第1章 優しい人(7)
「何これ」
俺は桐斗を非難するように冷たく言い放つ。その反応に、桐斗は何がわからないのか理解できないと言いたげな顔で言った。
「見て分からないのか? 映画のチラシだ」
「違う! 俺はこのジャンルを聞いてんだよ!」
チラシには一面、ゾンビが人に襲いかかっている姿がプリントされている。チラシの下には大きな文字で「出る出る!はらわたパラダイス!」の文字。
「もちろんホラーだ」
笑顔で親指を立ててくる桐斗に、俺は机の上からチラシをひったくるように取ると、チラシの両端を持って破り捨てようとする。
「こんなもん喜ぶかぁぁぁぁ!」
半分まで破れたところで、桐斗はすぐさま俺の手を掴んで止めてきた。
「離せこの悪魔! 俺の恋が破れる前にこのチラシを細切れにしてお前の昼飯にふりかけてやる! 我が怒りの味を知るがいい!」
力が互角にぶつかり合う中、桐斗が必死でなだめようとする。
「落ちつけ落ちつけ! これは作戦の内なんだよ! 頼むからちょっと話を聞いてくれ!」
激怒する俺に桐斗が何度も繰り返す。
「これは直人と姫香ちゃん大接近作戦の一環なんだよ」
それを聞くなり手を止めた。大接近だと? チラシを破ろうとしていた手を止めて、そのまま椅子に座り、手を膝の上に乗せる。
「詳しく聞かせてくれ」
「切り替えが早いなお前は」
桐斗はそう言いながら椅子に腰かけた。
「直人、女性陣を誘うなら何の映画がいいと思う?」
唐突に訊かれて少し考えてから答える。
「普通は恋愛ものとかじゃないのか?」
桐斗は人差し指を立てて左右に振る。
「いや、甘いな。付き合っているカップルが恋愛ものの映画を見に行ったとして、ラブシーンに突入したらどうなると思う? カップルでさえ気まずい空気になるのに、付き合ってもいない男女がラブシーンを見るなんて、正直地獄と言っても過言ではない! 感想を言う時に誤ってそのシーンの話でもしたら終わりだと思え。つまり、恋愛ものの映画など地雷原でしかないということだ!」
確かに、突然そんなシーンに入られたらどういう顔で見ていればいいのか、そもそもどこを見ていていいのか分からなくなる。そこまで見越して恋愛ものを避けたのか。
「さすがだな桐斗。たまに頼りになるよな」
「たまには余計だが良しとしよう。とにかく映画には俺から誘っておいたから楽しんでこい。もちろん俺はドタキャンする」
「分かった」
分かった? 数秒沈黙してから桐斗の言葉を思い出してみる。映画に、誘っておいたから? ……誘っておいただと! ようやく状況を理解して桐斗に掴みかかった。
「お前、何勝手なことしてんだよ!」
焦って文句を言おうとする俺の肩に手を置いて、桐斗が言う。
「直人。お前は現状に満足しすぎている。これではいかんのだ。何か一歩前へ進まねばならんのだ! いいか、誘うのはホラーだ。考えてみろ。姫香ちゃんがホラー映画に怖がってくっついてきてくれる瞬間を!」
腕に、くっつく? 頭の中で妄想が膨らんでいく。腕を伝う体温。涙にうるむ瞳。不安げな上目遣い。一定妄想し終えると、俺は勢いよく手を出した。
「我が友よ、協力感謝する!」
桐斗も手を出し、握手を交わした。
「幸運を祈る。そして土産話を聞かせてくれたまえ」
こうして俺と桐斗の男の友情が深まった。