねて、その場をできるだけ離れる。しかし、行く先にも魔嗤邏が大量に待機していた。彼らのボーッとした顔に、無性に腹が立つ。

 足が使い物にならなくなったら終わりだ。アンはそう考え、身体の勢いと腕の力だけで剣を振るう。


「つッ!」


 刀を握っていた左腕が()った。鋭い痛みが走り、思わず全身が強張る。

 一瞬にも満たない身体の硬直。それだけなのに、アンは正面から魔嗤邏の太い腕を食らった。身体が宙をまっすぐ切り裂き、右肩が木にぶつかって地面を転がった。

 しかし、痙った左腕は剣を離していなかった。それだけで、アンは心に余裕が生まれる。まさか、自分の無意識に助けられるとは。


「私はッ!」


 叩きつけるように叫び、右足に全体重を乗せて、左腕のみで構える。左膝はまだ力を入れることができず、右肩の痛みは増していく。

 今の自分に、身体的強さはない。

 だから、精神に頼るのだ。


「私は、序列一位だ!!!」


 負けない。

 負けたくない。

 強くありたい。


 もっと、強く────。


 四方から魔嗤邏が迫ってくる。右足にグッと力を込めた。すると、膝が抜けた。さっきと全く同じように。

 身体を支えるものが何もなくなり、両膝から地面に崩れる。アンは視線を落とす。戦いが始まって初めて、視界から魔嗤邏が消えた。敵地で、敵から目を背けた。

 ハッと気付いたように顔を上げ、魔嗤邏からの攻撃を左手一本で防ぐ。しかし、完全に力負けだった。

 一秒ほど迷い、右手を(つか)にかける。血が出るほど唇を噛み、右肩の痛みを何とか誤魔化して、猛攻を防ぐ。動けないことには、反撃の仕様がなかった。

 笛の音質が変わる。一体の魔嗤邏が、大きく飛躍した。同時に、周りの魔嗤邏が離れていく。

 飛躍した魔嗤邏は、アンに迫っている。避けるという選択肢は、足が動かない以上、選択項目にない。

 死ぬか、受け止めるか。その二択。

 いや、これは一択だ。死ぬのは、弱い奴だ。


「フー………」


 アンは深呼吸してから、息を止めた。刀を上に構え、上から降ってくる魔嗤邏の腕を、受け止める。

 もちろん、無理だった。

 しかし、軌道をずらすことはできた。魔嗤邏の腕は、アンの倒れ込んだ横、地面に(ひび)を入れて止まった。


「ァ、ァ"ァ"ア"ア"」


 自分の悲鳴だと気付くのに時間がかかった。アンは右肩を押さえ、赤子のようにうずくまる。痛みで息を吸うこともできないのに、口からは汚い悲鳴が漏れ続けた。


「アーンちゃん?」


 名前を呼ばれ、アンは睨むように上を見上げる。焦点が合わないが、ウルが見下ろしているのだとわかった。笛の音が止まっていることに、今やっと気が付く。


「昔はよく一緒に遊んだよね。あなたが好きだったわ。でも、今は大っ嫌いなの。だって────」


 アンは目を瞑る。

 最後、ウルが何かを言っていた。だが、聞こえなかった。

 幼いウルが笑う顔を、思い出した。


──────


───────


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 ────時は現在に戻る。────



 その日の夜、アンは街の外れにいた。森と街の隙間のような場所で、明かりはなく、音も少ない。

 目の前には、一つの洞穴(ほらあな)がある。


「ファースト」アンが呼ぶ。


 中からファーストが出てきた。金髪を中途半端に伸ばし、顔は中性的で、体付きを見ても性別がわからない。実際、アンは彼(彼女かもしれない)の性別を知らない。

 ゾロ目組は皆そうなのだ。中性的な顔か、もしくは、お面で顔を隠す。しかも、滅多に話さない。それがゾロ目組の伝統だ、と目の前にいるファーストがいつかに言っていた。


「来て」


 それしか言わないアンに対し、ファーストは頷いた。それから一分ほどで、武装した姿で再び現れる。


「パーミニャを起こしに行きたい。けど、その前に一仕事付き合って」


    ・


 アンとファーストはロネスと合流し、三人で魔物の森の奥深くに足を運んだ。

 ヌヌとタイッグがまだ森に入っている、という情報をロネスが入手していた。二人が組んでるのは予想外だったが、手間が省けるのでありがたいことでもあった。


「ファースト」アンが呼ぶ。


 ファーストは前方に向かって矢を放った。放った先、真っ暗な空間からおどけた声が聞こえてくる。


「んー、もうっ。今楽しんでるの。だれ?」おどけた声、ウルの声だ。


「アンとロネスとファースト」アンは律儀に答えた。「こっちに二人いるはず。返して」


「あー………。ファーストはきついわね。今の状態だと」ウルは笛を鳴らし、周辺の魔嗤邏と共に逃げていった。


「ヌヌ、タイッグ」


 暗闇で二人の人のシルエットが動き、ゆっくりと姿を現した。ヌヌはともかく、タイッグの方が重症だ。


「ロネス、タイッグを。ファーストがヌヌを」アンが命令した。


「僕?」ファーストが初めて口を開く。


 一人称は僕だったか、とアンはそんな場違いなことを考えた。


「私は寄るところがある。二人を背負って先に行ってて」


彼女(・・)、四週間寝たきりだよ」ファーストはそう言いながら、ヌヌをおんぶした。


「必要だから」アンはそれだけ行って、病院の方角へ足を向かわせた。


    ・


「パーミニャ」アンが、痩せたパーミニャを呼ぶ。


 薄暗い病室のベッドで、彼女は一人寝転んでいた。玄関が開いてなかったので、この部屋の窓から侵入した。


「パーミニャ」アンは再び名を呼ぶ。


「………聞こえてるっての」パーミニャは薄く目を開け、こちらを見た。「んーだよ。ってか、アタシ何時間寝てた?」


「八百五十時間弱」


「えぇー………」信じられないといった顔をして、パーミニャは自力で起き上がる。「それ、何日?」


「五週間くらい」


「まじ? 笑えないわぁ」


「来て」アンはそう言って、パーミニャをおんぶした。「武具はロネスがもう持っていってる」


「どこから?」


 『どこへ』と聞かない辺りがパーミニャらしい、とアンは思う。「あなたの家から」


「不法侵入じゃねーかバーカ」


「うるさい。今からあなたを誘拐するんだから静かにして」


「た、タスケテー!」パーミニャがわざとらしく大声を出す。これで急いでこの場を立ち去らなくてはいけなくなった。ゆっくりでいいものを。


 アンは、予告なく窓から飛び降りる。やはり、パーミニャとはこういう会話しかできない。

 だが、いつも(・・・)に戻れた気がした。


     ・


 アンとロネスの秘密基地に、アンとロネスはもちろん、ファースト、ヌヌ、タイッグ、パーミニャが集まった。

 この秘密基地は洞窟の奥の方に作ったもので、玄関や台所、家具もいくつか置いてある、家のような秘密基地だ。アン、ロネス、ファースト以外、ここに入ったのは初めてだ。


「ファースト、タイッグはどう?」


「二日」ファーストの答えは短い。だが即答したということは、タイッグは二日で完治するのだろう。


 二つあるうちの一つのベッドをタイッグが使用し、彼の足元にファーストは座っている。その横、テーブルの前には、ロネスとヌヌが座っていた。


「ロネス、ヌヌは?」


「明日には動ける」


「パーミニャ、あなたは?」アンは、すぐ次の質問をする。


「知らねーけど、三日間食いまくりゃ元に戻んだろ」


 彼女もベッドに寝転ばせておいた。

 病院扱いするな、と言われたので、縛られて寝るか否やかを問いかけたところ、黙ってベッドに入った。


「あなたは常識通用しないから、本当にいけそう」アンは全員の顔が一望できる位置に移動する。アン以外、全員寝ているか座っている。「一週間後、この面子だけで魔王の首を落とす。以上。文句のある人は挙手」


 ヌヌは一番に手を上げ、その様子を見てからタイッグも上げる。

 上げてないが、納得していなそうなのはファースト。

 パーミニャは戦えれば何でも良さそうだ。ロネスは、すでに賛成だと知ってる。


「ヌヌ、タイッグ。なぜ?」アンが聞いた。


「戦闘不能にすることには賛成です。殺すかどうかは、それから決めればいいと思います」


「不採用」そんな余裕はない、とアンは思う。


「なら協力しません」ヌヌはまっすぐ目を見つめてきた。「わたしが協力しなければ、タイッグも協力しません」


 タイッグは頷いた。

 パーミニャが目を丸める。そういえば新旧の相棒が重なってるんだった、とアンは(わずら)わしさを感じた。


「………わかった。努力する。でも────」


「わかってます。自分を犠牲にしてまで生かすことはしません」ヌヌは笑った。


 変わったな、と思う。ヌヌが家出をして三週間。いや、その前の二週間も彼女とはあまり話していなかった。

 そう考えると、一ヶ月以上ヌヌのことを見ていなかったことになる。もしかしたら、変わるのは当たり前なのかもしれない、子供の成長は早いと、どの世界でも言う。

 ふとファーストを見ると、彼は納得している様子だった。

 どうやら、魔王生かす派と殺す派の比率は一対一らしい。


「おい狐の女」パーミニャがヌヌを呼ぶ。


 アンとロネスとファーストは視線を交えてから、黙って洞窟を出た。


「ファースト」アンが呼ぶ。「魔王狩りは、あなたにかかってるから」


 ファーストは、黙ってグッドサインを返してきた。

 アンは、頭の中で戦力を順位付けする。アン自身、怪我を引きずっていることを考慮しないで考える。「ほんの少しなら無理しても出遅れにはならない」と医者からのお墨付きだからだ。

 アン、ファースト、タイッグ。ここの順番は揺るがないだろう。

 パーミニャ(元の状態に戻った場合)、ロネス。パーミニャが元の状態に戻らなければ、ロネスが上に行く。

 ヌヌ。不明だ。彼女が精神面だけ成長してるとは思えない。もしかしたら、飛躍的に伸びてる可能性もある。


(もしかしたら、私より────)


 ないな、とアンはその可能性を排除した。だがタイッグと互角くらいなら、本当にあるかもしれない。

 そんなことを思った瞬間、洞窟から声がかかった。


    ・


「わたしはヌヌです」


 アンたち三人が出ていって、しばらく沈黙が場を包んでから、ヌヌはパーミニャに向けて言った。失礼だと思ったが、お面は付けっぱなしにする。


「タイッグと組んでんか?」パーミニャが聞いてくる。決して威圧的ではなかった。


「はい。二週間くらい前から」


「タイッグ」パーミニャはタイッグを指差す。「遅すぎだわ」


「何が、だ?」


「あんたが寝込んだら、アタシは三日で捨ててたぜ」パーミニャは何故か満足した顔になった。「アーン! 終わったぞー!」


 ヤバい人だ。ヌヌはそう確信した。


    ・


「この人数でいけると思う?」ロネスが聞いてきた。


 アンとロネスは二人で高い木の天辺近くに座っている。星も月も見えない。


「むしろ、これ以上いたら邪魔。精鋭は少数だからこそ強い」


「ヌヌが精鋭?」


「言いたいことは理解してる。でもあの子は、ランテンザールク家だから。表の(・・)


「やっぱり、思い出したんだ」ロネスが微笑む。この顔を、何だか久々に見れた気がした。


「やっぱり、あなたは私の記憶喪失を知ってて黙ってた」


「おれはランテンザールク家に干渉できる身分じゃないよ」


「私の人生は、あなたに凄く干渉されてるけど」


 アンは想う。今日思い出した、ずっと昔のことを。




 アンは、裏の(・・)ランテンザールク家である。世間には知られず、広い森の中心に建てられた家や庭で生活していた。敷地面積で言えば、ヌヌの家より広い。


 アンとウルは双子である。ウルが姉で、アンが妹だ。

 そんな二人は七歳のとき、広すぎる敷地の一角で、初めて外界の人に出会った。同い年くらいの男の子───ロネスだ。彼は、ボロボロの麻服に痩せ細った体だった。

 アンとウルの両親は彼を保護し、ここで育てることに決めた。優しさではなく秘密を守るためだと、当時のアンにも何となくわかった。

 秘密を守る意味は、ずっと疑問だったが。


 アンは知らない。ランテンザールク家に裏がある意味を。なぜなら、多分、それを両親から教わる前に家出してしまったからだ。

 七歳になった日の夜、ウルがいなくなった。両親は「探すな」と言った。その次の日の朝、アンは、ロネスと共に家出した。ウルのいなくなったあの家など、つまらないに決まっているからだ。


 同年、アンは義勇兵という職を知った。

 アンは最初からランク七の称号を獲た。ロネスはランク一だった。

 アンは、一ヶ月でランク八になり、その三ヶ月後にランク九になった。七歳と四ヶ月強、圧倒的最年少だった(十歳で序列一位となるが、これも最年少)。

 ロネスは二年の歳月を経て、初期のアンと同じランク───ランク七になった。八になれたのは、その五年後である。




「ロネス。あなたが義勇兵になったのは何で?」


 思考が現実に戻る。良く忘れていたものだと思う。大切な思い出のはずなのに。


「アンが好きだから」


 ロネスの言葉があまりにもまっすぐで、理解するのに時間がかかった。

 自分はひねくれているな、と思わず笑ってしまった。

 だから、ついでに、ロネスにキスをした。


    ・


「あんたさー、序列一位なんだってー?」長期間眠っていて弱っているはずのパーミニャが、大声で言ってきた。


 タイッグは頭を抱える。この情報を提供したのはヌヌだが、彼女とファーストは今、部屋にいない。


「調子乗ってんのー? そりゃ一ヶ月寝込んだら序列から排除されるだろうけどさー、あんたが一位ってのが腹立つんだよねー」


「玉突き式に、オレが、一位になった、だけだ。別に誇っては、ない」


「あーそー。序列一位の椅子は誇りじゃないんだー」


 何なんだこいつ、とタイッグは心のなかでパーミニャを四回くらい殴る。しかし、どうしてもかわされる気がして、さらに腹が立った。


「ヌヌとはどうなの? あの子のこと、泣かせてないでしょーね?」パーミニャが突然優しい口調になった。これだから、憎み切れないのだ。


「ヌヌは、四ヶ月間、アンとロネスに修行を付けられたとは言え、義勇兵になって、二週間でランク八に、なった」タイッグはパーミニャを見た。彼女は気付いていないらしい。「二週間でランク八は、アンより早い」


「あ」パーミニャがようやく反応する。「すげーじゃん。うっわ、現状だとアタシが一番弱い?」


「当たり前、だ」


「肉をくれー。脂肪をくれー。筋肉をくれー。強くなりたいー」


「身体が、元に、戻らなかった時のことも、考えた方がいい」タイッグは現実を見ながら進む派だ。パーミニャのように理想を見ながらダッシュする派ではない。そんな才能はない。「アンは、十歳で序列一位に、なった。身体ができあがる、前だ。戦い方を教わったら、どうだ?」


「お前………」パーミニャが珍しく真顔になっていた。「アンのこと、詳しいな」


「当然、だろう。義勇兵の、最年少記録は、ほとんど、アンが持ってる」タイッグは、自分でも上手く誤魔化せたと思った。事実、アンのファンは多い。辞めていった人数が物語っている。


「あっひゃっひゃっひゃっ」パーミニャは手足をばたつかせる。一ヶ月間寝込んでいた人の動きとは思えなかった。「あんたアンのファンだったのかよ」


「何で、お前は、そんな元気なんだ?」


    ・


「僕、男だからね?」


 ヌヌはファーストと共に、水浴びをしに近くの川まで来ていた。

 声をかけたのはヌヌだった。ヌヌは、ファーストを女だと思っていた。疑ってすらいなかった。しかし真実は違うらしい。

 声をかけた時に驚いたような顔をされた理由が、今やっとわかった。


「女性にしか見えませんでした………」ヌヌは正直に答える。


「ま、わざとそう見せてるからね」ファーストは身に付けていた装備をスルリと解いた。一秒くらいの間で裸になる。下半身はタオルで隠していた。「そういう君は、ランテンザールク家のヌヌかな?」


「わたしがランテンザールク家だと、なぜわかりました?」ヌヌはファーストを真似るようにして聞いた。服を脱ぎ、上半身から下半身かけて大きめのタオルを巻いて、川に足を入れる。付け毛と仮面も外した。


「座った時、丁寧に座ってから素早く足を崩した。丁寧に座る癖があったからだ。そしてそれを隠そうとした。となると、答えは多くない」ファーストは水飛沫を上げて川に潜る。どうも、警戒は解かれたらしい。


「見られてたとは………」


「僕は弓使い、サポート役だからね。皆が気付かない危険の芽を潰さなきゃいけないのさ。だから色々見てるんだよ」ファーストはニッコリ笑う。女性、いや女の子のようだった。男なんだが。「タイッグはランテンザールク家じゃないの?」


「彼は、別の国の医者の子です。内緒ですよ」


「あぁ、そう。基本動作が綺麗だと思ってたけど、そうか。そういうことか」


「基本動作?」


「日常の動作。彼、綺麗だろう? でも戦い方は荒い。そのギャップの理由がわかった。抑制されたストレスを、戦いで発散してるんだろうね。きっときつい生活をしてたんだ」


 ヌヌは驚きを隠すのに必死だった。ファーストの言ったことがほとんど合っていたからだ。彼は話をしなくとも、ここまで情報を手に入れることができるらしい。

 ファーストが普段喋らないのは、もしかしたら、必要性を感じていないからかもしれない。


「で、そんなタイッグくんとヌヌちゃんはどんな関係なんだい? お兄さんに相談してみてはどうかな?」ファーストは手を広げる。「こんな容姿だと、色んな人に言い寄られるからね。経験、多いよ?」何とも言えぬ、不適な笑みを浮かべた。


「愛情のないキスは、どんなときにしますか?」ヌヌは開き直った。多分、どんな隠し事も、彼の前では丸見えなのだ。しかしすぐ恥ずかしくなり、水に潜る。「ぷはっ」


「うーん。男の人は安心が欲しいとき、女の人は、そうだね、優しさが欲しいときだ。あー、ごめん。少し似てるね、この二つは」


「優しさが欲しい、ですか」充分貰ってるな、とヌヌは思う。もっと欲しいのだろうか、自分は。


「へぇ、そっちに反応するんだ。じゃあ、ヌヌからキスをしたの?」


「や、どっちからか、わからないですけど、もっとしたいと、思ったと言いますか」ヌヌは、歯切れがタイッグになった。


「じゃあ、僕としたい?」ファーストは目を細める。「君の答えはノーだ。知ってる。だからきっと、君は、僕の経験したことのないキスをしたんだろう」


 羨ましいよ、とファーストは小さな声で付言した。

 何が羨ましいのか。ヌヌは、それを深く想像することを止めた。ファーストは多分、タイッグが────。


「さて、僕はもういいかな。話せて良かったよ、ヌヌ。序列十一位に戻らなきゃ」ファーストの顔から、霧が晴れるように、スッと表情が消える。それから黙って身体を拭き、服を着て去っていった。


 プロフェッショナルと呼ぶには彼がふさわしい、とヌヌは思った。

 誰もいなくなり、巻いていたタオル取る。今日付いたすり傷がいくつかあった。これだけで済んだのは、タイッグのおかげだ。彼が盾になってくれたのだ。


(タイッグは、キスのこと、気にしてないんだろうなぁ)


 それがちょっと悔しいと感じたのは、子供扱いされてるせいだろうか。


    ・


 次の日。タイッグとパーミニャは休養と体力回復に務め、他のヌヌたち四人は身体を動かした。ペアを変えて二対二、そして三対一の実戦型式だ。アンとロネスは実戦大好きだと、今になってやっと理解した。

 朝から動いて、夕方前には終わった。いつも狩り場に入ってる時間より少なく、ヌヌにとっては物足りなかったが、大一番が近付いてるのだと今更ながら自覚できた。


 夕方から寝るまでの、特に何もすることのない自由時間。今日も、ヌヌはファーストと一緒に水浴びをしに川まで来ていた。彼を異性として見れないので、ヌヌに抵抗はなかった。きっと彼もないはずだ。


「いやー、ヌヌはサポートし甲斐(がい)があるなぁ」ファーストは陽気に言う。序列十一位の姿はそこになかった。


「弱くて、すいません………」


「違う違う。純粋な感想だよ。アンやロネスよりはやり甲斐を感じる」


「でも、ファーストさん、アンさんと組んでるときが一番動きやすそうでしたよ」


「うん、良く見てる。でも、アンは僕を必要としていない。あの才能には、僕では足手まといなんだ」ファーストは肩を(すく)めた。「受け入れて欲しいんだけどね」


「ちょっと、わかる気がします」ヌヌも感じていた。アンと組むと、不思議と彼女についていきたくなる。認めて欲しくなる。


「ロネスはずっとアンと組んでるけど、どんな気持ちなのかな。って想像するのは、ちょっと性格悪いか」ファーストは空を見上げた。どこか、悲しそうだった。「でも、僕なら耐えられない。拒絶され続けてるようなもんだ」


「ロネスさんのことは、いつもの観察眼でわからないんですか?」


「ロネスはアンよりわからない」ファーストは水面を見る。表情は、さっきより明るかった。「でも、意外と単純だったりして」


「アンさんが第一なのは間違いありません」


「あははっ。その通りだ」


 こういう冗談が言えるようになったのは、もう、ロネスに淡い気持ちを抱いていないからだろう。ヌヌはそう思った。

 これを、成長と呼ぶのだろうか。


「失恋は成長ですか?」ヌヌは話の流れを切った。こういう空気読めないことを平気でできてしまうのは、アンやタイッグの影響だ。間違いない。


「んー、さっきの話題と関連付けて答えるなら、恋とは自分を受け入れて欲しいという感情だ」飽くまで僕の考えだけど、とファーストは付け加えた。「受け入れてもらうためには、まず、自分を(かえり)みる。もうこれができるだけで充分な成長だと思うよ。失恋までしなくていい。無理だと思ったら素直に引く。まぁ、これは経験則だから、あんまり気にしなくていいけどさ」


 自分は引けたな、とヌヌは思う。「引かなかったら、どうなりますか?」興味本意で聞いた。


「………自分が異端だと理解していても、受け入れて欲しいと願ってしまうんだ。それが止められなくなる。中毒みたいに」ファーストは再び顔を上げる。「なぜだかわかるかい? いつの間にか、願うことすら自分のアイデンティティになってるからだ。願わないと、自分を失う。叶わぬ恋はそうやって生まれる」


 彼は悲しいときに見上げ、嬉しいときに視線を落とす。普通と逆だ。ヌヌは、そこに決意のようなものを感じた。

 勝手な想像だが、感情の起伏を抑えるためではないかと思う。サポート役───影に、徹するために。


「………これは経験則だ。だから気にしなくていい」


 ファーストは、ずっと空を見上げていた。


    ・


「今日はどんな話を聞かせてくれますか?」


「僕との水浴びは、もうそういう認識なんだね」


 六人チームを組んで三日目、今日もヌヌはファーストと川に来た。昨日より遅い時間で、辺りは暗い。二人は背中合わせで川に浸かっていた。最近は暑いので、夜に入っても寒いと感じることはない。

 ヌヌは、ファーストの話が好きだった。自分のなかにぴったり(はま)まるような感覚があるし、何より面白い。


「じゃあそうだね。真面目な男の話でもしようか?」


「それは遠慮しときます。結末が読めました」


「どんな結末だと?」


「バッドエンドです」


「正解。いつの世も、真面目な人は食い物にされる」背後で、ファーストは少し動いた。「これは経験則じゃないよ」


「わかってますよ」


 ファーストはどう見ても真面目じゃない。こういう周りを観察してるかつ頭の回転が早い人は、目上の人の挙げ足を取るのだ。

 そういう悪戯(いたずら)をする彼を、容易に想像できる。


「僕の周り、というか義勇兵の上位層に真面目な奴はいないな。努力家はたくさんいるけど」


「わたしは真面目です」


「あはは、そうかそうか。でもね、真面目な人ってのは、お肉を切ってから食べるんだよ。お嬢様」ファーストはもう一度笑ってから、立ち上がった。「今日はこれだけ。タイッグが張り切ったせいで、もう疲れちゃったよ」


「そうですね。わたしも上がります」ヌヌも、地上にある大きめの岩の上に移動した。


 本日、タイッグも実戦型式の修行に参加した。彼が病み上がりなので軽くなると思ったが、逆だった。

 一日目を無理をしとけば、二日目以降楽だ。とタイッグが訳のわからないことを言ったせいである。


「君は、恥ずかしくないの? 今更だけど」


 今、お互い裸で、性別も違う。

 しかし、ファーストの言った言葉は本当に今更だった。


「ファーストさん女っぽいので、あんまり気になりません。それに………」タイッグさんが好きなんでしょう、という言葉を、ヌヌは飲み込む。


「その通りだ。それなら良かった」


「何がです?」


「明日、もう少し下流に行こう。泳げるくらい広い場所があるんだ」


 そう言えば、ファーストはここの近くにある洞穴に住んでいるらしい。ここら辺のことには詳しいのだろう。


「約束ですよ」ヌヌは、今から楽しみだった。


    ・


 四日目、この日はパーミニャも復帰した。とは言っても、昨日の時点で軽く身体を動かしていた。

 一ヶ月寝込んで三日で復活できるというのが理解できなかったが、それができるのがパーミニャなんだろう。とヌヌは自分にそう言い聞かせて、納得させた。

 だが、もちろんパーミニャへの配慮はあった(本人は嫌がっていたが)。故に、今日の修行は昼過ぎまでとなった。

 太陽はまだ高い位置にあり、じっとしていても汗が出てくるくらい暑い。


「ファーストさん」ヌヌは、部屋で(くつろ)いでいるファーストを呼んだ。他に、パーミニャとロネスもいる。


 ファーストは何も言わずに頷く。そして、二人で部屋を出た。

 木の葉が傘となり多少日陰ができているが、それでは補えない暑さだ。しかし、泳ぐには最適な日和だ。早く泳ぎたい。


「もう着くよ」ファーストが言う。


「あ、こんなに近いんですね」


「ああ。僕は嘘を付かない」


 それから一分ほど歩いて、大きな幅のある、流れの緩やかな川に到着した。水が透き通っていて、小魚も数匹伺える。

 木々や岩に囲まれていて、まるで、一枚の絵のようだった。


「………ヌヌ」ファーストが低い声を出す。そこには、序列十一位の姿があった。


「何ですか?」


「装備をそのまま持ってきたのは正解だったね」ファーストは、川を挟んだ向こう岸を睨む。「招かねざる客だ」そして、目にも止まらぬスピードで弓を構え、矢を射った。


 矢はとある木に刺さり、その木の陰からクリーム色の髪の女性が現れた。魔王だ。


「ふふっ。中々来ないから、私から来ちゃった」魔王は相変わらず、わざとらしく自分を魅せる。「あなたたちを倒せば、安泰が戻ってくるわ」


「君を倒せば、僕らにも安泰が戻ってくる」ファーストはゆっくり移動して、間合いを調節する。


 ヌヌは彼の動きに合わせた。

 魔王は十メートルほどの幅のある川の向こうにいる。川の深さは目測で一メートルから二メートル。これは飛び越えられない。


「安泰が戻ってくる? 今の安泰は、魔王ありきで成り立っているものなのにぃ?」魔王はわざとらしく首を傾げる。


 ヌヌは近くに生えた木に飛び移って、上から向こう岸に移動しようと考えた。ちょうどいい大きさの木が、一本だけ生えている。

 その作戦を、目線だけでファーストに伝える。彼は頷いた。


「さぁ、演奏を聞いていって」魔王は、あの叫び声のような音を奏で始めた。


     ・


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──────



 魔王───ウルは、双子の姉として育てられた()だった。


 遅い時間に起きてしまった、六歳の暑い夜。ウルは、リビングのドアの隙間から、両親を見付けた。神妙な顔つきだったので、中には入らず、聞き耳を立てていた。

 そこで、自分が妹だと知った。姉として育てられていたし、アンからも「お姉ちゃん」と呼ばれていた。

 何でそんなことをするのか、良くわからなかったが、その話だけはずっと覚えていた。


 一年後。ウルは、自分の館の地下に連れてこられた。四肢を拘束され、一枚の洋服のみを身に付けた状態だった。

 両親は助けてくれなかった。ただ、こう言ってきたのだ。



『この家では、必ず白い髪の双子の姉妹が生まれるんだ。その姉は、魔王にならなくてはいけない』と父が言った。彼は婿だ。


『妹は誰かと結婚して、子供を生まなくちゃいけないの。つまり、私のことね』と母が言った。ウルと違って、彼女は綺麗な白い髪を持っている。『でも何でか、私のお母様もお婆様も、先代は皆いつも恋愛結婚なの。だからアンのことは心配しないで』


「私は、姉じゃないんでしょう?」ウルが叫んだ。


 すると両親は、四肢を縛るよう従者に命令した。この従者たちは、一度も見たことのない人たちだった。

 なぜ自分が姉として育てられたのかは、すぐにわかった。


「私の髪が真っ白じゃないからなんでしょ!?」


 ウルは怪しげな従者たちに運ばれた。

 両親は、振り返らなかった。



 地下は正方形の何もない空間が一つだけあって、中央に変な陣の書かれていた。その周りを、ウルを運んできた十人の従者が囲む。

 ウルは陣の真ん中に落とされ、動けないように、手のひらに太い杭を打たれた。痛みで悲鳴を上げる中、従者たちが呪文を唱え始め、頭が割れそうになり、嘔吐した。

 そこで、意識が途絶えた。


 気付けば森の中にいた。太陽が眩しかった。ウルはゆっくり起き上がり、何かに導かれるように、フラフラと歩いた。

 突然、木々が()ける。そこには、一つの木製の家が建っていた。その前に、二人の女性が座っている。そのうちの一人、母に良く似た女性が近付いてきて、黙ってウルに笛を渡し、抱き締めてきた。

 ウルは、全てを悟った。彼女たちは前代、前々代の魔王だ。裏のランテンザールク家があるのは、表の敵役になるためだったのだ。

 魔王という、何の得もない役目。


 この家の存在を気付かれないように、魔嗤邏が存在する。と同時に、ウルたち魔王が遠くへ行かないために彼らはいる。魔嗤邏と言う名の牢屋。

 ウルが一度抜け出そうとしたとき、笛を吹いたにも関わらず、魔嗤邏に襲われた。

 だから魔嗤邏の子供が生まれると、ウルは笛の音に頼らず、自分になつかせた。

 十五年間、ただひたすら魔嗤邏を育て続けた。

 復讐のために。



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 現在、魔嗤邏は百五十体ほど存在し、その全てが、ウルによって育てられたものだった。

 魔嗤邏という足枷(あしかせ)がなくなり、ウルは自由を獲た。

 やっと、復讐を始められる。


「さぁ、演奏を聞いていって」



    ・



「ヌヌ! 行くな!」


 ファーストの叫び声を聞いて、ヌヌは木に登るのを中断する。彼の叫ぶ声を初めて聞いた。


「すまない。考え事を整理してて」ファーストはヌヌを見ていない。悲壮感の漂った顔で、魔王を睨んでいる。「魔王。お前がここにいるということは、魔嗤邏の包囲網を抜けたのか………?」


「アッハハハハハハ! ファースト、あなたやっぱり全て知っているのね!」魔王がお腹を押さえて笑った。「どうして知ってるのかしら? まぁいいわ。教えてあげる。私は笛なしで魔嗤邏を調教したの。つまり、皆私のペット」


「ヌヌ。申し訳ないが、魔王は殺すしかないようだ」ファーストがやっとこっちを向いた。


 しかし、ヌヌは話に全くついていけない。訳のわからない問答を、ただただ聞いているしかできなかった。


「ヌヌ、ファースト!」後方からアンが向かってくる。その後ろから、ロネス、タイッグ、パーミニャも来ていた。


「状況は?」アンが聞く。


「魔王を殺す。そうじゃないと、多分、国が滅ぶ」ファーストはアンの質問にほとんど答えない。


「正解よ、ファースト。魔嗤邏は今、街に、ランテンザールク家に向かわせてるわ。騎士団は大したことない。義勇兵は問題だけど、あなたたちのいない義勇兵なんて、戦力半分もないでしょ?」


 魔王の言葉を聞いてから、ヌヌは周りの皆を見回す。やはり、理解しているのはファーストだけ。他の面子は困惑していた。


「それから、私を殺しても無駄。魔嗤邏たちは私が死んでも人を殺し続ける。そう命令したんだもの」魔王は姿勢を良くして川沿いを歩く。「あなたたちにできることは一つ、ここにいる魔嗤邏と遊ぶことだけ!」


 魔王の掛け声で、笛の音もないのに魔嗤邏が次々に現れた。川を飛び越え、気を伝い、あっという間にヌヌたちを囲む。

 少なくとも五十体、多くて八十体はいる。


「ファースト、後で説明」アンがボソッと言った。本気で切れてるときの彼女だ。


「生きてたらね」


「笑えないから」


 訳もわからぬまま、最終決戦の火蓋は切られた。


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