ドリームランドのウワサ
「なんだこれ」
風呂上がり、ドライヤーで髪を乾かしていた玻璃歩美は、今朝届いていた手紙を思い出した。机の上に起きっぱなしだったのでドライヤー片手に読んでみたが、その感想がなんだこれ、だった。差出人は唯愛麗菜。廃園になった遊園地の噂を調査してほしいという内容だった。
「場所は和歌山か。特急で行けるな。調査結果をまとめたら依頼料と引き換え、ね。よし、夏休みだし行ってみよう」
歩美は今年から大阪の大学に進学し、地元の福岡を離れて一人暮らしを始めた。収入源はこのような心霊探偵的な依頼料と、気まぐれにやる短期のアルバイトの二つである。
翌日。歩美は新大阪駅から特急くろしおで和歌山駅まで移動した。駅前では救急車のサイレンが聞こえる。大阪の自宅近くで見つけた付喪神のナデヤンを相棒に連れてきた。依頼料で結構稼いでいるので、目的地までタクシーを使う余裕がある。現場は確かに人気のない遊園地跡だった。裏野ドリームランドという名前で、ちょうど大阪万博と同年の一九七〇年三月に開園している。しかし平成に入ってから来客が伸び悩み、さらには社長の自殺もあって十年前の二〇〇九年七月、その歴史に幕を下ろした。
どれもインターネットに載っていた情報だ。唯氏の手紙によれば、ここには多くの噂がある。子供が急に消えるという噂。ジェットコースターで起きた事故のことを聞くと人によって答えが違うという噂。アクアツアーに謎の生き物がいるという噂。ミラーハウスに入ると人の中身が入れ替わるという噂。ドリームキャッスルには隠された地下拷問室があるという噂。メリーゴーランドがまだ動いているという噂。観覧車から助けを求める声が聞こえるという噂。
以上の七点を究明するのが今回の依頼だ。骨が折れるなあ、と歩美はつぶやいた。ナデヤンは黒くて丸い体を歩美の顔の高さまで浮かせている。ソフトボールくらいの大きさをしており、表情は伺えないが、歩美には何となく励ましてくれているように感じた。
「まあ、依頼料があるからね。がんばるよ」
チケットにスタンプを押す係がいないゲートをくぐり抜ける。
実は七不思議のうち、ジェットコースターの噂はインターネットの検索結果を調べただけで解決してしまっている。実際に起きた事故は安全バーのひとつが開かなくなり、消防隊がかけつける騒ぎになったというものだ。遊園地に消防車や救急車が進入する異様さと、事故が起きた当時の世紀末論ブームから、火事だとか転落だとか、挙げ句の果てには政府の陰謀だとか、そういう噂が立ったのだ。憶測を他人に話す人も悪いが、それを信じる人も信じる人だと歩美は呆れた。
都市伝説なんてそのようなものだ。真相を深入りしすぎると、大抵つまらない現実だけが待っている。スポーツ観戦のように、少し離れた安全な場所から見つめるのがオカルトの最適な楽しみ方だと歩美は考えている。しかし依頼であれば仕方がない。
「さて、ここがアクアツアー跡か」
裏野ドリームランドのアクアツアーは、言うなれば川のジェットコースター。急流下りのイメージで往時の客たちは楽しんでいたのだろう。謎の生き物の目撃情報は閉園前からあったらしい。
「どれ」
歩美が四つん這いになり、プールを覗く。排水溝が詰まって雨水が溜まったと思われるプールは藻に覆われ、どこから来たのか、小魚が泳いでいる。現在の謎の生き物とは、この小魚たちのことだろう。しかし営業中にはプールの水を毎日抜いて掃除していたはずだ。どう説明をつけるべきか、歩美はそのままの体勢で思考を始めた。数分そのままで時間が経った。
「ひゃんっ」
歩美はとっさに立ち上がり、スカートの中からナデヤンを追い出した。ナデヤンは退屈すると、歩美にちょっかいを出すことがよくある。
「もう……。毎度やってて飽きないのかい? まったく。あれ?」
プールの水面に烏の影が映っている。
「もしかして、烏の影を見間違えたのかもしれないな」
アクアツアーは急流下りのように高速で進んでいく。視界の隅に一瞬だけ映った影を、水中に潜む謎の生物と考えても不思議ではない。
「そうだ。見間違えたんだよ。ナデヤンもそう思うだろう?」
ナデヤンはどうやらうなずいているようだ。歩美はアクアツアーの噂をこれで解決とし、次の噂の調査にとりかかった。
やってきたのはミラーハウス。高校生の頃、歩美は島根県の遊園地跡で同じようにミラーハウスで起きた事件を解決している。その遊園地のミラーハウスには、興味本位でやってきた人を閉じ込める悪霊が取り憑いていた。今回のミラーハウスも悪霊絡みなのだろうか。噂では、入った人の中身だけが入れ替わって出てくるらしいが……。
「まあ、まずは入ってみるしかないよね」
ミラーハウスの内部はところどころ壊れたり、汚れたりしている。しかも暗い。懐中電灯がなければ、まさに一寸先は闇の世界だ。
「何も不可解なところはないけどなあ」
迷路に迷ったが、結局そのまま出てきてしまった。証拠が残っていないので何とも言えないが、営業していた頃には本当にそういう霊がいて、中の人と魂を入れ替えていたのかもしれない。もしくは、楽しくてテンションが上がり、別人に見えていただけなのかもしれない。
歩美としては解決とは言えないので不本意だが、ミラーハウスの噂の調査はこれで終了とした。続いてドリームキャッスルの拷問室探しだが、その前に昼食をとる。各アトラクションの前にはベンチが設置されている。絶叫マシンに乗れないお母さんやお嬢さんが、家族が戻ってくるまで待っていたのだろう。木製の割にはまだ形がしっかり残っている。見た目も綺麗だ。
「不思議だな。どうしてベンチは綺麗なんだろう。まるで今も使われてるみたいな……」
手作りの弁当を食べながら推理する。アクアツアーやミラーハウスなど、アトラクションはどれも朽ちていた。木製のベンチなら自然に還っていてもおかしくなさそうだが。歩美は自分の状況をもう一度見つめてみた。どこかで救急車のサイレンが鳴っている。
「あっ、そうか。オカルト好きなのが忍び込んだときの休憩に使ってるんだ。人が使ってるからベンチだけ綺麗なまま、と。なるほど」
ドリームランドの噂はインターネットで人気のコンテンツになっている。忍び込んだ人も結構いるようだ。色々と興味深い報告が上がっているが、どこまでが真相なのかはわからない。
昼食を終え、歩美がベンチから立ち上がる。気温が上がってきたのでスカートを折ろうとしたが、ナデヤンの視線が脚に向かっている気がしたのでやめた。ドリームキャッスルは裏野ドリームランドのランドマークであり、展望台の役割を持っていた。その高さは百メートル。地下にはスタッフルームがある。当然ながらエレベーターは動いていないので、非常階段を降りる。以前の来訪者が破壊したのか、スタッフルームのドアは開いていた。
「へえ。これは面白いものを見つけた」
スタッフルームのさらに奥に、もうひとつのドアを見つけた。暗号を解いて解錠するタイプのドアだ。歩美はゲーム以外でこんなドアを見たことはない。裏野ドリームランドは客に見えない部分まで気を配っていたのだろう。このドリームキャッスルはお姫様というよりは魔法使いが住んでいそうな外観をしている。ドアには四つのダイヤルがついている。
ダイヤルの下には『太陽は屋根を突き抜ける』と書かれている。
「ふうん。つまり太陽の塔のことだね。あれはテーマ館の屋根を突き抜けていたらしいから。なら一、九、七、〇、かな」
ドアは開いた。
「うわ、本当に開いたよ。安直だなあ」
以前の来訪者は太陽の塔を知らなかったのか、ダイヤルを適当に回して帰っていたようだ。
そこには踏み台が置かれていた。その真上から二つ、手錠が伸びていた。
「……本当に拷問部屋みたいじゃないか。これはすごい」
しかしわからないのは、なぜこのような部屋があるのかということだ。末期にはドリームキャッスルをライトアップするための電気代すら支払えなかった裏野ドリームランドに、ここまで細部にこだわる資金があったとは歩美には到底思えない。
謎は残ったが、確かにドリームキャッスルには拷問室があるということで解決した。次は六つ目の噂、勝手に動くというメリーゴーランドを目指す。かつてはバスで楽に移動できたそうだが、今は炎天下の中を歩かなければならない。歩美の視界に入ったメリーゴーランドは静かに止まっていた。ところどころ錆びており、とても動くようには見えない。だが、敷地外から見えない位置にあるメリーゴーランドが光って廻るという現象を、目撃者の見間違いで処理するということはいささか無理がある。
本当に動いたのだろうか。近寄って探してみる。いくら探しても霊はいない。誰かの嘘を誰かが信じたとしか思えない。歩美が謎の解明を諦めようとしたときだった。
「楽しい?」
「ひっ」
急に背後から少女の声がした。
「メリーゴーランドを見てるだけって、楽しい?」
「あ、ああ。いや、楽しくてやってるわけじゃないって言うか、まあ確かに趣味でやってる部分もあるけどそうじゃなくて。って、君は?」
「私、そのメリーゴーランドに来る人いっぱい見たよ。だから楽しいのかなーって。もう動かないのにね」
「へえ。そうなんだ。やっぱり根も葉もない噂だったか。……いっぱい見たって?」
「私、遊園地から出られなくなっちゃったから、みんなに『助けて』『助けて』って言ってたの。なのにみんな逃げちゃって、私、わたし……」
少女は泣き出した。
「そうだったんだ。これが声の正体か。正確には観覧車だけじゃなくて遊園地全体で声をかけていたみたいだけど、噂になって少し変わったんだな」
歩美は泣き止んだ少女に遊園地の外まで連れて行くことを約束した。たが、まだ帰れない。裏野ドリームランド最後の謎が残っているからだ。消えていく子供の謎である。唯氏の手紙にはどこで消えるとは書かれていないので、遊園地全体を調べなければならない。出発前はこの謎が最大の難関だと歩美は考えていた。
「でも、遊園地をぐるぐる回る必要はなくなった。君、遊園地から出られなくなったのはどうして?」
少女は答える。
「みんなで遊園地に来たら透明なおじさんがいて、そのおじさんと握手したら私がみんなに見えなくなったの。一人で出ようとしたんだけど、壁があるみたいで出られなかった」
どうやら結界が張られているらしい。そしてこの少女によると、黒幕は半透明の男の霊、ということになる。
「最後の最後で本物の事件になっちゃったか」
またどこかから、救急車のサイレンが聞こえてきた。
持参したチョークで広場に陣を描く。特定の霊を呼び寄せる陣だ。
「俺を呼んだのは誰だ?」
男の霊が現れた。
「あなたですね。この遊園地に来た子供を誘拐したのは」
「……ああ、そういうことか。そうだよ。俺がやったんだ」
「ほう。なぜ?」
「俺はこのドリームランドの社長だったんだ。園内のベンチを増設したり、アクアツアーのプールに魚影を描かせたり、世界観を大事にして集客しようとした。なのにスタッフの奴ら、ミラーハウスの掃除は適当だし、メリーゴーランドは閉園時間前に受付を閉じるし、全然俺の言うことに従わない。ドリームキャッスルの地下に反省室を作っても同じだった。しまいにゃジェットコースターの安全バーが開かないからって俺の許可もなく消防を呼びやがった。あれじゃ世界観が台無しだ。怒りのあまり、俺は社長室で首を吊った」
男は涙を流し始めた。
「でも、遊園地で働いて数十年、俺はやっぱり子供の笑顔が見たくなった。だから、ついこうしてドリームランドに来た子供をさらっちまった。あんた、俺を祓えるんだろ? 子供たちも解放してやってくれ。もう体は返してやれないけど、魂だけでも離してやってくれ。わかってたんだよ、俺が間違ってるってことは」
歩美は黙って聞いていた。
「水が濁っててわからなかったな。そうか、魚影が描いてあったんだ」
「は?」
「こっちの話です。あなたのことはわかりました。ご希望通り除霊して、子供たちは遊園地の外に出します。……これは余計かもしれませんけど、嫌ってた従業員をそれでも解雇しなかった社長は、かっこいいと思いましたよ」
歩美は除霊用の札を取り出した。社長の霊は抵抗せず、太陽が西に傾いた空へと消えていった。
後日。歩美は依頼人が指定した梅田駅前に調査結果を持って待っていた。程なくして高齢の女性が現れた。
「唯愛麗菜です」
「お待ちしてました。玻璃歩美です。こちらが今回の調査結果です。どうぞ、裏野さん」
依頼人が調査結果を受け取ろうとした手を止めた。
「……どうしてわかったんですか?」
「あ、当たりでした? 良かった。外れだったら恥ずかしいですから。簡単ですよ。『ただあれな』は『あなただれ』のアナグラムでしょう? 初めて見たときはなんだこれって思いましたよ。わざわざ偽名を使って依頼してくるなんて、何かあると考えるほうが自然です。詳しくは調査結果にありますが、自殺した社長が生きていれば、あなたの夫でもおかしくない年齢に見えました。そして、『裏野ドリームランド』という名前なのに所在地は和歌山県の海南市。裏野が地名でなければ人名かなって考えて、推理しました」
「……すごい。あなたに依頼して正解だったわ。はいこれ。依頼料よ」
歩美が受け取った封筒は、なかなかずっしりした紙の感触がした。
「これだけのお金を用意して依頼するなんて、よほど夫婦仲もよかったんでしょうね」
「ええ。だから主人が自殺してからこの噂を聞いて、主人が関係しているんじゃないかって心配していたんです」
「そうですか」
「これは吹田の家でゆっくり読ませていただきます。本当にありがとうございました」
「いいえ。また何かありましたら、よろしくお願いします。探偵ですけど、お金さえもらえれば料理も洗濯もしますよ」
「まあ」
依頼人は笑って去っていった。夫が誘拐犯であることは報告書を読めばわかるが、歩美は何も言わなかった。
「さて、君も帰ったらどうだい? ナデヤンのせいだけど、救急車のサイレンがうるさいからもう帰っちゃうよ」
「だって、私はまだ見えないんでしょ?」
少女は歩美に言う。
「今度は私が依頼する。私を見えるようにして。じゃないと、ずっと隣にいるよ?」
「依頼って君には依頼料の支払い能力が……まあいいや。君の狙いはこいつだろう?」
歩美はナデヤンを指さす。
「あ、まっくろくろすけ!」
「その名前はまずいよ。霊を万人に視認できるようにするには、まだ研究に時間がかかる。それまで我慢してもらうよ。名前は、そうだな……ウワサちゃん」
「はい!」
こうして、歩美に新たな仲間が増えた。