第1章 優しい人(9)
映画館までは徒歩で10分程度。桐斗から、11時の上映には時間に余裕があるから、その間にショッピングモールでショッピングを楽しみながら岸さんの好みを探れという重大なミッションを与えられていた。それだけではなく、後にサプライズ誕生日プレゼントをあげれば好感度アップ間違いないというものだ。壁ドンにこだわっていた桐斗がようやくまともな提案をしてくれた。今日は映画を見るだけではない。これからのあらゆるイベントに関わっているのだ。今日はもはやただの映画鑑賞ではない。男の戦いである。
「岸さん」
映画館に着くまでの道のりで、俺はそう言って立ち止った。ようやく落ち着いてきたはずの心臓がまた暴れ出す。岸さんは足を止めて振り返ってくれた。
「どうしたの?」
落ちつけよ。大丈夫。俺ならできる。買い物しようよ。これだけでいい。1度深呼吸して覚悟を決めた。
「あのさ、上映まで時間があるからその間に、一緒に買い物――」
俺の言葉をかき消すように突然子供の泣き声が聞こえてくる。振り返ると、後方にはまだ小学生にも満たないような小さな男の子が泣きながら1人で歩いていた。
このタイミングで! これが俺の素直な気持ちだった。ここでこの男の子に話しかけてしまったら確実に親捜しになる。買い物する時間が無くなってしまう。それに、最悪映画に間に合わないかもしれない。でも小さい男の子を見捨てていくのも気が引ける。岸さんとのせっかくの2人きりのデート。潰すわけにはいかないと無視しようかとも思ったが、俺は一度唸ってから、泣きそうな声で岸さんに言った。
「ちょっと待ってて」
困っている人を見捨てられない性分のせいで、何度も損をしてきた。脱走していなくなった猫を一緒に探していたら授業に遅刻して宿題の出し忘れで減点されたり、体育のテストで急いでいるのに書類が飛ばされて困っている人を助けてて、遅れて行ったらグラウンド10周の刑に処されたり、座り込んでいる女性を見つけて助けたらその人が妊婦さんで、救急隊の人に何故か俺ごと救急車に詰め込まれて結局病院まで付き添う羽目になったり、損をしてきたことは数知れない。それでも困って誰かの助けを求めている人を見て見ぬふりすることだけはできなかった。絶対に助けないと心に決めても最終的には引き返してしまうのだ。
俺は泣きじゃくる男の子に駆け寄って話しかける。
「どうしたの? お母さんは?」
男の子は大声で泣いていてまるで話しにならない。辺りを見回すが親らしき人も見当たらず、完全に困っていた。それでも一度関わったからにはもう後戻りはできない。何とかしなければ。その時、隣に岸さんが歩いてきた。そのまま男の子の前でしゃがむと、そっと男の子の頭を撫でる。
「大丈夫だよ。怖かったね」
それだけで男の子は少しずつ泣きやんでいく。恐るべし岸さんの天使力。岸さんは泣きやんだ男の子に優しく話しかけた。
「お母さんとはぐれちゃったのかな?」
男の子は涙を拭きながら頷いた。
「どこではぐれちゃったか覚えてる?」
男の子は首を横に振り、また涙目になるが、岸さんは慌てる事もなく笑顔で言った。
「大丈夫。すぐに会えるからね」
岸さんが俺を見る。親が近くにいるか分かったか確認しているのだろうが、首を横に振った。岸さんは頷いてから男の子を不安にさせないように優しく話しかけた。
「私岸姫香って言うの。お名前言えるかな?」
男の子はしゃくりあげながら何とか声を発する。
「峰良太」
「良太君ね」
岸さんは子供の扱いに慣れているようで、誰と何をしにここへ来たのか、住所は言えるか、電話番号は分かるかなど、必要な情報を順にゆっくり聞いていった。
岸さんの優しさに安心したようで、良太君は次第にはっきりとした情報を言い始めた。今日は母親と一緒に買い物に来たこと。買ってもらった玩具が嬉しくて走ったらいつの間にか母親がいなくなっていたこと。家に帰ってるかもしれないと思い自力で家に帰ろうとしたら見知らぬ場所に来てしまい怖くてたまらなくなってしまったこと。
岸さんは良太君の手を繋いで気を紛らわしてくれた。その間に俺は交番やショッピングモールに電話をかけて状況を伝え、親が来ていないか確認を取ってもらう。電話をかけた中に良太君の母親の情報があり、ショッピングモールに一緒に連れていくことにした。
ショッピングモールでは指定した1階の迷子コーナーで母親が落ちつかない様子で周りを何度も見回しており、良太君は母親の姿を見るとすぐに駆け出した。母親もその姿に気がついたようで同じように駆け寄り、俺達に何度も頭を下げた。お礼をしたいと言ってくれたが、俺達は断った。費やした時間は20分程。まだ映画には間に合うが、買い物は諦めた方がいいだろう。
「もうお母さんから離れちゃだめよ」
と、笑って言う岸さんの姿を見ていると、将来こんな風に周りの人に優しい素晴らしいお母さんになるんだろうな。