第7章 得たもの、消えるもの(3)
絞り出すような声で言う。こんな俺じゃ、これから姫香の傍にはいてあげられないから。
「待てよ。その、姫香ちゃんのことを直人が好きだったんだろ? 直人が傍にいてやれよ」
そうしたい。本当なら誰にも頼みたくないんだ。俺が傍にいてあげたい。傍で支えたい。今度こそ恥ずかしがってばかりじゃなく、姫香のことが好きなんだってちゃんと言いたい。
「無理なんだよ。この俺じゃ、もう姫香の傍にはいられない」
目を伏せ、短くなった制服をチラリと見る。
「桐斗、今日の俺の姿を見てどう思った? なんだこいつって思わなかったか? 仮に桐斗が思ってなくても俺を見た全員が思ったはずだ。なんで大人が制服着てるのかって」
「いや、それは……」
顔色から気持ちを察してくれた桐斗がなんとかフォローしようとするが、首を横に振って制した。
「いいんだよ。つまり、そういうことなんだ。俺だって姫香の傍にいたい。好きだって気持ちだけで突っ走ってきたぐらいだしさ。でもな、今の俺は高校生っていう時代にいるだけで、本当はもう28歳ぐらいの大人の男。あと2年もすれば30代のおじさんだ。そんな男と誰が一緒にいたいと思う? 仮に一緒にいられて、万が一うまくいったとしても、姫香の両親が認めてくれると思うか? 一緒に生きていけても高確率で俺が先に死ぬ。姫香に寂しい思いをさせることになる。俺は時間を使いすぎた。同じ時間を生きていけるわけがないんだよ」
それは事実だった。今の俺では、もし何年かうまくいってもどこかで必ず言われるだろう。どうしてあの人はあんなに老けているんだと。そうしてその白い目にさらされるのは俺ではなく姫香のほうだ。そんな苦しみを姫香に味わわせたくない。
「姫香には笑っていてほしいんだよ。ずっと笑顔でいてほしい。それだけなんだ」
「姫香ちゃんがなんていうかなんてわからないじゃないか」
拳を握りしめた。
「姫香は優しい子なんだ。本当に優しくて、俺のことをいつも気にかけてくれた。俺が落ち込んでもいつも傍にいてくれた。真実を話せば姫香は俺の傍にいてくれるかもしれない。でも、それじゃダメなんだ。優しすぎて自分の心を殺すようなことはさせたくない。桐斗、頼むよ。姫香の傍にいてやってくれ」
桐斗は返事をしない。俺のことを大切に思ってくれる桐斗だから、今何とか俺と姫香が一緒にいられる方法を探しているのだろう。
「頼む。俺はこれから研究所に行って未来で知った情報を伝えに行かないといけない。それに、俺が覚えてきた論文も紙に書いて小山教授に見せに行かないといけない。姫香が腐敗症を発症して手遅れになる前に何とか特効薬が使用可能になるまで頑張らないといけないんだ。そんな俺に姫香の傍にいてやる時間なんて全然ないんだよ」
桐斗は俺の顔を真剣な目で見ていた。
「薬が完成して認可が下りるまでどれくらいかかるか、知ってるよな?」
「あぁ、知ってるよ。何年も認可が下りないことだってある。でも、最短半年で認可が下りた薬も存在する。過去半年で認可が下りた薬剤は、核戦争後放射能を逃れるために地下に避難した人の間で大流行したエボラ出血熱に対する薬剤のみ。元々日本にはなかったウイルスだが戦争の影響で他国から侵入し、一気に広まった。一刻も早く終息させるため、どんな副作用が出るか分からなくてもほとんどが本人の希望無しにすぐ試験薬を投与することができるようになった。この時開発された薬のおかげで致死率が最高90%だったものが10パーセントまで減少し、エボラのパンデミックは阻止できたわけだ。腐敗症は致死率100パーセントの病、全国に薬が販売されるためには何十年もかかるが、もしかしたら試験薬投与の認可が下りるかもしれない」
薬の開発自体は随分と時間がかかったらしいが、今の俺は薬の開発時間を考えなくて済む。もう既に効果のある薬を作るための知識と方法を知っているのだから。
桐斗はうなずいた。
「姫香が腐敗症を発症して薬の効果が得られない末期になるまでがタイムリミットだ。論文に書かれた問題点を理解して、情報通りに薬を精製すれば薬自体は簡単にできる。問題は論文が正しいのかっていう検証とそれに対する国の認可だ。本当に悪影響がないかチェックしないと根拠と実証のない論文なんてただの想像だからな。頭の中にある論文が正しいと確定され、姫香に治験という形であっても投薬されれば確実に姫香は助かる。とにかく時間がない」
「その論文の内容は本物なのか?」
「ああ。御崎大学で習ったし、未来で直接小山教授にも会ってきた。腐敗症はこの論文に記載されている問題点を理解できれば一気に開発が進む。それに、俺が言う通りの方法で精製されればより少ない副作用で腐敗症患者を救うことができるんだ」
なるほど、と桐斗は相槌を打ちながら理解を深めていく。
「その薬は未来で確立された治療薬だから、小山教授に作らせて何とか姫香ちゃんに投与されれば確実な効果を得られるってわけか」
俺がうなずくと、桐斗は何度か質問しながら理解してくれた。
「俺が研究所の人間に論文を届けて、小山教授達の信頼を得て、薬の精製に一刻も早く取り掛かってもらうためには俺自身が研究所に通い詰めてでも説得しにいかないといけない。時間を戻した1回目は受け取ってすらもらえなかったけど、今の俺ならきっと信じてくれるはずだ。高校生っていう事実がある以上手間取るだろうけどな」
桐斗は俺の話を1通り聞き終わると大きく息をついた。
「まさか、直人がここまですごい男になってるなんてな」
「当たり前だ。何年勉強してきたと思ってんだよ」
今まで雲の上の存在だった桐斗を追い越した瞬間だった。桐斗以上のことを俺は知っている。逆に言えば桐斗の力はもう借りることができないということだ。
俺が目を細めて言うと、桐斗は笑った。
「俺にはそれ以上のことはわからないから直人に任せる。姫香ちゃんのことは任せろ。こまめに報告するから。っていってもこれから会うんだけどな」
「あぁ、頼むよ」
桐斗に姫香を託す。桐斗はいいやつだから、案外姫香とうまくいくかもしれない。いや、姫香のためにもうまくいったほうがいいだろう。2人が上手くいったら、そうしたら、俺には何が残るんだろう。ふとそんな思いが脳裏を過ぎったが、すぐにそんな考えを振り払った。




