第1章 優しい人(8)
デートを明日に控えた晩、俺は帰宅するなり鞄を放り投げてベッドに飛び乗り、うつぶせのまま携帯のメール作成画面を開いた。宛先はもちろん岸さんだ。面と向かっては緊張するがメールだと多少薄れる。今なら少しぐらい気の利いた言葉が言えるのではないかという気持ちと、とにかく岸さんの言葉が欲しかったという気持ちで行動に移したが、何を打てばいいのか分からない。同年代の男性陣は一体女性陣にどんなメールを送っているのだろうか。何度も書いては消し、を繰り返して、ようやくこれに落ちついた。
「明日は芦野宮公園北口に10時に集合でいい?」
俺には残念ながらそちらのセンスは皆無く、これが精一杯だった。これならハズレがないだろうと思って送信しようとするが、直前になって本当におかしくないか再度確認する。誤字脱字は無いか、読む側が不快じゃないか、意味が伝わるか。桐斗にメールを送る時とはあまりにも違って、送信すればいいだけなのに心臓が痛かった。手がなぜか震えて緊張している。やっぱり送るのを辞めようかと1時間悩んだ末、思い切って送信した。
画面に送信完了の文字が出れば緊張は納まるかと思ったが、本当の勝負は送信してからだった。返信が来るまでマンガでも読んでいようと思うが集中できない。メールが届いていないか確認するのを1分も待てないのだ。携帯に背を向けてマンガを読もうとすれば、バイブ音が聞こえた気がして飛び起きては携帯を確認する。はっきり聞こえたはずなのに何の通知も来ていない。
「なんでこんなに気になるんだよ。たかがメールだぞ。たかがメール」
と背を向けた瞬間バイブ音が聞こえた気がしてまた飛び起きて確認した。携帯にメッセージが入っている!
「来たぁぁぁ!」
と、いつの間にか叫んでいた。すぐにメッセージを読んでみる。
「ありがとう。明日楽しみにしてるね」
たったそれだけなのに、読んだ瞬間歓喜の声を上げながらベッドの上で何度も左右に激しく転がった。
「明日楽しみにしてるね、だってよ!」
嬉しさが止まらない。たかがメール。されどメール! 生きてて良かったと万歳した。
翌日、夜明け前に目が覚めた。起きると同時に興奮しているようで、目が冴えて2度寝はできそうにない。そのまま起きると、昨晩枕元に準備していた服に着替えた。楽しみ過ぎて昨日用意は完了してしまったし、やることがない。時間の経過がいつもの倍以上に感じられる。太陽が昇ってくるのが遅い。何をもたもたしているんだ。俺は早く岸さんに会いたいんだぞ。
結局何かしようにも手につかず、俺は集合時間の1時間前に到着する羽目になった。いつ岸さんが来るのか辺りを見回しては携帯にメールが届いていないか確認する。
時間が少しずつ迫ってくるのに比例して、心臓も激しく胸を打ち始める。俺の心臓今日もつんだろうか。破裂しないだろうか。そう思っていた時、
「藤沢君?」
不安げな声に、はっと顔を上げた。そこにはいかにも女の子というような淡いピンクのワンピースを着た岸さんが立っていた。ふんわりとした服装は制服の何倍も似合っていて、絶句したまま目が釘付けになる。髪を顔の両サイドで緩めに結っているのもいつもと違っていて驚いた。岸さんのプライベートの格好ってこんなに違うんだ。
「藤沢君、あの、変かな?」
何も言わないことに不安になったのか、岸さんは自信なさげな声を出す。岸さんが俺の目を見ている。それだけで急に体が熱くなって、顔が火照った。
「いや、あの、そうじゃなくて、すごい似合ってるなって」
両手を突きだして俯いたまま必死で否定した。真っ赤な顔のままでちらりと岸さんを見る。照れて赤らめた顔を伏せている。なんてかわいいんだ! 天使だ。この人は天使だ。
「あ、あの、羽鳥君は?」
岸さんが間をもたそうとしたのか、問いかけてきた。そうだ。岸さんは知らないんだ。
頭を掻きながらチラチラと岸さんを見て言った。
「それが、あいつ今日来れなくなっちゃったみたいでさ」
完全に棒読みだと叫びたくなる俺をよそに、岸さんが残念そうな声を上げる。
「え? 来れなくなっちゃったの?」
そんなに残念なんですか。岸さん、もしかして桐斗の事……。いや、考えるな俺。そんなこと考えて自滅するんじゃない!
「そ、そうなんだよ。やっぱり、嫌かな?」
自己暗示も虚しく、不安がそのまま口から出た。嫌だと言われたら、ということを考える前にもう言ってしまっていた。これで嫌だと言われたら1人で映画を見に行こうと思う。恐る恐る顔を上げて岸さんを見ると、首を横に振ってまだ少し赤い顔で笑ってくれた。
「そんなことないよ」
その一言で十分です! 私服と笑顔のダブルパンチ。朝なのにもう心臓が荒れ狂っている。
「じゃあ、行こっか」
緊張して強張った体で岸さんと2人、映画館へ向かった。