第1章 優しい人(4)
一緒に帰ったその日から、俺と桐斗と岸さんの3人で行動することが多くなった。初めて一緒に帰ったクラスの仲間ということと、初対面でも全く緊張せずに話せる桐斗がいたことで、転校したばかりの岸さんは居易かったのだろう。俺達の掛け合いを見ながら笑っていることも多かった。その一方で、桐斗と岸さんがくっついて欲しくなかった俺は積極的に岸さんの隣に並んで歩いた。並んで歩けるだけで幸せだったし、岸さんが友達になっただけで突然人生がバラ色だった。岸さんが話しかけてくれることも多く、学校に行くのが毎日楽しみになっていた頃、
「このチキン野郎が!」
と、喝を入れたのは桐斗だった。
岸さんが他の女子と話しているのを視界の隅に捉えながら桐斗は言った。
「なんで今の状況で何満足しちゃってんだよ! それじゃそのうち見ず知らずのわけわからん男に取られるのがオチだぞ!」
あまり深刻に受け止めていない俺に、桐斗は真剣な表情で言った。
「直人、考えてみろ。今日の放課後たまたま姫香ちゃんが1人で帰ったとする。その時に超軽いナンパが現れて、君の瞳に恋したとか、君の全てを受け止めるよとか言って付き合ったらどうするんだよ。お前まだメールアドレスも知らないんだろ? これは問題だぞ!」
笑顔で女子と話す岸さんを眺めながら桐斗に答えた。
「あの岸さんがナンパなんかになびくと思うか?」
桐斗が俺の視界を遮るように立ってくる。
「お前は女子の心を何も分かってない!」
「いや、それ桐斗も……」
桐斗は俺の話を無視して続けた。
「世の女性は誉めてくれるかっこいい男が好きなんだよ。それも、年上のな! つまり、今の時点でお前はハンデを抱えてることになる。じゃあ今できるのは何か。そう、大人の対応を見せつけること。つまり壁ドンだ!」
「お前なんでそんなに壁ドン好きなの?」
桐斗は構わず拳を握りしめながら斜め上を見上げた。
「壁ドンは女性の理想なんだ。それをされるだけで世の女性はイチコロなわけよ! するっきゃないぞ直人! 姫香ちゃんのハートをゲットするためにも壁ドンかましてやれ!」
桐斗君、その瞬間ハートが逃げますよ。
「恋は押して押して押し切るもんだ! 引いた瞬間男が廃ると思え。つまり壁ドンだ」
「お前は結局壁ドンしか知らないんだろ?」
肩を落とした俺の腕を桐斗が強引に引っ張った。
「ってことで行くぞ!」
机を掴んで足を突っ張り、必死に抵抗する。
「壁ドンは嫌だからな! そんなバカなことして嫌われるなんてごめんだね!」
頑なに拒否する俺に、桐斗が急に真顔になった。
「俺が見ててやるじゃないか」
「桐斗に見られて何が変わるんだ?」
沈黙すること数秒。桐斗がもう1度腕を引いた。
「さ、行くぞ」
「何だよその間! 絶対今変わらないとか思ってただろ!」
必死で抵抗する俺を引っ張りながら桐斗は言う。
「とにかくメールアドレスだけでも訊いてこい! 俺も手伝ってやるから、行けチキン!」
素早く後ろに回って背中を押され、勢い余って岸さんの前に飛び出してしまった。他の女子達が次の授業の準備のために傍にいなかったことが不幸中の幸いだが、目の前には驚いて小さく首をかしげる岸さんがいる状況である。心臓がご乱心なだけでなく、体は急に熱くなり、顔が真っ赤になっているのがわかる。驚いていた岸さんは俺と目が合うと、笑顔を向けてくれた。